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第3話「狭間の平和の片隅に」

 帰り道、二人は無言で歩いた。

 灰色の戦争を終えた世界を、降り積もる雪が覆ってゆく。ただただ無音で、白く塗り潰してゆく。だが、摺木統矢(スルギトウヤ)の想いは漂白されることはない。更紗(サラサ)れんふぁもきっとそうだろう。

 癒えぬ傷を抱えたまま、痛みを力に変えて戦うこともできない。

 全てが終わって、ただの少年少女でしかいられないのだ。

 だが、虚無感に(くちびる)を噛む統矢の手を、れんふぁは強く握ってくる。

 そうして二人は、五百雀千雪(イオジャクチユキ)と三人で暮らすアパートに戻ってきた。平屋建ての古いアパートで、六畳間二間の小さな小さな我が家である。

 丁度統矢達のお隣さんが、ドアを開けて顔を出したところだった。


「おや、お二人さん! 熱いねえ、ウンウン……今あがりかい?」


 隣の部屋には、未亡人の女性が住んでいる。名前は知らないが、れんふぁはいつも女将(おかみ)さんと呼んで懐いていた。表札にはただ、佐久間(サクマ)とだけある。年の頃は三十代後半くらいで、気風(きっぷ)のいい(あね)さん気質の好人物だ。

 戦争で夫を亡くしたと聞いている。

 そして今、怪我をした男と一緒に暮らしていた。

 統矢だって、同年代の女の子二人と一緒なので、お互い詮索したことはない。


「女将さんっ、こんばんは! お疲れ様ですっ!」

「ども、こんばんは。あっ、そうだ……れんふぁ、さっきの肉とか卵とか」

「うん、そうだねっ」


 統矢も、この御婦人には世話になっている。

 最近は(ほとん)ど身動きのできない千雪は、昼間は時々彼女が面倒をみてくれていた。寝たきりという訳ではないし、下の世話が必要な程じゃない……しかし、大人の女性が身近にいてくれるのは、部屋を留守にする二人にとっては助かる。

 女将さんはれんふぁのおすそ分けを見て、(ほお)(ほころ)ばせた。


「まあまあ、こりゃごちそうだねえ。ちょいと待ってな。あたしは闇市で今日、少し野菜をね。それとまあ、細々(こまごま)と」

「わあ、いいんですかぁ?」

「当たり前だよ、この子ったら。子供が遠慮するもんじゃないの!」

「いつも助かりますぅ」


 これは少し、井戸端会議(いどばたかいぎ)が長引くやつだ。

 だが、新聞もテレビもない生活が当たり前になってしまったから、こうした人づての情報交換も大事かもしれない。それに、慣れぬ中で仕事をしていれば、れんふぁだって緊張するし疲れもするだろう。

 男女の別なく、お喋りの時間は息抜きにもなる。

 統矢は挨拶を挟んでその場を辞した。

 鍵を取り出し、立て付けの悪いドアを開ける。


「ただいま。千雪、どうだ? 具合、は、いい、……ほああああっ!」


 そこには、()()()()()()()()()()()()

 その肌は、外に振る雪より白く感じる。

 すぐに、そのぬくもりが思い出された。

 そして、身体の半分は鈍い光沢の金属が覆っている。瀕死の重傷を負った後に、千雪は身体の半分以上を義体化(ぎたいか)、機械の肉体へと置き換えたのだ。

 しばし沈黙の後に、硬直した統矢はなんとか後ろ手にドアを閉める。

 どうやら千雪は、身体を拭いていたらしい。


「ご、ごめん。いや、外に出てる! ゆっ、ゆゆ、ゆっくりしててくれ!」

「あ……統矢君。あの」

「はい! なんでしょうか!」

「ふふ、今更(いまさら)だと思いませんか? 外は寒いですし、側にいてください」


 そう、今更な話かもしれない。

 この狭い部屋は、六畳の和室が二つだけだ。しかも、奥の寝室に当てた部屋で三人は川の字になって寝ている。手前側は台所やトイレだけで、風呂は銭湯まで歩かねばならない。

 小さなこの部屋が、今の統矢の居場所だ。

 千雪とれんふぁと、支え合って暮らし、愛し合って生きている。

 今更だと言われたら、それもそうだと思ったが……胸の奥で心臓は高鳴りを忘れてくれない。


「体調、どうだ? ……なんか、必要なものとかは」

「大丈夫ですよ、統矢君。今日は少し調子がよくて。ほら、これを」

「編み物? あのお前がか?」

「……ぶちます、よ?」

「すみません! いや、なんか……家庭的だな、ってさ」

勿論(もちろん)です。家庭のつもりですから。もう、家族でもいいと思って」


 どうやら千雪は、ここ最近は一人の時に編み物をしているらしい。律儀で生真面目(きまじめ)な彼女らしく、なかなかに様になったマフラーがもうすぐ完成しつつある。

 千雪は洗面器を寄せて寝間着を着直すと、身を正した。


「統矢君、おかえりなさい。どうでしたか? 外の様子は」

「ああ……あちこちにパラレイドの、新地球帝國(しんちきゅうていこく)のエンジェル級が立ってやがる。でも、この廣島(ひろしま)じゃあまり残党狩りは熱心じゃないみたいだ」

「でも、すぐにまた戦いが始まりますね。今度は、彼等がこの時代の人間を管理し、DUSTER(ダスター)能力者を覚醒させるために戦わせ始める……」

「どうにかしたいが、今の俺じゃ」


 握る拳に力が籠もる。

 だが、それを振り下ろす先がない。

 統矢の怒りと憎しみは、もう敵へは届かない。

 自分を体現してくれるマシーンを失ってしまったからだ。

 そんな統矢の手に、そっと千雪が手を重ねてくる。


「今のままでは、終わりません。終わらせませんから……統矢君」

「……ん、そうだな。まずはしっかり休まないと。それと、朗報もある。御堂(ミドウ)先生が……御堂刹那特務三佐ミドウセツナとくむさんさが生きてた。あの人はまだ、戦ってる。雨瀬雅姫一尉(ウノセマサキいちい)もだ」

