「婚約破棄? はい喜んで!」と即断したら、心の声が視える冷酷宰相に「面白い」と即答されて結婚することになりました。
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「エルヴィーラ・フォン・レームブルク! よって、貴様との婚約は、この場を以て破棄する!」
王宮を揺るがす声が、磨き上げられた大理石の床に反響した。金刺繍の施された豪奢な軍服に身を包んだ、王太子クリストフが糾弾の声を上げる。その腕の中には、儚げな小花のように震える一人の少女、男爵令嬢のエマが庇護を求めるように寄り添っていた。
「貴様は、その高慢な身分を笠に着て、この可憐なエマを虐げた! 嫉妬に狂った醜い女め!」
集まった貴族たちの侮蔑と好奇の視線が、毒針のように突き刺さる。エルヴィーラ・フォン・レームブルクは、その中心で、完璧な姿勢のまま背筋を伸ばしていた。
《あ、これ》
突きつけられた現実と、脳内を走った閃光。
《これ、私が前世でやり込んだ乙女ゲーム『聖煌のラプソディ』の、悪役令嬢断罪イベントじゃん!》
エルヴィーラは思い出した。自分が、この国の公爵令嬢であると同時に、日本のオフィスで激務に追われていたOL(享年二十八)の記憶を持つ転生者であること。そして、今まさに、ヒロインをいじめた罪で婚約破棄され、最終的には断頭台へと送られる「悪役令嬢エルヴィーラ」その人であることを。
脳裏をよぎる最悪の未来。血の気が引く。
だが、エルヴィーラは。
《よっしゃあああああああっ!!》
内心、こぶしを突き上げ、歓喜の絶叫を上げていた。
《第一破滅フラグ、回避ー! ありがとう脳筋王太子! あんたのその単純さが私を救う! このまま断頭台ルートだけは回避しなきゃ!》
表向きは、完璧な淑女の仮面を崩さない。ゆっくりと、優雅なカーテシーをとり、扇で口元を隠す。
「……謹んで、承知いたしました、殿下」
凛とした、しかしどこか諦念を含んだ(ように聞こえる)声。
そのあまりに冷静な即答に、クリストフは一瞬面食らい、貴族たちは「公爵令嬢、哀れに…」「いや、気丈すぎる」と、かえってエルヴィーラの威厳に呑まれていた。
『聖煌のラプソディ』において、王太子ルートは死亡フラグの最たるもの。そこから離脱できた安堵は計り知れない。
◇ ◇ ◇
だが、エルヴィーラの安堵は、その日の夜、父であるレームブルク公爵の一言によって粉々に打ち砕かれることになる。
「エルヴィーラ。王太子殿下にあのような恥をかかせ、王家のメンツを潰したお前には、もはや選択肢はない」
重々しい書斎で、公爵は告げた。
「『鉄血宰相』マクシムス・フォン・ヘルドルフ閣下と、政略結婚してもらう」
「……え?」
《えええええええええ!?》
エルヴィーラは、今度こそ表の冷静さを取り繕うのが難しかった。
マクシムス・フォン・ヘルドルフ。平民出身ながら、その冷徹無比な頭脳と実行力で、腐敗した王国を立て直した現宰相。人々は彼を畏怖と敬意を込めて「鉄血宰相」と呼ぶ。
そして、ゲーム『聖煌のラプソディ』においては、王太子ルートを凌駕するほどの超高難易度「隠し攻略対象」であった。
《待って待って! あの人、ゲーム内じゃ「鉄血の愛に囚われたら最後、物理的に逃げられない」って有名だったヤンデレ枠じゃん! あそこのルート入ったら、断頭台とは別の意味で「ゲームオーバー」なんですけど!?》
王太子という地雷を避けたと思ったら、超弩級のラスボスを踏み抜いてしまった。エルヴィーラの破滅フラグ回避の戦いは、まだ始まったばかりだった。
◇ ◇ ◇
