一進一退の距離感
「そういえば、前々から気になっていたんだけど、どうして私のことをルナディール・ロディアーナ様ってフルネームで呼ぶの?長くて呼びづらくない?」
温かい紅茶を飲みながら、目の前にいる二人に聞けば、二人とも顔を合わせ、困ったような顔をする。
「勝手にルナディール様とお呼びするのはどうかと思いましたし、先日声をかけた際にはお義兄さまもいらっしゃいましたから。フルネームを呼んだ方が良いのでは、と」
未だ背筋をピンと伸ばし、紅茶にもお菓子にも手を付けないムルクリタがそう答える。
「あぁ、そういわれてみればそうだったかも。でも、これから長い付き合いになるのだし、ルナディールって名前で呼んで良いわよ」
にこりと二人に微笑めば、二人は目を丸くさせて驚く。トヴェリアも未だに背筋を伸ばしたままで、何も手を付けていない。
ふと隣を見れば、ライアンも紅茶だけは飲んでいるけれど、お菓子には一切手を付けていなかった。
このままでは、美味しすぎるお菓子にあらがえなくて皆の分も全て食べてしまいそうだ。私が食べ切っちゃう前に皆にも食べてもらわなければ。
「この魔法研究所に来てからより一層強く感じましたが、ルナディール様はお優しいですよね」
お菓子の心配をしていたら、ふとライアンがそう言葉を溢したので、私は食べる手を止めてライアンを見つめる。
「優しい?」
何を見てそう思ったんだろう、と首を傾げると。ライアンは柔らかく微笑んで、
「はい。先ほど会った受付の方で、ルナディール様に敬語を使っていない方がいたでしょう?それなのに、貴女様は特に気にした様子もなく接していた。私たちにも敬語は不要だと仰った時は本当に驚きました。普通、ルナディール様のような身分の高いお方に敬語を使わないのは不敬罪で処罰されるのが当然です。王族の皆さまに気に入られているお方なら尚更。それなのに、私たちのような下の身分の者に気を遣い、心を砕いてくださいます。これほどまでにお優しい方は見たことがありません」
と私を賞賛する。
突然ライアンから褒められ、どう反応すれば良いか分からなくなって、つい固まってしまう。
まさかライアンにそんな風に思われていたなんて。過剰評価すぎる。
私なんて、そんなかしこまられるほどの凄い人間じゃない。お父さんやお母さん、義兄なら尊敬に足る人物で不敬罪が適用されるほどの素晴らしい人物だけれど、私は違う。むしろ迷惑ばっかりかけているダメダメ令嬢だ。
私にため口を使おうが、それがどうしたで済まされそうな人間である。むしろ、私は宰相の娘なのだからもっと敬いなさい!なんて言ってしまったらもうそれは完全に悪役令嬢ルートまっしぐらではないか。
「それは言い過ぎよ。私より優しい人なんてゴロゴロいるだろうし、私はそんな大層な人間じゃないわ。それを言うのならば、ライアンの方が優しいと思うわよ」
ライアンの誤解を解くためにそう言えば、私が?と不思議そうに首を傾げるライアン。
その表紙にさらりと髪が流れ、一瞬目が奪われる。本当はどこかの王子様なのではないだろうかと疑ってしまいたくなるほどだ。私よりライアンの方が断然上級貴族っぽい。
「ええ。最初に会った時、わざわざ私のところに声をかけに来てくれたでしょう?馬車に戻ろうとする際には護衛をしてくれたし、私が段差で躓かないよう気を配ってくれた。昨日、私が急にムルクリタたちと試合をするよう頼めば、笑顔で了承してくれたし。さっきだって、敬語は不要だと教えてくれた。私からしたら、ライアンの方が優しい良い人だよ」
にこりと笑えば、驚いたように目を丸くした後。ふっと目を細め、ありがとうございますと柔らかく微笑んだ。
破壊力のある尊い笑みを至近距離で食らってしまった私は、素早く目を逸らして紅茶をごくりと飲む。
