落語声劇「三方一両損」
落語声劇「三方一両損」
台本化:霧夜シオン
所要時間:約40分
必要演者数:5名
(0:0:5)
※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。
よって性別は全て不問とさせていただきます。
(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)
●登場人物
金太郎:白壁町に住む左官屋さん。
柳原で大工の吉五郎の落とした財布を拾い、届けに行く。
生粋の江戸っ子。
吉五郎:神田小柳町に住む大工。財布を落としていたが持ち前の江戸っ子
気質で気にせず一杯やっていたとこに金太郎が財布を持って現れ
る。
大家(金):金太郎の長屋の大家さん。
大家(吉):吉五郎の長屋の大家さん。
大岡越前:時代劇好きならご存知、大岡裁きで有名な大岡越前守忠相。
南町奉行として、今回の双方の訴えをお白州にて裁く。
店主:タバコ屋の店主。金太郎に吉五郎の家を教える。
隣人:吉五郎の隣に住んでる人。
ケンカっぱやい吉五郎のせいで毎度迷惑している。
●配役
金太郎:
吉五郎:
大家(金)・隣人:
大家(吉)・店主:
越前・枕・語り:
※:語り、枕は1セリフのみです。
枕:江戸っ子の 生まれそこない 金を貯め
という川柳があります。あまり知られてないですけどね。
ですが、その句が生まれる元となった、
江戸っ子は宵越しの銭を持たない、という言葉はよく知られているか
と思います。
考えてみると江戸っ子と呼ばれる存在の代表は、いわゆるお職人なわ
けで、彼らは商人と違い、金を蓄える事はしない。
金は己の腕の中に入っている。
ケチケチせずに気前よく、収入があればいいものを買ったり、
人にご馳走したりするのが粋でかっこいい。
だから金が欲しい時には仕事をすればいい。
実際、腕のいい職人ともなると、仕事は振るほどあったそうです。
だからなまじ金が貯まると評判が悪い、一生懸命使うと思ったって、
人間そうそう使えるものじゃありません。
余った→取っとく事なんてできない→江戸っ子の恥→しょうがないか
らみんなでどっかに捨てちまえ、
なんて思考回路で表に捨てに行ったなんて話もあるくらいです。
現代の我々にしてみれば想像もつかない考えですな。
金太郎:あん? 間抜けなものが足に引っかかったな。
…財布だ。
中には…書き付けに印形、それに金三両かい。
書き付けにゃ神田小柳町、大工の吉五郎って書いてあんな。
この野郎が落っことしやがったのか。ドジな野郎だなぁええ?
まったく、こちとら忙しいってのによう。
名前と在所は分かってんだ、届けねえわけにゃいかねえよなあ。
しょうがねえ、行ってやるか。
【二拍】
えーと、確かこの辺りが小柳町だったか…?
あそこでちょいと聞いてみるか。
おうッ、ごめんよッ!!
店主:へい、いらっしゃいやし。
えー、お煙草は何を差し上げましょうか?
金太郎:なんでぇこの野郎、
人が前へ立つと煙草を買うもんだと思ってやがる。
欲の深ぇ野郎だ。煙草なんざいらねえんだよ煙草なんざ。
店主:え、煙草をお買いになるんじゃないんですか?
あぁ、そうですか…はぁ。
金太郎:なんでぇ、最後がっかりしてやがる。
ちょいとものを聞きてえんだよ。
神田小柳町てな、この辺だな?
店主:へえ、さいでごぜえます。
金太郎:大工の吉五郎ってのはいるかい?
店主:吉五郎…あぁ、吉公ですか。
えぇいますが…何か?
金太郎:知ってんだったら、どこにとぐろ巻いてんのか教えろィ。
店主:…蛇だねまるで。
えぇと、家を聞こうてんですか?
金太郎:うるせぇなこんちきしょう、ええ?
今そう言ってんだから同じ事を言って聞き返すんじゃあねえよ!
で、どこなんだ?
店主:あぁ、そうですか…。
吉公の家はここはまっすぐ行きますとね、右側に米屋があるん
ですが、そこを入って角から五軒目ですな。
金太郎:そうかぃわかったわかった、早く教えろってんだこんちきしょう
、まぬけェ。
ありがとよッ!
