第7話「戦争の孤児達」
摺木統矢に迷っている余裕はなかった。
躊躇することも、考えた上での選択も、できない。
叫ばれるままにただ、五百雀千雪を背負って目の前の車に飛び込む。後部座席に転がり込めば、続いた更紗れんふぁがドアを閉めた。
タイヤを絶叫させて、オフロード仕様の大型車両が走り出す。
運転席で肩越しに振り返ったのは、意外な人物だった。
「無事? だよね、統矢っ!」
「あ、ああ……助かった、ありがとう。……でも、何故だ? レイル・スルール」
久しぶりに再会した少女は、奇妙な格好をしていた。
ゴスロリとかいう、無駄にフリルとレースがついたミニドレス。似合わない眼鏡をかけて、唇には紅を引いていた。
それが彼女なりの変装だとは、統矢には知る由もなかった。
首の皮一枚で繋がった命を今、敵のエースパイロットに預けている。
レイルは前を見て運転を続けながら、バックミラーの中で話し始めた。
「新地球帝國軍にだって、情報部はある。でも、随分上手く隠れてたよね、統矢は」
「……だが、この様だ」
「先程戦闘があって、反乱軍のパンツァー・モータロイドが暴れてくれてさ……その時、撃破された友軍機のガンカメラが、統矢を捉えていた。そこからはすぐだったよ。だって……ボクもずっと、統矢を探してたから」
まるで愛の告白のように、少しレイルは頬を赤らめた。
こうして直接会うのは、久しぶりである。
いつも、いつでも、常に二人の間には装甲と銃口があった。言葉には殺意と敵意が込められていたし、互いに守りたいものを背負っていた。
そして、レイルは常にパラレイドと名付けられた未知の敵だった。
統矢達一部の兵士しか知らない、真実を宿命付けられた少女。
同時に、統矢や千雪にとっては、同じDUSTER能力に目覚めた数少ない同類でもある。
「俺達を拘束し、連行するつもりか?」
「……ボクは今、ボク自身の意思で動いている。統矢は情報部には渡さない。当然、れんふぁ様もだ。……で、その女が五百雀千雪か。メタトロンの外で会うのは初めてだ。……きっ、綺麗な、人だね」
既にもう、千雪は意識が朦朧としていて返事がない。
その端正な表情は苦痛に歪み、額には弾のような汗が浮かんでいる。
そんな彼女を、ただ抱き締めてやることしかできない。
そして、千雪を語るレイルの言葉には、奇妙な熱がこもっていた。
「まず、統矢……キミを助けたい。トウヤ様のために、統矢の力は正しく使われるべきだから。それと」
「それと?」
「ボク自身が、統矢に生きていてほしいんだ。そして、自分でもおかしいと思ってる……ボクは少し変なんだ。このまま五百雀千雪には、死んでほしくない。死ぬなんて、許せない」
右に左にと、大通りを避けて車は走る。
途中、何度も軍の車両と擦れ違う。緊迫した空気の中で、上空には敵のエンジェル級パラレイドも多数展開を始めている。もう、統矢が遠ざかろうとしている街は戦場そのものだった。
自分でも戸惑うようにして、レイルは言葉を続ける。
「勝ち逃げ、っていうのかな。ボクはまだ……その女に、勝ってない。ボクは統矢達を敗残兵として突き出し、その上でトウヤ様にお願いして好きにできるだろう。でも」
「……レイル、お前」
「ボクは、統矢が欲しいんだよ! でも、いつでも五百雀千雪はそれを邪魔してきた。何度も戦い、決着がつかなかった……ボクが望むのは、統矢を賭けたそいつとの決戦だ」
その時だった。
思いがけない強い声が響いた。
流石のレイルも、驚いたように目を見開く。
統矢の隣で今、怒りに燃える叫びが尖っていた。
「レイル大尉っ、ふざけないでっ! ……統矢さんは、物じゃない! 賭ける? 馬鹿言わないで! 統矢さんが欲しいなら、あなたには他にやることがある筈でしょう? それに……千雪さんのために、統矢さんはわたしが守って戦うから!」
「れんふぁ様、それは」
「わたし、弱いけど……二人のためならなんでも耐える。あなたに勝てないかも知れないけど、絶対に負けない。統矢さんは、絶対に渡さないんだからっ」
れんふぁがここまで激して感情を発露するのは、珍しい。いつもひだまりのように、ぽややんとしているのが彼女だから。
だが、呆気にとられていたレイルは、車を止めた。
そして、ゆっくりを身を正して振り返る。
「……そう、だね。確かに統矢は物じゃない。むしろ、統矢だから……ボク、は、っ……統矢の物になら、なりたい気がするんだ」
「あなたは、所有物でいたい気持ちに甘えてるだけ! おじいちゃんを……曽祖父を飼い主にしてれば、それでいいんでしょ! でも、それじゃああなたは物として使い捨てられちゃう!」
「トウヤ様はそんな人じゃない! トウヤ様は、ボクを救ってくれた……あの忌まわしい異星人から、ボクを! トウヤ様だけが、ボクの希望なんだ」
「統矢さんはあなたの崇拝してるトウヤ様じゃないの。あなたはそうやって、救ってくれた人の非道も正せない道具で平気なの?」
「……っ、それは」
統矢は口を挟めなかった。
ただ、腕の中の千雪だけが、無理に笑って手を握ってくる。
愁嘆場でれんふぁは、一歩も譲らない。
そして、レイルの弱さと清廉さが痛々しかった。
