夫婦会議
わたくしは、寝室で一つ大きなため息をつきました。それを聞いていたクリストフが、苦笑しながらわたくしの隣に座ります。その反動で、少しだけベッドがボフンとバウンドします。
「エルフィナ、大丈夫かい?」
「ええ。ただ、少し考え事をしていただけですから」
「それはルナディールのことかい?」
「……ええ」
わたくしは最近、娘のことばかり考えています。娘がこんなにわたくしを悩ませるなんて、考えてもいませんでした。
「ルナディールは少し変わったと思いませんか?……アリステラと一緒に行ったお茶会ぐらいからかしら」
ため息混じりに言うと、クリストフは少し考えながら、そうだねと呟きます。
「確かに、ここ最近ルナディールは変わったね。婚約者は要らないと宣言をしたり、魔法研究所へ行きたいと言ったり、王子様たちと仲良くなったり、下町へお忍びで行ったり……」
こう列挙してみると、ここ最近の娘の異常さがよく分かります。前までとはまるで別人のようです。娘を変えてしまうような何かがあったのでしょうか。わたくしには分かりません。
娘は婚約者がいません。それは、前に彼女が、
「素敵な男性が現れた時のために、婚約者はまだ必要ありません。わたくしが誰かを好きになった時、すでに婚約者がいたら結婚できませんもの」
と言っていたからです。わたくしも、結婚は好きな人とするのが良いと思っていたので許しました。
ですが、いつの間にか娘は婚約者は要らないと思うようになり、あろうことか魔法研究所へ入りたいと考えていただなんて驚きです。
魔法に興味があるなんて知りませんでした。それに、全属性であることも。
娘の魔法はこの前確認しましたが、魔力の扱いが遥かに上達していて驚きました。一体どれほど練習をしたのでしょう。娘がこんなに努力家だとは思いませんでした。
魔法の才能もあり、魔法研究所へ行きたいという本人の意志がある。それなら行かせてあげるべきなのでしょう。
ですが、わたくしはあまり気が進みませんでした。あそこは確かに魔法の研究をするには打ってつけの場所ですが、個性的な方が多すぎるのです。娘も影響を受けてそうなってしまったらどうしましょう?心配でなりません。
「そういえばエルフィナ、魔法研究所への推薦書はどこまで進んだんだい?」
クリストフの声でハッと我に帰ります。
「推薦書はもう書き終わったので、あとはタイミングを見て提出するだけです」
「そうかい。……なるべく好条件でルナディールを通わせられるよう、私たちが頑張らないとね」
真剣な顔で言ったクリストフにわたくしも頷きます。
魔法研究所へ行っても娘が不自由しないよう、手を尽くさなければなりません。わたくしたちがしっかりしなければ、婚約者のいない娘は恰好の餌食となってしまいます。
「それにしても、ルナディールは成長したね。まさか平民と貴族の間にある壁を壊したいと考えていたなんて知らなかったよ」
嬉しそうなクリストフに驚きます。確かに成長したとは思いますが、それは一部分だけです。頭を抱えたくなるような発言もたくさんしていました。
「それはそうですが、でも平民からお金を借りるのはどうかと思います。貴族としてあるまじき行為です」
「ああ、確かに驚いたよ。まさか平民と一緒の馬車に乗るなんてね。ルナディールにはきっと、平民も貴族も変わらない『人』なんだろうね」
わたくしの言葉にそう返し、クリストフは少し上を向きます。……彼は今、何を考えているのでしょうか。わたくしには分かりません。
わたくしはクリストフから視線を外し、平民と貴族の壁について考えます。
あの時、娘はしっかりとわたくしを見据えて話をしました。目を逸らしたりしませんでした。その目に強い意志が感じられ、一瞬、娘にならもしかしたら可能なのかもしれないとも思えるほどでした。
ですが、平民と貴族の壁を壊すことなんてできるはずがありません。身分というのは、とても手強いものです。貴族内でも身分によりキッチリと生活場所が区切られ、社交界での扱いにも違いがあります。それが暗黙の了解となっているのです。
