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羊の島  作者: 羽田矢国
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「阿呆ちゃうか」

 島田の予想通りの素敵なお返事が、片瀬の口から吐き出された。

 漁師から聞いた話を、片瀬にしてみたのである。

「・・・しやけど面白そうやん。そのうち調べてみたら。・・・この仕事片づいてから」

「そうだな。もう一度島に行ってみたいしな」

「なんやあ。そんなええ所なん?」



「ひつじ島」の昔話。

 むかしむかし、若狭の国から陸中の国へやってきた尼さんが、漁村に住みついた。尼さんは小さな寺を建てて住み、村民に字を教えたりして穏やかに暮らしていた。

 しかし何年か何十年か経って、村民は尼さんを沖の離島へ連れ出し、置き去りにしてしまった。

 それからというもの、その島の近くへ船を出して、海の中へ引きずり込まれる者が相次いだ。波のない穏やかな水面がいきなり渦を巻いて、漁船を飲み込むのだ。

 島の浜辺では、船が沈んでいくその様を、白い僧衣の尼が見ていたという。甲高い声をあげて笑いながら。



「その尼さんが「魚島」の化け物?」

「うん。漁師の船を沈めるんだと」

「しかしなんで村の者は尼さんを島に置き去りにしたんやろか。「化け物」になったんは島に行ってからやろ」

「・・・きっかけがあったんやろな」

「真似しなや。・・・あ。もう十一時やん。島田、仕事しよ仕事。今日の段取りも決めてないやんか」

 二人はその後さらに三十分ほど同じ場所で粘り、とりあえずの今後の方針を決めると、今度は早めの昼食をとりに別の店へ移動した。



 ヘリの回転翼が起こす風が、林の中の草原に波をたてる。音に驚いた羊たちが逃げていくのを高柳は機内から眺めていた。

 一頭だけ逃げない羊がいる。緑の夏草にぽつんと白く。

 いや、羊ではない。この島の番人が白衣を風に靡かせ、眩しそうにヘリを見上げている。「研究員」の佐藤だ・・・。


 本社からこんな所まで、わざわざ何のご用ですか」

 草の中に立ったまま、佐藤は無愛想に言った。

「相変わらずだな。・・・元気そうだ」

 高柳が作り笑いを浮かべて答える。

 滝沢製薬開発部第七課課長、高柳雪生。年は三十代半ば。夏だというのに、ダークグレイの上下をきちんと着込み、ワイシャツの襟元は青系のレジメンタルタイで締め上げている。重装備なのに、ヘリから降りたばかりのためか汗ひとつかいていない。

「お陰様で。病気にもなれませんから」

「・・・先日の件で聞きたいことがあって来た」

「電話でお話ししませんでしたか」

 羊たちが木々の間から遠巻きに様子をうかがっている。

「何を話した」

「何をって」

「あの「客」にだ。・・・そういえば帰りにはセンサーに反応がなかった」

「知りませんよそんなの。近道して帰ったんでしょう。・・・本社と銀行がどうした、なんて話、ここに取材されても何も答えられるわけないじゃないですか。世間話して終わりですよ。・・・今度から研究所の中にもマイクつけたらどうです。来る手間が省けますよ」

「そこまでするつもりはないんだ」

 高柳はなだめるように言った。

「この島にいてくれさえすればいい」

「・・・余計なことを喋らずにね」

「皮肉を言わないでくれ。君には済まないと思っている。私としても、社としても・・・これで精一杯のことはしているつもりだ」

 佐藤は黙って背の高い相手の顔を見上げていた。

 蝉の声が遠くでしていた。

 次の「定期検査」は二週間後。

 応接室で佐藤のいれる濃いコーヒーを飲まされた後、高柳はそう言い置いて帰っていったが、同じ内容の連絡が、二・三日前に研究所に入っていた。

 研究所の裏手に、小さな木造の洋館が建っている。そこが滝沢製薬の社員宿舎だ。住人は佐藤ひとり。

 勤務時間である午後五時まできちんと仕事をしてから、佐藤はそこへ戻った。

 仕事といっても、定期的に送られてくる資料の整理と、羊を捕まえて検査をした結果を本社と医大に送信することが主で、島田に話した魚の研究は今はしていなかった。少し前に他の研究所へ移管されたのだ。

 何かしていれば気もまぎれるから、と高柳が社に諮って作ってくれた仕事だったが、魚のほうは、どうしたわけか本社の注目する結果が出たために、もっと設備と人材の揃っている福井の小浜研究所へ移された。小浜は「原発銀座」とまで言われた若狭湾沿岸にあり、そして、佐藤のいる魚島とは気候条件がよく似ていた。

 白衣の下に、佐藤は半袖の開襟シャツを着ていた。暑いとは思わなかったが、季節に合わせてそうしているのだった。

 ふとスーツを着込んだ高柳の姿を思い出す。

 この暑いのに、と言いかけて壁の温度計を見る。三十二度。大丈夫、十分暑い・・・。

 高柳は今までの「上司」の中で一番自分に気を遣っているが、その気遣いが最近少し鬱陶しかった。

 袖口からのぞいた細い腕に、いくつか傷があった。暗紫色の採血痕。前回の検査から一ヶ月半経っているのになかなか消えない。よく見ればさらに古い傷が、消え切らずに青白い肌に残っている。

 気温の変化が分からず、傷の治りも遅い。

 味覚も鈍いから、普通のコーヒーなんか薄くて飲めない。

 白い陶器と淡いブルーのタイルで統一された洗面所で、眼鏡を外し、顔を洗う。顔を上げると鏡の中の自分と目が合った。

 前回髪を切ったのは半年ほど前になるか。「検査」で西新宿の本社へ行ったときに、高柳に美容院へ引っ張っていかれたのだ。

 佐藤はやっと目に掛かるくらいまで伸びた茶色い髪を一房引っ張った。

 洗面所には剃刀は置いていない。滅多に使わないから片付けてしまった。


 今度の「検査」のときに床屋へ行こう・・。


 ボイラーの作動する重い音を聞きながら、まだ明るい外光の差し込む風呂の中で佐藤は考えた。

 あとは何をしよう。

 東京には一週間滞在する。高柳か七課の課員の誰かが監視役についているものの、基本的には好きなようにさせてもらえる。

 しかし会いたい人もいない。

「あ・・・」

 島田、と言ったか、あの男は東京から来たのではなかったか。

 滝沢製薬の者を除けば、佐藤にとって唯一の知り合いだ。

 会いたい。

 「自分」を知らない人と、会って話したい。

 久しぶりの、自発的な欲求。

 島田は、外部の人間で、しかも記者という職業を持っている。会社の者に「会いたい」と言ったとしても。

 ・・・会えるわけがないか・・・。

 佐藤は鼻まで水の中に沈めた。吐く息が泡になって目の前ではじけた。






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