第8話 彼はや世界は、早百合を女神と言うが、志堂はそれでも人間だと叫ぶ。
早朝の教室にソロリソロリとやってきたのは、
痩身且つ小柄で気弱そうな男子生徒だった。
髪の毛は全体的にもさりもさりしていて、まるで野菜のブロッコリーの様。
全体的に陰気な雰囲気を漂わせている。
まるで背後に幽霊でも連れていそうな少年が背に背負っているのは
やや大きく膨らんだスクールバッグで、
見るからに教科書以外の何かを入れてある。
「誰だ、アイツ。」
「桜川 緑くんだよ。
なんでクラスメートの名前知らないの?」
「知らん。なんか1袋30円のもやしみたいな野郎だな。」
基本的に教室に干渉しないスタンスの志堂は、余程の人気者でもない限り
クラスメートの名前を覚えて居なかった。
名前よりも今日の特売を記憶するスタンス。
主婦道に極振りする志堂にとって、緑のことは特売じゃない日の
洗剤や卵程興味がないのである。
褒められたことでは決してないのだが。
そんな志堂を呆れながら、早百合が目の前の少年の説明を始めた・
「2-B 出席番号15番 桜川 緑くん。
園芸部所属で実家はお花屋さんを営んでる生粋の畑っ子。
お花の栽培〜家庭菜園、はたまた花占いとかも結構詳しいみたいだよ。」
「何だその情報量。もしかしてストーカーか?
このクラスメートウィ○ペディア。」
「いや私は教室で話さない人居ないもん。
というかむしろ園芸部なんで知らないの?
桜川くんが中庭とかの花壇のお手入れしてるの見たことない?」
「知らん。花は食えないからな。」
「女の子の下着は詳しいくせに?」
「だから下着フェチじゃねぇんだよ。」
どうだか、という疑惑の視線が早百合から送られる。
すっかり下着フェチを定着されてしまったことに辟易する志堂。
はぁとつくため息をよそに、緑はキョロキョロと周りを見渡すと、
志堂の机に近づいていった。
「おい、よせ。まだ間に合う。」
出来ればそんな姿は見たくない。
そんなことを志堂は願っていた。
どうせ責めるのであれば、輩のような見た目の人間の方が
よっぽど納得出来るし楽だ。
第一自分はこの弱そうな男にまるで敵対心などないのだ。
この姿を見てしまったら、自分は引き返せなくなる。
そんな志堂の思いとは裏腹に、緑はカバンからの花瓶を取り出した。
見覚えのあるそれである。
「遂に見つけちゃったね。」
冷たい声で早百合は告げた。
緑は慣れた手付きで花瓶を机の上に並べると、
新聞紙にくるまれた菊の花を速やかに入れていく。
犯行現場を覗き、誰が犯人か分かったのに、
早百合は全くうれしくなさそうだ。
きっと早百合もクラスメートの、心優しそうな少年の抱える
闇など見たくなかったのだろう。
最も、志堂に今の早百合の気持ちを察することなど出来ないのだが。
「一体なんのつもりがあってこんなことするんだ。」
志堂は緑と会話をしたことなど記憶になかった。
だからこそ恨まれる覚えなどない。
目の前で狂気と化す少緑が少し怖くなった。
取り敢えず対策は後日考えようか、等と思っていると、
早百合が口を開いた。
「何してるの?
早く止めに行きなさいよ!」
「い、いや。取り敢えず相手は分かったんだから
対策を立ててからでも。」
「うだうだ言うな!
さっさと行ってくる!!
というかいつまで抱きついてるの!?」
がらがっしゃーーーん!!