同時刻。王宮の一室で、マクシムス・フォン・ヘルドルフは、溜まりに溜まった決済書類の山に、無表情でペンを走らせていた。
「……茶番だな」
先ほどの断罪劇の報告書を読み、マクシムスは冷ややかに呟く。王太子の愚行、男爵令嬢の浅知恵。全てお見通しだったが、激務で疲弊しきった彼にとって、王家の痴情のもつれに付き合う暇はなかった。
マクシムスには秘密があった。
彼の右目には、他人の「心の声」が視えてしまう、呪いとも言える「魔眼」が宿っていた。
幼少期から、人々の口先だけの賞賛と、内心の嫉妬や悪意に晒され続けた彼は、他人に一切の期待をせず、心を閉ざすことで「鉄血宰相」と呼ばれる今の地位に上り詰めた。普段は魔力を込めた眼鏡で、その能力を制御している。
(……また胃が痛くなってきた)
激務と精神的疲労で、魔眼の制御が弱まっているのを感じる。
その時、侍従が来客を告げた。
「宰相閣下。レームブルク公爵令嬢、エルヴィーラ様がお見えです」
(あの断罪劇の令嬢か)
マクシムスは、内心の億劫さを押し殺し、入室を許可した。
現れたエルヴィーラは、完璧だった。背筋は天に伸び、一糸乱れぬ所作で、彼の前に進み出る。その顔に、婚約破棄された令嬢の悲壮感は欠片もなかった。
完璧なカーテシーと共に、その声が響いた。
「宰相閣下、エルヴィーラ・フォン・レームブルクにございます」
その瞬間。
《うわあああああ! 顔面が強すぎる! 歩くルーヴル美術館! これがラスボス!》
「……?」
マクシムスは、ペンを走らせる手を止めた。
(……歩く、ルーヴル? なんだそれは)
エルヴィーラは神妙な顔で、言葉を続ける。
「この度は、ご婚約の儀、謹んでお受けいたします。我が身に余る光栄に存じますわ」
《光栄どころか恐怖しかないわ! ここで下手に動くと即死! 淑女! 私は完璧な淑女! 息を吸って吐く! 素数を数えて、落ち着け私!》
「……」
マクシムスの右目から、制御不能となったエルヴィーラの「心の声」が、クリアな音声で流れ込んでくる。しかも、他の誰とも違う、テンションの高い、俗っぽい声で。
(息を吸って吐くのは普通だろう)
彼は、自分が「ラスボス」だの「即死」だの言われていることよりも、この令嬢の「表の完璧な淑女」と「内心の激しいツッコミ」の、あまりのギャップに意識を奪われていた。
何年ぶりだろうか。この乾ききった心が、面白い、と感じたのは。
《怖い! キレてる!?》
エルヴィーラは、無言の宰相に内心パニックになりながら、必死に完璧な笑顔を貼り付けていた。
やがて、マクシムスは、書類の山から顔を上げた。その鉄仮面のような無表情は崩れないまま、しかし、その瞳の奥に、ほんのかすかな愉悦を宿して。
「良かろう。その縁談、受けよう」
「え」
《えっ、即答!?》
マクシムスの即答は、エルヴィーラにとっても、この縁談を仲介した公爵にとっても、予想外のものだった。
こうして、内心がダダ漏れだと知らずに破滅回避に必死な悪役令嬢と、その心の声が唯一の癒しとなった鉄血宰相の、奇妙な政略結婚が成立した。
◇ ◇ ◇
宰相閣下の屋敷での新婚生活は、エルヴィーラにとって緊張の連続だった。
《ここはゲームの世界! 一挙手一投足が好感度、いや、生存フラグに直結する!》
「鉄血宰相の妻」として、完璧に振る舞わなければならない。エルヴィーラは、前世のOL時代に培った「完璧な外面」スキルをフル活用し、屋敷の女主人として、使用人たちへの指示、家計の管理、そして夫であるマクシムスへの(表面上の)献身を完璧にこなした。
一方、マクシムスは、表向きは「冷たい夫」を持ち前のポーカーフェイスで演じていた。彼は激務であり、新妻にかまけている時間がない、というのが建前だ。