やばい、ライアンやっぱり恐ろしい。なんだろう、作品には一切出てこなかったはずなのに主要キャラぐらいカッコよすぎる。オーラがある。
今の笑みはなんだ。全女性を虜にしてしまえるくらいの威力があった。なんかもう隣見れない。変に緊張するし、距離が近すぎるのではと考えずにはいられない。まるで、初めて義兄と会った時のように心臓が音を立てている。
「む、ムルクリタとトヴェリアも固まってないでちゃんと楽しんで!紅茶もお菓子も手をつけていないでしょう」
なんとか心を落ち着けようと、目の前にいる二人に目を向けそう言えば、はいっ!と返事をして慌てて紅茶を飲み出すムルクリタ。手が震えているせいか、ティーカップがカタカタと音を鳴らす。
「熱っ」
口を付けた途端、慌てて紅茶からのけぞったムルクリタ。その慌てた様子がおかしくて、つい吹き出してしまう。
「そんなに慌てなくていいし、緊張しなくてもいいよ」
「は、はいっ」
私の言葉にまた良い返事をして、今度はそっと紅茶を飲む。ちびちびと飲む姿が可愛くて、また笑ってしまう。
「ムルクリタって可愛いわね」
ふふ、と笑うと、俺がっすか!?と大きな声で聞き返し、しまったとばかりに口を噤む。その様子に、今度はトヴェリアも笑いながら、
「そうなんですよ。ムルクリタは可愛いやつなんです」
と頷いた。優雅に紅茶を口にしながらそう溢すトヴェリアを、
「おまっ、からかうなよルナディール様の前でっ!」
とムルクリタは睨む。それを涼しくスルーするトヴェリアは、今度はサクッと一口クッキーを食べ、
「ルナディール様、このクッキーとても美味しいです」
と微笑んだ。明らかに先ほどより場が温かなものへと変化し、私は嬉しくなりくすりと笑う。
最初は緊張して固まっていた二人だけれど、私の目の前でじゃれつけるほどリラックス出来たみたいだ。
私はクッキーを一口囓り、その甘さに頬を緩ませる。
とりあえず、三人とは良い関係が築けそうでとても安心した。
そして、目の前のお菓子が半分ほどなくなった頃。
「ルナディール、いるか?」
ノックも無しにいきなり扉が開き、三人は急いで立ち上がって訪問者を警戒した。じっと見定めるように三人から視線を受け、たじろぐサタン。サタンは私と目が合うと、こいつらは何者だと言葉を発した。
「三人とも、この人が先ほど話したサタンよ。彼はこの部屋に出入り自由だから、警戒しなくても良いわ」
私の言葉に、そうですかと答えつつも未だ警戒モードを解かない三人。本当に信用出来るのだろうかとガン見している。圧が凄い。
私は苦笑しながら、とりあえずサタンに専属護衛の三人を紹介する。
「サタン、この人たちは私の専属護衛で、ライアン、ムルクリタ、トヴェリアよ。これから魔法研究所に来るときはこの人たちと一緒に来るわ」
「専属護衛だと!?」
信じられない、という風に三人を見つめ、顔を顰めるサタン。
「それじゃあ、これからこいつらは常に貴様と一緒ということか?とんでもない足枷を付けてきたな」
その言い草に、ライアンが少しだけ殺気を放つ気配を感じて、私は慌てる。
ライアンは騎士団でも強い方だ。それなのに足枷呼ばわりされたら、不快に感じるに違いない。怒って手が出てしまう前に、ライアンの気を静めなければ。
「えーと、サタン。この三人は皆お城で騎士団として働いているの。特にこのライアンはかなり上のクラスのリーダーで、とても強いわ」
だから足枷宣言は撤回して、と心で願いながらサタンに説明すれば。サタンは、ふんっと鼻で笑った後、
「この俺にかかれば、騎士団だろうと軽くあしらえる。それよりルナディール、貴様は今日何をするのだ?用がないのなら、特別な力を持つ者同士森にでも行ってみないか?この前森に行ったと聞いた。一度行ったことがあるのなら大丈夫だろう」
とまさかのお誘いをしてきた。お陰でライアンの殺気はさっきよりも少し強くなり、私は頭を抱えたくなる。
