第8話「貴女だけのアルレイン」
青森への帰還には、まるまる一週間が掛かった。
道中、新地球帝國軍の検問があったため、レイル・スルールから譲り受けた車は乗り捨てた。だが、彼女が用意してくれた衣類や毛布、少しばかりの食料と現金が役に立った。
まだ、連中をパラレイドとして許していない人間は大勢いる。
そうした者達の車に乗せてもらったり、時には徒歩で山を越える夜もあった。
更紗れんふぁがいてくれたから、摺木統矢はなんとか旅路を終えることができたのだった。
「町中も随分やられてるな……連中、ここで市街戦をやったのか」
久々に見る青森市内は、様変わりしていた。
もともと生まれも育ちも北海道で、統矢にこれといった思い出はない。それでも、激しい戦闘の傷跡はあちこちに痕跡を残していた。
瓦礫の山と化した建物や、基礎だけを残して燃え落ちた家々。
横たわるパンツァー・モータロイドに、横転した戦闘車両。
痛々しい町並みを今、雪だけが白く覆ってゆく。
行き交う人々も皆、俯きながら黙って歩くだけだった。
「統矢さんっ、確かこっちの方に」
「ああ。……まさか実家に帰ってるとなは。灯台下暗し、ってやつか?」
「誰だって、帰れる家があるのは幸せです。だから、少しよかったな、って」
「あ……悪い、れんふぁ。お前は」
かつての仲間、ラスカ・ランシングの住む家がこの先にある。
勿論、ラスカも統矢達同様に戦争犯罪者だ。|皇国海軍PMR戦術実験小隊《こうこくかいぐんパメラせんじゅつじっけんしょうたい》、通称フェンリル小隊……一騎当千の幼年兵を集めた一点突破型の戦力だ。ラスカは自称エースで、その名に恥じぬ戦果をあげた少女だった。
そのラスカが、青森の自宅に戻ってるというのは驚きである。
だが、考えてみれば新地球帝國も統治を始めたばかりで、この片田舎まで捜査が及んでいないのかもしれない。
れんふぁは統矢の腕を抱き締めて、グイグイと引っ張りながら歩く。
「わたし、以前の記憶はまだあやふやで……でも、次元転移でこの時代に来てからのこと、よく覚えてます。最初に目が覚めたのは、ラスカさんの家でしたから」
「そっか。なんか……ずっと昔のことのように感じるな」
「はいっ。だから、いつかそのことをみんなで話せたら……そういう時がくれば、って思います。平和になるって、そういうことだと思うから」
「……ああ、そうだな」
やがて、古びた洋館が現れた。
どうやら被害は免れたようだが、奇妙な程に寒々しい。大勢のメイドが働いていた筈だが、人の気配がほとんど感じられなかった。
しんしんと降り積もる雪の中、統矢は周囲を警戒する。
以前から周囲は開けた土地だったが、点在する民家も半数は破壊の跡が見て取れた。
「あっ、統矢さん。あの女の人」
不意に、門の中から一人の女性が現れた。肩掛けを前で合わせて、質素だが清潔感のある身なりをしている。肌は瑞々しく、三十代と言っても通用しそうだが、その目は虚ろに闇をたたえていた。
彼女は確か、ラスカの母親だ。
大きな郵便受けを開けて、残念そうに溜息を零す。
その姿を見て統矢が脚を止めていると、ラスカの母親は視線に気付いて振り向いた。
「あら? まあまあ……どなた? もしかして……ラスカのお友達かしら? まあ……そうなんでしょう?」
「え、あ、その……」
「統矢さんっ! ここはわたしが……は、はいっ。そうなんです! ラスカちゃん、いますかぁ?」
言葉が上手く絞り出せなくて、れんふぁに肘で小突かれた。
統矢にはもう、母親も父親もいない。二人共優しくて、お隣さんの更紗家とは家族ぐるみの付き合いがあった。父親は更紗のおじさんとよくゴルフや野球の話で盛り上がっていたし、母親はおばさんとの井戸端会議がとても長かった。
もう、ずっと昔のように感じる。
だが、少なくともラスカには母親がいる。
心を病んでしまっても……否、そういう母親だからこそ、ラスカが側に必要な気がした。そのラスカを、再び戦いへと誘って連れ出す。それは、罪悪感という言葉では生ぬるいくらい、暗い感情で統矢を苛んだ。
「ラスカね、それが……ごめんなさいね。あの子、急に留学するって」
「あ……そ、そういう……そうですかっ。そう、なんだ。じゃあ」
「手紙一つよこさないのよ? 毎日待ってるのに……ふふ。さ、おあがんなさいな。寒かったでしょう? おばさんのお茶に少し、付き合ってもらえると嬉しいのだけど」
とても綺麗な人で、穏やかな笑顔を浮かべていた。
まるで、現世のあらゆる苦しみから守られているような、辛いことなど見えないかのような目をしている。そして、それを責める資格は統矢にはない。
ただ、彼女の平穏を奪う自分が心苦しかった。
屋敷の重々しいドアが開いたのは、そんな時だった。
「奥様、お客様でしょうか? 外は冷えます、中へ……あっ」
