第2話「意思の炎、いまだ消えず」
冬の夕暮れは短く、宵闇は寒さと共に町を包んでいる。
駅前の商店街へと向かう摺木統矢は、まばらな人通りの中で俯いていた。
なるべく目立たないように、誰とも目を合わせないように歩く。こうして隠れ住む日々が始まってから、それが当たり前になってしまった。今や統矢は、新地球帝國から狙われるお尋ね者である。
町のそこかしこには、威圧するようにパラレイドのエンジェル級が立っている。
対人兵装などを使われれば、たちまちこの通りが血の海になるだろう。
「あとは、そうだなあ……千雪にもっと栄養のあるもんを。牛乳とかが手に入ればいいんだけど」
五百雀千雪は今、三人で隠れ住むアパートの一室に臥せっている。
統矢が満足に動けるようになった時には、既に彼女の体調不調は始まっていた。そして、日に日に弱ってゆくように見える。空手や柔道で段位を修め、綺麗に腹筋の割れた健康美を誇った、あの千雪がである。
気丈に振る舞っているが、統矢はずっと心配だった。
れんふぁと共に看病する日々が続いたが、医者には連れていけない。
なにもできない自分の無力さが、なによりも統矢には応えた。
「……よし、今度あのタブレットを闇市で売るか。例の大金は、おいそれと使えないしな。……いいよな、りんな。悪いけど、さ」
この時代、携帯端末はとても高価な品物だ。
地球全土をネットワークが覆い、世界が急激に狭く凝縮された絶頂期……それはもう、遠い昔。パラレイドと呼ばれる謎の脅威との戦争は、終わりを知らぬ中で文明を衰退させた。あらゆるリソースが戦争に奪われ、人々の生活水準は急激に退行していったのだ。
今では、携帯電話を持っている人間などほとんど見ない。
百年以上前、昭和と呼ばれた時代に日本皇国は戻ってしまっている。
白い吐息と共に、統矢が亡き幼馴染に呼びかけた、その時……不意に背中に誰かが抱きついてきた。
「と、う、や、さんっ! 奇遇ですねっ、お仕事今日は終わりですかぁ?」
振り向くとそこには、死んだはずの更紗りんながいた。
平行世界のりんなの曾孫、れんふぁである。
千雪と一緒に、統矢をいつも支えてくれる少女。統矢が千雪と共に大好きな人、三人で睦み合って愛を育む存在だ。
れんふぁはにっぽりと笑って、寒さに紅潮した頬を緩ませている。
「おう、れんふぁ。お前は?」
「エヘヘ、今日はわたしも早く終わりました。で、見てくださいっ。今日はいろいろもらえちゃいました。……パラレイドに取られるくらいなら、って大将さんが」
れんふぁは今、町の食堂で働いている。
かつては小洒落たイタリアンレストランだったらしいが、このご時世では気取った料理は難しい。手に入る材料で毎日、できるものを出すしかない;。
そして、客の中でも羽振りがいいのは……新地球帝國の軍人達だ。
彼等はいわば占領軍、金払いはいいが誰もが複雑な思いでいるのだ。この町の皆が皆、親しい誰かをパラレイドに殺されている。謎の敵、異星人か怪物かと思っていた敵の正体は、自分達と同じ人類だったのである。
違う世界線の未来から来た、人間だ。
「えっとですね、チーズとベーコンの塩漬け、あとは野菜が少しですねっ」
「お、そりゃいい。俺もおやっさんから少しな」
「わぁ! これで千雪さんに、美味しいもの食べてもらわなきゃ。わたしっ、腕を奮っちゃいますっ! 今日はお鍋にして、三人で温まりましょう!」
れんふぁの笑顔だけは、いつもと変わらない。
