焦りと不安と決意と
トントントントントントン……と足で床を規則正しく叩く音が部屋に響く。腕を組んで深くソファに座り、仏頂面をして考え込む私。扉の近くに立っていたムルクリタと目が合えば、すぐさま視線を逸らされた。その様子に、何とか感情を抑え込まなければと思うけれど残念ながら上手くいかず、つい顔を顰めてしまった。
その理由は明確。それは、ソルユアと会ってから二週間が経ってしまったというのに、レティーナから一向に連絡が来ないからだ。
あと数日で、恐らくソルユアは分岐点にさしかかる。ソルユアを必ず救ってみせると豪語していたのに、私は何をやっているんだ。きっとレティーナならと信じ、待ち続けていたけれど流石にもうこれ以上は待てない。
あと数日でソルユアは家を追い出されてしまうのだ。あの優しそうなソレイユがそんなことをするだなんて信じられないが、ソレイユは実際にソルユアのことを怖がっていた。十分にあり得る。
でも、私はどうすれば良い?良い案が思い浮かばず、レティーナからの連絡もない。日々いたずらに過ぎていくだけで何も成せていない。
しかも、この二週間私は魔研でも使い物にならなかった。常にソルユアのことが頭にあり、人と話していても右から左に流れていく。ぼーっとしていることが多くて話しかけられても気が付かない。
ビーヴィンやフォーヴィン、マジヴィンに顔を出したりしたものの、結局何も手につかず、邪魔だからと追い出されてしまった。
研究室で本を読んでいても頭に入ってこないし、本当に役立たずだ。
しかも、刻一刻とタイムリミットが近付いているのに一向に変わらない状況に焦って苛立ち、ちょっとしたことにもむかつくようになっている。そのせいで、専属護衛の三人の間には緊迫した雰囲気が常に漂っていて、かなり気力を消耗させていると思う。
焦るな、苛立つな、落ち着け、冷静になれ。
今まで何度もそう言い聞かせてみても、私には全く効果がなく、むしろ悪化しているのではという具合だった。
ちらりと時計を見ると、あと一時間ほどで家に帰る時間になっていて私は大きくため息をついた。
また、今日も一日何もせずに終わってしまった。このままでは、ソルユアと一緒に自分もバッドエンドへ向かいそうで怖い。魔研に入ったくせに何もしないでただぼーっとしているだけの役立たず令嬢だ、なんて噂が立っていたらどうしよう。
私はぼふりと勢いよくソファの背もたれに身を沈め、真っ白な天井を見上げた。
もうこうなったらうだうだ考えていられない。もし今日家に帰ってもレティーナからの連絡がなかったら、明日ソルユアの家に突撃しよう。そして無理矢理ソルユアとソレイユが話す機会を設けよう。もうそれしかない。
そう考えた私はそこでライアンたちを見て、
「明日はここに来ない可能性の方が高いから、もしいつもの時間に私が姿を現さなかったら各自で過ごしてね」
と伝えた。すると三人は揃ってはいと返事をし、それから思い切ったようにライアンが口を開いた。
「……あの、一つよろしいでしょうか」
窺うような視線に首を傾げつつ、何?と聞くと。
「ここしばらく、ルナディール様の様子がおかしいようでしたので。何かあったのではと……差し出がましいかもしれませんが、私どもでお力になれることがありましたら、遠慮せずおっしゃって下さい」
と言葉を発した。その言葉に驚き、私は目を軽く見開く。
「お、俺もそう思っています!ルナディール様は、俺みたいな駄目駄目な者でも専属護衛から外す気はないとおっしゃってくれました。ルナディール様がフェンリルの契約者となって以降、まともに話す機会がなく伝えられていませんでしたが……俺は、何があっても全力でルナディール様をお守りしたいと思っています!」
「もちろん私もです。私とムルクリタのような下っ端では頼りないかもしれませんが、もっと強くなれるよう精進いたします」
ライアンに続き、ムルクリタとトヴェリアも真っ直ぐ私を見つめてそう口にする。私はそれに驚いて、何も言葉が発せなかった。
「……ルナディール様。私たちは貴女様の専属護衛です。私たちに気を遣わず、何でもおっしゃっていただいて良いのですよ」
優しく微笑んでそう告げるライアンに、私は嬉しさが込み上げてきて視界がぼやけた。
こんな、会ったばかりで三人からの好感度が上がるようなことは何もしていないはずなのに、それでもこうやって気にかけてくれることがとても嬉しかった。