店主:…なんだあの人ァ。
【二拍】
金太郎:あぁここかぁ、なるほどなぁ、へェ。
腰障子がはまっててちゃんとしてらぁ。
はりかえたんだな。あたらしくなってやがらぁ。
お、欄間から煙が出てやがるよ。
魚でも焼いてやがんのかな?
どういう事になってんのかひとつ、中の様子を見ねえってぇとな
。
ちょいと、障子に穴をあけて覗いてやろうじゃねえか。
…。
あぁ、いやがったいやがった、あの野郎が吉五郎ってんだな。
財布を落っことす野郎だけあって間抜けな面ァしてやがらァ。
何してんだ?…あ。
はっはぁ、イワシの塩焼きでもって一杯酒を呑もうってんだな。
ドジだねェほんとうに。
よしなよしなァ!!
そんな油のしつっこいもんで酒かっ喰らってんじゃあねェよ!!
もっとあっさりしたもんで呑れィ!
吉五郎:!? 何でェおめェは!
しつっこいもんで呑ろうが、あっさりしたもんで呑ろうが
俺の勝手でェ!
てめェの世話にゃあならねェ!
しかもせっかく張りかえた障子に穴ァあけやがって。
用があるってんなら、そんなところでのぞいてねェで
こっちへ入れってんだよ!
金太郎:ったりめェだ、障子開けねェで入れるかィ!
隙間ッ風じゃねェんだ!
ぃよいしょォ!
おうッ、おめェが大工の吉五郎ってのか?
吉五郎:そうよ。てめェはなんでェ?
金太郎:俺ァ白壁町の左官、金太郎ってんだ。
吉五郎:金太郎?
金太郎にしちゃぁ赤くねェなあ。
金太郎:絵のやつと一緒にするんじゃねェ!
てめェみてえに酒かっ喰らってるわけじゃねえんだ!
吉五郎:なんだとこの野郎。
俺ァ呑んでたって素面のままよ!
何か用があんのか?
金太郎:たりめぇだこの野郎。
用が無くてこんな小汚ねぇ所へ来るかい!
吉五郎:こんちきしょう、ケンカも売りに来やがったのか?
金太郎:あ? そうじゃねェんだよ。
おめェ今日、柳原で財布を落っことしたろ。
吉五郎:何ィ? 顔を洗って出直しやがれィこんちきしょう。
なんだってそんな事を俺に聞くんだァ?
落っことしたんだよ俺ァ。
どこに落っことしたか分かってりゃ拾って来るんだ、まぬけェ。
金太郎:そりゃァおめェの言う通りだ。
おめェな、柳原で財布を落っことしたんだよ。
俺が通りかかって拾ってやった。
中ァ見たら金が三両、書き付けに印形が入ってた。
書き付け見て、おめェだって事が分かったんだ。
ほれ、おめェに渡すから、あらためて受け取れ。
吉五郎:…、こんちきしょう、余計なことしやがって…!
金太郎:何ィ…?
吉五郎:何ィじゃねェんだよ!っとに、ええ?
こっちは金を落としてさばさばして、あーこれで厄払いだな、
ありがてぇなってんで呑んでるんじゃねェか。
わざわざ持って来やがって、んっとにしょうがねェな。
印形と書き付けは俺のもんだが、金はいらねェや。
おめェにやるから、帰りに一杯やれェ。
そらッ。
金太郎:…。こんきちしょう、何しやがんでェ!
俺ァな、礼をもらおうと思っておめェんとこへ届けに来たんじゃ
ねェンだぞ!
おめェが困るだろうと思って持って来てやったってェのになんで
受け取らねェンだ!?
吉五郎:困るゥ?
冗談言うなィ、三両ばかしの金で何が困るって言うんでェ!
いつでもどうにでもなるんだよ、えぇ?
てめェにくれてやるから持ってけッてんだ!
金太郎:ハァ!? 俺ァいらねェぞそんな金ェ!
そんな金もらうくれぇなら、はなッから届けねェンだよ!
せっかく俺が届けてやったってェのに、なんで受け取らねェンだ
こんちきしょう!
おめェの金じゃねえか、えぇ!?
