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羊の島  作者: 羽田矢国
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 「なあ、やっぱり滝沢なんかやっとるらしいで。将来有望なカイハツっちゅうの」

 五時をとっくに過ぎていたが、事務所の隅に場所を借りてワープロを打っている島田の上から、かすれ気味の関西弁が振ってきた。


「・・・本当かよ」

 島田が振り向く。

「「なんか」がなんなんかはわからんけどなあ。まあ確かな筋からの情報やな」

「錦糸町か」

「違うわ。川崎じゃ」

 片瀬はいつも通りのTシャツにジーンズ姿だったが、今日は伸び放題の髪をきちんと後ろで括っていた。

「・・・富士ビタイだな」

「おう。貴乃花とお揃いやで」

「で、川崎がどうしたって・・・」

「「シャネル」のリカちゃんのひいきの客にな、滝沢の社員がおんねや。ほんでよう喋りよるらしいわ。ほとんど自分の自慢ばっかりやねんけど、この前来たときに、新薬がどうの言うてたって。開発の目途が立ったとかなんとか。あ、名前控えてきたで。見る?」

「滝沢製薬のほうは深追いしないって決めただろうよ。早くお前も書けよ自分の原稿」

 ワープロに向き直りかけて、片瀬の手からメモをひったくり、聞いた。

「ところでお前ソープで遊ぶ金なんかどこにあったんだよ」

「・・・日曜の大井は荒れたなあ」

 かかか、と笑いながら片瀬は事務所の外へ出ていってしまった。どうやら競馬で儲けたらしい。

「そんな金があったら借金返せってんだよ」

 しかも「シャネル」なんて最高級店で遊びやがって、と呟き、握っていたメモを広げた。 ・・・開発部第七課。

 平社員がずいぶん貰ってるじゃないの。最低でも一回八万の店に通えるなんてね。

「しかも名刺なんか渡しちゃって・・・」

 静かな事務所内に、島田の叩くキーの音だけが響いていた。



 「鈴木が死んだ?」

「はい。昨夜遅くに、首を・・・」

「自殺か」

「警察から引渡し書が出ています。親族はいませんから社の者を引き取りに行かせますが」

「・・・そうしてくれ」

 秘書がヒールの音をさせながら部屋を出ていくと、残された高柳は窓から西新宿の夜景を眺め、深い溜息をついた。



 電話が鳴った。

 時間は夜十時を回っていたし、自分は事務員ではないし、出る義務はない。

 放ったままワープロを叩き続けていると、コール音は十回、二十回、切れずに続く。三十何回目かで根負けして島田は受話器を取った。

「もしもし」

「・・・島田さん?」

 妙に篭ってはいるが、聞き覚えのある声だった。少年のように綺麗な声。

「そうですけど」

「佐藤です」

「・・・」

「・・・いま、東京ヒルトンにいるんです。1520号室です・・・」

 なにかに遮られるように、それで電話は切れた。


 「それはあれやろ。来い、ゆうことやろ」

 雑音の入る携帯電話の向こうで、片瀬は眠そうに答えた。

「出張かなあ。今からなんぞ面白いこと聞いても、間に合えへんけど、まあ後でなんぞの役に立つかも知れんし、行くだけ行っとき。・・・気ぃつけんねやで。相手は一部上場企業やからね。それともうひとつ・・・」

「・・・何だよ」

「相手がおねえちゃんやないのが残念やね」

「馬鹿」



 1520号室の前には、暗いブラウンのスーツを着た男が立っていた。

「・・・島田、さん?」

「・・・・」

 タクシーが捕まらず、新宿駅から走ってきたため、島田の呼吸はまだ少し乱れていた。

「佐藤がお呼び立てしたそうで」

「・・・あんたは?」

 息を整えながら聞く。効きすぎの空調で汗はたちまちひいていく。

「・・・高柳と申します。・・佐藤の上司です・・・」

「佐藤、さん・・は・・・?」

「社のほうで急用ができまして。お会いできなくて申し訳ない、と」

 こんな夜中に、何の用だか。

 考えたことが顔に出たらしい。高柳は少し笑って、地下のバーへ島田を誘った。



 先日魚島へいらした方でしょう。

 カウンター席へ落ち着くと、高柳は言った。

「はあ」

 赤外線センサーと監視カメラ。島田は島の警備を思い出した。カメラは本社直通だと佐藤は言っていたが・・・。

「・・・取材は進んでいますか。滝沢への資金融資」

「ああ、あれはもういいんです。そっちは書かないことになりました」

 三流実話誌のいいところは、調査が半端でも記事に出来るところだ。銀行の滝沢製薬への融資は本当だし、そこから先を詮索する読者も少ない。要は、某政治家と組んでいる「らしい」某商社と、系列の銀行が、何かやっている「らしい」ということ。真実である必要はない。ただ、嘘を書かなければいい。

「締切りも近いし。そう一つのことに構ってられる身分じゃないんですよ・・・」

 ぼそぼそと喋る島田を見て、高柳は安心と失望が半々に混ざったような顔をした。

「まさに売文稼業ってやつで」

「それでは、もう滝沢に興味はない、と」

「なくはないですが。嗅ぎ回る目的がなくなっちゃえばそれまででしょ」

 島田はカウンターに置かれたグラスの中を覗きこみながら言った。店に入ったときに高柳が注文したオンザロック。飲む気はしなかった。

「聞いていいですか」

「何を」

「魚島研究所の警備があんなに厳重な理由」

「高価な機材が置いてある、と言っておきましょうか。他の研究所はもっと凄いですよ」

「・・・佐藤さんは」

 高柳の表情が少し堅くなった。

「どうしてあんなところにひとりでいるんですか」

「・・・「研究」の都合上」

 つなぐ言葉を探しているようだった。

「「あんなところ」に閉じ込められているんですよ・・・」


 「魚島」に閉じ込められた佐藤。

 昔話の尼僧。

 重なるイメージ。潮風に靡く白衣。


 冗談とも本気ともつかない高柳の台詞。

 それを反芻しながら、島田は駅に向かった。始発はあと三時間だ。





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