その破裂音のような音が教室に響くと、緑も慌てたように作業を中断した。
騒音の元は教室後ろに置いてある掃除ロッカー、の前。
爆裂的な勢いで飛び出した志堂が目の前の机を蹴散らし
ド派手に登場したのだ。
「ーーよぅ。」
ヒクヒク。まるで死にかけの虫のように足を痙攣させ、
志堂は引き笑いでなんとかごまかしながら
朝一番のご挨拶をかます。
「ひ、ひやまくん!?」
突然のご本人登場に、緑の声は裏返った。
その表情は驚愕としており、心の中の絶望がハッキリと見える。
そんな風に思うのなら始めからやるんじゃねえよ。
志堂は痛む身体を起こしながら思った。
「まっったく。何してくれてんだお前。」
「あの、その……。」
「あのロッカーから全部見させてもらった。
ライン作業みたいに随分こなれた手付きで
花瓶を置いてたみたいだが。」
「ひ、ひやまくん。その!」
「どうした、言いたいことがあるならハッキリ言ってみろ。」
志堂が精一杯の鋭い眼光で睨むと、緑のは観念したように
顔を真っ青にしながら思いを吐露した。
「ひ、檜山くんが悪いんだよ!
みんな早百合さんのこと尊敬して、崇拝して、好きなのに!
なんでみんなの女神を取っちゃおうとするんだよ!」
「は?」
「この学校にとって早百合さんは女神なんだ。
みんなに明るい笑顔で接して、常にみんなのことを見ている!
でも誰のものにならない。誰からも平等に愛されるべき存在なんだよ!
こんな僕のこともあの娘はみてくれていたんだ!
誰からも評価されず、ただ皆のために苦労して花壇を育てるところを!
そして一言、桜川くん、毎日頑張ってるねって一言言ってくれたんだよ!」
「んで?」
「でもなんで君はAVぶちまけただけで早百合さんと平等に接してるんだ!?
あんな表情の早百合さん、誰も知らないよ!
あんな本気の早百合さん見ちゃったら、
今までの笑顔が作りものだって分かるんだよ!
君は女神を人間に変えようとしてるんだ!!」
志堂は思わずロッカーを見た。
崇拝、それは重すぎる愛だった。
教室や学校に大して興味のない志堂は、
早百合のざっくりとした存在しか知らない。
しかしこれは志堂が思っているよりも重篤らしい。
あの早百合は志堂に言った。人間なんて多面的な生き物だと。
女の子がトイレしない生き物だと思ってるでしょうと。
まるで女神。特別だから。神聖視され。崇拝され。
あの才色兼備の暴力女は
そんな思いを早百合はずっと抱かれていたのだ。
「クソ喰らえだな。」
反吐が出る。気持ち悪い。
「え?」
「お前はアイツがトイレしないヤツだと思ってるのか?
女神なんてもん、居るわけねぇだろ。
アイツは、特別じゃないただの人間だよ!
どうしようもないぐらい友達思いで、
どうしようもないぐらい真っ直ぐで、どうしようもないぐらい
周りが見えてない暴力女だバカヤロー!」
「違う! あの娘は女神なんだ!」
「そもそも自分が本音でアイツにぶつかれないくせに
理想で固められたアイツしか見えてないくせに
ホンモノのアイツに辿り着けるわけねぇだろうがバーカ。」
「それは!」
「それにお前らが認めなくても俺が認める、アイツは女神じゃねぇ。
アイツは狭間 早百合だ。」
そうして志堂は緑から花瓶を奪い取った。
重さとしては鈍器にもなりうる。緑もそれは分かっているだろう。
しかし志堂は振りかぶらなかった。中に生けてある菊の花を
緑に渡したのだった。
「それで、お前も人間だ。
俺が認める。花壇だって見てやる。そして褒めてやる。
だからあのバカのことでお前の培った大事なもんを使うな。」
泣き崩れる緑に背を向けると
志堂は真っ直ぐ掃除ロッカーに向かっていった。
「おい、バカ女神。
後はお前の仕事だからな。」
「……バカは余計よ。下着フェチ。」
ロッカーから出てきた早百合の目は、少しだけ赤く見えた。
志堂は教室をそっと離れる。
その後ろでは、流石にキモいわーーという叫び声に鈍い打撃音、
そして絶叫する男子生徒の声が聞こえてきた。