表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

1.日常

遅刻をしたことがない。

 それが、今橋律のささやかな誇りだった。

 目覚ましは毎朝六時ちょうどに鳴る。その一秒前に目を覚ますことも珍しくない。布団を出るタイミング、カーテンを開ける順番、歯を磨く時間。すべては決まっていて、狂うことはない。

 ――狂わせないようにしている。

 制服のシャツに皺がないかを確認して、ネクタイの結び目を指で整える。鏡の中の自分は、今日も問題なく「ちゃんとしている」。

「いってきます」

 返事はない。

 リビングのテーブルには、すでに用意された朝食が並んでいる。栄養バランスの整った、非の打ち所のない食事。けれど、湯気の立ち方までどこか正確すぎて、温かさというより“正しさ”を感じさせた。

 母はキッチンに立っている。振り向かないまま、「早く食べなさい」とだけ言った。

 律は「はい」と答えて席につく。

 味は、いつも通りだった。美味しいのに、どこか記憶に残らない。

 食器を洗い終え、家を出る。玄関のドアを閉める音が、やけに静かに響いた。

 遅刻をしたことがない。

 体調を崩して休んだこともない。

 提出物を忘れたこともないし、テストで大きく点を落としたこともない。

 ――それでも。

 なぜか、ときどき思う。

 このままでいいのか、なんて。

 そんなことを考える自分すら、どこか間違っている気がして、律は小さく首を振った。

 余計なことは考えない。

 今日も、ちゃんとやればいい。

 それだけだ。

 回生高校の校門が見えてくる。2年A組の自分の教室に入る。

 自分のカバンの中身を机の中に収納する。自習を始めるためにノートを広げる。

 見慣れたはずの景色の中で、ふと、誰かの笑い声が耳に入った。

 力の抜けた、無防備な笑い方だった。

「おーい、律!」

 振り向くと、内橋貴人が手を振っている。ネクタイは緩み、シャツのボタンもひとつ開いている。どう見ても「ちゃんとしていない」姿なのに、なぜか周りには人が集まっていた。

「またギリギリじゃん」

「ギリギリじゃねえし。ちゃんと間に合ってるだろ」

 へらっと笑うその顔に、律は少しだけ眉をひそめる。

 ――ああいうのは、よくない。

 そう思うのに。

 なぜかほんの少しだけ、羨ましいと思ってしまった自分に、気づかないふりをした。


 昼休み。教室は、弁当の蓋が開く音と他愛ない会話で満たされていた。

「なあ律、今日の英語やばくなかった?」

 後ろ席から話しかけてくる貴人に、律は箸を止めずに答える。

「別に。いつも通りだと思うけど」

「は? あれで“いつも通り”とか言えるのお前くらいだろ」

 大げさに肩を落とす仕草に、周りの何人かが笑う。空気が軽くなる中心に、貴人はいつもいる。

 ふと、教室の入り口の方で小さな音がした。

 視線を向けると、廊下から戻ってきた女子生徒が、両腕いっぱいにプリントの束を抱えている。バランスを崩しかけながらも、なんとか持ち直していた。

 姫川陽茉里だった。

「あー、またそれ? 先生に使われてんの?」

 貴人が、悪びれもなく声をかける。

 陽茉里は少しだけ驚いたように顔を上げ、それから小さく頷いた。

「……うん、ちょっと頼まれて」

「マジで毎回じゃん。便利屋じゃん、お前」

 くすっと、近くで誰かが笑った。

 陽茉里も、困ったように笑う。否定も肯定もせず、ただやり過ごすための笑い方だった。

 机にプリントを置こうとして、手元が揺れる。数枚が床に落ちた。

「あっ、ごめ――」

 しゃがみ込もうとした瞬間、貴人がひょいと一枚を拾い上げる。

「相変わらずドジだな」

 軽い調子で言って、ふと陽茉里の顔を覗き込んだ。

 そのまま、何気なく続ける。

「つーかさ、そのメガネやめたら?」

「え……?」

「いや、普通に暗く見えるっていうか。外した方がまだマシじゃね?」

 一瞬、空気が止まった。

 貴人は気づいていない。いつもの調子で、ただ思ったことを口にしただけだった。

「……あ、でも外したら外したで――」

 少しだけ間を置いて、笑う。

「ブスだったらごめんだけど」

 また、誰かが笑った。

 小さく、曖昧に。

 陽茉里も、笑った。

 ――笑ってしまった。

「……うん、大丈夫」

 そう言って、落ちたプリントを拾い集める。声はいつも通りで、何も変わらないように聞こえた。

 けれど。

 指先が、ほんの少しだけ震えていた。

 律は、それに気づいた。

 箸を持つ手が止まる。

 何か言うべきだと思った。けれど、何を言えばいいのかわからなかった。

 そこに明るい笑顔を浮かべながら、ぷくっと頬を膨らませている女の子が教室に入ってきた。

 綾瀬夏菜だった。

 「あー、また内橋くん。陽茉里ちゃんいじめてる。女の子には優しくしなきゃだよ」

 夏菜は誰に対しても優しくて明るいクラスの太陽だった。

 貴人は夏菜の言葉にびくっと反応する。

 「お前じゃなくて…姫川さん、ごめん」

 気持ちのこもっていない軽い謝罪だった。

 「いえ、大丈夫です…」

 陽茉里は、申し訳なさげにもっと頭を下げる。

 その言葉を聞いた貴人はもう別の話題に移っていて、周りの空気も元通りに戻っていく。

 ――今のは、夏菜が来なければよくなかった。

 そう思うのに。

 その一言が、喉の奥で引っかかったまま、出てこなかった。

 

 2年D組、昼休みが終わろうとしていた教室の窓際に、少し目立つ存在が入ってきた。

「おー、麗那ちゃん、来たんだ」

 教室に座っていた女の子が声をかけると、教室の入り口から歩いてきたのは田中麗那だった。長い髪は艶やかに揺れ、制服はきっちり整っている。だが、歩き方や笑い方は自然で、ぎこちなさはまったくない。誰もが「彼女はいつも恵まれてる」と直感的に思うほどのオーラがあった。

 机の上にはスマホと小さなカメラが置かれ、手には最新のSNS投稿用のチェックリストらしき紙が握られている。

「やっほー、みんな!」

 明るく手を振る。声のトーンは軽やかで、でもどこか計算された柔らかさがあった。

 教室の数人が思わず目を向ける。女子は「可愛い」と小声で囁き、男子はちらりと視線を送る。まさに“教室の中心にいるタイプ”だった。

 そんな麗那に気軽にタメ口で話しかける男の子の姿があった。藤森凜だった。

「麗那、また寝不足じゃないのか。仕事のしすぎだ」

 そんな無鉄砲な凜の態度に麗那は笑顔で答える。

 むしろ、嬉しそうに。

「そんなことないよ〜。好きでこの仕事やってんの。幼馴染の凜くんは応援してくれないの?酷いなー笑」

 麗那は一貫して明るく飄々とした態度をとった。

 クラスメイト達は幼馴染2人のこの定番のやり取りを温かく見ていた。

 一方で、凜は麗那の仕事用メイクの下に見えるクマを見ていた。

学園もの考えてるけど、最後まで書けるかな…?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