そして、この数ヶ月で彼女は強くなった気がする。この時代に次元転移してきた直後は、れんふぁはとても頼りなく、儚げだった。だが、共に戦うようになり、秘密を打ち明けてくれた。千雪がいなくなった時など、全身全霊で統矢を受け止め、一緒に泣いてくれた。
少し逞しくなったが、どうにも危なっかしくて天然気味なのだけが変わらない。
二人で並んで歩き出せば、自然と統矢はれんふぁと手を繋ぐ。
冷たくなった彼女の手が、しっかりと統矢の手を握ってきた。
「あっ、統矢さん。見てください、電気屋さんに人だかりが! 乾電池とか、買えるでしょうか。なにか入荷したのかも……ちょっと行ってみましょうっ」
「お、おい待て、れんふぁ! 引っ張るなって……多分、あれだよ、あれ」
グイグイとれんふぁは、統矢を引っ張りながら歩く。
少し、楽しそうだ。
そして、その理由を統矢は先日聞いたことがある。
追われる身になり、統矢も怪我から回復したばかり。戦争終結の混乱を避けて、どうにか三人で廣島に来た。だが、弱ってゆく千雪とは裏腹に、れんふぁはてきぱきと生活基盤を築き、統矢もなんとか仕事にありつけたのだ。
れんふぁは、監察軍と呼ばれる異星人と全面戦争し、降伏した地球から来た。
彼女にとっても、戦争の凄惨さはリアルな現実、直面した自分の問題なのだ。
だから、どういう形であれ戦争が終わったことを、れんふぁは喜んでいる。
「うわー、なんか行列してるんでしょうか。すみませーん、なにを売ってるんですかー?」
「落ち着けよ、れんふぁ。……あんまし面白いもんじゃねえよ、ほら」
ちらりと統矢は、駅のロータリーにある時計塔を見やる。
時刻は丁度、18時だ。
そして、電気屋の前に群がる人混みが静かになった。誰もが固唾を飲んで耳を澄ます中、酷く落ち着いた声がノイズ混じりに響いてくる。
それを聴いた瞬間、れんふぁは弾かれたように走り出した。
統矢の手を離して、大人達の中へと強引に分け入ってゆく。
『この放送をお聞きの、全人類同胞へとお伝えします。私は新地球帝國軍の摺木統矢大佐であります。皆さんが長らく、パラレイドと呼称してきた軍事組織の長であり、新地球帝國を継承、再興する目的を持っております』
その声を、忘れることはできない。
自分であって自分ではない、否定すれども曲げられない現実。
統矢もれんふぁを追って、文句が連鎖して尖る中へ突っ込んだ。
ようやく人を押しのけ前に出ると、立ち尽くしたれんふぁの向こうに……テレビがあの顔を映していた。
間違いない、パラレイドの首魁、あの戦争を生んだ張本人……トウヤだ。
れんふぁの曽祖父であり、あちら側の世界の自分がそこにはいた。
『我々には、共通の敵がいます。真の敵は、外宇宙よりくる異星人……その驚異を廃するべく、我々は耐え難きを耐え、敢えてこの地球の敵として振る舞いました。そして、尊い犠牲を払ってついに、両人類の融和に辿り着きつつあります』
嘘だ、詭弁である。
犠牲を払ったのはトウヤ達パラレイドではなく、こちら側の地球、その全てだ。
気付けば統矢は、冷たくなった手を固く握っていた。
拳がギリリと泣き出すような、痛みを凝縮した拳に力がこもる。
周囲からあがる声は錆びた刃のようで、言いたいことがあっても暗く濁ってしまう。
「なにを言ってやがるんだ……こんな連中に俺のオヤジは」
「やっぱり同じ人間だったのね。でも、こんな子供が……死んだあの子と同じくらいよ、どういうことなのかしら」
「敢えて敵に、だと? 俺は戦場で見たんだ……奴らの無人兵器、その圧倒的物量を! いやいややってる戦争には見えなかった!」