非道な人間も、残忍な人間もたくさんいます。その人たちも含めて、となると絶対に無理なのです。宰相家の人間が動いてもどうにかなるものではありません。
「……クリストフは本当にルナディールが平民と貴族の壁を取り去ることができると思いますか?」
ポロッと溢れた言葉は、静寂に包まれていきます。シンと静まっている中、クリストフはゆっくりと答えます。
「どうだろうね、分からない。けれど、ルナディールがそうしたいと思ったのなら、思う存分やらせてあげれば良いと私は思うよ。その結果が良くても悪くても、きっと良い経験になるだろうからね」
優しく背中を押して、遠くから見守る。困ったり危ない目に遭えば、助けてあげる。それがクリストフなんだと改めて思い出しました。彼はとても優しいのです。そして、強いのです。
「……クリストフのそんなところがわたくしは好きです」
わたくしが小さく呟いた声は、クリストフにしっかり届いていたようです。彼は嬉しそうに笑って、わたくしを優しく抱きしめました。
「私もエルフィナが大好きだよ」
そう甘く囁く声に、身体が熱くなります。こういう不意打ちはやめて欲しいです、心臓に悪いので。
「……わたくしも、ルナディールを応援しようと思います。魔法研究所へ行っても、壁を取り去ろうと奮闘しても、静かに見守っていきます。そして、もし道を踏み外しそうになったり、危ない目に遭いそうになったら、手を差し出しましょう」
抱きしめられながらそう言うと、クリストフはわたくしを解放し、目を見つめて微笑みました。
「そうだね。私たちは、陰ながら応援しよう。ルナディールがどんな選択をしようと、どんな人生を歩もうと、彼女を尊重して支えていこう」
「あら、ルナディールを支えていくのは親ではなく婚約者ですよ」
わたくしがそう指摘すると、クリストフは少し驚き、そしてくすくすと笑いました。
「そうだね。ルナディールが一緒に生きていきたいと思えるような人に出会えると良いね。私とエルフィナのような」
「そうですね」
お互いくすくすと笑い合います。静かな寝室に心地よく響く笑い声を聞きながら、わたくしはやっぱりこの人と結婚して良かったと思いました。
ルナディールやアリステラが素敵な人と結ばれますように、と願います。ですが、そこでアリステラの想い人がルナディールであることを思い出しました。
彼はまだ無自覚でしょうが、いずれきっと気付くでしょう。気付いたら、アリステラはどうするのでしょうか。アプローチをするのでしょうか。
わたくしには分かりませんが、もしアリステラがその気ならわたくしは全力でサポートをするつもりです。
たまにルナディールも彼に見惚れているのですから、彼の気持ちに気付いたら好きになるかもしれません。相性も良さそうですし、良いパートナーになるのではないでしょうか。
……それに、娘が大好きなクリストフにとっても、ルナディールがどこかに嫁がない方が嬉しいでしょう。
そう考えて、わたくしはまたクスリと笑います。
さっきまで憂鬱だったのが嘘のようです。やっぱりクリストフは、わたくしの最高のパートナーです。彼の側にいれば、辛いことも悲しいことも、悩みすら飛んでいってしまうのですから。
わたくしも、クリストフにとって良いパートナーとなれるよう頑張らなくてはなりません。
明日からはもっともっとお仕事を頑張りましょう。娘にも舞踏会で失敗しないよう色々教えなければいけないことがあります。
推薦書ももっと詳しく書いておきましょう。娘は優秀なんですとアピールするのです。実際に魔法研究所へ行くのにはまだ時間があるのですから、少し大袈裟に書いても大丈夫でしょう。努力家の娘なら、きっと本当のことにしてくれるでしょうから。
さて、色々やることが増えて忙しくなりそうです。わたくしは少しわくわくしながら、ベッドに横たわりました。
ルナディールのお父さんとお母さんの名前初登場です。ルナディールは良い親に恵まれたようで良かったですね。幸せ者です。次は舞踏会前日のお話です。