しかし、その実態は。
《よし、今日の夕食のメニューは完璧。使用人たちから苦労して聞き出した閣下の好物、ビーフシチューよ!》
《あ、執事のネクタイがコンマ一ミリ曲がってる。気になるけど言えない!》
マクシムスの耳には、屋敷のどこにいても、エルヴィーラの賑やかな心の声が「BGM」として流れ続けていた。激務でささくれ立った彼の心は、その裏表のない心の声によって、不思議と癒されていった。
ある日の夕食。エルヴィーラは完璧な笑みで、マクシムスに問いかけた。
「閣下、お嫌いなものなどはございませんか? 何なりとお申し付けくださいませ」
《この人、顔はいいけど本当に笑わないな。怖い。あ、付け合わせのニンジン残してる。子供か! こんな完璧フェイスでニンジン嫌いとか、ギャップ萌え狙いか! でも顔がいいから許す!》
マクシムスは、ビーフシチューを口に運ぶ手を、ピタリと止めた。
(……ニンジンは嫌いではない。単に食欲がなかっただけだ)
彼は無言で、フォークを突き刺し、残されていたニンジンを口に運んだ。
《えっ、食べた!? なんで!? 私の一言(言ってない)で!? え、もしかして私の心の声、聞こえてるとか!? いやいや、そんなファンタジーな! あ、待って、この人、もしかしてチョロすぎない!? いや待て、これも好感度調整か!? 私を油断させるための罠!?》
(……チョロくない)
マクシムスは、もう一口ニンジンを食べた。
またある日。エルヴィーラは、宰相邸の家政管理を一手に引き受けていた。前世のOLスキルであるExcel集計と予算管理を脳内でフル回転させて、完璧な帳簿と備品管理リストを作成していた。
「奥様は素晴らしい。完璧な采配でございます」
老執事が心から感嘆する。
「当然のことでございますわ」
エルヴィーラは淑女の微笑みを浮かべる。
《あ──! ヤバい! やらかした! 閣下の決裁書類用の最高級インク、発注数一桁間違えた! 十年分くらい届いちゃう! どうしよう! バレたら即死! 鉄血宰相の家の財産を溶かした罪!》
書斎で書類を読んでいたマクシムスの耳に、廊下で完璧な淑女を演じている妻の、絶望的な心の叫びが届いた。
(……十年分か。面白い)
彼は、自分の妻が(本人は気づいていないが)屋敷の家政を完璧に回し、浮いた予算がインク十年分どころではない莫大な額になっていることを、とうに知っていた。その有能な妻が、たかがインクごときで内心、死罪レベルのパニックに陥っている。そのギャップが、たまらなく彼の乾いた心を刺激した。
(財産を溶かす、か。せいぜい慌てるがいい)
マクシムスは、鉄仮面の下でかすかに口角を上げた。
そして、またある夜。マクシムスは、王太子の愚行の尻拭いと、貴族たちの陳腐な権力争いの仲裁で、疲労困憊して帰宅した。
(……胃が痛い。なぜ私ばかりが)
重い足取りで自室へ向かおうとすると、エルヴィーラが完璧なタイミングで出迎えた。
「閣下、お帰りなさいませ。お夜食をご用意しておりますが、いかがなさいますか」
(……気遣いはいい。今は一人にしてくれ)
そう口に出かかった時、彼女の心の声が響いた。
《うわあああ! 顔面国宝が疲れてる! これはレア! なんという色気! 目の下のクマすらセクシー! アルティメット・セクシー・ビューティー! 拝んでおこう! 南無南無…! この世界にカメラが無いのが悔やまれる……!》
マクシムスは、思わず足を止めた。向けられるのは、常に嫉妬、羨望、恐怖、あるいは媚び。そんなものに辟易していた彼の心に、何の裏もない、ただただ顔面への純粋な賛辞と謎の拝み倒しが流れ込んでくる。
(……アルティメット? カメラ?)