「どうでもいいけどよ、戦争が終わったならさ。俺等もその新地球帝國とやらで雇ってくれよ。仕事がねーし、衣食住の全てが足りねえんだよ」
荒んだ時代の中で、未来を語るトウヤの声だけが響く。
統矢は、その声を脳裏に素通りさせながら立ち尽くしていた。
だが、突然画像が乱れ、音声が雑音の中で切り替わる。
そして、れんふぁの息を飲む気配が抱きついてきた。
周囲も驚く中で、突然電波妨害の中にもう一つの未来が差し込まれる。
『――かえす、繰り返す。こちらは――私は』
信じられない人物が、画面に映った。画像は荒く白黒で、途切れ途切れの声もよく聞き取れない。だが、その少女は……童女と言った方がしっくりする女の子は話し出す。
『私は、|元人類同盟日本皇国海軍所属《もとじんるいどうめいにほんこうこくかいぐんしょぞく》、御堂刹那特務三佐。そして今は……かつて秘匿機関だったウロボロスを率いている。そう、ウロボロスは現在、いうなれば反乱軍だ』
刹那は健在だった。だが、その右目を黒い眼帯が覆っている。以前から触れれば切れそうな緊張感を纏っていたが、今はそれが清冽なまでに研ぎ澄まされていた。
いつもイライラしていた彼女が嘘のようで、そこには決意と覚悟が痛々しい。
背後には、陸軍の軍服姿を着た雨瀬雅姫が控えている。
『私はまだ、戦っている。私達はまだ、戦える。終戦? 平和? 笑わせるな! 本当の未来が欲しいなら、勝ち取れ! 歴史は勝者が作るもの……まだ、その平和はここにない!』
衝撃だった。
生きていた刹那と雅姫、そして反乱軍へと生まれ変わったウロボロス。その名の通り、無限の象徴たる尾を食んだ龍……彼女達には終わりはないのか? 無限に果てなく戦い続けるのか?
徐々に消えゆく電波ジャックの放送が、再びトウヤのものに切り替わる。
トウヤは画面の外の部下達に、ヒステリックになにかを叫んでいた。
どうしていいかわからず、ただ統矢は黙ってれんふぁを抱き締めた。今の自分にできることが、ほかにない……怯えたように竦む彼女を支え、体温を分かち合う。
『発信源を突き止めろ! 裏切り者のリレイヤーズめ、まだ生きてたとは……ゴホン! 皆さん、ご安心ください。あくまで平和を拒む残党軍、話し合いに応じぬ連中に対して慈悲は不要です。皆さんにようやく訪れた平和を守るため……断固、私は戦い続けます』
ざわめきが広がる中、呟きと囁きが連鎖する。
まだ、戦争は終わっていない。
同時に、戦争のための戦争は初めてはならない。
トウヤ達は必ず、征服したこの地球で実験を始める。パラレイドだったころよりも大規模な、DUSTER能力者を生み出すための人体実験だ。軍人として素養のある人間を教育し、その全てに等しく絶体絶命の危機を与える。そうした中から犠牲を乗り越え、DUSTER能力者が覚醒すると信じているのだ。
それは、地獄だ。
そうまでしてトウヤは、自分の世界を異星人から取り戻したいのだ。
「……れんふぁ、大丈夫だ。もう、俺達には……できることが、ない。だから、俺は行かない。どこにも行かないよ。お前と千雪の側にいて、二人と一緒にこれから生きてく」
「とっ、統矢さぁん……わたし、わたし……おじいちゃんのこと、わたし」
「いいんだ、お前は悪くない。さ、帰ろう……千雪が待ってる、俺達の家に」
何人かの帝國軍兵士がやってきて、すぐにテレビは消された。
フラストレーションが高まる人混みの中から、逃げるように統矢はれんふぁを連れて歩く。その背中で感じる視線に今、敏感にならざるをえない。そうして、訝しげに思う兵士がいないことを祈りながら……彼は借りてる小さなボロアパートへ帰るのだった。