第28話「エストランシャの調査」
28.「エストランシャの調査」ネフィ・アラムト
エストランシャ(ウァイガ3星系)
属
ゾルドーン・ロラックィCX5327‐111
(以下、略)星系
属
アグルファ・エウフDB0651‐008
(以下、略)銀河
属
ザウケン・ギューザンVV8878‐118
(以下、略)宇宙
属
ジァク・ヴノMZ377‐667
(以下、略)インペリオーム
『対象が地上に到着。各員、厳戒態勢を維持せよ』
惑星エストランシャ調査のためハイペリウム研究員二名が現地入り。
該当星系の警戒レベルを引き上げ。
エストランシャ防衛艦隊は艦載機による警戒強化。
ハイペリウム遺物調査部
・ランディオ・ブディトロ(ムルティーク人)
・ネフィ・アラムト(カエストラ)
帝国最高の頭脳集団であるハイペリウムには様々な専門部署が置かれているのだが、その中でもひと際異質で、謎の多い部署が〝天の遺産〟に関する研究を行う遺物調査部である。これまでの常識を覆すような革新技術の開発に繋がる事が多く、帝国は相当数の天の遺産を保有している。
「博士、目的地はまだ先ですかぁ」
「まだ先。ほら、さっさと歩く」
「ちょっと休みましょ」
ハイペリウムの若き研究員ネフィ・アラムトはキツネ系ヒューマノイドのカエストラ。彼女は先輩であり、指導員でもあるランディオ・ブディトロ博士に引き連れられて、この星にやってきた。目の前にはどこまでも続く深緑の森。二人は随伴のアンストローナ兵とアンスケルに身辺警護を任せ、生い茂る木々をしばし観察していた。
「博士、見てくださいよ、これ。葉の表面から水滴が染み出してきて、空に昇っていきますよ」
「そんなの見ればわかるよ」
「いやいや、なんで水滴が浮いているのか理由が知りたいんですけど?」
「仮説はある。それを君へ説明するのに一週間はかかる。そしてそれを理解するための知識を身に着けるのに一か月以上はかかる」
「えぇ……」
木々の合間から覗く澄み切った青空。
葉の先端からひとつ、また一つと水滴が上がっていく。
透き通る球体は周りの森を歪に映し出す。
森は誰に言われたわけでもなく、静かに悠久の時を刻んでいる。
エストランシャではこれ以外にも一般的な物理法則に反するような事象が見受けられる。光を一定区間だけ遮蔽する岩、影が生まれない巨木、らせん状に流れる雷、これらは特有の自然現象なのか、はたまた人工的な仕掛けがあるのか、担当チームによる調査結果が待たれる。
『周辺に脅威なし。植物の生体情報を収集中』
『対象はまもなく目的地到着。上空はクリア』
アンスケルが周囲のあらゆるものをスキャンして情報収集、ネフィらの先を飛んでいく。
切り開かれた眼前に広がるのは恐ろしいほど透明な泉。
その泉の周りには不規則に形を変える謎のオブジェクト。
「うわー、あの物体なん」
「害のある訪問者を排除するための保安装置か、周囲の環境を測定するための測量装置といった感じか」
何のためらいもなくランディオは泉の方へ進んでいく。
「博士、そんなに近づいて大丈夫なんですか?」
らせん状に変形したかと思うと、階段状の長方形に代わり、続いて小さな正方形の群体、球体の群体が環状に。攻撃性は見られない。
「もし攻撃してきているなら我々はとっくに攻撃されている。そんな無差別な保安装置があるか」
「そうはいっても博士!」
ランディオ、ネフィの制止は聞く耳持たず。
「アンストローナはここで待機」
「イエッサー」
『対象が目的地に到着。各員は空域と地上の安全を引き続き確保せよ』
ランディオの声は明らかに高揚し、恐怖よりも知的探求心が勝っていた。これがネフィにとっての恐怖であった。彼の好奇心は留まることを知らない。
「ちょっと博士、いいんですか、アンストローナ置いちゃって?」
「新たな謎が待っている。さあ行くぞ、アラムト」
「ここが化け物の封印地とかだったらどうするんですか」
「それはそれで面白い話じゃないか」
泉には道がさらに水の中へと続いていた。
