魔法研究所 前編
ついに、この日がやってきた!!
私は手をぎゅっと握りしめて、キッと前を見据える。
「ルナディール、くれぐれも気を付けて行くのですよ。アリステラに迷惑をかけず、きちんと立派なご令嬢らしく振舞うのです。分かりましたか?」
「もちろんですわ、お母さま。わたくし、この日のためにどれほど努力したか……。きちんと立派にお勤めを果たして参ります!」
お母さんの激励の言葉にそう真面目な顔をして返すと、お父さんはくすりと笑って私の頭を撫でてくれた。
「頑張るんだよ、ルナディール。君ならちゃんと立派に仕事ができるさ」
「はい!お父さま」
撫でられた頭がくすぐったくて、にこりと笑いながらお父さんを見つめる。
しばらくお父さんやお母さんとお話をしていたら、コツコツと義兄が歩いてきてスッと優雅に私に手を差し出してきた。
「それではルナディール、そろそろ魔法研究所へ行こうか」
「はい!今日はよろしくお願いします」
差し出された手を、にこりと笑って握り返す。
そして、私たちは両親や使用人たちに見送られながら馬車に乗り、魔法研究所へ向かったのだった。
そう、私はこれからようやく魔法研究所へ行けるのだ。思い返してみれば、この世界に転生してから数ヶ月、とても長かった。魔法研究所へ行きたいと言ってから一体どれほど経っただろう。今日、ようやくそれが叶うのだ。これで思いっきり魔法の研究ができる!
るんるん気分が抑えられず、つい口角が上がってしまう。それもそうだ。だって私はこの日のために、剣術を磨いたり社交術を学んだり魔法の基礎知識を詰め込んだりと、いろいろ大変だったのだ。
剣術や魔法の勉強は別に苦ではなかったけれど、社交関連のものが厄介で仕方がなかった。ただ魔法を研究するはずの場所なのに、社交術のいろはを叩きこまれたのだ。
舞踏会の時もそうだったけれど、やはり私には社交は向いていないと思う。よく知りもしない相手から情報を引き出したり、相手に粗相がないよう言葉遣いを考えるとか頭が真っ白になりそうだ。そんな機会が巡ってこないことを祈るしかない。
とにかく、私は今日からめいっぱい魔法の勉強をして、前世では体験できなかったファンタジーを思う存分堪能するのだ。
頑張れば魔獣や悪魔とか召喚できたりしちゃうのかなあ。もしかしたら空だって飛べるようになるかもしれない。ドラゴンに乗ってみるのも楽しそう!
そんなことを考えていたら、正面に座る義兄がくすりと笑って、
「楽しそうだな、ルナディールは」
とキラースマイルを放ってきた。しかし私は、魔法研究所へのわくわくで心が満たされていたので、いつものように思考が停止することはなかった。どうやら今の私には、魔法に対する好奇心の方が推しよりも勝っているみたいだ。
「はい!だってようやく待ちに待った魔法研究所へ行けるのですよ!楽しみでないはずがないではありませんか!うふふ、これで思う存分魔法の研究ができますわ」
にやにや笑いながらそう言うと、義兄は苦笑しながらこくりと頷いた。
「そうだな。だがあまり羽目を外しすぎるな。外では何が起こるか分からないからな。最低限の自衛ができるからといっても油断は禁物だ」
真面目にそう注意してくれて、私ももちろんですわと頷き返す。
魔法研究所にはたくさんの人がいる。たくさんの人がいるならば、その分トラブルに巻き込まれる可能性も上がるのだ。特にルナディールは主人公ルートでも悪役令嬢ルートでも危険がいっぱいなので、気を引き締めていかなければならない。
……でも、四六時中気を抜かないでいることは至難の業だ。特に私は、いつも気を抜いた瞬間に何か問題が起こるのでたまったものじゃない。やっぱりカッコいい騎士とか護衛が欲しいなあ。そうしたら研究に没頭しても大丈夫なのに。
魔法研究所から騎士について考えを巡らせていると、ガタンと馬車が揺れて動きが止まった。
何事だろうと外を見ると、どうやら目的地に着いたみたいだった。いつの間にか先に降りていた義兄が、私の方を振り返って手を差し出す。
「着いたぞ、ルナディール」
「はい!」
私は慌てて立ち上がって義兄の手を握る。それから一つ深呼吸をして、ゆっくりと馬車を降りた。
馬車を降りると、目の前にはドーンと大きな建物が建っていた。外見は洋館っぽい。お城は白くて明るくて豪華で好きだけれど、こちらの茶色いレンガ式の落ち着いた雰囲気の建物も好きだ。
建物に見入っていると、こちらにゆっくりと歩いてくる白髪のおじいさんに気が付いた。おじいさんは私たちの目の前まで歩いてくると、ゆっくりと優雅にお辞儀をした。