「そう、ですか……私達の機体はどうなったでしょうか。回収しててくれればいいんですが」


 二人共パイロットで、一騎当千(いっきとうせん)の改造機を乗りこなすエースだった。

 だが、機体がなければ戦うことはできない。そして、たった二機のパンツァー・モータロイドでは戦いにすらならない。局所的な戦術的勝利を重ねても、それが大局的な戦略上の意味を持つことはない。

 パイロットという戦術単位には、(こま)として有効に采配を振るう指揮官が必要なのだ。

 それを思えば、統矢の焦りが言葉にならない寒さを連れてくる。

 だが、千雪はさらに金属の手を重ねて、その焦燥感を(いさ)めるように頷いた。


「大丈夫です、統矢君。統矢君も病み上がりなんですから、今はこれくらいの暮らしで丁度(ちょうど)いいんです。働いて、稼いで、食べて、寝て……一緒に寝て。そうして英気を養う必要があるんです」

「そうだな。お前もだぞ? 千雪」

「私は平気です。れんふぁさんもいてくれるから、いざという時も安心ですし」

「いざという時なんか、こない。例えここで終わっても、お前とれんふぁだけは、守る。俺は、それだけは守りたいって、さ……その、なんていうか」


 見下ろす千雪の目に、不安そうな自分の顔が映って揺れていた。大きく潤んだ瞳に、まるで吸い込まれそうである。

 自然と、互いの吐息(といき)が近付きあった。

 だが、いつものキスは直前で中断され、バァン! とドアが開かれる。


「千雪さんっ、ただいまっ。……あ。あー、ん、ゴホン! 統矢さんっ!」

「わわっ、ちが、これは! その、そう! 目にゴミが入って、なんでもないんだよ!」

「統矢さん……千雪さんも! 三人で暮らす間の約束、忘れてませんかっ」


 台所にドサリと食材を置いて、れんふぁがムー! っと(うな)りながら近付いてくる。さっぱり怖くないのだが、間が悪くて統矢は身を縮こまらせた。

 そう、この短い間に、三人での共同生活にはいくつかのルールがあった。

 例えば、女子がトイレを使ったら15分は入らないこと。

 例えば、手の開いてる者が洗濯をするが、下着類は分けること。

 例えば、遠慮せず必要なものは言い合うこと。

 そして――


「もーっ、千雪さんだけずるいです! わたしもっ、今日はすっごぉぉぉ、くっ! お仕事頑張ったんですから。統矢さんもですよね?」

「お疲れ様です、れんふぁさん。午後は私も少し掃除とお洗濯を」

「はい、そういう訳でっ! 千雪さんだけじゃなく、わたしも!」


 この二ヶ月の間、統矢は二人の少女に支えられ、彼女達を守らねばと思ってきた。そういう少年少女の非日常には、どこかハメを外してはしゃぐような気持ちが必要だったのだ。いつ摘発されて捕まってもおかしくない、だから……子供だけだからこそ、ある程度のだらしなさを互いに許してる。

 統矢は改めて千雪にキスし、同じように同じ気持ちでれんふぁにもキスした。

 二人が互いに頬を朱に染め、統矢も顔が火照(ほて)って熱かった。


「ね、千雪さん……統矢さんって、キスするの、下手ですよね」

「ですね。不器用なんです、きっと」

「ですよねー」


 おい待てお前等、なんで本人の前でそういう話をしますか。

 だが、ポンと手を打ったれんふぁは、先程の食材の袋へとバタバタ駆け寄る。どうやらお隣さんとの食材交換で、今夜は少し豪勢な夕食が食べられそうだ。


「ジャーン! 千雪さんっ、統矢さんも! 見てください、これ!」

「なんだそりゃ?」

「ワイン、ですね」


 どうだとばかりに、れんふぁは薄い胸を反らして満面の笑みだ。

 勿論(もちろん)、全員が未成年なのだが、もはやこの世界に法はない。過去の法が国ごと滅ぼされ、新しい法は征服と支配が行き届くのを待っている。どこか宙ぶらりんな仮初(かりそめ)の平和は、それが戦争と戦争の隙間(すきま)だとしてもありがたかった。


「今夜はこれを飲みます!」

「おいおい、いいのかよ。俺、酒なんか飲んだことないぞ?」

「それより、れんふぁさん。ワインオープナーがないですが、どうやってコルクを抜くんですか?」


 れんふぁは「あっ……」と言って、固まった。

 それがなんだかおかしくて、久々に統矢は笑みをこぼす。常に仏頂面(ぶっちょうづら)で無表情な千雪も、れんふぁを見る眼差(まなざ)しはいつも優しげだ。


「ま、(あきら)めろ。ナイフやフォークでどうとかなるもんじゃないだろ、それ」

「うう、そんなぁ……千雪さぁん」

「……ちょっと貸してみてください」


 おいおい待て待てと思ってるうちに、千雪はちゃぶ台の上にワインのボトルを置いた。

 そして、統矢は彼女が空手の有段者だったことを思い出す。

 呼吸を吸って、吐いて、吸って、(とど)めて……千雪は手刀を横一文字に一閃、小さな金属音と共にボトルの首を両断した。彼女の言う通り、今日は少し体調がいいようだ。

 だが、間近にその妙技と膂力(りょりょく)を見せつけられ、統矢は夫婦喧嘩だけはよそうと誓うのだった。

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