護衛部隊にここで待機するよう命じ、ランディオはアラムトとともに水中へ続く道を歩いていく。
頭上では泉の水面が微かに揺らいでいる。水中なのに重苦しさを感じす、不思議と足取りも軽い。水の、水としての抵抗がなかった。
「思った通り呼吸ができる。雑音もなく、居心地のいい場所だ」
「博士、ほんとここ何なんですかね? さっきから小さい泡がどこからともなく現れては消えていってますし」
「何言っているんだアラムト、それを調べるのが我々の仕事だろう」
「……はい、その通りです」
深くなるにつれて、辺りは暗くなり、何かの紋章のような図柄や星図、記号のような図形が白い光とともに左右に浮き上がる。それらはまるで夜空に瞬く星のようだ。
「全て古代ジェルズ語ではないですね」
「そうだな。古代アバンクス語に近そうな感じだ。ただ、あの印だけは分かる」
「あれは、確か」
「〈エンディス〉を表す紋章だ」
「エンディス……なぜこんなところにエンディスの紋章が」
最下層にたどり着くと二人の目の前には群青色の四角い枠、透明の扉が現れた。
ゆっくりと扉は開き、二人は惹かれるままに足を踏み入れた。
星雲のごとき閃光が左右に流れ、足元は水紋のように波が起きる。
‐ようこそ、知の訪問者ランディオ・ブディトロ様、ネフィ・アラムト様。私はここ、〈追憶の園〉の管理者を任されております、クゥスランと申します。ご用件を伺います。
二人の脳内に響き渡る謎の声。女性のようだが、少しばかり男性のようにも聞こえる。
「博士! 声が、声が聞こえる!」
「アラムト君、静かに。ここは生きている天の遺産だ。さっそく質問を……」
「どうして私達の名前を知っているんですか?」
ネフィは最初の質問を取られたランディオの何とも言えない苦悶の表情に気づくことはなかった。
‐それにつきましては、お二人がここに来るまでに記憶の収集、解析を行いました。入口からの道のりが記憶の収集と解析の過程となっております。
「ここは何の目的で、何者によって作られたのか?」
‐ここ追憶の園は過去を遡るための記憶保管庫です。あなた方、ヴェルシタス帝国が天の遺産と呼んでいる構造物の創造主にして、その存在を世界より抹消されてしまった〈ミュザミスの民〉により作られました。
「ミュザミスの民について知りたい」
‐記憶を再生します。
周りの景色が突然、変わる。
翼の生えた人種ジェルズ族、近くにいるのはヴェルシタス人と大差がないように見える人間種族。表情は穏やかでジェルズ族とともに新たな森を育てているようだ。
‐ミュザミスの民はもうこの世に存在しない星、ミュザミスに起源を持つ高等知性生命種族です。彼らは宇宙を統べ、別宇宙、つまりは別世界に干渉する技術も持っていました。ここで補足しておきますと、あなた方、ヴェルシタス帝国が考える古代ジェルズ族はミュザミスの民が生み出し隷属種であり、一部の者達は天の遺産に関する知識と技術を持っていました。
「彼らがミュザミスの民なんだな」
‐ミュザミスの民はやがて生活の場を物的世界から精神的世界へと移していきました。お二人の知識でいえば住んでいる宇宙とは全く異なる法則、真理を持つ宇宙、すなわち別インペリオームでもさらに異質のインペリオーム……外界の〈ザイフ〉へと進出していきました。
「ねえ、クゥスラン、精神的世界ってどういう意味?」
‐基本的な宇宙、つまり、だいたいの世界は大枠の概念として物理インペリオームに含まれます。既に多数のインペリオームに進出しているヴェルシタス帝国のお二人ならばお分かりになるとは思いますが、物理インペリオームの中でも確かに宇宙には差異はあります。一見、常識外れに見えても、それらは各宇宙がドメイン・レベルとしての、各宇宙における科学思考で許容できる範囲に収まります。
しかし、精神インペリオームの宇宙は物質から構成されず、生命体の思考や精神力、心の衝動などで構成され、物質ありきではなく、精神ありきの原則で形作られています。そのため、想像力豊かな者、強靭な精神を持つ者はその想像や夢を文字通り具現化させ、それを世界の常識として固定することも可能となります。
