表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
PR

またこの海の向こうで

作者: 九重ツクモ
掲載日:2024/05/11


 ザザァー……。

 ザザァー……。


 波の音がする。

 潮の香りが鼻を掠め、風は優しくほてった肌を慰める。

 太陽は徐々に傾いて、夜の気配がすぐそこまで迫っていた。



 海に囲まれたこの島は、まるで巨大な滑り台のようだ。

 島の西側は切り立った崖になっていて、東に向かって急勾配の坂が続く。

 その崖の上に、一脚のベンチが置かれていた。

 誰が何の為に置いたのかは分からない。

 普段は誰も座る者がなく、まるで何かを暗示するオブジェのように佇んでいるそれに、二つの影があった。



「もう、行くのか」


 一つの影が、そう呟いた。

 黒いくちばしを引き結び、真っ直ぐに海を見つめている。

 まるで、絶対に隣に目をやってはいけないと、そう決意しているような。


「うん。少し、遅くなりすぎたからね」


 甲羅こうらから出した首をゆっくりと持ち上げ、もう一つの影も海を見つめた。


「君も、そろそろ行くんでしょう? ペンギンにここは暑すぎるって、いつも言っていたじゃないか」


 ウミガメはまたゆっくりと首を動かし、隣に座るペンギンに目を向けた。

 どことなく傷付いたような、それでいて諦めたような表情でうつむいている。

 そんな彼を、ウミガメは目を細めて眺めた。


「俺は……まだ居るよ」

「そう」



 ザザァー……。

 ザザァー……。



 まるで、この世界に、波の音だけが残ったような気がする。

 そんなことをウミガメは思った。


「なんで……」


 一言言いかけて、ペンギンは嘴をつぐんだ。

 言いたいことはたくさんあるはずなのに、何も言葉になって出てこない。

 そして目をギュッとつぶって、これまでのことを思い出していた。



 二人が初めて出会ったのは、冬の終わり。

 ウミガメの暮らすこの島に、急にペンギンがやって来たのだ。

 氷に囲まれた海しか知らなかったペンギンは、ある日世界を見たくなったのだという。

 群を離れ、大海原に旅立ち、偶然この島に立ち寄った。

 そこで、ウミガメと出会った。


 この島に不慣れなペンギンに、ウミガメが優しさから声をかけたのがきっかけだった。


 あまり多くを語らないペンギンに、彼はたくさんの質問をした。

 好きな食べ物は何か。

 何をしている時が一番楽しいか。

 住んでいた所は、どんな場所なのか。


『退屈な所だ。辺り一面氷ばかりで、風景も何もあったものじゃない。……あぁ、でも、夜空にたまに出る七色のヴェールは、美しかったな』


 ペンギンはどこか懐かしむように言った。

 ウミガメにはそれがどんなものか想像もつかなかったけれど、いつか見てみたいと思った。

 出来ることなら、ペンギンと一緒に。


 その日から二人はいつも一緒にいた。

 約束をした訳でもないのに、太陽が完全に昇り切る前には浜辺で落ち合い、一緒に泳いで、互いの好物を食べ合って、星を眺めてから別れた。

 その繰り返し。

 何か決定的な言葉を交わした訳でも、特別なことがあった訳でもない。

 ただ何でもないような日々を続けた。

 けれど、その日々が長く続かないことも、お互いによく分かっていた。



 ペンギンは、いつまでもここにいる訳にはいかなかった。

 いくら自由を謳歌おうかしようと、いつかは故郷に帰り、果たさなければならない務めがある。

 子孫を残すという、務めを。


 ウミガメも、もうすぐ遥か彼方にある生まれた島に帰らなければならない。

 そこで妻をめとり、子を成す。

 それがウミガメの宿命で、永遠の使命なのだ。


 生まれてすぐに離れた場所に辿り着けるなどすごいじゃないか、と、かつてペンギンは言った。

 けれどウミガメの笑顔は、苦いものだった。


『生まれたその日に離れた場所だよ。どんな所だったのか、暑いのか寒いのか、何も覚えていないんだ。それなのに、僕たちはそこに向かう。僕たちの意志なんて関係ないんだ。血に刻まれているんだよ。そこに向かうことが』