吉五郎:そりゃあもとは俺の金だった、もとはな。
だけど、いったん俺の懐から飛び出したんだ。
二度とウチの敷居は跨がせねェ。
落っことした金を届けてもらってありがとうございます、
っつってこいつをいただいて大事にしまっておくなんて、
そんなさもしい了見は俺にはねェンだ!
てめェが拾ったんだから、褒美にくれてやるってんでェ。
持ってけ、こんちきしょう!
持ってかねェと張り倒すぞ!
金太郎:この野郎ォ、黙って聞いてりゃいい気になりやがって…!
おもしれェな、おい。
拾った財布を届けてやって張り倒されるなんて、
そんな分からねェ話はねェ!
張り倒せるもんだったら張り倒してみろってんでェ!
吉五郎:そうか?
じゃあ張り倒してやろうじゃねェか。
ッッ!!
【手を叩いて張り倒す】
金太郎:!ッこの野郎ォッ!
やりゃあがったなァッ!!
ッッ!
【手を叩いて張り倒す】
吉五郎:!おッ、こんちきしょッッ!!
【手を叩いて張り倒す】
金太郎:!ッでッ! やろぉッ!!
【手を叩いて張り倒す、そのまま三回ほど続ける】
隣人:おッ、ちょっとッ! あッ、大変だよ!!
大家さぁーーーん!!
すぐに来とくれェ大家さーーん!!
ケンカケンカ、ケンカだよーーッ!!
大家(吉):何い、どこだい!
隣人:どこだじゃねえんだ、隣に決まってるじゃねえか!
吉公ンところだよ!
これで三回目だ!大変な騒ぎだよ!
隣でケンカ始まると壁が薄いから棚から物が落っこってくんだよ!
抑えてなくちゃならねェンだ、壁が薄いから!
壁が薄いからこうやって手が塞がってっと仕事ができねェ!
壁が薄いんだよ!
早く止めてくれよ!
大家さん壁が薄いよ!
大家さんケンカ止めてくれよ!
大家さん壁が薄いよ!
大家さん壁が薄いよ!!
大家さん壁が!!!
大家(吉):この野郎、ケンカ止めるなら止めてくれって言え!
壁が薄い壁が薄いって騒ぐんじゃないよ!
しょうがない奴だねまったく。
おいおい、よしなよしなッ!
またやってるよこいつは。
本当にこんなにケンカの好きな奴はいないよ。
またよく相手が来るもんだな、ええ?
どこの奴だか知らないが、こいつもなかなか威勢がいいな。
飛び上がってイワシ三尾踏み潰したよ。
ほぉ、髷をつかんで毛のむしり合いだ。
軍鶏のケンカだね、まったく。
どっちが余計むしるか、こいつはちょっと見ものだな。
隣人:いや、バカな事言っちゃいけないよ!
ケンカ止めるとか壁厚くするとか——
大家(吉):うるさいよ! まだ言うかい。
ったくしょうがない。
ちょちょちょ、よしなよしな!よしなって!
いいからよしなッ!!
はぁ…はぁ…、
勝負をつけることないよ、五分と五分、分けにしときなっ。
んっとに…しょうがないね…おい吉公!
ケンカするのはかまわないけどね、もっと広いとこでやれよ
、ええ?
長屋でドタンバタンやった日にゃ、壁が薄いから…
見ろ、うつっちまったじゃないか!
ゴホン、隣が仕事ができないってんだよ!
人に迷惑をかけるようなケンカをしちゃいけない。
そっちのお前さんもそうだよ、どこの人かは知らないけど、
この長屋に来てケンカをされちゃ困るんだ。
迷惑になるんだから、さ、帰っとくれ帰っとくれ。
金太郎:あ? 帰れだァ?
大家(吉):そうだよ。
こいつは気が短いんだから、お前さんがいつまでもそこにい
るとまたケンカが始まるんだ。
だから引き取ってくれ、帰ってくれ。
金太郎:おめェ何かい、ここの大家かい?
大家(吉):そうだよ。
金太郎:へェ…。
冗談じゃねェぜおい。
年ばっかり重ねてよ、そんなケンカの止めようってのがあるかい
。
大家(吉):いけないってのかい?
金太郎:あたりめぇだよ!
犬猫じゃねえ、血の通った人間がケンカしてんだ!
