抱擁。
テーゼ川。ブラン山麓から、ゼクストンを横断する流れの早い川である。
追っ手を振り切るためとはいえ、相当な高さからの落下なので、最初から覚悟はしていた。
駆け抜けるように、空中へ飛びだしたアリシアは、急激に落下した。
水面との衝撃に構えたその時。
水飛沫が、跳ね上がる。
そして、予想とは異なる着水にアリシアは呆然とした。
テーゼ川に腰まで浸かったシュバルツが、アリシアを抱き止めていた。
「シュバルツ...」
全身ずぶ濡れのシュバルツは、いかにも不機嫌そうに、
「遅い!」
とアリシアを叱責した。
「呼べと、言わなかったか?」
「いや、せっかく人として過ごしているところに呼んだら、力を使ってしまうんじゃないかと...」
ぎゅっと抱きしめられて、なぜだか、鼓動が早い。自分をもて余すアリシアの言い訳は、しどろもどろになってしまう。
「それはお前が考えることではない」
と、シュバルツは断言する。力を使うも使わないも、彼自身の思うところによるのだと。
「そもそもあの高さから落ちて、無事で済むと?」
「いや、この辺りなら、テーゼ川も結構深いし、泳げばなんとかなる、と...」
シュバルツは、アリシアを抱えたまま、ざぶざぶと川を横断し、対岸の岩場へ移動した。
「言伝てを、思い出さなかったのか?」
静かにアリシアを見下ろす瞳は、ほんの少し寂し気だった。
思い出さなかったと言えば、嘘になる。わざわざ黒猫を寄越してくれたことに、胸が温かくなった。
やはり、どこかで彼を当てにしていたのかもしれないと、アリシアは思った。すると突然、シュバルツの腕の中にいるという現状認識が追いついてきた。
「そろそろ、下ろしては、くれないだろうか...」
アリシアは、おそるおそる言った。頬が熱いのは、水の冷たさのせい、と思いたかった。
「嫌だと言ったら?」
わずかにシュバルツの腕に力がこもる。
「なんで?」
他意なく聞き返すアリシアに、シュバルツの肩の力が抜けた。仕方がない、と苦笑しつつ、アリシアを地面に下ろす。
「そのままでは、風邪をひくな」
シュバルツが小声で言うと、瞬時に、ずぶ濡れだった二人が、始めから川になど入らなかったかのように乾いていた。
それから二人は、シュバルツが近くに留めていた馬に乗り、ブラン城への帰路についた。
その道すがら、アリシアは、シュバルツが彼女の居場所を知るため、黒猫を遣わした時には既に力を使っていたことを知る。
「そうかもしれないとは、思っていたんだが...」
「だったら、遠慮するな」
シュバルツが、やはり憮然と言うので、
「貴公を当てにしたくなかったというより、貴公の力を当てにしたくなかったんだ」
と、アリシアは呟いた。
「...そうか」
「でも、ありがとう。礼を言う。一人じゃ、なんとか出来なかった」
アリシアは鮮やかに笑った。
「だが、できるだけ、最小限の力の行使に留めたというのはわかるが...、なんで馬一頭に相乗りなんだ?」
シュバルツと密着していると、何だか胸がざわめいて、落ち着かない。
「...急いでいたからな」
「今は急がずともいいだろう? 馬が可愛そうだ。降りて歩く」
言ってすぐに降りようとするアリシアを、有無を言わさず止め、そのまま城まで相乗りさせたシュバルツだった。