でも、森に行こうと気軽に言えることからして、サタンも魔獣と戦えるくらいには強いのかもしれない。流石にライアンを軽くあしらえるほど強いとは思えないけれど、腰に提げている立派な剣をある程度は使えるのだろう。
それに、暗黒の覇者と名乗るくらいだから闇魔法だって使えるはずだ。闇魔法は消滅させる系の魔法が多いから、魔獣相手ならビビるほどのものじゃないのかも。
でも今だけは、空気を読んでライアンは強い人なんだなとか言って欲しかった。
「その誘い、とっても魅力的だけど……ついさっき、ビーヴィンの依頼を受けてきたところなの。だから今日はビーヴィンで魔獣のお世話をしてくるんだ、ごめんね。また今度行こう?」
私の言葉に、ビーヴィン?と不思議そうな顔をしたサタン。それから少し考えるような仕草をした後、
「それなら俺は退室するぞ。こんなところじゃゆっくり出来ないだろうからな。俺はいつもの場所にいるから、何かあったら来ると良い。貴様なら大歓迎だ」
それじゃ、依頼頑張れよ、とマントをはためかせ退室したサタン。
サタンが部屋から出て行ったことを確認した三人はゆっくりとソファに座り、ふぅと一息ついた。
「ルナディール様、先ほどの者とはどういうご関係ですか?ルナディール様を貴様呼ばわりするなんて、とんでもない不敬ではありませんか。態度も大きかったですし、あの者がこの部屋に出入り自由だなんて……どうぞお考え直しください」
ライアンは難しい顔をして、ずいと私に迫る。どうやらサタンは、ものすごくライアンに嫌われてしまったみたいだ。これはこの先が思いやられる。
「サタンは、私が始めて魔法研究所でお友達になった人よ。私がこの部屋の出入りを許可したのは、ここが元々サタンの居場所だったから。魔法研究所での居場所を奪ってしまったのだから、ここも自由に使えるようにするのが礼儀ってものでしょう?それに、サタンはああ見えて結構優しいし良い人だから大丈夫よ」
だからそんなに警戒しないでね、と三人に言うと、三人とも微妙な顔をして黙ってしまった。
なんだろう、義兄の時もそうだったけれど、他の人のサタンに対する信頼がなさすぎる。というか、サタンはほとんどの人から嫌われているような気がしてならない。いつも一人だし。
……もしかして、サタンって私が来る前はずっと一人でだったのだろうか。まぁ、キャラがキャラだからとっつきにくいとは思うけれど……話したら面白いのにな。
「ルナディール様は、人を簡単に信用しすぎではないでしょうか?その、お言葉ですが、ルナディール様が悪い人に騙されてしまわないかとても心配です」
真面目な顔でじっと見つめるライアンに耐えられず、ふいっと目を外し紅茶を一口飲む。
別に、私だって人を警戒していないわけじゃない。舞踏会前に行われたマナー講座でも、騙されないようにと散々言われたのでちゃんと警戒心は持っている。
それなのに、義兄は人を簡単に信用しすぎだとか、本当に信用出来るやつか俺が調べてやるだとか言ってくるし、フォスライナも私以外の人とはあまり話さないでくださいって言う。シューベルトも、お前は簡単に騙されそうだって言ってくる。
それに加えてライアンまでも、だ。ほんと、皆、私含め人のことを信用していなさすぎる。私から言わせてもらえば、そっちの方が異常だ。
それとも、やはりこれが貴族の一般常識なのだろうか。だとしたらあまりにも疲れすぎる。最初から疑ってかかれば、良い関係など築けないだろうに。
「ライアンは人を疑いすぎです。お義兄さまもフォスライナさまもシューベルトさまもそう。私だってちゃんと警戒心を持っています。私が心を開くのは、相手がきちんと信頼出来ると思ってからですから心配しないでください。そんな、誰にでもほいほいくっ付いていくようなダメな令嬢ではありません」
