少年の異変
二人はとにかく下の階を目指して走っていた。
「いいかシャボン玉には気をつけろ。あれはどんな能力があるかわかんね
ーからな」
「はい、ネルガル様!」
清々しいほどの返事を聞きながらふと横を見てみると窓からは太陽の光の代わりに月の光が差し込み始めていた。
そのせいなのか人が少ない。病院の廊下など走ったら速攻で怒られると思っていたので意外だったが、邪魔者がいたら戦いに集中できないからこれはこれで都合がいい。
「おい葉介!無理して俺の側にいる必要はないぞ。あのシャボン玉は十中八九俺を狙っている。お前はただ巻き込まれているだけだからな。トイレにでも隠れてればもうシャボン玉に襲われることはないぜ」
流れでついて来てはいるが、部外者を巻き込むわけにはいかない。
葉介を、一般市民を巻き込んだとなればあちら側は困ったことになるだろうがどうせ罪をなすりつけてくるに違いない。
例え罪が重くなったところで何も変わりはしないがここで見捨てるとなると後味が悪いことこのうえない。
これはネルガルの個人的感情であって、手伝ってくれている自称聖者とは何の関係もないが彼も同じ事を言っただろう。
彼の考えはあるがままに。
最初的判断は本人に任せて黙って肯定する。
「大丈夫です。僕はネルガル様について行きたいからついて行くんですから、ネルガル様は気にしないでください」
泣き虫の少年は跡形もなく消えていた。代わりに目を輝かせて元気いっぱいの声を張り上げる葉介がいた。
「そうか……。それがお前が選んだ道なら俺はもう何も言わねーよ。だけどその気なら俺から離れるんじゃないぞ。守りにくくてイライラすんだよ」
「は、はい!」
ネルガルの怒声に驚きながらも守ってくれるのだと安心した葉介は言われたとおりにできるだけ距離を詰めた。
「くっ、これじゃあ抜け出せないな」
走りに走っていろんなところを回っ二人はた角で息を潜めながら暗い病院の中で動けないでいた。
「どうしたんですかネルガル様?」
「例のシャボン玉だよ。お前に話してもわかんねーかもだが、あれはどう考えても守護霊のもんだ。霊力があるから間違いない。だが本体が見つからん。シャボン玉だけ残して逃げて行きやがったんだ。元を断てばと思ったがこれは逃げるしかなくなったな。流石に俺でもあの数を相手をするのは骨が折れる」
守護霊の能力は操っている神候補、もしくは守護霊自体を消せばなくなる。それは神の力でも、最強の神具とうたわれる仮面もそれは例外ではない。
それをどう防げばいいかと聞かれると、ほとんどの神たちは逃げると答えるだろう。
ただ逃げるのではない。罠として能力を残した後に逃げるのだ。そうすれば自分がやられることはないし、何もしなくとも敵は能力が倒してくれるからだ。
必勝法ともいえるこの戦術を使うのは能力が残せない一風変わったものや戦いを楽しみたい狂者しかいない。
だがもう一つあるとしたら確実に殺すに来る時はこんなやり方は絶対にしないはずだ。この戦術の唯一の弱点は敵を倒せたかどうかがわからない点だ。
もし、シャボン玉の主の神候補が本気で殺す気できたのならこの病院にまだいるはずだがそんな気配は微塵もない。なのでこの攻撃は力量を図ろうとしてのものなのだろう。
「ネルガル様。これからどうしましょう?」
「そうだな。相手の策に乗って、シャボン玉を壊して回るのもいいがこれから大切って時だからあまり派手には動きたくはないな」
生気の充填にはまだ時間がかかる。その間を奴らは見逃さずに襲ってくるはず。なるばできるだけ敵に能力を見られたくないのは当然だが、それ以上に葉介をこれ以上巻き込みたくはないという気持ちもある。
穏便にシャボン玉の包囲網を突破するための策を練っていると葉介が服の裾を引っ張っているのに気がついて、そのまっすぐな眼差しを見た。
「ネルガル様。僕が……僕が囮になってシャボン玉を引きつけます。そのうちに逃げてください」
「な、何を言ってる!お前がそこまでする理由はないはずだ。俺とはさっき会ったばかりだろ?何がお前をそうさせる」
「ネルガル様は僕に元気をくれたからです。僕はもうすぐ手術があるんですけど、それが怖くてたまりませんでした。お母さんとお医者さんが話してるのを聞いたんですが、成功する確率は半分ぐらいだそうなんです。それからもし失敗したらとか考えちゃって……。ネルガル様を見て思ったんです。こんな堂々としたカッコいい大人になりたいって。僕に生きる理由をくれたのはネルガル様なんです」
その顔には決心した表情で、もう何も怖くないと語っている。
「お前……。いや、谷川 葉介。俺はお前を見くびり過ぎたようだな。だが囮の必要はない。この鎌と俺の能力で妙なシャボン玉なんぞ跡形もなく消してやる」
迷いなき少年の覚悟を聞いて我に返ったネルガルは右手に鎌を出現させて、そう宣言した。
後のことを考えて萎縮しているのは自分らしくない。励まされたのはこちらの方だったのだ。
「さすがネルガルさ……ま」
「ん?おい、どうした葉介」
顔色がどんどん悪くなっていく様子を不思議に思って周りを見渡すと、左右から幾つものシャボン玉が迫っていた。
「クソ!」
一瞬でも警戒を緩めてしまった自分に舌打ちすると、葉介が何かに取り憑かれたかのように唸った。
「僕は……死んでない」




