第10話「北の最果てへ向かって」
北へと巨鯨は、翔ぶ。
久々に摺木統矢は、高高度巡航輸送艦の羅臼へと戻った。かつて何度もこの艦を拠点に、出撃した。それが今は、遠い昔のようだ。
乗艦と同時に、更紗れんふぁとともに彼は案内された。
今まであまり脚を踏み入れたことがない、艦の奥の研究区画だ。
「やあ、久しぶりであるな。小生は信じていたよ……DUSTER能力者が簡単に死ぬものか、とね」
薬品の匂いが透き通った一角で、ドアを開けると……懐かしい顔が出迎えてくれた。白衣をだぶつかせた小さな男の子は、技術士官の八十島彌助特務二尉である。
眼鏡の奥で笑う姿は、最後に会った時と少しも変わっていない。
統矢は初めて、なにも失っていない仲間に会えた気がした。だが、すぐにその喜びを自分に戒める。彼は、あの御堂刹那と同じリレイヤーズ……異なる世界線から無数のトライ&エラーを繰り返し、もう一人の摺木統矢を追いかけてきたのだ。
既にもう、失うものを持っていない……そういう男だと思いだしたのだ。
「えっと、八十島、特務二尉」
「よせよせ、今まで通り彌助兄様と呼び給え」
「いや、呼んでないし……でも、会えて嬉しいよ」
「小生もだ。……れんふぁ君も、無事でなによりだな? うんうん」
ついてき給え、と彌助は歩き出す。
周囲には、彼と同じ白衣姿の研究員が大勢働いていた。そして、ちらほらと子供の姿がある。秘匿機関ウロボロスの構成員、彼等もまたリレイヤーズだ。
リレイド・リレイズ・システムに魂を縛られた、永遠の輪廻を繰り返す子供達。
自分の遺伝子情報を切り売りして、仇敵を追い続けた刻の放浪者だ。
「安心し給えよ、二人共。そら、五百雀千雪は無事だ。この通り、ね」
そこには、五百雀千雪が浮いていた。
薄緑の溶液で満たされ、密封された硝子の中に、全裸で。既に機械に置き換えた義体、両足と右腕は外されている。その接続口には、機械特有のケーブルやコードがゆらゆらと揺れていた。
まるで、小瓶に封じられた妖精のようだ。
そして、眠るように漂う千雪が目をそっと開く。
その眼差しに吸い込まれるように、統矢とれんふぁは駆け寄った。
「千雪! 大丈夫か、千雪。俺は、無事だ」
「千雪さんっ!」
硝子の向こうからは、声が聴こえない。
だが、千雪の唇は、統矢とれんふぁを案ずる言葉を象っていた。
その声なき声に頷きながら、統矢は硝子の容器へと額を擦り付ける。千雪もまた、両者を隔てる分厚い壁に手を添えた。
言葉のやり取りがなくても、彼女の無事を統矢は確かに確認した。
背後で声がしたのは、その時だった。
「よぉ、統矢……改めて、久しぶりだな」
振り向くとそこには、包帯まみれの男が立っていた。
顔を覆った包帯の隙間から、野獣のような眼光が統矢を見据える。
千雪の兄、五百雀辰馬だ。
「あっ、辰馬先輩っ! お、お疲れ様ですっ……よかったあ、統矢さんが言ってた通り、生きてたんですねぇ」
「おう、れんふぁちゃんもお疲れ。ちょいとガタがきてるが、五体満足だぜ」
上だけ脱いだパイロットスーツを腰に結んだ、ランニングだけの包帯姿。その痛々しい姿は、改めて統矢の胸に鈍い痛みを感じさせた。
だが、それを察したのか辰馬が小さく笑う。
ムードメーカーで三枚目、女ったらしの笑顔がそこにはあった。
「よせよせ、そんな顔すんなよ。千雪に比べりゃ、俺はすこぶる健康だぜ」
「でも、辰馬先輩」
「俺にはまだ、戦う理由がある。戦わなきゃいけない訳があんだよ。それだけだ。お前はどうする? ……千雪やれんふぁちゃんともよく話し合え」
「戦え、って言わないんですね」
「もう、戦争は終わった。負けだよ、負け。で、だ……次の戦争が始まる。DUSTER能力者の覚醒を促すために、大量の人間が実験と称して戦わされるんだ」
そう、それこそがパラレイドの……新地球帝國の真の目的なのだ。
連中はこの世界線、統矢達が生まれ育った地球で、戦力を再編するつもりである。疲弊した軍を立て直し、新たにDUSTER能力に覚醒めた者達を兵士として取り込む。そのために、正体不明の敵として永久戦争を続けてきたのだった。
今は、戦争と戦争の間の、仮初の平和。
しかし、それでも多くの人が戦争の終わりに一息ついている。
失ったものは戻らずとも、これから失うことはないと安堵しているのだ。
「お前が千雪とれんふぁと、三人で静かに暮らしたいってんなら……まあ、なんとかするわな。刹那ちゃん先生には俺から言っといてやる。千雪の身体も、まぁ」
ちらりと辰馬は、彌助を見た。
「なんとかなるか? 彌助兄さんよう」
「愚問であるな、五百雀辰馬。彼女の義体は、戦闘用の試作品を急遽取り付けたものだ。内臓関係も、かなり急いで無理な施術だったが……普通の生活を前提とした義体交換も、艦内で可能であるぞ」
「って訳だ……へへ、皮肉なもんだろ? 戦争ばっかしてたからよ、こういうサイボーグ技術も発達したんだ。今までの義体と違って、負担なくメンテも少ない身体にできるって訳だ」
人間の文明や科学技術は、常に戦争の都度進化してきた。