不機嫌な私のせいで常に休まらない時間を過ごしているだろうに、そんな風に言われたらとても申し訳なくて泣きそうになった。
優しすぎる三人に、やっぱり私の専属護衛はこの人たちで良かったなと心の底から思った。
「……ありがとう、みんな」
にこりと笑うと、三人も優しく笑いかけてくれた。その笑みに、今まで心の中を渦巻いていた焦りや苛立ちが和らいでいくのを感じて、私はそっと胸に手を当てて深呼吸をした。目を閉じて数回深呼吸をすれば穏やかな気持ちになれ、私は再び三人に笑顔を向ける。
「お陰で少し楽になったわ。今までごめんなさいね、あれから絡みづらかったでしょう?とても重要な問題にぶつかっていて、それがあまりにも進展しないから焦って苛ついていたの」
私の白状に、そうだったんですね、と頷くライアン。その優しい瞳に、私は胸が温かくなった。
「ねぇ、久しぶりに四人でお茶しない?ここなら紅茶もお菓子もあるし」
今までの謝罪の意味も込めてそう笑うと、三人は互いに目を合わせて嬉しそうに笑った。
「では、私は紅茶をご用意いたしますね」
「では私はお菓子を。クッキーでよろしいでしょうか」
「ええ。お願い」
私の誘いに、ライアンとトヴェリアはすぐさま動き出してお茶の準備を始めた。その素早い行動に、なんて出来る人なんだと感心する。
一方、一人残されておろおろとしているムルクリタを見ると、彼はぎこちない笑みを浮かべて所在なげにしていた。その様子がおかしく、少し親近感も湧いた私は笑いながらポンポンと自分の隣を軽く手で叩いた。
「ムルクリタも座って、一緒に準備が出来るまで待とう?」
私に声をかけられたムルクリタは目を大きく開け、それからゆっくりと私の側に来て静かに腰を下ろした。背筋がピンと伸びていていかにも緊張しています、という雰囲気にまたもクスッと笑みが溢れる。
目の前でお茶の準備が進められていく中、私はふと先ほどの言葉を思い出して隣に座るムルクリタの方を見た。
「ねぇ、ムルクリタ。ちょっと聞きたいんだけど、さっき言ってた、俺みたいな駄目駄目な者でもって、どういう意味?」
こてりと首を傾げてそう尋ねると、ムルクリタはビクリと身体を反応させてゆっくりとこちらを見た。それからおろおろと視線を彷徨わせ、しまいには俯いて、それは……と口籠もる。
もしかして言いたくないことだったのかな、と少し申し訳なく思っていると、ぽつりぽつりとムルクリタが話し出したので、私は黙ってムルクリタの言葉を聞いた。
「……俺、ルナディール様に会ったときから失敗ばっかりしているじゃないですか。ルナディール様を危険な目に遭わせたのに庇ってもらって、俺が空腹に耐えられなかったときも庇ってもらって、何度か失礼なことを言ったのに許してもらって。それなのに俺、全然ルナディール様の役に立てていません。ライアン様は強くて気が利くし、素晴らしい騎士です。トヴェリアは空気を読むことに長けていて、俺みたいな馬鹿な失敗はしません。俺はたまたま運良くルナディール様の専属護衛に選ばれただけで、俺より専属護衛にふさわしい人は他にもたくさんいます。だから、選ばれた以上は頑張ろうと思っているんですけど、俺、すぐ変なこと口走っちゃうし色々やらかしてばっかりで……でも俺、ルナディール様の役に立ちたいとは本気で思っているんです!こんな駄目駄目な俺を専属護衛から外さないでくれている、女神のように慈悲深いルナディール様のお役に立ちたいんです……」
小さな声で、そう紡がれる言葉。小さく震える手に心がズキリと痛んで、私は咄嗟に手を伸ばしてムルクリタの手の上に自分の手を重ねた。
両手で包み込むようにムルクリタの手を握ると、ムルクリタはビクリと身体を縮こませて揺れる瞳で私を見つめた。
「ありがとう、そう思ってくれて。ムルクリタの、役に立ちたいって想いはちゃんと届いているよ」
私が優しく微笑みながらそう言うと、ムルクリタの悲しそうな瞳と目が合った。
「それにムルクリタは、きっと自分が思っているほど駄目駄目なんかじゃないよ。そりゃあ、周りの人と比べて落ち込んじゃうことだってあるかもしれないけれど……でも、それを言ったら私だって同じだよ?毎日毎日、どうして自分はこうなんだろーって落ち込むもの。思ったことが口に出ちゃうし、気が付いたら暴走してて周りに迷惑をかけまくっている。ほんと、駄目な令嬢だよね」
