義妹のルナディール
俺はアリステラ・ロディアーナ。七歳の頃にロディアーナ家に引き取られ、世間では時期宰相だと噂されている。俺は現宰相である義父さんの跡取りとして使えるから引き取られただけだ。だから義父さんの跡を継ぐのは当たり前のことだしそれ以外の道はない。
俺が小さい頃、両親は懇意にしていた人に殺された。幸せが無くなるのは一瞬だった。それも、俺が親しくしていた人に幸せを奪われたのだ。もう、誰も信じられなくなった。
それから俺は周囲の人間を一切信用しないことに決めた。どうせ裏切られるのだから。社交界とはそういう場所だ。貴族とはそういうものだ。自分の利となることなら、どんなに汚い手段でも使うし、人間関係だって変える。
だから俺は、ロディアーナ家に引き取られてからも、義父さんや義母さん、義妹とは距離を置いていた。会話は必要最低限に留め、感情は表に出さない。義理の家族なんてそういうものだ。家族の交流なんて要らない。
俺は、周りに求められていることを着々とこなすだけだ。できないなんて言葉はあってはならない。学力も魔力も剣術も社交界でのマナーも、全てにおいて完璧でなくてはならない。それが、俺に求められている、時期宰相としての姿だ。
とある日、俺が義父さんから回された書類仕事をしていると、コンコンコンと扉を叩く音がした。俺の部屋を誰かが訪ねてくるなんて滅多にないことなので、一体誰だと手にしていたペンを置いた。すると、扉の外から、
「お義兄さま、いらっしゃいますか?ルナディールです。今度ある社交界についてお話しに参りました」
と声がした。義妹がわざわざ訪ねてくるなんて一体何の用だ?社交界とか面倒な言葉が聞こえてきたが……。
俺は少しうんざりしながら、重い腰をあげて扉を開ける。するとそこには、久しぶりに目にした義妹、ルナディールがいた。義妹とは家でもあまりすれ違わないし、俺も極力自分の部屋から出ないようにしているから、この家に来てからは数回しか話したことがない。そんな義妹が一体何の用なのか。俺は彼女が話し出すのを待っていた。
しかし、彼女は一向に用件を口にせず、ただぼーっと俺の顔を見ているだけだ。その姿にだんだんイライラとしてきて、
「用件を早く言え」
と少し冷たく言った。まだやらなければならない仕事がたくさんあるのだ。俺には無駄にできる時間などない。
すると彼女は、何故か顔を紅潮させ、弾んだ声で、
「はい、三日後に行われる王族主催のお茶会に一緒に参加することになりました。お互い婚約者がいないので、エスコート役はお義兄さまが行うとのことです。どうぞよろしくお願いします」
と言ってペコリとお辞儀をした。そして続いて、
「今日はそれを伝えに来ましたの。お忙しいところお邪魔してしまい申し訳ありません」
と言った。
そんなに笑顔で言うことだろうか?楽しいことなどないだろうに。そんなにお茶会に行きたいのだろうか。王族が主催ならそれなりの人数が集まるはずだ。お互いの腹を探り合う社交はうんざりすることだけではないか。
彼女の考えていることが全く分からなかったが、義父さんが決定したことなら従わないわけにはいかない。仕方なく「ああ」と答え、俺の返事を聞いた彼女は嬉々として俺の部屋を去っていった。
ああ、三日後が憂鬱だ。俺は深くため息をついた。
「それじゃあいってらっしゃい、ルナディール、アリステラ」
そう義父さんと義母さんに見送られながら、馬車が出発した。これから地獄のお茶会である。俺は他人と会話をするのを得意としない。
作り笑いをするのも苦手だ。どうせ相手は心の中で嘲笑っているに違いない。そう思うと、相手に笑顔を見せるのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
流れる風景を見ながら、とりあえず時期宰相に見合った振る舞いを心がけなければな、と思った。義父さんは今回のお茶会で婚約者候補を見繕って欲しいと思っているみたいだが、はっきり言ってそんなのはどうでも良かった。
俺が宰相になるのに相応しければ誰でも良い。そもそも俺が誰かを信頼したり愛したりなんてできるはずもないのだから。
そういえば義妹はどうなのだろうか。嫁ぐのか婿を迎えるのか分からないが、俺としてはどこか無難な場所に嫁いで欲しい。優秀な婿を迎えた場合、時期宰相という立場を脅かされる恐れがある。そうなるのは困る。この十一年間の努力の意味が無くなってしまう。
チラッと義妹を見てみると、彼女は拳を握って何か決意したような顔をしていた。何を考えているか知らないが、今日俺がエスコートをする以上、余計な面倒は起こさないで欲しいと思う。
