第12話「鮮血の海原を渡って」
冷たい空がにらいで燃える。
高高度巡航輸送艦羅臼は、巨大な飛行船……Gxガスは不燃性だが、軽金属装甲はあっという間に燃え尽きた。その炎が舞い散る中に、鋼の城が天へと浮かび上がる。
真の姿を晒した天城の中で、摺木統矢は絶句していた。
ただ、立ち尽くすしかない。
かつては母艦だった羅臼は、大勢の命と共に散っていったのだ。
オペレーターの声だけが、ブリッジに虚ろに響く。
「羅臼、消滅……せっ、生存者は……絶望的、です」
「ッ! 敵が再集結、本艦を狙ってます!」
統矢は、自然と艦長席を見やる。
そこには、凍れる無表情があった。
御堂刹那は、冷徹で冷酷な言葉を放つ。
「敬礼などするな、黙祷もよせ。するなら各自勝手に、心の中でやれ。……私は、そうする」
不遜な態度を崩さず、刹那はふてぶてしいまでの威厳でふんぞり返っている。
だが、その手が艦長席の肘掛けを握っていた。
白い手袋をした小さな手が、怒りに震えていた。
そして、彼女の声が巨大な戦艦に命と意思とを灯す。
「砲打撃戦用意! 目標、パラレイド……グラビティ・ケイジ展開!」
復唱が響く中で、巨艦が震え出す。
同時に、飛来するエンジェル級パラレイドからビームが殺到した。
いかな戦艦の重装甲でも、高出力の光学兵器が直撃すれば危うい。無情の光は、たやすく特殊合金の艦体を引き裂くだろう。
だが、今の天城は重力の力場に守られていた。
激しい振動の中、グラビティ・ケイジがバリアとなって火線を弾き返す。沸騰する空気の中を、悠々と天城は飛んでいた。
刹那の声は叫ぶでもなく、怒鳴るでもない……ただ淡々と、静かに響いた。
「主砲、一番から六番へ三式改型弾、装填。オート射撃」
「一番から六番、三式改型弾! 砲塔へ電源を回します!」
「一番砲塔、二番砲塔、旋回中。超電導砲身、冷却開始!」
見た目こそ、天城は古式ゆかしい戦艦の上部構造だ。
三連砲がバラバラに仰角俯角を睨んで、砲塔そのものが左右へと旋回する。
横に立つ渡良瀬沙菊が、聞いてもいないのに説明してくれた。
「本艦の主砲は全て、超電磁弾体射出機構……レールガンであります」
「レールガン、って……ああ、前に桔梗先輩が改型弐号機で使ってた?」
「あの時のデータが、最終調整に極めて大きな成果をもたらしたであります。統矢殿、対ショック姿勢を」
「いや、どうやって」
「失礼するであります」
沙菊が腕を抱いてきた。
まるで大樹に捕まったように、彼女はびくともしない。
この短期間で、どういう訓練を受ければこうなるのだろうか? 以前の沙菊は、人どころか虫さえ殺せないような少女だった。パンツァー・モータロイドの操縦だって、よくて並といったレベルだった。
今の彼女は、まるで沙菊の抜け殻を纏った兵士……暴力装置のようだ。
そんなことを思っていると、刹那が立ち上がって手を振り上げる。
「グラビティ・ケイジ、一部解除! 射撃開始! 両舷CIWS、レーダー連動射撃!」
蒼いプラズマをスパークさせて、砲身が火を噴く。
射出された砲弾は、回避運動を取る敵を包み込むように弾ける。三式弾というのは、旧帝国軍が使用していた対空戦闘用の特殊弾等である。爆ぜる砲弾から、無数の散弾がぶちまけられた。
あっという間に、空中に無数の爆発が花咲いた。
まるで、戦死した英霊達に捧げる弔いの花だ。
「パラレイド第一波、殲滅!」
「続いて第二波、第三波、来ます!」
「主砲砲身温度、異常なし。再装填!」
「後部垂直発射セル、対空ミサイル装填」
「各部損傷なし!」
もともとこの時代、パラレイドとの戦争は世界の軍事バランスを一変させた。
制空権の確保と、高高度からの精密爆撃……そうした従来の戦術ニッチェは、あっという間に過去の遺物になってしまったのだ。
パラレイドの無人兵器群は、小型で高出力の光学兵器を搭載している。
百発百中の対空戦闘能力を持ち、あらゆる航空兵器、誘導兵器が無力化されてしまったのだ。
結果、空軍は消え去り、陸軍手動のパンツァー・モータロイドによる物量作戦が生まれた。そして、輸送任務に特化せざるを得なくなった海軍に……旧世紀の暴君が蘇る。
軍用機やミサイルは撃ち落とされるが、長距離からの質量弾頭ならば迎撃されない。
