第27話「レイル・スルール」
既に勝負はあった。
摺木統矢は、目の前に力なく浮かぶメタトロン・ヴィリーズへと愛機を向ける。小型化されて尚も倍ちかくある敵機に、97式【氷蓮】ラストサバイヴが組み付いた。
両腕で完全に互いを固定し、統矢はコクピットを開く。
肌を刺すような冷気は、パイロットスーツ越しに全身を凍えさせる。
だが、構わず統矢は身を乗り出して叫んだ。
「レイル! レイル・スルールッ! 出てこい、顔を見せろ!」
返事は、ない。
メタトロンには、頭部以外に目立った損傷はない筈だ。だが、その中でレイルの気配が今は小さい。装甲越しに統矢が感じるのは、失意と敗北の中に沈んだ、一人の女の子の息遣いだった。
だから、メタトロンのコクピット前で手を伸べ、触れる。
この時代の文明を凌駕する、異星人の技術さえ取り込んで建造された機動兵器。
それが今は、少女を閉じ込めた檻のように感じられた。
「なあ、レイル。顔を見せてくれ……お前もわかっただろう? DUSTER能力者同士で戦っても、決して勝利は得られない。負けられないまま、戦いは続くんだ」
――DUSTER能力。
九死に一生を得て、絶望から這い上がった者の中に発現する奇跡の力だ。だがそれは、瀕死になれば誰でも得られるというものではない。
そして、統矢は証明した。
極限の戦闘力をもたらすDUSTER能力は、誰も幸せにはしないのだ。
使う者を機動兵器の部品そのものとし、あらゆる事象から無数の未来を読み取り反応させる。互いにぶつかりあえば、可能性を喰い合うだけの千日手になるのだ。
「俺がお前に勝ったんじゃないし、お前が俺に負けたんじゃない。俺たちDUSTER能力者だけじゃ、戦えないし生きてけない……本当に普通の、ただ大事で大切な人の助けが必要なんだよ」
自分でも上手く言えなくて、言葉は不器用でたどたどしい。
それでも必死に統矢が話していると、不意にメタトロンのコクピットが開いた。胸部ブロックの中央がスライドしてせり出し、そこに一人の少女が座っていた。
シートの上でレイルは、膝を抱えて顔を突っ伏していた。
そのか細い声が、ブリザードの風鳴りに消え入るように響く。
「……大事な人、大切な人は……戦場にいちゃ、駄目だ。トウヤ様は、絶対に守らなきゃ、いけない」
「奴はお前のことなんか、なんとも思ってない! そういう男だ、あいつはっ! ……もう一人の俺は、たった一人の女しか頭にない。それを奪われた憎しみと恨みで、復習することしか考えてないんだ」
かつて統矢自身がそうだった。
そして、トウヤはもう一人の自分……無数に存在する可能性の中で、最も苛烈で醜い復讐鬼と化した姿だった。
だが、統矢はその存在を認めない。
一切の共感も同情も、ない。
トウヤは、向こうの世界のリンナ……更紗りんなと結ばれ、子をなした。家族を持って、その血は今も更紗れんふぁに受け継がれている。
統矢は……りんなに想いを告げることすらできなかったのだ。
好きだと言う、その瞬間を永遠に奪われたのである。
だからこそ、一時の幸せを得たトウヤの愚行は許されないし、同時に思う……幸せが確かにあったからこそ、それを奪われた喪失感は大きいのだと。
「なあ、レイル……お前は、奴のリンナの代りじゃない。お前は、お前だろう」
「ボクが、リンナ様の代りになんて……でも、戦うことは、できる」
ゆっくりと顔をあげたレイルは、泣いていた。
その顔を見たら、何故か統矢は安堵が込み上げる。
パラレイドと呼ばれていた敵勢力、新地球帝國最強のエースパイロットは、やはり普通の女の子なのだ。
「見ろよ、レイル。俺の仲間が、捕虜にされたパイロットたちを助けてる。この勝負は、俺とお前の戦いじゃない……俺たちの、こっちの地球全員の戦いだ」
それは小さな戦術的勝利でしかないだろう。
だが、DUSTER能力者を生み出すべく、人間同士で殺し合うことを強制される捕虜は救わねばならない。そして可能なら、戦力として組み込めるといい。何故なら、ここに集められた者たちは全て、人類同盟の各国を代表するエースパイロットだからだ。
地上へ降りた天城と、その周囲の戦いをぼんやり見下ろし、レイルは呟く。
それは、レイルをも救って連れ出したいと願った統矢の想いを、冷たく拒絶してきた。
「……ボクは、リンナ様の代りにはなれない」
「そうだ、レイル。お前はお前として、自分で選ばなきゃいけないんだ」
「ボクは、さ……もう、産めないから。赤ちゃん、産めないんだ」
膝を崩したレイルは、そっと下腹部に触れる。
その瞳が、どこまでも光を失い翳っていった。
それは、吹き荒ぶ風雪よりも冷たく、統矢の心を侵食してくる。
「ボクは、異星人たちの実験母体になったんだ。奴らの子を……」
「よせ、レイルッ! お前は十分傷付いた! そんなお前を癒やす人間が必要なんだよ!」
「それは……トウヤ様。あの時、培養液の中で死を待つボクを……トウヤ様は助けてくれた」