馬車が止まり、目的の場所についた。これからが戦いだ。気は抜けない。俺は先に馬車を降り、義妹をエスコートするために手を差し出す。彼女はにっこりと微笑み、優雅に馬車を降りた。
そのまま会場入りして社交の始まりだ。
宰相の子という立場上、たくさんの人からの挨拶を受ける。俺と親交を持ちたい者、義妹と親交を持ちたい者、中立派である俺たちを自らの派閥に引き入れたい者。うんざりするほどひっきりなしに人が来る。
こういうのは適当に相槌を打って捌いていくに限る。深入りしても良いことは何もない。義妹もそれを知っているのか、笑顔を浮かべて相槌を打ちながら人をどんどん捌いている。
ほとんどの人から挨拶を受けた後は、たくさんのご令嬢に囲まれた。彼女らから聞かれるのはどれも、婚約者はいないのか、誰か想い人でもいるのか、など至極どうでも良いことだった。
それらに適当な言葉を返していると、義妹がタイミングを見て、
「それではみなさま、申し訳ありませんがわたくしたちはここで失礼させていただきますね。まだご挨拶をしていない方をお見かけいたしましたので」
と言って俺の腕を強引に引っ張り、ご令嬢の輪から脱出した。たくさんの人の間をするすると縫うように歩き、辺りに誰もいない食事場まで来たところで、彼女は俺の方をくるりと振り返った。
「わたくし、少し疲れましたのでここにある美味しそうなお菓子を食べて休みますね。お義兄さまはどうなさいます?もしお話したい殿方やご令嬢がいらっしゃるのなら行ってきてくださいまし。わたくしは大人しくここにいますから」
そう言ってにっこりと微笑む姿を見て、さっきのはあの場を離れる嘘だったのかと思った。きっと彼女もたくさんの質問にうんざりしていたのだろう。ほとんどが俺の話だったのだから。
これは少し一人にさせてくれという意味なのだろう、と解釈して俺は、承諾してその場を離れた。別に話したい人もいないが、彼女は彼女で個人的に親睦を深めたい人でもいるのだろう。馬車でも意気込んでいたのだから、俺の邪魔にならない婚約者を見つけてくれれば良いと思った。
なるべく人目につかないところで休憩しようと、俺は木陰になっている場所へ移動しようとした。すると運悪く、前々から俺のことを良く思っていなかった伯爵の子息たちとばったり鉢合わせしてしまった。
さっきの挨拶にも来なかった人たちだ、よっぽど俺のことが嫌いなのだろう。話しかけない方が良いと判断した俺は、彼らの横を無言で通り過ぎようとした。
しかし、彼らはあろうことか話しかけてきた。
「おやおや、これは時期宰相だと世間でいわれているアリステラさまではございませんか。そんな方が私たちの前を通り過ぎるというのに、何も声をかけて下さらないのですか?」
にやにやと笑う姿に嫌気がさす。話してもお互いに気分が悪くなるだけだから、関わらなければいいものを。
「あなた方が私を良く思っていないのは知っています。なのでお互い気分を害さないよう、関わらないようにと配慮したつもりでしたが、お気に召しませんでしたか?」
なるべく相手を刺激しないよう丁寧に接したつもりだったが、相手を余計に怒らせることになってしまったようだ。
「アリステラさまは偶然宰相さまの養子に迎えられ、時期宰相といわれているだけですよ?宰相さまの実の娘であるルナディールさまが優秀な婿を迎えた場合、あなたはただのお荷物となり、ロディアーナ家に居られなくなる身。そのことをちゃんと分かっておいでですか?現に今のご家族とは良い関係を築けていないのだとか。今日あなたがエスコートをしているルナディールさまが今いらっしゃらないのも、不仲を象徴しているのではありませんか?」
嫌味ったらしくくどくどと言う姿に、だんだんうんざりしてきた。大体伯爵の息子が宰相の息子に、しかも王族主催のお茶会で言うことではないだろう。
あまりにも大声で罵詈雑言をつらつらと述べるので、周りの貴族たちもこの事に気付き、観客が集まってきた。ひそひそと囁かれる言葉に耳を澄ませてみると、
「あれって伯爵のご子息よね?そんな身分の方が宰相のご子息に喧嘩を売っているのかしら?」「随分と身の程知らずなのね。身分差が分かっていないのではなくて?」「この噂が広まれば、すぐに社交界に居られなくなるのではないかしら」
そんな声が聞こえてくる。これは俺が何もしなくても、勝手に周囲の人たちが人伝に噂を広げ、目の前の人たちは時期に社交界から姿を消すだろう。
それにしても、彼らはいつまでこの状態を続けるつもりなのだろうか?いい加減ただ聞いているだけなのも嫌になってきた。周囲にたくさんの貴族がいる中でまだ逃げないなんて、意外と肝が据わっているのか?
