ダハムの襲来
フェンリルのお世話をするということで、皆で魔研裏にあるグラウンドまでやってきた。お世話中にまたフェンリルが暴れては困るから、と一応外で餌やりやブラッシングをするのだ。
因みに、今までフェンリルのお世話をしようと試みた人はもれなくタックルを食らい、中には気絶してしまった人もいたみたいだ。本当に恐ろしい威力である。
「まずは、身体を流すところから始めよっか」
グラウンド脇にある水飲み場の近くでしゃがみ込み、石けんやタオルなんかを取り出しながら話すヘルマン。蛇口は前世の公園なんかでよく見かけるようなやつで、なんとも懐かしくなった。
「それじゃあルナディールさん、水出して下さい」
ヘルマンに言われ、キュッと蛇口を捻ると勢いよく水が飛び出してきて、地面に跳ねた水が靴に思いっきりかかり、私は慌てて飛び退いた。
公園でもよくやったな、と小さく笑いながら濡れてしまった靴を見下ろす。
「あらら、水がかかっちゃったね。大丈夫?」
こてりと首を傾げるヴィントに、大丈夫ですよと笑う。幸いすぐに飛び退いたお陰で少ししか濡れなかったのでセーフだ。こんなのすぐに乾く。
フェンリルは飛び出てくる水飛沫から逃げるように私の後ろに行き、ゆっくりと寝そべった。
「それにしても、本当にその子はルナディールさんが気に入ったんだね。ずっとくっ付いているや」
はい、どうぞ、と私を見上げながらヘルマンが石けんを渡してきたので、ありがとうございますと言って受け取る。そして私もしゃがんで、側にいたフェンリルを撫でながら、
「こんな可愛い子に懐かれるだなんて嬉しすぎますね」
と答える。私が撫でてあげると、瞑っていた目を一度ゆっくり開き、クゥンと一鳴きしてから気持ちよさそうにまた目を瞑った。本当に可愛らしい。
「ルナディールちゃんの魅力には、フェンリルも敵わなかったみたいだね。すっかり君の虜だ」
クスクスと楽しそうに笑うヴィントにつられて、私も笑みを浮かべると。
「それじゃ、始めよっか。寛いでいるこの子には悪いけど、ちゃんと身体も綺麗にしなきゃだからね」
ヘルマンがゆっくりと立ち上がったので、私も優しくフェンリルを抱き上げて、蛇口の側まで行く。フェンリルは持ち上げられたことに驚いていたけれど、素直に抱かれてくれていたので助かった。ここで変に暴れられたら、絶対に落としてしまう自信があった。
「直接お水をかけて良いんですか?」
フェンリルに変にストレスを与えないよう手短に済ますため、ヘルマンにやり方を聞くと。
「そうだね、それで大丈夫だと思うよ。最初に水で身体を濡らして、石けんを泡立てる。ある程度泡まみれになったら水で流して、最後はタオルで優しく拭く。水気がなくなったら完了かな。ブラッシングしてあげると、さらに可愛くなると思うよ」
にこりと微笑みながら教えてくれたので、私はこくりと一つ頷き、ゆっくりと腰を下ろした。
水の出が良いせいでピチャピチャと飛び跳ねる水がかかり、靴と服が少し濡れる。
「これからお水で身体を流すけれど、大人しくしていてね。あなたをもっと可愛くしてあげるから」
水の勢いを少しだけ弱め、当たっても痛くないように調節してからそっとフェンリルを下ろす。一応脱走しないように軽く押さえながら、ゆっくりと水へ移動させると。
フェンリルは不思議そうに前足でちょいちょいと水を突っついた後、ゆっくりと私の方を見上げた。そして、また水の方を向いて、私の方を向く。こてりと首を傾げる仕草が可愛らしくて、つい頬が緩んでしまう。
「怖くないよ。最初はゆっくりで良いからね。お水冷たいし」
そこで私はフェンリルから手を離し、そっと両手で水をすくい上げた。そして、ゆっくりと前足にかけてみる。
私の手の動きをじっと見ていたフェンリルは、自分の足に水がかかると、驚いてビクリと一歩下がった。でも、それから不思議そうに首を傾げ、またちょいちょいと水をつつき始める。
しばらく水をパンチしてから、無害だと安心したのか、クゥンと私の顔を見て鳴き、自分から水の中に飛び込んだ。
それを確認した私は、すぐさまフェンリルを洗う作業へと入った。
私が石けんで洗っても、水で洗っても大人しくしてくれたお陰で、洗うこと自体はすぐさま終わった。水で濡れて、少しスリムになったフェンリルに笑いながらタオルで身体を拭く。
「お疲れさま。大人しく出来てて偉かったね」
ゴシゴシと優しく拭いていると、
「さすがルナディールさん、とても手際が良くて驚いたよ」
「本当だよ。まさかフェンリルがこんなに大人しく洗わせてくれるなんてね。やっぱりルナディールちゃんはビーヴィンに来るべきだよ」
ヘルマンとヴィントが笑って褒めてくれたので、くすぐったくなり笑顔が溢れる。
「そんな、この子が賢かっただけですよ」
ね?とフェンリルを見つめると。フェンリルはこてりと首を傾げた後、タオルから逃れてブルルルッと身震いした。