だが、発展や繁栄を求めての戦争は、もう誰も望んではいない。まして、見知らぬ世界線、全く違う平行世界の地球など、構ってやれる筈がないのだ。
統矢は一瞬、迷った。
そんな時、れんふぁが口を開く。
「いつか千雪さんにはっ! もっと、普通に、なって、ほしいです……でも、今の千雪さんが望んでること、わたしにはわかるから。わかれちゃうから、だから」
統矢も大きく頷いた。
そして、はっきりと自分の意志を辰馬へと伝える。
「俺も戦いますよ、先輩。千雪とれんふぁを守るために。二人を守れない俺が、どうやってこれから二人と生きてけるのかな、って……」
「……いいんだな? 統矢。ここから先は地獄だ……補給線も破綻してるし、俺達は世界中の敵、反乱軍だぜ?」
「俺は、もう一人の俺を止める……それは目的じゃなくて、手段ですよ、もう。大事な人がいるから、大切にしたいから、戦いを選ぶんです」
辰馬は、少し寂しげな目をした。
だが、すぐにへらりといつもの笑みになる。
彼が既に、気持ちを通わせた女性を失っていることを統矢は思い出した。
その痛みを分かち合い、少しでも和らげたい。戻らぬ命の代わりにはなれないが、膿んで出血する心の傷に寄り添い、共に戦う覚悟を決めた瞬間だった。
「早速任務だ、ついてきな。……れんふぁちゃんは、千雪についててくれるか?」
「は、はいっ! じゃあ、統矢さん。また、あとで」
ポッドの中で、千雪も左手を小さく振っていた。
統矢は頷きを返して、辰馬のあとを追う。
羅臼のブリッジに向かう通路では、妙な人だかりができていた。
「よっしゃ、統矢。命令だ、あれをなんとかしろ」
「あれって……あっ! ちょ、ちょっとあれ! いいんですか?」
「いい訳あるかよ、頼む……なんとかしてくれ。俺じゃ話になんねえからよ」
大勢の軍人達が見守る中、二人の少女がいがみ合っていた。
それは、ラスカ・ランシングと渡良瀬沙菊だ。
剥き出しの感情を尖らせるラスカに対して、沙菊は虚ろな無表情で取り合わない。
「ちょっと、沙菊! アンタ……そのざまはなに? 悲劇ぶってんの?」
「否定、であります。自分はただ、リハビリと特殊訓練を受けて」
「アタシは生き残った! 統矢も! でも……アンタ、それじゃあ……死んでないだけじゃない」
「……肯定であります。死ねなかったことで、自分はまだ戦えると思う訳でして」
「ムカつくのよっ! ……帰る場所がないのはアタシも同じ。でも、戻った場所で仲間まで変わっちゃってて……ちょっと、腹が立つわ! どうにかしなさいよ!」
「では、少ないですが携帯食料を配給するであります」
駄目だ、話が噛み合っていない。
ふと見れば、窓際に見知った顔が二人を見守っていた。
駆け寄れば、柔らかな優雅さが懐かしい。しかし、それも僅かに翳っているのを、統矢は敏感に察してしまった。
「雨瀬雅姫一尉! ……よかった、生きてた。あ、電波ジャック放送、見ましたよ」
ティアマト聯隊の隊長代理は、怜悧な微笑で統矢を迎えてくれた。だが、その目にはもう光がない。かつての統矢のように、瞳の奥で憎しみの炎が揺らいでいた。
「久しぶりね、摺木統矢三尉。……ふふ、少し前よりたくましくなったように見えるわ。男の子っていいわね」
「は、はあ。あの、一尉は」
「雅姫、でいいわ。どう? 【閃風】が運び込まれたのは知ってるわ。大丈夫、簡単に勝ち逃げなんて……許さないから。ふふ、貴方が戦いを選ぶなら、彼女もまた……」
氷のように鋭い狂気が、雅姫を支配していた。
だが、彼女は取っ組み合いを始めそうな二人の少女を見やり、溜息を零す。見かねた男達が数人、間に入って両者をなだめ始めたのだ。確か、ティアマト聯隊の古参兵達だ。中には、負傷で包帯を血に染めている者もいる。
彼等を見る雅姫の目が、僅かに優しさと悲哀を帯びた。
「美作総司隊長から預かった部隊も、今では元のメンバーは数名だけになってしまったわ」
「あ……じゃ、じゃあ」
「それでも、ティアマト聯隊は健在よ。その旗は、私が死ぬまで掲げ続ける。パラレイド共の死体の上でね。……ついたわ。見なさい、統矢三尉」
雅姫が振り返る窓の向こうへと、統矢も視線を投げる。
小さな丸い窓の下に、巨大な軍港が広がっていた。
「そうか、大湊! 皇国海軍聯合艦隊の! ……でも、この有様じゃあ」
巡洋艦も駆逐艦も、港の中で無残な姿を晒していた。原型を留めぬ形で、ひっくりかえったり圧し折れたりしている。空襲の跡がまざまざと見て取れるし、あちこちに擱座したパンツァー・モータロイドが転がっていた。
既にこの基地は、軍事拠点として攻略、破壊されたあとなのだ。
だからこそ、反乱軍は人目を忍んで集まりやすいのかもしれない。
そして、羅臼が減速する先に、巨大な戦艦の残骸が姿を現す。見た目に損傷はないが、大破着底して艦橋以外が水に浸かっていた。それは、あまり詳しくない統矢にもわかる有名な艦だ。
皇国海軍聯合艦隊総旗艦、天城……旧大戦から数えて三代目の超弩級戦艦は、凍れる水の下で静かに眠っているのだった。