もうこの茶番には付き合っていられないと思い、俺が口を開きかけた途端。
「やめなさい!」
と凛々しい声が聞こえたかと思うと、義妹が俺を庇うように目の前に立っていた。
急なことに驚いたのは俺だけではなかったらしい。周りの貴族も、はっと息を呑むのが分かった。
俺を罵っていた人たちは一瞬驚いた顔をしたが、フッと鼻で笑って、
「これはこれはルナディール様ではないですか。宰相のご令嬢だというのに才能も魔力もないダメダメだという噂じゃないですか?義理の兄に権威を全て奪われてお可哀想に。あなたみたいな落ちこぼれには婚約者を決めるのも苦労しそうですね」
と言った。義妹にもそんな言葉をかけるということは、もしかして彼女のことも嫌いなのだろうか。
それより、俺は彼女がダメダメだと噂されていることに驚いた。これは本当のことなのだろうか。今日見た限りでは、それなりのご令嬢に見えたのだが、違うのだろうか。俺は彼女とあまり関わらないようにしていたし、興味も無かったので彼女のことをあまり知らない。普段何をしているか、どのような生活をしているのかだって分からない。
だからこの噂が本当のことなのか、真偽が分からない。
そんな言葉にも臆することなく、目の前の義妹は言い返していく。
「あら、わたくしに同情なさってくれているのかしら?ですがどうぞお気になさらずに。わたくし、お義兄さまのことを慕っておりますし、婚約者だってわたくしには必要ありませんわ。わたくしは婚約者に捉われず自由に生きたいと思っておりますので。家の中でご令嬢しているのは性にあわなくてよ」
その言葉にまた驚いた。周囲にたくさん人のいる中で、婚約者は要らない宣言をしたのだ。周りの貴族たちも呆然としている。
すると言い返されたのが癪に触ったのか、さっきよりも大きな声で言い返す。
「はっ、義理の兄を庇うのも辛い立場だなぁ!どうせ心の中では腹立たしく思っているくせに。居なくなってくれればいいのにとか思ってるんだろう?」
確かに彼らの言い分にも一理ある。俺は今まで、義妹と全くと言っていいほど交流を持っていないのだ。避けてきたのだから。
そんな良く知らない相手を義兄と慕うことは困難だ。内心腹立たしく思っていても不思議ではない。
そう思っていたのだが、目の前の義妹から発せられた言葉は、想像もしていなかったものだった。
「今何と言いました?居なくなってくれれば良い?腹立たしく思っている?とんだ言いがかりね。良い?アリステラは努力家なのよ!私なんかと違って毎日夜遅くまで勉強して、苦手な社交界にも出て、できないことがあればできるようになるまで必死に練習する人なの!何も知らないくせにうたうだ言わないでくれる?アリステラは私の大事な人なの!居なくなって欲しいなんて微塵も思っていないし、むしろこれからもずっと側にいて欲しいと思ってるの!居なくなって欲しいのも、腹立たしいと思っているのもあなたの方よ!私たちの前から消えてくださいませっ!」
言葉の端々に激しい怒りを感じ、ビシッと指先を彼らに指す動作にも怒りが込められているようだった。全身から怒りオーラを出し、威嚇する彼女に俺は混乱した。
なぜ、こんなにも知らない相手のことを庇える?それより、なぜ俺が夜な夜な勉強していたことも、できないことをなくそうと努力していることも知っている?この十一年間、ろくに接していなかったはずなのに、なぜ?
そこで、ふと、三日前の彼女の姿が蘇った。もしかして、彼女があの時嬉しそうにしていたのは、俺と久しぶりに話せたから?
さっきご令嬢たちに囲まれていた時、嘘をついてまで食事場まで俺を連れ出したのは、うんざりしていた俺を気遣ったから?
俺の努力を知っているのも、もしかして昔から交流を持とうと陰ながら頑張っていたから?