むすっと言い返し、気分を変えるためにクッキーを何枚も食べる。
私が不機嫌になったのが伝わったのか、ムルクリタとトヴェリアは静かに成り行きを見守っていた。完全に傍観体勢だ。
「別に私はルナディール様をダメなご令嬢だと言っているわけではなく、ただ心配しているだけなのです」
不機嫌になった私をなだめるように優しく言葉をかけるライアンに、まるで言うことを聞かない子どもを優しく諭すような雰囲気を感じて、私の心はさらに波立つ。
もちろん、本当にライアンが私を心配しているだけで、優しさから言っていると分かっているけれど、それでも今の私は素直に頷けない。
なんだか最近、こういうもやもやとする気持ちが時折飛び出してきて、所構わず相手につっかかろうとしてしまうことが度々起こるようになってきた。
制御が効かなくなり、刺々しい言葉が飛び出しそうになる。
これはもしかしたら、私の心がだんだん黒くなっているのかもしれない。いつの間にか悪役令嬢ルートへ突入していて、誰かに八つ当たりしたくなるのも、すぐ不機嫌になって周りをビクつかせるのも、その前兆なのかもしれない。
だとしたら、私はバッドエンドへ向かっていることになるのだから、なんとかして心を制御出来るようにならなければいけない。
もやもやを爆発させないように。ちゃんと手綱を握っていなければ。
無心にお菓子を食べていたら、いつの間にかお皿は空になってしまっていた。どうやら残り半分、全て私が平らげてしまったみたいだ。
お菓子を食べ終え、仕方なく紅茶を飲んでいると。ムルクリタと目が合い、すぐさま目を逸らされた。その姿にまた胸がざわつき、なんですか?と尋ねると。
い、いえ……と発した後、恐る恐る私の目を見て、目をきょどらせて小さく呟いた。
「怖いな、と……」
声が掠れていたけれど、静かな部屋にはちゃんと響いていて。ムルクリタの言葉に、一気に部屋の空気が張り詰め、また当初のような緊張した空気が漂ってしまった。
せっかくお茶会で場が和んだと思ったのに、またこの空気に戻ってしまった。本当に一瞬だ。またスタートに逆戻り。すごろくでゴール直前まで行ったのに、ふりだしに戻された気分だ。
またここからか、という思いについ長くため息が出る。
紅茶を飲み干し、コトリとテーブルに置くと、ムルクリタの身体がピクリと動いた。そのデジャヴ感に顔を顰めながら、
「別に怒っていません。ただ、私が皆さんが思うような優しいご令嬢ではなかったというだけではないですか?」
とつい刺々しい言葉を放ってしまう。このままじゃ本当にバッドエンドへ行きそうだ。
私はどこからか、道を踏み外してしまったのかもしれない。
お茶会の最後が芳しくなかったことにまた一つため息をつきながら、ゆっくりと立ち上がる。
もうこの暗い雰囲気の部屋からは早く逃げて、ビーヴィンへ行こう。いろんな魔獣を見て癒やされよう。そうしたら心の余裕も出来て、また楽しく皆と話せるようになるかもしれない。私の特技は忘れることなのだから。
「私はもうビーヴィンへ行きます。ムルクリタとトヴェリアはこの部屋で留守番をお願いします。くれぐれも扉の前で護衛をしないように。他の人の目につくと厄介ですから」
結局そんなキツい言い方しか出来ず、そんな自分に腹が立つ。ほんと、嫌われ令嬢もいいとこだ。これじゃ怯えさせてしまうだけなのに。
私の言葉に、はいと声を揃えて返事をしたムルクリタとトヴェリア。ライアンは静かに立ち、私の後ろに控えた。
私は重苦しい空気が漂う部屋を後にし、ビーヴィンへと向かった。
ビーヴィンへと向かう間は互いに一言も発さず、早くビーヴィンに着いて欲しいと願わずにはいられなかった。
なかなか思い通りに縮められない距離。ルナディールもついイライラしてしまいます。次回はムルクリタ目線のお話です。