じわじわと、疲労で強張っていた心が解きほぐされていく。あれほど痛かった胃の痛みが、すうっと引いていくのを感じた。
「……ああ。貰おう」
マクシムスは、自分がこの「うるさいBGM」なしでは、もはや激務に耐えられないほど、エルヴィーラの心の声に絆されていることを自覚し始めていた。
彼女の(本人は必死に隠しているつもりの)ドジも、彼女の(激務を心配する)ズレた優しさも、すべてが彼の心を解きほぐしていった。
◇ ◇ ◇
季節が巡り、王宮で開かれた夜会。
マクシムスは、妻となったエルヴィーラをエスコートしていた。
「まあ、宰相閣下と奥様…なんてお似合いなの」 「鉄血宰相が、あんなに穏やかな顔を…」
周囲は噂する。マクシムスが、妻をそれはそれは溺愛している、と。
実際は、マクシムスはエルヴィーラの内心実況中継を楽しんでいるだけだった。
《うわー、あのハゲ伯爵、カツラずれてる》
《あっちの侯爵夫人、ドレスの色が派手すぎ。若作りが痛い!》
《あ! デザートの新作ケーキ! 絶対美味しいやつ! 閣下、早くあっち行きましょうよ……まあ、聞こえているわけないんだけど!》
(……聞こえている。それに、君は淑女だろう)
彼がエルヴィーラの心の声に内心でツッコミを入れ、口元が緩みそうになった、その時だった。
「…フン。私を捨てたと思ったら、すぐに宰相閣下に乗り換えるとは。エルヴィーラ、貴様はとんだ尻軽な女だな」
聞き慣れた、傲慢で鈍感な声。元婚約者のクリストフが、男爵令嬢エマを伴って目の前に立っていた。
エルヴィーラの体が、反射的に強張る。
「王太子殿下、お言葉が過ぎますわ。私は、公爵家の命に従い、正式な手続きを経て、閣下と婚姻いたしました」
完璧な淑女の冷笑で、エルヴィーラは応じる。
《出たー! メイン攻略対象のアホと計算高いヒロインの性悪女! あんたに捨てられたおかげで、こっちの顔面国宝・超絶ハイスペックルートに乗れたんだよ、ありがとうな! 超絶ざまぁみろだわ!》
マクシムスは、噴き出しそうになるのを必死にこらえた。咳払いで誤魔化す。
(……顔面国宝ルート、か。相変わらず意味が分からんが、不思議と気分は悪くない)
クリストフは、エルヴィーラの「反抗的」な態度と、マクシムスの(笑いをこらえているとは知らず)不機嫌そうな様子を見て、さらに調子に乗った。
「なんだその態度は! 宰相閣下も、こんな性悪女を妻にして、同情いたしますな!」
その瞬間、マクシムスの纏う空気が、絶対零度まで下がった。
「王太子殿下」
地を這うような低い声。鉄血宰相の、本物の威圧。
「私の妻を侮辱することは、宰相である私への侮辱と見なす。王太子殿下とて、ただでは済ませませぬぞ」
「ひっ……」
クリストフもエマも、本物の「鉄」の冷たさに触れ、青ざめる。
《ひえっ! かっこいい…! これがラスボスの本気…! 守られちゃった! え、これって、もしかして私、愛されてる…? いやいや自惚れるな私! これは「宰相の妻」という立場を守ってるだけ!》
マクシムスは、妻の(またしてもズレた)心の声を聞き、小さくため息をついた。
(……立場、か。そろそろ、自覚してもらわねばならんな)
彼は、自分がこの「うるさくて、俗っぽくて、顔面ばかりを褒めそやし、そして必死に生きようとする」妻を、本気で庇護し、愛していることを、はっきりと自覚した。
だが、この夜会での一件は、思わぬ波紋を呼ぶ。
王太子が宰相を敵に回した。この事実は、男爵令嬢エマを追い詰めた。王太子妃という地位が危うい。
(こうなったら、あの女を完全に叩き潰すしかない!)