「わあっ!」
お陰で水滴が近くにいた私とヘルマン、ヴィントにかかり、三人して濡れてしまった。
フェンリルは身体を洗ってスッキリしたからからか、ご機嫌で私の周りをくるくると回っている。
そんな様子を見ながら、濡れてしまった私たちは顔を合わせて、ぷっと吹き出す。
「あはは、見事にやられちゃったね。ルナディールさん、大丈夫?」
「はい、元々濡れてましたからたいしたことないです」
「いや~、元気だねぇフェンリルは。でも、ルナディールちゃんちょっと濡れすぎじゃない?スカートの裾とか凄いよ?」
ヴィントに言われて裾を見ると、確かに結構濡れてしまっていた。恐らく、しゃがんでフェンリルを洗っていたときに地面にでもついてしまっていたのだろう。スカートは本当に面倒だ。ズボンが恋しい。
「ほんとですね、気付きませんでした」
ま、そのうち乾きますよ、と立ち上がってゆっくり伸びをすると。視界の隅で何かが動いた様な気がして、私は首を傾げてグラウンドの方を見る。
すると、ドダダダダ……ともの凄い音と土煙を上げながら誰かがやってくるのが見え、私は恐怖で顔が引きつってしまった。
だって、グラウンドであんな風に走る人を、私は一人しか知らなかったから。
私は、どうか彼ではありませんように……と神様に祈りながら、そっと一歩後ずさる。しかし、やはり神様は私の願いを聞き入れてはくれなかった。
「ルナディールーーっ!!」
大声でやってくるその人は……私が思っていた通り、ダハムだった。
ズダダダダッともの凄い勢いで私の前に現れたダハムは、初めて会った時と同じタンクトップに短パンの姿だった。逞しい筋肉は、今日も汗で濡れていた。
「ルナディール、ついに我がプラヴィンの領域、グラウンドに来てくれたんだな!俺は嬉しいぞ!さぁ、何をする?魔法の打ち合いか?模擬戦か?剣を交えるか?」
目を輝かせてグイグイと迫るダハムに気後れしながら、私は曖昧に笑う。じりじりとゆっくり後ずさりながら、
「こ、こんにちはダハムさん。その、私は今日ビーヴィンの依頼を受けていまして……」
と断る。しかしダハムはそんなことをたいして気にした様子もなく、
「そうか!だがせっかくグラウンドに来たんだ、何かしらはやっていくだろう?今、ルナディールはどこに所属するかいろんなところに体験に行っていると聞いたからな。早く来ないかと待ちわびていたんだ!」
と大きな声で言いニカッと笑った。その言葉に、あはは……と顔が引きつる。
別に、プラヴィンを見学する予定なんて私にはなかった。プラヴィンは合わないと思ったから、入るとしたらビーヴィンかフォーヴィン、マジヴィンの三択だ。
でも、ここでそんなことを言ったら絶対にダハムの気分を害してしまうだろうし、私がプラヴィンを遠ざけているという噂が広まってしまうかもしれない。……まぁ、事実なのだけど。
しかし最近、悪役令嬢ルートに入りかけているかもしれない私に、これ以上悪い噂が立てられるのは困る。取り返しのつかないことになってしまうのだけは避けたい。
だから、ここはなんとかダハムの気分を害さずに上手く切り抜けたいところなんだけど……
私はそこで、足下で私を見上げて座っているフェンリルを抱き上げ、ダハムにこれ見よがしに見せつける。そしてにっこりと笑い、
「すみませんが私は今、この子のお世話で手一杯なんです。残念ながらダハムさんの相手をしている時間はないんですよ。ね、ヘルマンさん?」
と言い訳をして、ヘルマンに話を振る。急に話を振られたヘルマンは、へ?と呆けた顔をしたけれど、ダハムがヘルマンを見ると、あぁそうだね、と話を合わせてくれた。
「ダハムさん、悪いけどルナディールさんは今、フェンリルのお世話っていう大事な依頼中なんです。だから、今連れて行かれるのは困ります」
すみません、と申し訳なさそうに謝るヘルマンに苦い顔をした後、また私を見つめたダハム。
「だが、今は暇そうにしていただろう?せっかくここで会えたのに、何も見せられないのは困る。お前にはまだ俺の実力を見せてはいないのだからな」
粘るダハムに困った顔をしながら、ゆっくりとフェンリルを地面に下ろす。
「そう言われましても……」
どうやったらダハムから逃げられるだろうか、と考えていると。
「よし、分かったぞ!」
急にダハムが大きな声を出し、嫌な予感がした私は身構える。しかし、その身構えも意味がなく、私は強引にダハムに腕を取られ、
「少しの間だ!俺の特大魔法を見せて終わりにしよう!それならばお前もその犬の世話が出来るだろう」
とグラウンドまでズルズルと引きづられてしまう。
「ちょ、ダハムさん!?待って、痛い痛い!」
鍛えられたダハムの腕は、私の腕の何倍も太い。ん?と不思議そうな顔をした後、ガハハと笑い、すまなかったなと謝るダハム。きっと、本人的には力を弱くしたのだろう。しかし、私には大して緩められたようには感じなかった。やはりダハムは馬鹿力だ。