俺ァ気がふれて暴れてるんじゃねェンだよ!
ケンカするような事があったからこうなってるんじゃねェか!
なぜわけを聞かねェンだ!?
大家(吉):あ、そうか…。
いや、そりゃあ私が悪かった。
いったいどうしたんだい?
金太郎:俺ァな、こいつの財布を拾ったんで、届けに来てやったんだ。
そしたら受け取らねェンだよ。そのうえ金はおめェにやるって
言うもんだから、んなモンいらねェって断ったんだ。
そしたら受け取らねェと殴るっつって、いきなり俺の頭を張り倒
しやがった。
だからケンカになったんだ。
大家(吉):いきなり殴った?
おい吉公、そりゃあ本当か?
吉五郎:【ふてぶてしく】
あぁ本当でぃ!
大家(吉):何を偉そうにふんぞり返って言ってるんだ。
なんて馬鹿だろうねこいつは。
おい吉公! これはお前がよくない。
いったん落っことした金は受け取りにくいかもしれない、
お前のそういう了見が分からないわけじゃない。
だがこちらがわざわざ届けてくだすったんだ。
そういう時にはいったん受け取って、ありがとうございます
と礼を言っておところをうかがっておいて、
後日改めて菓子折りのひとつでもぶら下げて礼に行く。
これが人の道というやつじゃないか。
何でもかんでも江戸っ子ぶりやがって、
いきなり張り倒してケンカ沙汰なんぞに及ぶなんて、
そんな事をする奴があるか! まぬけ!
謝れ謝れ!
【二拍】
吉五郎:ン何をぬかしやがるんだこのクソったれ大家ァ!!!!!
大家(吉):なんだ、そのクソッタレ大家ってのは。
大家でクソをたれない奴がどこにいるんだよ。
吉五郎:何を言いやがんでェ!
馬鹿につける薬はねえ、すり鉢に蓋はねえってなァてめェのこっ
た、こんちきしょう!
やいやいやい、大家と言やぁ親も同様、店子と言いやぁ子も同然
ってんでぃ!
俺とおめェは親子の間柄じゃねえか!
その親が何だって子の味方もしねえで他人の味方ァしやがって、
ぐずぐずぐずぐず言うんでェ!
冗談じゃねえぞ!
こちとらな、自慢じゃねえが晦日に納める店賃だって、みんなが
延ばしてるところ、俺ァ28日にきちんきちんと納めてるじゃね
えか、べらぼうめぃ! ええ!?
それなのにてめぇの方は何でィ!
盆が来ようが正月が来ようが、半紙一枚、海苔一帖持ってきたこ
とがあるかィ、このしみったれ野郎め!
大家(吉):…嫌な事を言うねこいつは。
【金太郎に向きなおって】
お前さん、どこの何てお人だい?
金太郎:俺ァ白壁町の左官の金太郎ってんだ。
大家(吉):そうかい。
聞いての通りだ。こういう奴なんだ。
あたしが意見したところでこういう事を言ってくる。
だから今はとてもじゃあないけど、お前さんに頭を下げろっ
て言ったって下げるような奴じゃない。
あたしがあとでよぉーく意見をして、必ずお前さんに頭を
下げさせるから。
もしあたしの言う事を聞かないようなら、お上に願い出て、
お白州でちゃんと頭を下げさせる。
だから今日の所はひとつね、年寄りの顔をたてて、ひとまず
このまま引き取っておくれ。
金太郎:そうかい。
そりゃお前さんの方でね、そういう言い方してくれるんだったら
こっちだって帰らねえことはねえんだ。
オウ吉公この野郎!! 覚えとけよ!!
吉五郎:覚えてろだァ!?
何言ってやがる、あたりめえだ!
こちとら26、耄碌する年じゃねえ!
誰が忘れるかよ!!
矢でも鉄砲でも持ってこいってんだ!!
金太郎:何を言いやがんでェ、でけぇ事ぬかすなィ!
てめェなんぞに矢だの鉄砲だのいるかよ!
拳固ひとつでたくさんでェ!
吉五郎:何をォ!?
金太郎:何だァ!?
大家(吉):ああちょちょちょっと、まあまあいいから!
帰っとくれ帰っとくれよ!