そこには、メイド服を着たラスカの姿があった。
ラスカはなにかを言いかけたが、笑顔で母親へと駆け寄る。その目は無言で、話を合わせろと伝えてきた。いつも唯我独尊で高飛車、勝ち気だが、彼女の深刻な眼差しはこういう時だけだ。
母親はラスカにとって、守るべき大切な家族なのだ。
「ああ、いいところに……貴女、お茶の準備をして頂戴? お客様なの。ラスカのお友達よ」
「友達、ですか」
「ええ。粗相のないようにね……そうだわ、貴女もお茶くらいいいでしょう? いつも働いてばかりだもの、今日くらい一緒にテーブルを囲んでもバチは当たらないわ」
「は、はあ」
「働き者の貴女にも、日頃のお礼がしたいわ。ね? そうして頂戴な」
彼女の愛娘であるラスカは、目の前にいる。
しかし、母親にはもうラスカが見えていないのだ。
留学というのは、ラスカ自身が作った方便だろう。
締め付けられるような疼痛に、統矢はジャンパーの上から胸を抑える。戦争は命を奪い、生きてる者からさえ蝕んでしまう。それは当のラスカにとては、死ぬよりも苦しいことだろう。
そんなことを考えていると、突然横でれんふぁが身構えた。
瞬時に殺気を感じた時には、統矢は自分の迂闊さを後悔することになる。
「そこまでだ。全員その場で手を上げろ」
拳銃を手にした黒服が、数名。
やられたと思った……間違いなく、新地球帝國軍の情報部に類する組織だ。訓練された人間の行動とはいえ、その気配を察知できなかった自分が悔やまれる。
ラスカは咄嗟に母親を背に庇って、統矢とアイコンタクトを交わす。
まずは様子を見る……言葉がなくても以心伝心、共に死線をくぐった者同士の意思疎通は完璧だった。通じ合う以上に、信じ合えた気さえしていた。
「本部、こちら市内班。予想通りターゲットはランシング家に現れました。ええ、ええ……そうです、DUSTER検体第二号と、れんふぁ様です」
網を張られていたのだ。
当局は既に、ラスカの存在を把握し、監視していた。仲間との接触を待つために、泳がせていたのだ。
軽率さを悔いても始まらないが、統矢は奥歯をギリリと噛み締める。
男達は応援を呼びつつ、銃を突きつけてきた。
リーダーらしき男は、無線機に何度も頷き恐ろしい言葉を切る。
「了解しました、DUSTER検体第二号とれんふぁ様を連行します。他のものは、ええ、はい。わかりました、処理しておきます」
同時に、まずラスカに銃口が向けられた。
雪の積もる音さえ聴こえてきそうな静けさが、銃声によって引き裂かれる。
真っ赤な血を吹き出した人物は、悲鳴さえあげれず崩れ落ちた。
「ママッ!」
ラスカが両手で受け止めた、それは彼女の母親だった。ラスカに向けられた射線の前に、母親は身を投げ出したのだ。
家の主人がメイドを庇う……予想外の出来事に、周囲が息を飲む気配が広がる。
同時に、轟音が響いて戦場が広がっていった。
黒服達が目を守る風圧の中で、ラスカは震えながらその場にへたり込む。
「くっ、反乱軍のPMRか! 本部、至急応援を!」
「こいつっ黒い奴か! 例の報告にあった!」
白の世界に響き渡る、耳障りなメカニクルノイズ。異音を広げながら、黒い機体が降りてくる。それは、死地より甦った五百雀辰馬の新たな愛機……89式【幻雷】改型零号機である。
重力制御システムにゆらゆらと白い包帯を揺らして、バイザーの奥でカメラアイが光る。
だが、悲鳴と怒号、ノイズのような駆動音の中で静かにラスカの声が響いた。
「どうして……いやよっ、死んじゃ嫌!」
改型零号機は、蜘蛛の子を散らすように黒服達を追い払った。
泣きじゃくるラスカは、伸べられた弱々しい手を握って叫ぶ。
「死なないで! 嫌……アタシを置いていかないでよっ!」
「ごめん、なさい、ね……貴女、とてもよく似てたから」
「似てた……ママッ! アタシよ、ラスカなの! ママの娘の!」
気付けば、上空に見慣れた艦影が降下を開始していた。かつて統矢達が母艦としたこともある、皇国海軍の高高度巡航輸送艦、羅臼だ。尾を噛む邪竜の紋章は、属する組織の名……秘匿機関ウロボロスの移動基地である。
そして、羅臼からなにかが投下されるのが統矢には見えた。
同時に、惨劇の騒ぎの中ではっきりと声が伝わってくる。
「似てた、のよ……貴女。ふふ、今まで……ありが、とう。どうか、ラスカに、会ったら」
「アタシがラスカよ、ママッ! お願い、死なないで……もう、残されるのは嫌っ!」
「働き者で、賢くて、優し、く、て……似てたの。あの子の……あの子の、可愛がってた、アルレイン、に」
「――ッ! ……ママ」
刹那、すぐ近くに巨大な質量が落下した。
それは、常温Gx炉をドライブさせる全高7mの人型機動兵器……真紅に塗られたラスカの改型四号機だ。
事切れた母親を抱き締めるラスカを、無表情の巨兵が黙って見下ろしているのだった。