あはは、と苦笑するとムルクリタは、そんなことないです!とすぐに否定してくれた。そのことが嬉しくて、ありがとうと笑みを浮かべる。
「確かに、ムルクリタを専属護衛に選んだのはたまたまだったかもしれない。もしムルクリタに会う前、もっと素敵な騎士に出会っていたらその人を専属護衛にしていた可能性だってある」
私が素直にそう言うと、ムルクリタはやっぱり……と目を伏せた。しかし私が、でもね、と言葉を発すと、ムルクリタは不思議そうに私の顔を見た。
「それを言ったら、ライアンとトヴェリアだって同じだよ?たまたま私と言葉を交わす機会があって、私が二人のことを認識したから今がある。人間、関わる機会を得るのはだいたい偶然なんじゃないかな。そんな偶然な出会いの中で、私に専属護衛になって欲しいなって思わせたのはムルクリタだよ。だから、もっと自信を持って良いと私は思うな」
「ルナディール様……」
にこりと笑ってムルクリタを見つめると、ムルクリタは目を潤ませて私の名前を呼んだ。じっと見つめるその潤んだ瞳に、どことなく子犬が連想されて私はつい可愛いなと思ってしまった。
温かく、ほんわかとした雰囲気が私とムルクリタの間に漂っていると。不意に、コトリ、と少し音を立ててティーカップを置く音が聞こえて、私はムルクリタから目を離した。するとライアンがにこやかに微笑みながら、
「ルナディール様、お茶の準備が整いました」
と言って私を見ていた。その言葉にテーブルの上を見ると、そこには美味しそうなクッキーと紅茶が置かれていて私の心はぴょんと軽く跳ねた。トヴェリアも向かいのソファに座って静かにこちらをじっと見つめていて、準備は完璧ですよと言っているようだった。
「ありがとう、二人とも。それじゃあ食べよっか!」
ムルクリタから手を離し、パチンと手を合わせてそう言うと、そうですねとライアンも頷いて私の正面に座った。こういう時、いつもはライアンが隣にいるため、目の前にライアンが座るという光景が少し新鮮に感じた。
「いただきまーす」
早速ライアンが淹れてくれた紅茶を飲み、私はその美味しさに一気に顔が綻んだ。思えば、ここしばらくはソルユアのことを考えていて、こんな風にゆっくりお茶をするのは久しぶりだった。
「あぁ、なんかこのほのぼのとした感じ安心するわね」
クッキーを食べつつぽつりとそう溢すと、ライアンは苦笑した。
「ルナディール様、最近は常に難しいお顔をされていましたからね」
「あはは……まぁ、ちょっとね。でも、明日になればこの状況は変わるから……失敗は許されないし、上手くやらなくちゃ」
ソルユアの生死がかかっていることを考え、私はもう一度そう自分を奮い立たせた。
明日、突撃してもソルユアが話を聞いてくれるかは分からない。ソレイユだって、急に来られて迷惑かもしれない。特にソレイユは結婚の準備もあるだろうし、何より物語通りならソルユアを陥れるための準備もしていて忙しいに違いない。
でも、そこを何とかして二人の会話の場を設け、ソルユアの想いをソレイユに届けなければならないのだ。重大な役目で、失敗は許されない。失敗したらソルユアはバッドエンド行きだ。そんなこと、絶対にさせてたまるもんですか。
何があっても、絶対に私がソルユアを助けてみせる!と意気込んでバリッとクッキーを噛むと、困ったように笑っているライアンと目が合い、こてりと首を傾げる。
「どうかしたの?」
私が尋ねると、ライアンは、いえ、とだけ言って紅茶を一口飲んだ。ゆっくりと紅茶を口に含む姿は様になっていて、本当に見目麗しい騎士様だと思わざるを得ない。
こんな隠れイケメンがまだいたなんて、とんでもない発見である。もしかしたらライアンは、今後物語が展開していくにあたって新たに登場するキャラだったのかもしれない。そうでなければ説明が出来ない程の完璧人間である。
騎士で、強くて、見た目も良い。更には気遣いも出来る。紅茶も淹れられて優しい。もし作品に登場するなら、やっぱり主人公の攻略対象としてだろうか。ソルユアとだったらなんだかんだお似合いカップルになりそう。
いやでも、主人公ルートのルナディールの方とくっつくパターンもあるのか。それはそれで良いカップルなのでは?尊すぎる!