【二拍】
金太郎:~~~っつつ…くやしいねぇちきしょう。
よもや来ねえだろと思ってたらあんの野郎ォ、ポカッと来やがっ
たよ。
面白くねぇなぁ、後手食っちまった…。
絶対に詫び入れさせなきゃァ
気が済まねェ…。
うぅ~~~む……。
大家(金):誰だァ? うちの前をウンウンうなって通るのは。
あん? 何でェ金公の野郎じゃねえか。
なんだかだらしのねェ格好して、のこのこのこのこ
歩いてやがる。
おぉーい、金公ッ!!
金太郎:?…あぁ、大家さん。
どうも、こんちわ。
大家(金):こんちわじゃねェ、ちょっとこっちへ入れ。
【二拍】
あ~…別に用と言うほどのものはねェが、俺ァ江戸っ子な
おめえが好きだ。
江戸っ子てのはな、威勢がよくって、洒落がかって乙ななり
をして、足元は綺麗で、頭がさっぱりーーしてねェな。
おめぇなんだその格好は、ええ?
今日のおめェ見てるってェと、だらしがねェやな。
その頭はどうしたってんだ。
鬢の毛が緩んじまってるってェのは、あんまり形のいいもん
じゃねェ。ちゃんと綺麗に結いあげろ。
着物もだぞ。
前をそんなにはだけちまって、見栄えが悪ィったらねェよ。
襟に垢のつかねェ着物を着て、履き物だって新しいのを履い
てなくっちゃあいけねェ。
キリッとするもんだ、キリッと。
何かあったのか?
金太郎:あァ、いまケンカしてきたんで。
大家(金):ん~ふっふ…いいね。
ただのセリフがいまケンカしてきた、うん。
えれェ。
嬉しいね、そういうとこも好きだ。
ケンカはいいな、ケンカもできねェ屁も垂れられねェじゃ、
しゃあねぇやな。
自慢じゃねえが、俺なんざ若ぇ頃は毎日腰に弁当ぶら下げて、
ケンカして歩いたもんだ。
で、どこでケンカしたんだ?
金太郎:神田の小柳町だよ。
大家(金):相手は?
金太郎:大工の吉五郎。
大家(金):殴れそんなもの!
カンナで削っちまえ大工なんぞ。
で、どうしてケンカになったんだ?
金太郎:それがよ、今朝に柳原歩いててさ、財布拾っちまったんだ。
大家(金):バカだなこの野郎、
財布を拾うって、よくそういう間抜けな事をするもんだ。
なんでそんなもん拾ったんだよ。
金太郎:いや、どうして拾うんだよったってさ、拾う気はねェけど拾っち
まったんだよ。
大家(金):それァおめェが良くねェンだよ。
普段から言ってるだろ。
屈み女に反り男ってな。
男ってもんは反り身になって歩いてなくちゃいけねェんだ。
変に屈んで物を拾うなんて了見だからそういうことになるん
だ。
金太郎:いや、大家さんの前だけどね、俺ァ反り身で歩いてたんだ。
反り身になって歩いてたんだけど、草履に財布が引っ掛かりやが
ったんだ。
大家(金):それがドジなんだ。
ささくれた古い草履を履いてるからだ。
新しいのを履いてりゃ、そういうことにはならねェ。
金太郎:今そんなこと言ったってしょうがねェじゃねェか。
中ァ見たらね、金が三両に書き付けと印形が入ってたんだよ。
書き付けに神田小柳町・大工・吉五郎と書いてあるから俺ァね、
その野郎の所に届けに行ったんだ。
大家(金):ほォ、そりゃあいい事をしたなぁ。
当人も喜んだろ。
金太郎:それが喜ばねェンだよ。
大家(金):へェ、そいつは変わった野郎だな。
で、どうしたんだい?
金太郎:せっかくこっちは落っことしてさばさばして酒を呑んでるってぇ
のに、なんだって余計なことしやがんだ。
金はおめェにやるって言うんだよ。
大家(金):ほう。
で、もらったのか?
金太郎:冗談言っちゃいけねェ。
大家さんいい加減にしてくれよ!
あっしがもらうわけねェだろ!
大家(金):あたりめェだ!
もらうようなら、俺がてめェをただじゃおかねェ!!