助けを求めるように呆然と残る三人を見つめれば、ハッとしたようにライアンが動き、私の側までやってくる。
「すみませんが、ルナディール様の腕をお離し下さい!」
声をかけられたダハムはライアンの方を見た後、こてりと首を傾げ、
「お前は誰だ?」
と尋ねる。ライアンは手短かに名乗り、再び私を解放するよう要求する。
「なんだ、魔法研究所にまで護衛を付けているのか?強いお前ならばそんなもの要らないだろうに」
ダハムの言葉に、またライアンが気を悪くしないだろうかとこっそり伺うと、ライアンはやっぱり顔を顰めていた。これは、さっきのやり取りがまた始まってしまうかもしれない。
私はライアンとの言い合いを思い出して顔を顰め、ダハムをぐいと身体で引いて注意を引いた。全体重を後ろに乗せたことで、ダハムも気が付いたみたいだ。どうした?と立ち止まってくれた。
「特大魔法、ここら辺まで来れば打てるのではないでしょうか。ダハムさんの魔法には興味がありますから、早く見せて下さいませ」
にこりと笑って急かせば、ニカッと太陽のように笑うダハムは、じゃあ見ていろ!とおもむろに両手を前に突き出して、何やらぶつぶつと呪文を唱え始めた。
私の知らない呪文でよく聞き取れなかったけれど、誰かが特大魔法を放つ瞬間を見るのは初めてだ。ダハムの魔力がどんどん高まっていくのを感じ、私の胸も期待で高鳴る。ダハムから三メートルほど前に現れた、青白く輝く魔法陣を見たときは、感動で声が出なかった。
特大魔法って言うくらいだから、きっともの凄いやつだよね。
呪文を唱えると、こんな風に身体から魔力が溢れ出てくるんだ。
わ、空に浮かび上がる魔法陣なんて初めて見た!
私が興奮していると、ダハムが詠唱を終えたのか、一瞬私の方を向き、
「ではいくぞ、ルナディール!」
と笑う。私もこくりと頷き、じっと魔法陣を見つめる。
ダハムはすぅっと息を吸った後。先ほどとは違い、声を張って高らかに、
『火の精よ、我が命により我が敵を焼き払え!爆炎!』
と言った。すると、ダハムの声に応えるかのように魔法陣が強く輝き、ドカァンッと凄い音を立てて激しい爆発が起こった。爆発によって周囲に強い風が吹き、地面が揺れる。
髪やドレスがバタバタと風に煽られる中、私はもの凄い爆発から目が離せなかった。初めて特大魔法を見た興奮に、言葉が上手く出てこない。
しばらく周囲を熱く照らしていた炎は、しばらくすると無くなり、辺りはシンと静まり返る。誰もが言葉を発せずに、黙っていると。
「どうだ、俺の特大魔法は」
ダハムが不意に発した言葉に我に返り、私はバッと勢いよく振り返る。見るとダハムは、どこから取り出したのか、魔力の回復薬をグビグビと飲んでいるところだった。
「凄かったです!私、特大魔法を使っているところなんて初めて見ました!魔法陣ってあんな風に浮かび上がるものなのですね!なんかもう、ファンタジー感が凄くて興奮しましたっ!!」
ぴょんぴょんと跳ねて絶賛すると、ダハムはガハハと楽しそうに笑い、
「ふぁんたじーかん?とやらは分からないが、お前が楽しそうなら良かった!今度は是非ともルナディールの魔法も見せてくれ」
とパンパンと私の肩を叩く。しかし、私は特大魔法なんて一度も使ったことがないし、呪文も知らないので使えない。私は肩を竦めてふるふると首を振った。
「私も使ってみたいのですが、あいにく特大魔法の呪文は知らないので使えないのです」
私の言葉に、そうなのか?と不思議そうにするダハム。
「それなら、お前が出来る中で一番威力のある魔法で良いぞ。複数の属性を一気に使えるのなら、それでも良い。何か得意な魔法はないのか?」
得意な魔法、と聞かれ、うーんと考え込む私。しかし、いくら考えてみても、ダハムのような凄い魔法を私は使ったことがないので、気後れしてしまう。
私がよく使う魔法といえば、花壇の水やりっていうしょぼいやつだけだ。あんな凄い爆炎を見せられたあとに水やりなんて、恥ずかしすぎる。
うーん、うーんとずっと悩んでいると、流石に痺れを切らしたのか、
「そんなに悩まなくても良いぞ。別に俺みたいに特大魔法を使えと言っている訳ではない。なんなら、初歩の火を出す魔法だけでも良いぞ」
とダハムが急かしてきた。
しかし、ここまで引き延ばしておいてただ火の玉を出すだけじゃ足りない。特大魔法のような威力と迫力が無いなら、せめて見た目だけでも美しいものを……
そこまで考えて、ふと、私が初めて家族にお披露目した全属性の魔法を思い出した。
あの時は咄嗟に出してしまった魔法だけれど、カッコいい義兄と相まって素敵なものになったと思う。だから、今回はそれを意図してやれば、もっと綺麗になるのでは……?