「これはこれはロディアーナさま、よくぞ来てくださいました。前々から貴女がお訪ねになられてくるのを楽しみにしていたのですよ」
ほっほっほ、と朗らかな笑みを浮かべるおじいさん。優しそうな雰囲気に、こちらまで笑顔になってしまう。
「いえいえこちらこそ。魔法研究所に来るのをとても楽しみにしていたのです。もう既にご存知かもしれませんが、わたくしはルナディール・ロディアーナと申します。今日はどうぞよろしくお願いいたします」
私もきちんと淑女の礼をして挨拶をする。何事も初対面のイメージが大切だというし、ここで下手につっかえたりしなくて良かった。言葉遣いにはあまり自信がないけれど……。
「私はルナディールの義兄のアリステラ・ロディアーナと申します。本日はお世話になります」
義兄は相変わらずの無表情だったけれど、そんなの気にならないくらいのイケヴォなので問題ない。声って大事だよね。声が素敵だと無条件でその人がカッコよく見えてしまうもの。まあもちろん、義兄は声だけじゃなく性格も顔も全てがパーフェクトなんだけどね。
「これはご丁寧にありがとうございます。私はヴォルフ・エルゼラドと申します。是非ヴォルフとお呼びください」
にこりと微笑んだ顔が優しくて、私はおじいちゃんと呼びたくなってしまう。しかしそんな失礼なことはできないのでもちろん口には出さない。
「ところで、ロディアーナさまはこの魔法研究所のことはどのくらいご存知なのでしょうか」
優しい笑顔でそう尋ねてきたおじいちゃん……いや、ヴォルフさん。来るであろうと思っていた質問がきて、私は内心ドキリとする。ああ、まさかこんなにいきなり聞かれるだなんて。
私は焦りを悟らせずに、にこりと微笑んで質問に、
「そうですね……。実は、恥ずかしながらあまり魔法研究所のことは知らないのです。よろしければここがどういう場所なのか、ご説明いただいてもよろしいでしょうか」
と、隣にいる義兄に申し訳ないとは思いつつ、正直に答えた。
もちろんここで、義兄に説明してもらいましたから大丈夫です、と言うのが正しいとは分かっている。きっと義兄も、この前説明しただろうと驚いているに違いない。
けれど、残念ながらあの時の記憶は義兄のキラースマイルに全て持っていかれたのだ。どこか遠い場所へ吹き飛ばされたのか、内容は一切戻ってこなかった。
もちろんあれから何度も正直に言おうとした。義兄に話してもらった内容のほとんどを忘れてしまったので、もう一度説明してもらえませんかと。でも、熱心に話してくれた義兄に申し訳なくて聞けなかった。そして、そんなズルズルとした日々を過ごしながら、ついに今日まで来てしまったのだ。これはもう、開き直るしかあるまい。
「そうでしたか。それなら魔法研究所内を案内するよりも先に、少しだけここのことを説明した方が良さそうですね」
「お願いします」
ペコリとお辞儀をすると、ヴォルフはにこりと笑って魔法研究所について詳しく教えてくれた。それをまとめると、こんな感じだ。
まず、この魔法研究所というのはどうやら王族の管理下にあるらしくて、研究費は王様から支給されるらしい。この国を発展させるために国内の優秀な人材を集めて魔法の研究をさせていて、その成果を王様に献上して国がより良くなるようにするのが目的だとか。といっても、ここで働いている人はだいたいが貴族で平民はあんまりいないらしい。やっぱり平民が王宮の近くにある魔法研究所には来にくいのだろうか。
また、この魔法研究所(長いから略して魔研と言おう)は、それぞれ四つの部門に分かれているらしく、みんなもれなくどこかの部門に所属するのがルールらしい。それらは『生・実・魔・調』とそれぞれ呼ばれている。各部門、三十人くらいで編成されており、魔研内では百五十人もの人が働いているのだとか。それぞれの部門にはちゃんと正式名称があるらしく、それも教えてもらった。
一つ目の『生』は、魔獣の育成や研究をメインとするところで、正式名称は『生物学省』、略してビーヴィン。ここでは実際に何匹か魔獣を飼っているらしい。中には恐ろしい魔獣もいると言っていたけれど、とても興味があるので是非覗いてみたい。ドラゴンとかいたらテンションむちゃくちゃ上がると思う。
二つ目の『実』は、魔術の研究をメインとしていて、日々身体の限界が来るまでずっと魔法を使っているのだとか。正式名称は『実技魔術省』、略してプラヴィン。ここも好きなだけ魔法が使えそうで面白そうなところだ。是非見学したい。ただ、自分の体力が持つかが心配だ……。
三つ目の『魔』は、魔術の歴史や魔法陣の研究などをメインとするところで、正式名称は『魔術学省』、略してマジヴィン。ここでは自分の分身でもあるあの魔術書の読解に役立ちそうなことが学べそうで、ここも是非行ってみたい。ずっと資料とにらめっことかだと、視力が悪くなりそうだけれどね。