金太郎:おぅ…だよな。
で、そんな金をもらうわけにはいかねェ、
俺ァもらわねェ、って言ったら、もらわねェと張り倒すぞって
言いやがるんだ。
くだらねェ、こいつは面白ェや。
金を届けてやって張り倒されるなんてこたァ、未だかつて聞いた
事がねえ。
張り倒せるもんだったら張り倒してみろッて言ったら、
ほんとにかかってきやがった。
大家(金):話がバカにすらすら運んでやがるが、
かかってきたって、まさか殴られたのか?
金太郎:いやいや、かかってきたからパッと受けたよ。
大家(金):どこで?
金太郎:おでこで。
大家(金):殴られたんじゃねェか、だらしねェなあ。
金太郎:いやあっしもね、癪だからパッと飛び上がってよ、イワシを三尾
踏みつぶしたんだ。
大家(金):おい、おめぇ誰とケンカしてんだよ、イワシとケンカしてる
んじゃねえだろ。
金太郎:そりゃそうだけどよ。
んで、くんずほぐれつやってると、向こうの大家ってのが止めに
入ったよ。
わけ聞かれたんで、これこれこういうわけでケンカになったんだ
って言ったら、向こうの大家が吉公の野郎に小言言ったんだよ。
ちゃんとおところをうかがっといて、後日改めて菓子折り持って
礼に行くのが人の道じゃないかってよ。
それ聞いた吉公の野郎がね、向こうの大家に向かって敵ながら
威勢のいいあっぱれな啖呵切って、あっしは惚れぼれしちまった
ね。
大家(金):バカだねお前は。
おめェを殴った奴だろう。
そんな奴の言った事でも惚れぼれするのかい。
で、どんな啖呵切ったんだ、聞きてえな。
いい啖呵がねえんだ、ここんところ。
「何言ってんだィべらぼうめィ」
なんてな、ありきたりすぎてぞっとするわな。
「おいらァ江戸っ子だァ」
だの、
「ただじゃおかねェぶっ殺すぞ」
はァどこで生まれたんだか育ったんだか、分かんなくなっち
まわァな。
はァそうかい。そのいい啖呵ァ聞きたかったな。
金太郎:聞かせようかい?
大家(金):ほぉ、聞きてぇな。
なんつったんだい?
金太郎:…ン何をぬかしやがるんだこのクソったれ大家ァ!!!!!
大家(金):おい何がクソッタレ大家だよ。
金太郎:むこうがそう言ったんだからしょうがねぇじゃねぇか。
大家(金):で、その後は?
金太郎:大家と言やぁ親も同様、店子と言いやぁ子も同然!
親子の間柄じゃねえか!
その親が何だって子の味方もしねえで他人の味方をするんでェ!
こちとら自慢じゃねえが、晦日に納める店賃をみんなが延ばして
るところ、俺ァ28日にきちんきちんと持っていくんだ!
それなのにてめぇの方は何でィ!
盆が来ようが正月が来ようが、半紙一枚、海苔一帖持ってきたこ
とがねぇじゃねえか、しみったれ野郎!
ってこう言っていたね。
なるほどなぁ、どこの大家も同じだなぁってね。
大家(金):やりゃあがったなこいつァ、何言ってやがる。
んで、どうしたんだ。
金太郎:向こうの大家が言うには、必ず意見をして謝らせると。
あたしの意見を聞かないようだったらお上に願い出て、
必ずお白州で謝らせるから、ひとつ今日の所はあたしの顔を立て
て、年寄りの顔に免じて帰ってくれって言われたんで、
あっしは帰って来たんだ。
大家(金):…バカ野郎。
おめェ向こうの大家の顔はそれで立ったかもしれねェけど、
俺の顔はどうしてくれるんだ。
金太郎:ぁ~~…そこまで考えていなかったな…。
いや、大家さんの顔は立てにくいよ、丸いから。
あごを潰しとかねぇと。
大家(金):何くだらねぇ事を言ってやがんだ。
そういうやつはな、癖になる。
向こうが訴えるのを待ってるこたァねェ。
こっちから願い出ろ!