「奴はただ、お前という最強のパイロットが欲しいだけだ! 手駒として!」
「……それでも、ボクは……トウヤ様を、一人にはできない」
その時だった。
統矢は激しい爆発音に振り返った。
視界は悪いが、眼下の基地へと強行着陸した天城が見える。その向こうで、巨大な爆発と共に凍土がめくれ上がっていた。巨大な氷塊が飛び散り、地鳴りに大地が揺れている。
轟音を響かせ、地下から何かが浮上してきた。
それは、天城の何倍も巨大な戦艦だった。
「あれは……まだ同型艦が? サハクィエルじゃないかっ!」
「……二番艦、ヨフィエル。あとは、三番艦のオリフィエル、四番艦のイェグディエルがある」
「そんなにかっ! このままじゃ、収容作業中の天城が」
以前のサハクィエルと同様に、全長1kmを超える巨体を変形させはじめた。あまりにも巨大過ぎて、まるでスローモーションのようである。
当然のように、天城の砲塔が旋回して、主砲が火を吹いた。
電磁加速で撃ち出された砲弾が、敵艦の表面上を動く無数のピンポイント・グラビティ・ケイジに打ち消される。
統矢が急いでレイルを引き寄せようと、身を乗り出して手を伸ばした。
だが、彼女は静かに首を横に振る。
「……行って、統矢」
「レイル! お前っ、まだそんな」
「前にも言ったよね……ボクは、トウヤ様を一人ぼっちにはできない」
「だからって、お前が奴と二人ぼっちになっていい理由なんて、ない!」
「統矢は、優しいんだね」
「回りがそうだからな。だから、お前だって受け止める! 俺ごとお前を、みんなが受け入れてくれるんだ!」
「ごめん……ごめんね、統矢。そういう言葉の人、好き、だったよ」
メタトロンのハッチが閉まった。
そして、ゆっくりと離れて高度を落としてゆく。
やがて、トリコロールの鮮やかなカラーリングが、吹雪の中へと消えていった。
できればこのまま、敵の中からも消えてくれればと統矢は願う。
レイルは強い力を覚醒させているが、戦ってはいけない人のように感じるからだ。こことは違う世界線で陵辱され、非人道的な実験に弄ばれた。その悲しみを怒りに変えろと、さらなる悲劇に導いているのがトウヤである。
だが、今は母艦の天城を守る方が先だ。
後ろ髪を引かれる思いで、統矢もコクピットに戻ってハッチを閉める。
すぐに恋人たちからの通信が、緊張感の中で優しく響いた。
『優しいんですね、統矢君。ふふ、そういうところが私は好きです』
『でもぉ、広域公共周波数で叫んじゃうのって……もぉ、統矢さんってば。千雪さん、これはでも……あとで問い詰め案件ですよぉ』
『当然です。私たちというものがありながら、他の女性にあんなに情熱的に』
『ですですっ!』
苦笑しつつ、統矢は【氷蓮】を翻す。
気付けばすぐ側を、五百雀千雪の【ディープスノー】が飛んでいた。さらには、激しい雪から守ってくれるかのように、上空には【樹雷皇】が浮いている。
「お前等、それより今は天城を」
『ええ、そうでした。統矢君、私がまずは抑えますので、一度【樹雷皇】と補給に戻っては』
『あ、千雪さんっ。敵の変形が……うう、レイルさんも味方になってくれれば、ああいうのの弱点とかもわかったりするのになあ』
そうかもしれない。
頼もしい仲間となって、共に戦ってくれるかもしれない。
でも、統矢がレイルに与えたいのは安らぎで、彼女に最も必要なのは平和だ。
そのためにも今、トウヤと新地球帝國の次元を超えた野望は、叩いて潰す。
「れんふぁ、再合体だ。グラビティ・ラムでブチ抜いてやるっ!」
『了解っ。ガイドレーザー、発信……同調と同時にこっちでピックアップするね』
『ん……統矢君。れんふぁさんも! 天城が!』
巨大な人型へと変形したヨフィエルを前に、ゆっくりと浮上しながら天城が回頭していた。
星の海さえ渡る航宙母艦、天城が今はまるで小さな笹舟のよう。
それほどまでに、ヨフィエルとの質量さは歴然だ。
だが、不思議と天城に逃げる様子は見られない。小刻みなスラスターの明滅を全身に瞬かせながら、ゆっくりと舳先をヨフィエルへと向けて飛び始めた。
そして、艦長代理である御堂刹那の声が響き渡った。
『敵の懐柔に失敗したようだな、摺木統矢! フン、下手クソめ! 女の扱い方を知らんからそうなるのだ!』
「御堂先生、なんて言い草だ。俺だって!」
『御堂刹那艦長代理と呼ばんか! ……あのデカブツを沈めて、この戦場を離脱する! こちらで風穴を開けるから、貴様がトドメをブチ込め、摺木統矢』
刹那の声の背後で、ブリッジに集う船乗りたちの声が錯綜する。
そして、反乱軍の長たる刹那の声が、凛として響き渡った。
『全艦、各部ハッチ閉鎖! 対ショック防御! ――グラビティ・ケイジ圧縮……重力場回転衝角、展開っ!』
艦尾のロケットクラスターが火を吹いて、天城は弓から放たれた矢のように加速し始めた。その艦首に、肉眼で確認できるほどまで超圧縮された、高濃度の重力場がはっきりと見え始めるのだった。




