4
「なあ、やっぱり滝沢なんかやっとるらしいで。将来有望なカイハツっちゅうの」
五時をとっくに過ぎていたが、事務所の隅に場所を借りてワープロを打っている島田の上から、かすれ気味の関西弁が振ってきた。
「・・・本当かよ」
島田が振り向く。
「「なんか」がなんなんかはわからんけどなあ。まあ確かな筋からの情報やな」
「錦糸町か」
「違うわ。川崎じゃ」
片瀬はいつも通りのTシャツにジーンズ姿だったが、今日は伸び放題の髪をきちんと後ろで括っていた。
「・・・富士ビタイだな」
「おう。貴乃花とお揃いやで」
「で、川崎がどうしたって・・・」
「「シャネル」のリカちゃんのひいきの客にな、滝沢の社員がおんねや。ほんでよう喋りよるらしいわ。ほとんど自分の自慢ばっかりやねんけど、この前来たときに、新薬がどうの言うてたって。開発の目途が立ったとかなんとか。あ、名前控えてきたで。見る?」
「滝沢製薬のほうは深追いしないって決めただろうよ。早くお前も書けよ自分の原稿」
ワープロに向き直りかけて、片瀬の手からメモをひったくり、聞いた。
「ところでお前ソープで遊ぶ金なんかどこにあったんだよ」
「・・・日曜の大井は荒れたなあ」
かかか、と笑いながら片瀬は事務所の外へ出ていってしまった。どうやら競馬で儲けたらしい。
「そんな金があったら借金返せってんだよ」
しかも「シャネル」なんて最高級店で遊びやがって、と呟き、握っていたメモを広げた。 ・・・開発部第七課。
平社員がずいぶん貰ってるじゃないの。最低でも一回八万の店に通えるなんてね。
「しかも名刺なんか渡しちゃって・・・」
静かな事務所内に、島田の叩くキーの音だけが響いていた。
「鈴木が死んだ?」
「はい。昨夜遅くに、首を・・・」
「自殺か」
「警察から引渡し書が出ています。親族はいませんから社の者を引き取りに行かせますが」
「・・・そうしてくれ」
秘書がヒールの音をさせながら部屋を出ていくと、残された高柳は窓から西新宿の夜景を眺め、深い溜息をついた。
電話が鳴った。
時間は夜十時を回っていたし、自分は事務員ではないし、出る義務はない。
放ったままワープロを叩き続けていると、コール音は十回、二十回、切れずに続く。三十何回目かで根負けして島田は受話器を取った。
「もしもし」
「・・・島田さん?」
妙に篭ってはいるが、聞き覚えのある声だった。少年のように綺麗な声。
「そうですけど」
「佐藤です」
「・・・」
「・・・いま、東京ヒルトンにいるんです。1520号室です・・・」
なにかに遮られるように、それで電話は切れた。
「それはあれやろ。来い、ゆうことやろ」
雑音の入る携帯電話の向こうで、片瀬は眠そうに答えた。
「出張かなあ。今からなんぞ面白いこと聞いても、間に合えへんけど、まあ後でなんぞの役に立つかも知れんし、行くだけ行っとき。・・・気ぃつけんねやで。相手は一部上場企業やからね。それともうひとつ・・・」
「・・・何だよ」
「相手がおねえちゃんやないのが残念やね」
「馬鹿」
1520号室の前には、暗いブラウンのスーツを着た男が立っていた。
「・・・島田、さん?」
「・・・・」
タクシーが捕まらず、新宿駅から走ってきたため、島田の呼吸はまだ少し乱れていた。
「佐藤がお呼び立てしたそうで」
「・・・あんたは?」
息を整えながら聞く。効きすぎの空調で汗はたちまちひいていく。
「・・・高柳と申します。・・佐藤の上司です・・・」
「佐藤、さん・・は・・・?」
「社のほうで急用ができまして。お会いできなくて申し訳ない、と」
こんな夜中に、何の用だか。
考えたことが顔に出たらしい。高柳は少し笑って、地下のバーへ島田を誘った。
先日魚島へいらした方でしょう。
カウンター席へ落ち着くと、高柳は言った。
「はあ」
赤外線センサーと監視カメラ。島田は島の警備を思い出した。カメラは本社直通だと佐藤は言っていたが・・・。
「・・・取材は進んでいますか。滝沢への資金融資」
「ああ、あれはもういいんです。そっちは書かないことになりました」
三流実話誌のいいところは、調査が半端でも記事に出来るところだ。銀行の滝沢製薬への融資は本当だし、そこから先を詮索する読者も少ない。要は、某政治家と組んでいる「らしい」某商社と、系列の銀行が、何かやっている「らしい」ということ。真実である必要はない。ただ、嘘を書かなければいい。
「締切りも近いし。そう一つのことに構ってられる身分じゃないんですよ・・・」
ぼそぼそと喋る島田を見て、高柳は安心と失望が半々に混ざったような顔をした。
「まさに売文稼業ってやつで」
「それでは、もう滝沢に興味はない、と」
「なくはないですが。嗅ぎ回る目的がなくなっちゃえばそれまででしょ」
島田はカウンターに置かれたグラスの中を覗きこみながら言った。店に入ったときに高柳が注文したオンザロック。飲む気はしなかった。
「聞いていいですか」
「何を」
「魚島研究所の警備があんなに厳重な理由」
「高価な機材が置いてある、と言っておきましょうか。他の研究所はもっと凄いですよ」
「・・・佐藤さんは」
高柳の表情が少し堅くなった。
「どうしてあんなところにひとりでいるんですか」
「・・・「研究」の都合上」
つなぐ言葉を探しているようだった。
「「あんなところ」に閉じ込められているんですよ・・・」
「魚島」に閉じ込められた佐藤。
昔話の尼僧。
重なるイメージ。潮風に靡く白衣。
冗談とも本気ともつかない高柳の台詞。
それを反芻しながら、島田は駅に向かった。始発はあと三時間だ。