エマは、最後の手段に出た。王に直接泣きついたのだ。
「エルヴィーラ様が、私と王太子殿下の仲を裂こうと、実家の権力で圧力をかけてきます! 私、怖くて…!」
王は、宰相と王太子の板挟みとなり、苦悩の末、関係者を集めた緊急の会議を開くことを決定した。エルヴィーラの戦いは、最終局面に差し掛かっていた。
◇ ◇ ◇
王宮の会議室は、重苦しい空気に包まれていた。
玉座の王、その隣にはクリストフ、そして、泣き崩れる男爵令嬢エマ。対面には、エルヴィーラとマクシムスの姿があった。
「エルヴィーラ様に、『王太子に近づくな』と脅されました! 私の実家にまで、圧力が…!」
エマの白々しい演技に、エルヴィーラは内心、冷や汗をかいていた。
《はあ!? 私、そんなことしてないんですけど! この女の執念と思い込みと演技力、強すぎだろ! アカデミー女優賞とれるわ! また冤罪かよ! このままじゃゲームオーバー! 断頭台からは逃げられない!?》
クリストフが、待ってましたとばかりにエルヴィーラを指差す。
「エルヴィーラ! 貴様、まだ反省していなかったのか! 父上、このような女、厳罰に処すべきです!」
エルヴィーラが反論しようと口を開きかけた、その瞬間。
「その件ならば、反証がある」
静かに、しかし室内の全員の耳を捉える冷たい声。マクシムスが、持っていた書類の束から一枚の紙を取り出した。
「これは、男爵令嬢エマが、とある手配師に宛てた手紙だ。『エルヴィーラに脅されたと噂を流すよう』『レームブルク公爵家の悪評を流布するよう』指示した、直筆の指示書だ」
「なっ……!」
エマの顔から、血の気が引く。
「まさか、証拠が残っているとは思うまい。手配師の身柄は、すでに確保済みだ。全て自白している」
マクシムスが合図すると、隣室から衛兵に拘束された手配師が引きずり出されてきた。
《えっ、いつの間に!? 仕事早すぎ! デキる男は違う! セキュリティ完備! さすが私の旦那様! 抱いて!》
(愚かなことだ)
マクシムスは、妻の(またしても不相応にテンションの高い)心の声を聞き流し、内心で吐き捨てた。
(あの夜会で、私の妻に、私の前で、あの愚鈍な王太子が侮辱の言葉を吐いた。その瞬間から、あの二人の監視は開始されていたというのに。自ら破滅に飛び込むとは)
彼は王に向き直った。
「陛下。ことの真相は明らかです。男爵令嬢エマによる、王太子殿下を巻き込んだ、宰相の妻とレームブルク公爵家への計画的な陥穽。断じて許されることではありません」
エマは「違います!」と叫ぶが、もはや彼女の言葉を信じる者はいなかった。
王の裁定は、迅速かつ厳格だった。男爵令嬢エマは、王家と宰相家を欺いた罪で、爵位剥奪の上、修道院への終身幽閉。そして、王太子クリストフは、私情に溺れ、虚偽の報告に踊らされ、国家の重鎮である宰相を疎かにした愚か者として、王位継承権の見直し(事実上の廃嫡)が宣告された。
二人が衛兵に連行されていく姿を、エルヴィーラは(表面的には)悲しみに伏せたように見送りながら──
《勝ったー! 完全勝利! これぞ王道! 旦那が素敵で、メシがウマい!》
内心、祝杯を上げていた。その横でマクシムスが口元を抑えて含み笑いを隠していたが、幸か不幸か誰も気づくことは無かった。
◇ ◇ ◇
帰りの馬車の中。先ほどまでの喧騒が嘘のように、静まり返っていた。
エルヴィーラは、隣に座る夫に、深く頭を下げた。
「閣下、本日は……本当にありがとうございました。こんなことのために、ご迷惑をおかけして……」
《勝ったー! ゲームクリア! これで破滅フラグ完全回避! 乙女ゲーム『聖煌のラプソディ』、これにて完結! ありがとう宰相閣下! 顔がいいし仕事もできるし、最高! 一生ついていきます! 顔がいいから!!》
(仕事ができるのは当然として……あとは顔だけか? まあ、いい)
マクシムスは、静かにエルヴィーラの手を握った。
「え……?」
エルヴィーラが驚いて顔を上げると、そこには、今まで見たことのない、鉄仮面をわずかに緩めた、夫の姿があった。
マクシムスが、エルヴィーラの前で初めて小さく微笑む。
「これからも、私のそばで君の『心の声』を聞かせてくれ」
「……はいっ!」
《比喩表現だ! 私の「意見」を尊重してくれるってことよね!?》
エルヴィーラは、夫の言葉を「淑女としての意見を尊重する」という比喩的な励ましだと受け取り、顔を真っ赤にして頷いた。
《破滅回避、大成功!》
(フッ……これからが本番だというのに)
こうして、破滅フラグを(内心ダダ漏れで)回避した悪役令嬢と、その心の声を(すっかり気に入って)溺愛する鉄血宰相の、すれ違ったままの甘い新婚生活は、まだ始まったばかりである。