「つまりなんでもアリ?」
‐はい。ザイフでは何もないところから炎や水を生み出すことも、星や太陽を生み出すことも可能です。ただし、それらを維持するには確固たる具体的なイメージ、安定した現実として捉えるための強い精神力が求められます。
「ミュザミスの民はなぜ滅んだのか」
‐非常に長い話となりますが、結論から述べた場合、エンディスが現実に現れたためです。
「エンディスとは何者なのか?」
‐簡潔に説明するため、以下の一節を〈ユファウの書〉から抜粋します。
深淵にして天頂。幻想にして実存。
理想にして現実。永劫にして刹那。
無限にして虚空。過去にして未来。
それは全能の訪問者。それは万物の観測者。
普遍にして特異。内にして外。
可視にして不可視。個にして世界。
象徴にして抽象。門にして鍵。
それは狭間の冒険者。それは境界の探究者。
記憶にして心象。混沌にして秩序。
不条理にして道理。光にして闇。
不変にして可変。自己にして他者。
それは原初の体現者。それは終焉の統括者。
その名を尊び、その名を恐れよ。
来る創世。来る終末。
生の歓喜を。死の絶望を。
その名を耳にするなかれ。
それは永遠の放浪者。それは孤高の裁定者。
その名を口にするなかれ。
全ての始まりにして全ての果て。
エンディス。
「博士、これって」
「ああ、似たような一節をネピドの塔で」
‐この一節は各地で引用され、残されています。この一節はエンディスを包括的かつ端的に表したものです。ザイフでは炎を無から生み出し自在に操ることができる者は炎の真理を理解した者、炎の真理と呼ばれますが、エンディスは虚無の真理を理解し、真理の果て、虚無の真理となった者を指します。ミュザミスの民にとって、虚無、つまり何もないという認識すらない、究極の無とは全ての始まりであり、全ての世界が行き着く完全な終焉と考えられていました。
目に見えず、認識しなくとも虚無は確かに存在し、逆に存在しないことはすなわち存在することを意味します。そこに境界も限界もなく、空間も時間も、生も死も、個も宇宙も、意識も無意識も関係ありません。
エンディスは存在しないはずの存在であり、存在しないゆえに常に存在するのです。古来よりミュザミスの民はエンディスを畏れ、その存在を認めていましたが、現実として形を取るものではないとも考えていました。
「そういうことか……なんとなく結末が分かってしまったよ」
‐はい。ご想像の通りです。ザイフにてある人物がエンディスとして覚醒したのです。物的インペリオームと精神的インペリオーム間にある矛盾と境界を解消、両立しているのは虚無の真理によるものなのです。エンディスの前ではあらゆる力、想像、言葉、夢、現実が役に立ちませんでした。エンディスは想像の世界から、虚無の世界から、こちら側の世界へ確固たる存在を確立したのです。エンディスに不可能などなく、エンディス無きにして全ての宇宙は存在しません。真理を求めたミュザミスの民は幕を下ろし、残されたジェルズ族と天の遺産が管理者もなく、悠久の時を歩むこととなりました。
「ちなみにエンディスとなった人の名前は?」
長話で少々、退屈していたネフィは率直な疑問を尋ねた。
‐ルクシア・エヴァレーン、そう記憶しております。
「……ルクシア」
「博士?」
クゥスランの回答を聞き、なぜかランディオは思い詰めた表情をしていた。
『博士! すぐにそこから出てきてください!』
突如、アンストローナ兵からの通信、我に返ったランディオ。
「アラムト、ここから脱出だ!」
「なんなんですか! 説明を、博士!」
「知らん! が、急げ!」
二人が状況も分からずに外へ出ると、一帯が煙に包まれており、上空では軌道上に展開していたはずの二隻のゼイナートが崩れ落ちていっているのが見えた。
「博士! 早くこちらへ!」
アンストローナ兵が空へ向けて銃を撃っている。
「あれってまさか、ミアギ」
ネフィは軍の総攻撃をものともしない、帝国にとって恐るべき存在、ミアギをその目で捉えた。