 初めて見る表情だった。

 いつも朗らかで屈託のないウミガメが、その日ばかりは、どこか影を背負っているように見えた。


『まるで呪いだよ』


 ぽつりとそう呟いて、ウミガメは暗い瞳で海を眺めた。

 その先にある、生まれた島を見つめるように。




「それにしても、やれば出来るものだね」


 ウミガメの声にペンギンは我に帰った。

 けれど、彼が何のことを言っているのか、すぐに理解した。


「……そうだな」


 この崖の上のベンチを見上げて、二人はよく想像を膨らませていた。

『あそこから見る景色はどんなものだろう』

『もしかして、あそこが空の入り口なんじゃないか』

 そんなことを話しては、二人でこのベンチを見上げていた。


 いつか、あのベンチに座ってみたい。

 それが二人の夢になった。



『あのベンチに座りに行こうよ』


 ウミガメがそう言い出したのは、1週間前のことだった。


『最後に、君とあのベンチに座りたいんだ』


 ウミガメとペンギンが、この崖の上を目指すなど無謀だ。

 一体どれくらいの時間がかかるのか分からない。

 無事に着くのかも分からない。

 けれどウミガメの顔は、とても冗談を言っているようには見えなかった。

 ペンギンはしばし悩んでから、首を縦に振った。

 少なくとも、ベンチを目指している間は、一緒に居られるだろうから。


 他のウミガメたちが、もう旅立ちの時だと話しているのを聞いた。

 きっと、これが最後になるのだろう。


 二人はベンチを目指し、必死に山を登った。

 決して楽な道のりではなかったけれど、二人で居れば辛くはなかった。


 そして、今、このベンチに座っている。



 ザザァー……。

 ザザァー……。



 太陽はもう半分海に沈んでしまった。

 オレンジと群青が混じり合う空に、波の音だけが響いている。

 今言うべきことは、分かっている。

 けれど、ペンギンはどうしても言葉にすることができなかった。

 とにかく、これまで一度も見たことのないこの景色を、絶対に忘れたくないと強く思った。



「ねえ、これあげる」


 不意に、ウミガメはペンギンにヒレを差し出した。

 その上には、人間の拳ほどもある大きな巻貝が乗せられていた。

 ペンギンはふと、それをどこかで見たことがあるような気がした。


「これは?」

「これはね、僕たちウミガメが感謝の気持ちを込めて、別れの時に渡すものなんだ。もらってくれない?」


 そう言って、ウミガメは巻貝を差し出したまま、にこりと笑った。

 ペンギンはしばし、逡巡しゅんじゅんした。

 これを受け取ったら、全てが終わりのような気がして。



 ザザァー……。

 ザザァー……。



 沈黙を、波の音がかき消していく。

 ウミガメは少し残念そうな顔をすると、ことり、とベンチの上に巻貝を置いた。


「じゃあ、そろそろ行くね」


 そう言うと、ウミガメはゆっくりと崖の方へと歩いていった。


「おい、何するつもりだ」

「何って、海に戻るんだよ。いやだな、そんな顔して。ウミガメの甲羅を甘く見ちゃいけないよ? このくらいの高さから海に落ちたって、全然大したことないよ。それに、僕にはあの道のりを帰るなんて、無理そうだもの。君には申し訳ないけどね」


 普段よりも僅かに早口で、ウミガメは言った。

 どこか、作ったような笑顔で。


「……本当か?」

「僕が嘘をついたことがある?」


 ウミガメはおかしそうに、くつくつと笑った。

 確かにそうだ。

 今まで一度も、ウミガメは嘘をついたことがなかった。

 ウミガメはゆっくりと歩を進め、ついに際まで辿り着くと、立ち止まって言った。


「ペンギンは一生同じ相手と添い遂げるんだってね」


 何がおかしいのか、またくつくつと笑う。


「ウミガメはね、違うんだよ。相手がころころ変わるんだ」


 一瞬暗い色をにじませた声でそう言うと、ウミガメはゆっくりと振り向いた。

 その顔には、満面の笑みがあった。


「君の幸せを願うよ」


 空に輝く七色のヴェールの下で、知らない女と笑い合うペンギンを想像する。

 きっと、その方が彼は幸せに違いない。


「待て……!」


 ペンギンは走り出す。

 同時に、ウミガメはヒレを力強く蹴り出して、崖から飛び出した。




 激しい風と重力を感じながら、ウミガメは安堵していた。

 随分と前から、「生まれた島に帰れ」と頭の中で得体の知れない声が響いていた。

 その声は徐々に大きくなって、どんなに抗おうとも、心が全てあの声に塗りつぶされてしまいそうだった。


 けれど。

 これでもう、あの声から解放される。


「どうしても、最後まで君の顔を見ていたかったんだ。ごめんね」


 崖の下を覗き込み、何かを叫んでいるペンギンの顔を見つめながら、ウミガメは呟いた。


「許されるなら、また——」






 いつまでそうしていただろうか。

 ペンギンは海の中に消えていったウミガメを見送り、崖から顔だけ出してしばらくずっと波を眺めていた。


 太陽が完全に沈み、月と星が空を支配した頃、ペンギンはゆっくりと立ち上がった。

 ベンチへと戻ると、ぽつんと巻貝が一つ、残されていた。


 再度、既視感がペンギンを襲う。

 一体どこで見たのだろう。

 ペンギンは記憶を辿り、ハッとした。



『君を一生、愛すると誓うよ』

『嬉しいわ……!』


 あれは、ウミガメが来るのを待つ傍ら、浜辺をふらふらとしていた時だ。

 一組のウミガメのカップルが、何やら話しているのを見かけた。

 想像するに、きっとオスがメスに告白をしていたのだろう。

 オスが緊張した様子で、メスに巻貝を渡した。


『こんなに大きな巻貝……!』

『俺の愛を表すには、これくらいじゃないとな』


 そう言って、オスは照れたように笑ったのだ。



 あの時の。

 あの時の巻貝ではないのか、これは。

 ならば巻貝は、別れの挨拶などではないはずだ。


 この巻貝は、きっと——。



 ペンギンは慌てて、再度崖から身を乗り出して海を眺めた。

 けれど月明かりに照らされた黒い波間があるだけで、何も見えはしなかった。


『これで俺の愛は、一生君のものだよ』


 あの日、そう言ったオスの言葉を思い出す。


 本当に、この高さから落ちても彼は無事なのだろうか。

 彼は本当に、生まれた島を目指しているのだろうか。

 もし、もしも。

 ——あれが、ウミガメの嘘なのだとしたら。



『僕の愛は、一生君のものだよ』



 一瞬、彼の声が聞こえた気がした。



「あぁ……!!」


 夜の海に、ペンギンの慟哭どうこくが響き渡る。


 それもいつか、波の音にかき消されていったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] これは確かにジャンル難しいですね……!(@ⅴ@;) ある意味童話的な? ペンギンとウミガメと言う斬新な設定が……! でも、何でしょう。波の音や淡々とした描写に二人(?)の心情が苦しいくらい伝…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