破天荒で天真爛漫、純粋無垢のルナディールと優しくて強い騎士のライアン……あぁ、良い!推せる!
一人、ライアンを見ながらにまにまと妄想に耽っていると、ライアンは不思議そうに、私に何か?と首を傾げた。その言葉にハッとし、私は恥ずかしさで少し顔を赤くしながら小さく首を振った。
「あ、いえ……その、本当にライアンは素敵な騎士だなぁと……」
私の言葉に、驚いた顔をしたライアンはまた困ったように笑った。そして、
「いえ、私は騎士としてまだ未熟ですよ。カリフストラ様の方がよっぽど素晴らしい騎士です」
と謙遜した。今度は私が驚いた顔をし、そんな馬鹿な!とふるふると頭を振る。
「カリフストラ様は確かに化け物……いえ、強いのかもしれないけれど、性格はライアンの方がよっぽど騎士だと思うわ。カリフストラ様は何というか……押しが強くて苦手だもの。あと、なんか合わない気がしてならない。良い人なのは分かるんだけど……」
むむ、と考えながらそう呟くと、ムルクリタは小さくあぁと溢して、
「そう言えば模擬戦をした時も言い争っていた気がする……」
と小さく呟くのが聞こえた。その言葉に、私の醜態を晒した事件を思い出し、私は一気に顔が赤くなった。
「あ、あれは……ほんと、みっともない姿を……子どもみたいに騒いでごめん。騎士団の皆にもなんて我が儘な令嬢なんだって思われたに違いないわ」
「へっ?あ、やば、声に漏れてた!?」
私の謝罪にムルクリタは慌てたようにティーカップを置いてあわあわと手を振った。
「そんな感じで言ったんじゃないです!というか、あれ、俺にとっては嬉しかったというか……そ、それに、きっとあの一件でルナディール様は侮れない方なんだって騎士団の中で噂になってましたから!大丈夫ですよっ!」
そして、そんなフォローをしてくれさらに私は落ち込んだ。
侮れない方だって言っていたとムルクリタは言ってくれたが、きっとそれは良い意味ではないだろう。だって、あの場でぎゃんぎゃん騒いでカリフストラに言い返したのだ。あれで良い印象がつく訳がない。
きっと、騎士団長にも平気で意見を言える強気で厄介な我が儘令嬢だとでも思われたに違いない。これは今後、騎士団員とすれ違う度に気まずい思いをするだろうな。
というか、そんな厄介な人の護衛になってしまった三人にも風評被害がいっていないか心配になる。もし陰で、厄介令嬢の護衛になったやつらだ、なんて言われてたら泣くよ。
「……これからはもっと頑張るね。皆に迷惑をかけないよう、立派な令嬢になれるよう努力する」
決意を込めてそう宣言して三人の顔を見れば、ライアンは困ったように笑い、ムルクリタはきょとんとし、トヴェリアは小さく笑みを浮かべて紅茶を飲んでいた。
三人それぞれの異なった反応が少し気になったけれど、私は特に話題にせずクッキーをもう一枚口に入れた。
とにかく、私が今一番考えなきゃならないのはソルユアのことなのだ。立派な令嬢になる特訓は、もう少しあとからにしても良いだろう。
専属護衛とのわだかまりも少し解消出来たのではないでしょうか。お次はついにニュイランド姉妹とルナディールが顔を合わせてお話します。




