幽霊城の管理人
城を出て、駆け通し、青かった空がうっすらと茜色に染まる頃。
アリシアは、とりあえずの目的地にたどり着いた。
ゼクストン王国の北、険しいブラン山脈の麓にある通称『幽霊城』....いつの時代に建てられた物か、代々のゼクストン王たちもなぜか手を入れることもなく、廃れるままに放置されている城だった。
ここならば、当面の雨風はしのげるし、追っ手もまさか王女が一人でこんなところに来るとは思わないだろう。
アリシアの幼少時に守役を勤めていた歴博士のジーニヤには連絡をとってあった。アリシアは、出奔前にバルコニーで、鳩に返事を託していたのだ。
ジーニヤは、ブラン山脈の中腹に庵を構えており、そこまでは馬で、あと1日といったところか。
馬を引いて城内に入ると、程なく、崩れかかってはいるものの、まだなんとか使えそうな厩舎を見つけた。そばには、更に都合よく、今も湧き出る泉まである。
「よしよし、疲れただろう」
アリシアは、走り詰めだった馬を労い、水を与え、城の厨房から取ってきた袋から飼い葉を与えた。
「今夜はここで待ってろ」
馬を厩舎に繋ぐと、アリシアは、落ち着けるところを探して、場内に入っていった。
陽も落ちかかり、城内はかなり薄暗かった。
アリシアは、怖がる様子もなくずんずんと歩いていった。
天は二物を与えずというが、アリシアには、美しさと賢さだけでなく、人並み以上の運動能力、さらに度胸まで備わっていた。
城と言う以上は、大体が同じような造りのはずと、中心部を目指す。
途中、大広間らしき部屋の手前の廊下で、
「ふぎゃっ」
と音がした。何か踏んずけたようだったが、アリシアは気にもせず、先へ進んだ。
こじんまりとした執務室らしきところで、アリシアは大きなソファを見つけた。
床にろうそくを置き、火種石で火をつける。
ソファに腰掛け、更に袋からパンを取り出したところで、
「その袋、何でも入ってるんですね」
と声がかかった。
「昨日のうちに、厨房の下っぱに詰めさせておいたんだ」
アリシアは、得意気に返事をした。
「驚かないんですか?」
と言う声の方が、驚きが混じっている。
「幽霊か?」
「違います」
「じゃ、なんだ? 姿も見えんが」
「見えた方がいいですか?」
「そうだな、どっちを向いてしゃべればいいのかわからんし」
すると、アリシアの目の前に、身体にぴったりした黒い服を来た男が現れた。
整った顔立ちに灰色の髪、濡れたような不思議な灰色の瞳。物腰は、いたって上品。一見すると、どこかの王族のよう。
「この城の管理人をしております、サラザールと申します」
アリシアの手を取って、その甲にくちずける。優雅な仕草だったが、背中に漆黒の羽根が見えた。
「お会い出来て光栄です、奇蹟のようなお美しさですね、アリシア様」
強行軍に、着ていたドレスも髪もすこしくたびれてはいたが、アリシアの美しさを少しも損なうものではなかった。
「その羽根、自前か?」
気にするポイントや口調は、その姿から受けるイメージとは違っていたが。それでも、サラザールは、にこやかに答える。
「あいにく、我が君のように出し入れ出来ませんもので」
「我が君?」
「はい。誠に残念ながら、あなた様は、我が君を起こしておしまいになりました」
「だから、我が君って?」
「伝説の大魔王、シュバルツ様です」
あくまでも、にこやかに。サラザールは答えたのだった。