違う出会いをしていれば、きっと親しくなれた気がする。兵器と武器とで語らい、戦いの中でしか巡り会えなかった人……彼女に異星人がしたことは、統矢だって許せない。だが、その彼女が異星人の驚異に等しい暴力を振りまいているのだ。
なにも言えない中で言葉を探して、口を開いたその時だった。
突然、車の屋根にゴン! と小さな音が響いた。
瞬間、レイルは血相を変えて叫ぶ。
「統矢っ! れんふぁ様も! 掴まって!」
返事も待たずに、車は急加速した。
ホイルスピンで雪を巻き上げ、尻を振りながら往来へと飛び出してゆく。
同時に、ハンドルを忙しく回すレイルの頭上に、突然刃が突き出てきた。
血に濡れたGx超鋼のナイフが、天井を貫通してレイルを狙う。
短過ぎる髪が僅かに千切れて舞い、鮮血が飛び散った。
「クッ……さっきの!」
「ま、まさか! レイルッ!」
「統矢は知らないよね……奴だ、奴が来た! あれは、ボク達を殺すだけの機械みたいなものだ!」
間違いない……薄い天井の上に、一人の少女がしがみついている。
何度もナイフがレイルを襲い、運転する彼女は避け続ける。
思わず統矢は叫んでいた。
「よせっ、沙菊っ! 千雪も乗ってるんだぞ!」
一瞬、肌をひりつかせる殺気が薄れた。
だが、再びザクザクとレイルを狙って刃が落ちてくる。
統矢は初めて見た……レイルはやはり、自分と同じDUSTER能力者。他人が実際にその能力を発現させているのは、外から見ると奇妙だった。不気味ですらある。
レイルは右に左にと車体を揺らしながらも、完全にナイフを避けている。
最初こそ掠り傷を受けたものの、忙しくハンドルを回しながら凶刃を読み切っていた。
「くっ……そうやって同胞を何人も! やらせてやるもんかっ!」
レイルは片手で、ダッシュボードから拳銃を取り出した。
それを天井へ向けて撃つ。
空薬莢が舞う中で、車両は大きく横滑りしながら急停止した。
それで、離れた場所へとどさりと人間が落下した。受け身も取れず、まるで死体のように放り出された……それは間違いなく、先程の渡良瀬沙菊だった。
だが、彼女は血塗れで雪を真っ赤に染めながら、ゆらりと身を起こす。
その目には光がなく、外気より冷たい殺意だけが揺らいでいた。
「統矢殿、れんふぁ殿……そして、千雪殿。今、助けるでありますから……」
すぐに運転席を降りたレイルが、銃を突きつけた。
ナイフを身構え、沙菊は動かない。
「特一等戦犯、渡良瀬沙菊! 武器を捨てろっ! 統矢達まで殺す気かっ!」
「目標、パラレイド……新地球帝國大尉、レイル・スルール……排除、実行であります」
「話を聞けっ! ……ボクは三人に危害は加えない。助けて、逃したいんだ!」
沙菊は眉一つ動かさなかった。
そこにおおよそ表情と呼べるものはなく、ただ人の顔を貼り付けた人形がナイフを構えて佇んでいる。統矢には、操り人形に成り果てた彼女を縛る、残酷な運命の糸が見えるような気がした。
「……千雪殿は、置いていくであります。もう、千雪殿の身体は、限界でありますから」
「お前達反乱軍に、彼女を治せるのか? こっちには技術も施設もある!」
「千雪殿に指一本でも触れたら、殺すであります」
「……必ず治す、助けてやると約束できるなら! でも、お前はっ!」
統矢に選択肢はなかった。
なにより、抱き締める千雪が大きく頷いたのだ。
彼女に一番必要なのは、残念ながら統矢やれんふぁではない。ちゃんとした施設での、義体のメンテナンスだ。投薬と療養、医者と技師の力が必要なのだ。
統矢の手をどけて、よろよろと千雪は自分で車を降りた。
「沙菊、さん……どうして、そんな……貴女は、生きていてくれたのに」
「死んでいたでありますよ、千雪殿。今も、死に続けてるであります。自分はもう、過去の全てを殺され尽くしたであります」
「それは……とても、悲しい、こ、と――」
よろけて倒れそうになった千雪を、物凄いスピードで沙菊が抱き止める。彼女は両手のナイフを捨てていたが、レイルは撃たなかった。
沙菊は姫君を守る騎士のように千雪を抱き上げ、一度だけ統矢を見た。
虚ろに濁った瞳から、目が逸らせなかった。
そして、跳躍した沙菊は千雪を連れて消えた。
「……なんて奴だ。統矢、彼女は」
「沙菊は、あんな奴じゃなかった。あいつは、自分を死んだって言ったんだ」
「統矢?」
「レイルッ! お前はまだ、ああいう奴を増やしたいか! ああいう人間を沢山従えて、宇宙人と戦えれば満足か!」
レイルは俯きなにも答えなかった。
「レイル、助けてくれたことには感謝している。なら、俺と来いっ! お前も俺と一緒に逃げるんだよ!」
だが、寂しそうにレイルは笑って車から離れる。
「統矢、ゴメン……それはできない」
「レイルッ! 何故だ!」
「ボクがいなくなったら……トウヤ様は本当に一人ぼっちになってしまう。元の世界線ではまだ、トウヤ様を信じて巡察軍と戦ってる同志がいるんだ」
車のキーをつけたまま、レイルは離れていった。
彼女は最後に、車にある程度の食料や現金が積んであると言って、去っていくのだった。
同時に、知らされた……かつての仲間、ラスカ・ランシングが生きていると。