そして最後、四つ目の『調』は、魔術具の作成なんかをメインとしているらしい。まるで錬金術師みたいだ。正式名称は『調合術省』、略してフォーヴィン。もしかしたら、ここでは空飛ぶ絨毯なんかも作れるかもしれない。ここもとても面白そうだ。
以上四つが魔研に存在する部門。それぞれ単純な名称だし略称も覚えやすいから嬉しい。私もどこかに所属しなければならないみたいだけれど、話を聞いただけでも迷う。優柔不断な私に一つを選ぶなんてことができるのだろうか。
「……とまあ、このぐらいでしょうか。ここまでで何かご質問はありますか?」
ある程度の説明を終えたらしいヴォルフが、にこりと笑って私に尋ねる。
「いえ、大丈夫ですわ。とてもご丁寧なご説明ありがとうございます。ここはとても楽しそうな場所でわくわくいたしますわ」
私もにこりと笑ってそう返せば、ヴォルフもまた嬉しそうに笑う。
「それは良かったです。それでは、そろそろ魔法研究所内を見て回りましょうか。少々歩くことになりますが、よろしいでしょうか」
やっぱりこの人はとても優しいおじいさんだ。いちいち気遣ってくれることが嬉しい。
「もちろん大丈夫ですわ。とても楽しみです。ね、お義兄さま?」
私が声を弾ませながらそう聞くと、義兄も苦笑しながら同意してくれた。
「それでは早速、中へ入っていきましょうか」
ヴォルフが私たちを先導しながら、大きな扉を開けてくれた。
一歩中へ足を踏み入れると、そこはもう広い玄関のような場所が広がっていた。正面に見える、真っすぐ続く長い廊下に息を呑む。
「ここは玄関ホールですね。ロディアーナさまたちはもう通ってこられましたが、魔法研究所へと続く門と、扉を開けてすぐ右手にある窓口で身分証を提示していただくことになっております」
「身分証、ですか?」
「はい。こういうもので、名前と所属している部、ランクなんかが記載されます」
そう言って見せてくれたのは、シルバー色のカッコいい名刺みたいなものだった。それは首から下げるタイプのもので、前世で言う社員証によく似ていた。
ほうほうともの珍しく身分証を眺めていると、ヴォルフの所属している部が書かれていないことに気が付いた。代わりに、『魔法研究所管理者、カロン』と書かれていた。
「あの、ここに管理者、カロンと書かれているのですが、これは……?」
不思議に思って聞くと、ヴォルフは、ああと一つ頷いて教えてくれた。
「管理者というのが私の役職で、カロンはランクですよ。一応この魔法研究所の責任者をやらせていただいています」
にこりとそう教えられて、私はなるほどと納得した。
それにしても、まさかヴォルフがこの魔研の責任者だったなんて。まあ雰囲気的にお偉いさんかなあとは思っていたけれど。でも、そんな人が見学者を案内するだろうか。責任者は多忙ってイメージがあるのだけれど。
「お忙しい中、この魔法研究所の案内をしていただきありがとうございます」
とりあえずぺこりとお礼を述べると、ヴォルフはほっほっほと朗らかに笑ってふるふると首を振った。
「いえいえ。こちらこそご多忙の中、魔法研究所へ足をお運びいただきありがとうございます。ロディアーナさまは大変優秀であられるということで、魔法研究所内でも噂になっているのですよ」
その思ってもいなかった返答に、つい私の顔が引きつる。
「そ、そうなのですね。みなさまのご期待に添えられるよう頑張りますわ」
それから窓口で働く人と軽く言葉を交わし、早速魔研の探検が始まった。
「一階には講堂や管理人室、食堂、図書室などがあります。一階にはよく来るでしょうから、構造はしっかり頭に入れておくと便利ですよ。二階から四階には各部の部屋や研究室があります。二階はビーヴィンとプラヴィン、三階はマジヴィンとフォーヴィンに割り当てられています。四階には物置や使わなくなった研究室などがあり、おそらくロディアーナさまもあまり立ち入ることはないでしょう」
その説明に、私はこてりと首を傾げて口を挟む。
「それでは、四階に行く人はほとんどいないのですか?」
「そうですね。たまに古い文献や魔術具を探しに足を運ぶ人もいますが、あまり掃除もされておらず埃まみれなので、行きたがらない人は多いです」
「……そうなのですか」
私はそこで少し考え込んだ。
建物の規模から見ても、四階だってそれなりに広そうだ。それなのにほとんどが使われていないだなんてもったいない。埃まみれでも、掃除すれば使えるようになるかもしれないし、もしかしたら交渉しだいで自分専用の研究室ができるかもしれない。