ずっと側にいて欲しい。アリステラは私の大事な人。
その言葉に嘘は感じられなかった。そう思うと、俺はカァッと身体が熱くなっていくのを感じた。
そう言われたのは、両親以外で初めてだった。かつて親しくしていた人も、よく褒めてくれてはいたが、大事な人だとか側にいて欲しいだとかは言わなかった。
懐かしい昔の記憶を思い出し、忘れていた気持ちが蘇ってくるようだった。
すると突然、目の前にいた彼女が駆けて行き、お茶会を後にした。残された俺はただ呆然とその走る後ろ姿を見つめ、そしてたくさんの視線が俺に向いていることに気付いた。
爆弾を落とすだけ落として退散するとはどういうことだ。
火照る顔を抑えきれず、俺も結局周りの人たちに一礼してその場を去った。今は感情がぐちゃぐちゃしていて、何がなんだか分からない。整理する時間が必要だ。
去り際、第二王子と目があった気がするが、それにも構わず自分の馬車目掛けて一目散に走った。馬車にはきっと彼女が居るだろうが、顔を見なければ大丈夫だろう。というか、今はとても顔を見られないし見せられない。
俺は逃げ込むように馬車へ乗り、家へと馬を走らせてもらう。そしてついさっき起こった色んな出来事を一つ一つ整理していき、心を落ち着かせるのに集中した。
心も身体の火照りも落ち着いた頃、俺は精一杯の勇気を振り絞って、「ありがとう」と感謝を伝えた。
俺が誰かに感謝の言葉を述べるなんて、両親を殺されて以来初めてかもしれない。そんな俺の言葉に、義妹は、「ふぇ?」と変な声で返してきた。
チラッと横を見てみると、まるで訳が分からないというような顔をしていた。その顔があまりにもおかしくて、俺は窓の外に視線を移しながら僅かに微笑んでしまった。
そしてそんな自分に、まさか作り笑いではない笑みが俺にもまだできたのかと驚いていると、隣から、
「あの、先程はお義兄さまのことを呼び捨てにしてしまい申し訳ありませんでした。お義兄さまに迷惑をかけないようにと思っておりましたのに、たくさんのご迷惑をおかけしてしまい……本当に申し訳ありません」
と、何故か謝罪の言葉が出てきた。感謝を述べたのに謝罪で返されるってどういうことだ?
俺は何とも思っていなかったが、そんなに怖がらせてしまっていたのだろうか。呼び捨てにされたことなんて全然気にならなかったし、迷惑をかけられたとも思っていない。
まあ確かに今日はいつもより疲れた一日になったが……。それでも、あの場面に臆せず堂々と自分の意見を言ったことも、俺のことを庇ってくれたことも、凄いと思ったしカッコいいとも思った。
なんなら今日一日で義妹に対する好感度は上昇した。今まで関わらないように、自分が傷付かないようにと避けていたことが馬鹿馬鹿しくなる。
もし俺から歩み寄ろうとしていたら、交流を持とうとしていたら、もっと義妹と仲良くなれたのだろうか。
思えば、俺が冷たい目を向けても冷たく言葉を放っても、俺をこのお茶会に誘ってくれた彼女は嬉しそうにしていたではないか。
冷酷な見た目と、基本無表情なことが相まって、俺は冷酷で非道な人間なのではないかと誤解されることも多い。軽く注意しただけでもかなり怒っていると勘違いさせることも社交の場面では多々あった。
いちいち訂正するのも面倒なのでほったらかしにしていたら、いつの間にか、優秀だけど怒らせたら怖いだとか、実は冷酷な人なのだとか言われるようになった。
そして、なんとなく義妹にはそう思われたくないと思い、普段言わないようなことを、つい口走ってしまった。
「……別に気にしていない。……カッコよかったぞ、ルナディール」
そしてあまりの恥ずかしさにまた身体が火照ってくる。義妹のことを初めて名前で呼んだ。
おそらく赤くなっているだろう顔を見られたくなくて、俺は窓の外の風景をひたすら眺める。
……ルナディール。俺のことを本気で想ってくれていた義妹。内心では腹立たしく思っているだなんて思っていた自分を殴ってやりたい。
これから、ゆっくり時間をかけてでもいいから、彼女と仲良くなっていきたい。そして、義父さんや義母さんとも。十一年という長い年月が経ってしまったが、これからはちゃんと家族として関わっていきたい。
とりあえず、ご飯を一緒に食べるところから初めてみるか。
そう密かに俺は決心したのだった。
アリステラからみたルナディールと、お茶会の様子でした。主人公以外のキャラ目線で書くのも面白いですね、書いていて楽しいです。次は、ルナディールの将来に関わる?お話です。