魔王のため息
「お戻りになっていたんですか」
ブラン城の玉座に座る主の気配が濃くなったのを感じて、サラザールは言った。
「力が使えないなら、影で十分だろう」
シュバルツはそう言って、紅酒を持って来るようサラザールに命じた。ブラン城に戻ったシュバルツの代わりに、影は、シルランドに向かっている。
ただ人の、しかも侍従の振りまでして、馬車の旅をしてきた自分を、以前では考えられないことだと思う。シュバルツ自身がどうかしているのではと思うのに、紅酒の用意に一旦下がったサラザールは、まったく気にしていない様子だった。それが魔王の勘にさわる。
すぐに酒を用意して、給仕に回るサラザールに、
「アリシアとか、シルランドがどうなったとか、聞かないのか?」
シュバルツは問いかけた。
「聞いて欲しいんですか?」
だったらお聞きしますよ、と部下は楽しげに聞き返した。
シュバルツが黙って酒に口をつけているので、
「貴方様がそうまでして得ようとなさる、アリシア様は、稀有な方ですね」
と、サラザールは言った。
「...だが、あれは、理解していない」
思わずこぼしたシュバルツの愚痴に、サラザールはやんわり首を振った。
「そうでもないかもしれませんよ?」
「何故わかる? 勝手に人質になろうとしているんだぞ」
これでは、まるで欲しいものが手に入らないと駄々をこねる子どものようだ。それくらい、シュバルツ自身もわかっている。
「それは、この国を愛する王女としての行動かと」
部下のもっともな答えも、やはりわかってはいる。理解はできても納得が出来ないのは、伝説にまでなった力を持つ魔王に、これまで誰もこんな感情を教えなかったからか。
「欲しいものは、手に入れる」
シュバルツは宣言した。例え、それが彼女の本意でない場合があったとしても。
「シュバルツ様」
「なんだ?」
「欲しいものを手になさっても、壊れていてはつまらないでしょう?」
この部下は、そんな当たり前のことを言う。
「...どんな手段でも、というわけにはいかないな」
シュバルツは、仕方がないと、魔王にあるまじきため息をつくのだった。
キサナ山脈、シルランドの陣中。
押し込められた天幕から、そっと忍び出たアリシアは、シルランドがここに陣を張るまでに通ってきた道に検討をつけていた。できることなら、なんとか馬を奪って、シュバルツに追いつきたい。
それとも、動かすのに兵士たちがほぼ総出でかかっているらしい、あの封魔具を壊した方がいいだろうか。いや、それはすぐに見つかって、取り押さえられるだけだろう。そう考えたアリシアは、天幕の影から影へと移っていき、馬の気配を求めた。
しばらく行くと、まとめて馬が繋いであり、都合のいいことに、馬の世話をする小者が一人いるだけだった。
アリシアは背後から、短剣の柄で小者を殴って昏倒させた。馬がざわめいたが、素早く一頭を残して、手綱を切り、鞭を当ててバラバラに駆けていかせた。
それからアリシアは、残した一頭に跨がり、先行してシルランドへ向かったというシュバルツの後を追った。
馬が騒然と駆け出したことで、シルランドの兵たちも何事かと慌ててとり押さえようとする。ドレスのまま馬で道を登るアリシアに気づいた者が、すぐに上官に報告した。
ヤンソン皇子が、早く捉えろと声を上げ、なんとか押さえることのできた馬に乗った兵士たちが、アリシアを追った。