俺が願書を書いてやるから。
語り:そんなわけで金太郎の大家さんが願書をしたためまして、
南町奉行、大岡越前守様のところに願い出ました。
時を同じくして吉五郎の大家からも願い出たものですから
すぐに差し紙がつきまして、お呼び出しという事になる。
当日一同が揃うと、呼び込みでもってぞろぞろぞろぞろとお白州へ
入って参ります。
鎖の付いた大きな扉ががらがらがらがらぴしーっと閉まる、
この音を聞いただけで皆ぞーっとしたもんだそうです。
正面一段高いところには公用人、縁の下には同心が、
十手を持って控えております。
大家(吉):【声を落として】
これこれこれ吉公、控えろ控えろッ。
吉五郎:へっ? ひきがえる?
大家(吉):【声を落として】
控えろって言ってるだろ…!
吉五郎:いや、控えてるじゃねェか。
大家(吉):【声を落として】
あぐらかいて控える奴がいるか!
ひざを折って座るんだよ!
吉五郎:えぇ、座るのかよ!?
俺ァ嫌いなんだ、座るの。
生まれてから今日まで、何度かしか座った事がねえんだ。
…~~分かった分かった、座るって…。
足が痺れるのはかなわねえのによ…。
ホント嫌だな…。
金太郎:まぁたえばってやがんな吉公め。
しかし役人てェやつも、ずいぶんしみったれてんなァ大家さん。
大家(金):何がだ?
金太郎:何って、そうじゃねえか。
羽織の裾が切れるといけねぇと思って端折ってやんの。
大家(金):【声を落として】
馬鹿野郎、あれは巻羽織と言って、もともとああいう格好な
んだ!
金太郎:あ、そうなの。
大家(金):!
しーーーーーーーーーーーーーーーっっ………!
金太郎:? 大家さん、お白州で誰か赤ん坊にしょんべんさせてるよ。
大家(金):【声を落として】
馬鹿、お奉行様がお出ましになるんだよ!
頭が高ぇ、頭を下げろ下げろ!
金太郎:わ、わかったよ…。
へへぇーーーっ。
【二拍】
越前:神田小柳町、大工職、吉五郎。
白壁町、左官職、金太郎。
並びに付き添いの者一同、揃ったな。
吉五郎、おもてを上げい。
…おもてを上げい。
大家(吉):【声を落として】
おいッ…おいッ、何してるんだ吉公。
顔を上げねえか!
吉五郎:【ぶつぶつ言う】
ええ?
いま下げたばっかじゃねェか。
上げたり下げたり忙しねえな。
これ頭だからいいけど、米だったら相場が狂っちまわぁな。
大家(吉):【声を落として】
くだらねぇこと言ってねえで、早く顔を上げろ!
吉五郎:わかったよ……。
へいっ。
越前:そのほう、過日、柳原において財布を取り落とし、
これなる金太郎が親切にも届け遣わしたところ、
それを受け取らず、乱暴にも金太郎を打ち、打擲に及んだという
願書の趣であるが、それに相違ないか?
吉五郎:えっ、ええ、申し訳ございやせん。そう、なんですねぇ。
いやあっしがね、財布を落っことさなきゃよかったんだが、
落っことしちゃったんですね。
でもこっちはね、知らぬ間に金を落っことしたってんでさばさば
してね、ああこれで厄を落としたのとおんなじだってんで、
嬉しくなってイワシの塩焼きで一杯吞ってたんですね。
そしたらね、この野郎がおせっかいにも届けに来やがったんで。
だから、印形と書き付けはこっちがもらっておくが、
金は要らねェ、てめェにやるって言ったら、
こんちきしょうが生意気にもいらねェなんてぬかしやがった。
それから受け取れ、いらねぇ、受け取れ、いらねぇって押し問答
していてね、その間にこっちが、もし受け取らねぇなら張り倒す
ぞって言ったら、面白ぇ、張り倒せるもんなら張り倒してみろ
なんて言うんですよ。
むこうがせっかくそう言うのに張り倒さねえのも物に角が立つと
思って、ポカリとやったんでございやすよ。
越前:ほう…面白き事を申す奴よの。
さようか。
これ、金太郎、おもてを上げい。
金太郎:へっ…。
越前:そのほうその折、何故もらい置かなかった?
