邂逅
昼休み終了5分前のチャイムが鳴る。
ため息をつく。教室に行く心の準備し、踵を返す。
校舎の裏口扉を開けようとしたら
激しくこちら側へ開かれた扉。
ぶつかると思った時にはぶつかっていた。
仰向けにのけぞる。
鼻血の香りがツンとする。僕の鼻は呪われているのか。
「ご、ごめんなさい!?」
どうやら犯人は女の子らしい。声に反応して見上げると
「え?」
一瞬痛みを忘れた。
その子はあまりにも。
リープ直前に面識があった、クボタさんに
あまりにも
顔貌が相似していた。
もう一度まばたきしてみて、別人であることは分かった。髪はクボタさんより短いし、顔つきも微妙に印象が違う。でも、いや、ほぼ本人じゃないか?
疑問に感じる僕を差し置いて、何やら尋常ではない、焦燥にかられた様子の彼女は、すれ違うように駆け出していく。咄嗟だった。みすみす逃がしてはいけないと、己が直感に対して声帯が反応してくれた。
「あ、えとクボタさん?クボタカナエさん!?」
素早く立ち止まり、振り向いた彼女の目が、驚愕に大きく見開かれ───
「なぜ、娘の名を……?」
「え……」
『娘』と彼女はたしかに言った。そして
僕は今、彼女に何が起きているかを察した。
察してしまった。
僕自身を特別視したくないゆえに少し考えててはいた。僕以外にも、時間逆行者はいるのかもしれないと。できればいてほしいとも願っていた。
唯一無二の主人公なんてのは、恋愛以外じゃ宝くじの一等よりも現実味がない概念だ。誰もが特別なら、文学というものはとうにこの世から消え去っているだろうからして。一瞬、期待したのだ。自分は1人ではないかもしれない。この経験を共有できる相手がいたかとしれないと。
多分それを期待していたから、つい、咄嗟に呼び止めたのだろう。
だが、その期待は、もう
「か……カナエは、カナエはどこにいるの!」
「あ、偶然知り合ったんです……っ!?」
詰め寄る彼女に、仰向けに組み伏せられる。鬼気迫る様子。僕はしどろもどろになりながら、今起きている事態の、真の深刻さに呼吸が浅くなった。
リープ前のクボタカナエさんは10代後半から20代前半の見た目に見えていた。今日は多分、彼女と会った時から20数年は遡った日だ。それに……目の前の母親と思しき人は、ここの制服を着ている。胸元を見る。名札のカラーも同じ。僕と年代は変わらないだろう。それに、この異常なまでの焦燥。
ああ────多分。いや、十中八九。いや、確信的に。
クボタカナエさんは、消えてしまった。
年齢が足りず、ここまで遡れなかった。
つまり、人が死んだ?
人が死んだのか。今?
ヒュッと、内臓が空洞になる様な寒気を催した。
タイムリープにクボタカナエさんは殺された。
多少想定できている、つもりだった。
暇人だったから、タイムリープについて仮説を立てるのも楽しみの一つではあった。
存在に対して、タイムパラドクスが発生するケース。それをモロに受けた人間はどうなるか。おそらく消えてしまうだろう、と。
でも、それを、いざ目の前にして…………どんなに残酷なものかと…………
…………これは。
どう、すればいい。声が出ない。
あなたの娘さんはタイムリープで
存在ごと消えたのではないでしょうか。
だなんて、分かってても言えるはずがない。
目が泳ぎ、言葉が出ない僕のことを見て、彼女は察したようだった。双眼から光が失われ、フラフラと立ち上がり、後ずさって……力なく座り込んだ。底知れない絶望が伝わってくる。
「も、もどっちゃったん、だ。やっぱり……」
僕は我が身を起こすが、彼女に手を貸すこともできず、駆け寄ることもできず、立ち尽くすだけで。
「あの」
そうしてるうちに、彼女は俯いたままで話を切り出した。
「カナエを知ってるっていうことは、時間の逆行をあなたも……」
その問いかけのおかげで、少しばかり僕も冷静になる。今は、この受け答えだけが、気休めになると思って。
「は、はい。ですが、カナエさんは前回のリープで一度知り合った程度。それ以外は」
「……充分です、あの子が忘れられてない……それだけでも、良かったって思わないと」
まるで自分に言い聞かせるようなその言葉に、胸が苦しくなる。始業のチャイムがついに鳴る。しかし僕らは一寸たりともその場から動くことはできない。
「……カナエとは、いつ頃?」
「本当にタイムリープのタイミングのすぐ前。2032年の9月でした。福岡県の柳川です」
「元気でしたか?」
「ええ、親切にしていただいて」
「そう、ですか」
彼女の頬を大粒の涙が伝う。
沈黙を選び一度うなずく。何とかしてやりたいとは思うが……。
だが────すぐ、彼女は止まらない涙をそのままに、意を決したように僕と目を合わせた。絶望に沈んだと思われた瞳の奥が、一転して激しく煌めいている様にすら感じられて
その強い表情に僕は大きく気圧される。
同時に、その表情の理解に苦しんだ。そして理解できないかもしれないと、すぐに悟った。
「私は、クボタユウカ……いえ、キサラギユウカといいます。あなたは」
「え?あ、僕は……来栖堅斗です」
「来栖さん。放課後少し時間をください。情報を整理したい。部活動は……?」
さっきまで狼狽えていたとは思えない。
未だ涙の跡が残りながらも、毅然とした振舞だった。
その姿に僕はあからさまに動揺する。
娘が消えたというのに、この切り替えの早さは何なんだ?まだ僕も受け止めきれてない。
正直、子供が消えて、母親がその事実を理解してしまっているという状況に、予想以上にショックを受けているのだ。なんて残酷なことだ、と。
合ったばかりなので当たり前ではあるが……このキサラギユウカさんの人となりを、把握しかねる。だが、僕とは大きく違うことだけはわかる。人種が、違うんだ。
でも、分らない。今、一体どういう気持ちなんだ。彼女は、どういう感情でここにいるんだ。なぜ毅然と、強く、立てているんだ。
「え、ええと、美術研究会に。基本的に自由参加ですから、問題ないです」
「私は軽音部ですが……何か予定があったら、理由を付けて抜け出しますね。なら、学校の外で待ち合わせが都合が良さそうですね」
「あ、それは、そうですね」
何も考えてなかった。というより考える時間がなかった。勢いに負けてつい承諾する。
「じゃあ、上福岡からは少し離れますけど……川越駅前でお願いします。それと、ここで一旦解散しましょう……授業もありますし」
そうして、キサラギさんに言われるがままに解散した。
何も言えなかった自分に悶々としながら、そしてソワソワと落ち着かないまま、集中できない日中をなんとか過ごした。なんだかずっと、キサラギさんと、消えてしまったクボタさんの事を考えていた気がする。
だから案外すぐに時間は経って、放課後になった。




