煽動
馬車は主街道へ出て西へ西へと進み、ブラン山脈は遥か遠く見えなくなった。代わりに尾根の突き立つ高く険しい山々が見えてきた。
「いよいよキサナ山脈ですね」
少し緊張した声で、ミアが言った。シルランドが陣を配備しているすぐ手前に近づいてきたのだ。
宿に滞在中の間など、何度かセリーナと話せそうな機会もあったのだが、向こうが上手くはぐらかしてしまうので、結局何も聞けていない。シルランドが何を求め進軍してきたのか。隣に座る侍従に扮したシュバルツは、その力の故か、危機感を感じさせなかったが。
北のブラン山脈に比して、険しく切り立ったキサナ山脈は、麓にも森が少なく、ごろごろとした岩山がほとんどだった。麓の町キルケルは、畑や森の恵みが乏しいなか、鉱石の産出で生計を立てていた。
キルケルで、アリシアたちは、都から出陣してきた兄王子クライスの軍と合流した。国境の鉱山の町は、にわかにものものしくなっていた。
ゼクストンの世継ぎの王子は、戦装束に身を包みながらも、
「久しぶりだな、アリシア。こんなところで会うことになるとはな」
と、アリシアによく似た金髪碧眼のいかにも王子然とした風貌で、爽やかに笑った。
「こんなところなどと、暮らす者たちに失礼だろう」
兄の言葉に切り返すアリシアに、
「我が妹は、相変わらずだな」
と、目を細め、何気ない風を装って、そばに控える侍従に視線を向けた。けれど、クライスは、彼に声をかけることはせず、陣で待つ部下たちのもとへ戻っていった。
それから、一行は、キサナ山脈で待つシルランドの陣頭、第一皇子のヤンソンに連絡を取り、人質受け渡しの子細を待つことになった。
アリシアは、宿の二階に当てがわれた部屋に落ち着いた。
ミアは、食事の手配に階下へ降りていた。アリシアがどんな待遇でも文句を言わないので、
「アリシア様は、お姫様らしくなくて、本当に助かります」
と、茶目っ気たっぷりにミアはにっこりした。
シルランドの皇女はそうはいかないらしいと、アリシアは苦笑した。
そうして、一人部屋にいたアリシアは、窓を叩く音に窓辺へ目をやった。白い鳩が嘴で窓をつついていた。
「ああ、お帰り」
そう言って、アリシアは窓を開け、鳩を入れてやった。それから、椅子の背に止まった鳩の足についていた手紙を外す。
ジーニヤからの手紙には、シルランド教国は、彼らと力持つものとの婚姻によって生まれた者が興した国であること、時を経て力が弱まっていることを危惧していること等が書かれていた。
アリシアは、窓の外に見えるキサナ山脈に目を凝らした。岩影に、シルランドが張った陣の一部が見える。さらにその中に、一瞬、何かが光を反射して煌めくのが見て取れた。
手紙に再び目を落とす。シルランドは、力の奇蹟に頼った施政を続けていくため、力のあり方に対する研究に心血を注いでおり、近頃何がしかの成果を得たようだ、と、ジーニヤは結んでいた。
その頃、セリーナは、堂々と侍従の控えの間に入っていた。
「元のお姿が透けていますわ」
部屋に入るなり、セリーナは言った。
「いつものお姿の方が、素敵ですのに」
いつのまにか、シュバルツの扮装が薄くなり、黒づくめの魔王の姿と二重写しになっていた。
「何を、した?」
魔王の問いに、セリーナは口角だけを上げて微笑み、
「封魔具の出力を上げています。もうすぐ、何も出来なくなりますわ。私と一緒に来ていただけますわね?」
と、シュバルツの手を取った。