そう、故に『艦砲射撃による制圧支援』を前提とした、大艦巨砲主義が復活したのである。だが、その戦艦を飛ばせてしまうとは、統矢も改めて驚きを禁じ得ない。
「凄い、な……この艦は」
「超弩級万能戦艦天城。単艦で一個艦隊に匹敵する戦力であります。人類側には、この時代の我々には……あの【樹雷皇】を除く全ての兵器を凌駕する絶対戦力でありますからして」
「詳しいな、お前」
「……千雪殿が、その……喜ぶと、思いまして、ハイ」
ツイと沙菊が視線を逸した。
一瞬、ほんの僅かな時間だけ、昔の顔を見せてくれた気がした。
そうこうしていると、聞き慣れた声がブリッジに響き渡る。
『よー、刹那ちゃん先生よう! 派手にやってるじゃねーか!』
「五百雀辰馬か。フン、御堂刹那艦長代理と呼ばんか」
『あいあいよ、っと。んで? 俺の出番はとっといてくれよな……格納庫で死ぬのだけはごめんだしよ』
「わかっている。PMR隊、順次発進用意。渡良瀬沙菊、お前も行け……そいつを連れてな」
忙しく声が行き交うブリッジで、刹那は前だけを見て指示を出す。
そう、彼女は決して統矢を振り返らない。
だが、統矢が沙菊に促されて立ち去ろうとした時、不意に呼び止めた。
前だけを睨んで、平坦な声を僅かに湿らせる。
「摺木統矢……見たか。ここから先は地獄への航路、血の海を進む戦いだ」
「あ、ああ」
「……もう一度聞く。それでも貴様は、戦えるか? 愛する者を血に染めて、炎の中を進めるか!」
その問は、何度も自分に投げかけてきた。
そして今、なんの迷いもなく答えられる。
「当たり前だ! 俺は、戦う……守りたいもののためなら、地獄に堕ちながらでも戦い続ける」
ブリッジの軍人達が皆、統矢を見ていた。
皆、不思議と優しく頷いていた。
彼等の心を、本音の本心を統矢は代弁していたようだ。
そして、背中を向けたままの刹那から、懐かしい面影が振り返った気がした。
気がしただけだが、確かに去った者の声が聴こえたのだ。
『征き給えよ、少年。なに、これはただの戦争だからね。だから、いつか終わる。みんなでなら、終わらせられるよ』
「刑部、志郎……提督……?」
幻聴というには、あまりに穏やかな声だった。
しかし、立ち尽くしていたからだろうか、苛々と刹那が振り返る。
「さっさと格納庫に行かんか! 駆け足! 渡良瀬沙菊、そいつを早く連れてゆけ!」
その言葉で、統矢は手を引かれてブリッジをあとにした。
センチメンタルが見せた幻影は確かに、統矢に言ったのだ。
――征き給え、と。
「統矢殿、こっちであります」
「あ、ああ」
エレベーターへと乗って、艦橋から格納庫へと歩く。
途中、何度も激震に艦が揺れた。今この瞬間も、この時代の最後の方舟は戦っている。そして、いつ沈んでも不思議ではない……敵はパラレイド、未来の可能性の一つからやってくるのだ。
圧倒的な科学力の差を今、人の意志が越えようとしている。
因果と輪廻を超克した子供達、リレイヤーズに導かれて。
「統矢殿は強いでありますね」
「ん? どした、沙菊」
「DUSTER能力者である以上に、統矢殿は屈強な兵士であります」
「そうでもないさ、っと、ここか? 結構広いな――!?」
右舷側の格納庫は今、熱狂と興奮の中にあった。
誰もが忙しく行き交い、ひっきりなしに怒鳴り合っている。
そして、焼けたオイルの臭いが充満し、常温Gx炉の金切り声が絶叫を歌っていた。無数のPMRが、順次発進のためにカタパルトへと移動してゆく。
その奥に、ひときわ目を引く鮮やかなトリコロールがあった。
白を基調に、赤と青とで塗られたデモンストレーションカラー。
それは間違いなく、統矢が乗り続けてきた97式【氷蓮】だった。
沙菊は整備員達に言葉を交わしつつ、統矢に搭乗を促す。
「――ラストサバイヴ。正真正銘、最後の【氷蓮】であります」
「あ、ああ。……変わっちまったなあ、ホント」
「それでも、統矢殿の機体であります、よ? 統矢殿だけの機体ですからして」
「だな。っし、始めるか! 終わらせるための戦いを、な」
黙って頷くと、沙菊は自分の機体へと行ってしまった。
統矢もまた、砲弾や武器が行き交う中で走る。
どんどん目の前に、【シンデレラ】と入り混じって生まれ変わった、最後の愛機が彼を見下ろしているのだった。