そう、例えば……動物や花びらをイメージして具現化させる、とか。前よりは魔法の扱いにも慣れているはずだし、作ったものを光球みたいに自分の意思で動かすことも出来るはず。水魔法なら水やりで慣れているから、調整も利くと思うし。
そこで私は、ある程度のイメージを固めて、これならきっと大丈夫だろう、と一人頷く。そしてダハムの顔を見上げ、にっこりと笑った。
「魔法のイメージが出来ました。ダハムさんみたいな派手なものではないのですが……私なりの魔法をお見せします」
ダハムから少し離れ、すぅっと息を吸う私。深呼吸をして、心の準備をする。
わくわくとした顔を向ける皆の顔を見回してから、もう一度息を吸う。
「……それでは、いきます」
手のひらに魔力を集中し、目一杯溜めてから……パァンッと透き通った水球を私たちの上空に放った。水球がふわふわと漂う中、私は急いで水でイルカや小さな魚たちの形を作り、水球が漂う空間に放つ。
放たれた魚は私の思うとおりに水球の周りを漂い、ダハムやヴィントの周りをくるくると泳ぐ。イルカは優雅に空を泳ぎ、時折地上すれすれまで降りてきてはライアンやヘルマンの近くを通る。
私の想像通りに動くイルカと魚、そして水球。さながら簡易水族館みたいなものだ。
もちろん、全てを管理しなければならないので、少し大変ではあるけれど。それでも、美しい魔法が見せられたのではないだろうか。
数分目一杯泳がせたあと、私はパッと一瞬で全てを消す。ゆっくり消しても良かったけれど、だんだん透明になって儚く消えていくような演出は、まだ私には難易度が高い。最後に失敗するのは避けたかったので、ひと思いに消してしまった。
ふぅ、と息をつき、皆の顔を見ると。皆は未だ唖然とした様子で、何も話してくれない。
やはりあの大爆発の後では迫力が足りなかったのだろうか、期待に応えられなかったのだろうか、と不安に思いながら、恐る恐る言葉を発す。
「あの……やはり、いまいちでしたか?」
シンと静まり返った空気に、私の声が響くと。ハッとしたように皆は私の方を見て、それから一斉に話し出した。
「ルナディール!お前凄いではないか!ここまで美しい魔法は初めて見たぞ!しかも無詠唱でやってのけるとは……素晴らしい!やはりお前はプラヴィンに来るべきだ!!」
「ルナディールさん凄いよ、僕、あんなに綺麗な魔法初めて見た!あの漂っていた大きな生き物はなんて名前なの?魔獣?小さな生き物の名前は?」
「ルナディールちゃんって本当に天才なんだね。凄いって噂はあったけど、まさかここまでとは思わなかったよ。ルナディールちゃんにふさわしい、美しい綺麗な魔法だったね」
皆が一斉に話したせいで、誰がどんな内容を話したのか上手く聞き取れず、曖昧に笑って誤魔化す。でも、雰囲気的に恐らく褒められているようなので、少し安心した。
ただ、ライアンだけが少し離れたところでじっと私を見つめていたので、とても気になった。ライアンはあまり気に入らなかったのだろうか。もしかしたら水魔法が嫌いだったのかもしれない。
しかし、ライアン以外は皆目を輝かせ、それぞれ興奮したように言葉を発している。
足下ではフェンリルが元気に鳴き、くるくると私の周りを走り回る。
とりあえず、皆の期待を裏切らずにすんで良かった、と、私はホッと息を吐くのだった。
いきなりやってきたダハム襲来イベント笑。ルナディールが魔研で魔法を披露するのは初めてかもしれないですね。次回は素敵なパートナーの誕生です。