金太郎:お奉行、冗談言っちゃあいけませんよ。
越前:これこれ、天下の裁断に冗談という事があるか。
金太郎:真剣、本気かい?
マジまとも?
へぇーっ。
それだったら言わしてもらおうじゃありませんか。
冗談言っちゃいけませんよ、本当だよ。
だって、そうでしょう?
こういうものを拾ったらね、自身番へ届けるとか、どこそこへ
持っていけとか教えてこそ、役人じゃねえんですかい?
往来で金を拾ってどこにも届けねぇで使っちまうのを取り締まる
のが、お前さん方の商売じゃございませんか?
それがそんな事を言われたらこっちはどうしていいか分からなく
なるってもんだ。
はばかりながらあっしぁね、三両ばかりの金をもらってネコババ
するようなそんなさもしい了見を持ってるんだったら、とうの昔
に立派な親方になってるんでぇ!
あっしぁ、生涯親方なんぞにはなりたかねぇ。
出世するようなそんな災難にあいたくはねえと思えばこそ…、
あっしは朝晩かんだの、うっ、うう…【泣く】
越前:泣いておる…。
さようか。
両名とも三両の金子、要らぬと申すとあらばこの越前が預かりおく
が、どうじゃ?
金太郎:ええ、そうしておくんねぇ。
その金があるからケンカになるんで。
越前:よし、しからばどうじゃ?
その方たちの正直さを愛で、越前が二両ずつ褒美としてつかわすが
、この儀はどうじゃな?
大家(金):小柳町町役、白壁町町役、我ら両人、当人共に成り代わって
申し上げます。
こういう正直者どもが出ましたのは、両町内の誉れにござい
ます。
ありがたく頂戴をいたします。
越前:さようか。
では、両名に金二両ずつ遣わすがよい。
【二拍】
うむ、これからは仲良ういたせよ。
此度の裁き、三方一両損と申す。
そのわけを越前より申し聞かそう。
吉五郎は金太郎が金子を届けし時、これを受け取らば三両、
金太郎もその折に金子を貰い受ければ三両、
越前もここで預かり置かば三両となる。
越前はこれに一両足して、双方へ二両ずつ遣わした。
すなわちこれを、三方一両損と申す。
相分かったか?
大家(吉):へへーっ、ありがたきお裁きにございます。
越前:ならば一同の者、立てい!
これにて、一件落着!
…さて、調べに時を移した。
一同、空腹を覚えたであろう。
膳部をとらす、食べてゆくがよい。
金太郎:へ、へへっ!
お、おい、おまんまご馳走して下さるってよ…!
吉五郎:おぉ、本当だよ。
あ、ありがたく頂戴いたしやす…!
【二拍】
お、おぃ、お膳が出てきたぞ…!
金太郎:おっ、み、見ろよ!
鯛だよ、鯛、ええ?
三崎の本場、目の下三寸よ!
これだよおい、こういうものを食おうじゃねえかよ。
こないだおめェ、イワシの塩焼きで呑ってたろ、ええ?
よしなよおい、借金してでもこういうものを食わなきゃあよ。
あっ、こらどうも、ありがとうごぜぇやす!
おい吉公、さっそくいただこうじゃねえかよ!
吉五郎:おう、そうだな!
まさかお奉行様に鯛をゴチになるたァ思わなかったよ。
じゃ、さっそく、いただきやす!
んっ、んむ、んむ…。
おっ、どうだよおい…魚の生きがいいからんめぇよ!
金太郎:んむ、んむっ…。
あぁ、こらぁうめぇよ!
んむ、んむ、んむっ…!
【食べながら】
どんどんやった方がいいよ、うん。
今度ぁね、また腹が減ったら二人でもってケンカしようじゃねえ
か。
吉五郎:そいつァいいな。
お奉行様、ありがとうございやす。
こんなご馳走があれば、おまんま何杯だっていけちまいます。
越前:ははは、これこれ両人、
いかに空腹だと申して、一度に食すでないぞ。
腹も身のうちじゃでな。
金太郎:へぇ、心配ご無用で。
せっかくお奉行様にゴチになるんですから。
おおかぁ【大岡】、食わねぇ。
吉五郎:たった一膳【越前】。
終劇
参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)
古今亭志ん朝(三代目)
立川談志(七代目)