そうなったら、私の魔剣たちともお話できる場所が手に入るかも。自分の家だと、必ず誰かしらが側にいるので一人の時間が確保できないのだ。その点ここでは一人でいられる時間がいっぱい取れそうで嬉しい。
「ロディアーナさまは、どこか見学したい場所はありますか?」
話を振られて、私ははっと現実に返る。
「そうですね……。とりあえず、食堂と図書室、四つの部を回りたいです」
「分かりました。それではまず、一番近い食堂から回りましょうか」
玄関から右側に長く伸びている廊下を突き進む。ヴォルフの説明によると、玄関から右に行けば食堂、左に行けば管理人室と図書室、真っすぐ行けば講堂へ辿り着くらしい。
「ここが食堂です」
そう案内されて通された食堂は素晴らしかった。
ズラーッと席が綺麗に並び、たくさんの人が座れるよう広い。丸テーブルや四角いテーブル、一人席用から大人数用まで選り取り見取り。しかもメニューもとても豊富で、パンからご飯、麺類、そしてスイーツまであった。そのどれもが美味しそうで、気を抜けばお腹がぐうと鳴ってしまいそう。
「いろんなものがあるのですね!」
興奮気味にそう言えば、ヴォルフはにこりと笑って、
「そうですね。シェフは全て城から派遣されていますから、料理の腕も素晴らしいのですよ」
とまた魅力的な言葉を発す。
「それは素晴らしいですわ!それではここに来れば、美味しいものがたくさん食べられるのですね!しかもスイーツまで。なんと好待遇なのでしょう。素敵ですわ」
うっとりとしていると、冷静な義兄が小さく呟くのが耳に入ってきた。
「だが、自腹ならこんなに高いものを毎日食べられる人は少ないだろうな」
その言葉に、今まで高かったテンションもグーンと一気に急降下。
そうだ、ここは自腹。自腹ならば、自分でお金を払わなければならない。でも、私は自分のお金を貰っていない。お小遣いがないのだ。ということは、私もここではあまりご飯が食べられないのではないだろうか。
もしそうだったらどうしよう!せっかくこんなに近くに、お城の料理人が作ってくれるスイーツとかご飯があるのに食べられないだなんて、そんな酷いことがあるだろうか。
私はあまりのショックに、隣にいた義兄を見上げて訴えかけた。
「お義兄さま、どうしましょう。わたくし、お小遣いなど貰っていませんし、もしかするとここにある美味しいお料理が食べられないかもしれません!こんなに近くに美味しいものがありながら、食べられないだなんて……。お義兄さま、帰ったらわたくしと一緒に両親の説得をしていただけないでしょうか。どうかわたくしがお小遣いを貰えるように手伝って欲しいのです!お義兄さまがいれば許してもらえるような気がするのです!」
すると、私の必死の願いが通じたのか、あるいはあまりの迫力に圧倒されたのか。義兄はうぐっと一歩退きながらもこくりと頷いてくれた。
「そうだな。帰ったら相談してみよう。ルナディールがお腹を空かせて倒れるのは避けたいからな」
「ありがとうございますお義兄さま!やっぱりお義兄さまは最高のお義兄さまですわ!」
ぴょこんと小さく跳ねながら喜んでいると、ヴォルフがほっほっほ、と楽しそうに笑うのが聞こえた。
「兄妹仲が良いのは素晴らしいことですな」
そんなことを言われて、私はもっと嬉しくなった。
そう、本当に素晴らしいことなのだ。特に、ルナディールが義兄であるアリステラと仲良くなることは。自分が死ぬ運命を避けるためにも必須なのだ。
でも、それ以前に私が推しであるアリステラ、義兄と仲良くなれたのは本当に嬉しいことだ。前世で夢みて、ついに実現した出来事。神様には感謝しかない。いつか神様に恩返しをしたいくらいだ。
「はい!わたくし、お義兄さまと仲良くなれて本当に幸せですわ」
満面の笑みでそう答えると、ヴォルフがにこりと笑って、
「それでは、次は図書室へ行きましょうか」
と歩き出した。私はまた、はいと元気に答えて後に続く。
次は図書室。図書室だ!お城の図書室はすごかったけれど、ここもお城の管理下にあるのなら負けてはいないはず。きっと見たことのないような魔術書や専門書がごろごろあるに違いない。一体どれぐらいの蔵書数があるのだろう。ああ、楽しみで仕方がない。
私たちは来た道を戻り、今度は玄関から左側にある廊下を突き進む。そして、図書室と書かれた扉の前に辿り着いたのだった。
ついにルナディール念願の魔法研究所へ来ることができました!これからどんなわくわくがルナディールを待っているのでしょうか、楽しみです。お次も魔法研究所の見学です。




