新しいお友達(?)
「……下町遠すぎっ!」
家を飛び出してからしばらく歩いたけれど、私は下町どころか貴族街すら抜け出せないでいた。
ロディアーナ家は宰相の家ということもあって、お城の近く……つまり、貴族街のトップクラスのところに家があった。家の敷地がとんでもなく広いことから、貴族街は徒歩では抜け出せないほど広いとは薄々分かってはいた。分かってはいたけれど……。
辺りを見回しても、家らしい家はない。きっとまだトップクラスの範囲内にいる。暑くなってきたし、このままじゃ下町に辿り着く前に倒れてしまう。というか、徒歩だと数日はかかりそう……。
もうちょっと下町とお城の距離近くしよう?じゃないと親睦深まらないでしょ。この前、お城から出た時に下町へ行きたいって言ったら御者の人が若干顔を引き攣らせたの、今ならわかる気がする。
道順で言えば、ロディアーナ家からお城、下町を経由してぐるっとこの国一周するようなものだ。大変申し訳ないことをさせた。
この国は徒歩勢には厳しいなぁと思っていると、後ろからガラガラと馬車が来る音が聞こえた。私はハッとして後ろを向く。
私の後ろから来るということは、私の家の人が探しに来たのか、お城に用があってこれから帰る人の二択だ。後者であることを願う。というかそうでなければ私は下町に行けず下手したら外出禁止令が出てしまう。隠れるべき?
そうオロオロしているうちに馬車が見え、御者の人とバッチリと目が合う。馬車をよく観察してみると、私の家の馬車ではなかった。すこし質素な馬車だったので、あまり位の高くない貴族か下町からお呼ばれした商人のどちらかだろう。
そのどちらかならば、お城にお呼ばれする可能性が高いのは商人だ。王族がわざわざ下町に出向くことはあまりないので、注文を受けた商人が届けに来たのだろう。すごいプレッシャーだったろうな、お疲れ様。
そこで私ははたと気付く。それなら私も下町に乗っけていってもらえば良いと。もし仮に貴族だったとしても、口止めしとけば身分的に何も言えまい。よし、馬車に乗せてもらおう。
そう決めるや否や、私は馬車の前に飛び出して通せん坊する。御者は驚いて馬車を止め、急に止まったことに驚いた中の人が、「何事だ?」と声をかける。どうやら男の人のようだ。
私はそのまま馬車に近付いて行き、扉を開ける。中には三十代ぐらいの男性が、一張羅と思われる服を着て座っていた。しばらくお互いに視線を合わせた後、私はにっこりと微笑む。
「初めまして。ご一緒しても良いかしら。わたくし、下町に行きたいのですが馬車が使えなくて困っていたのです」
男性は何が何だか分からないような顔をしたけれど、何かを悟ったらしく、引き攣った顔で「どうぞ」と言ってくれた。私はお礼を言って、男性と反対側の隅っこに座る。
一応知らない人なので、出来る限り距離を取ろうと思ったのだ。そして私の行動の意図を読み取ったらしい男性も、隅の方に移動して距離を取ってくれる。
それから男性が指示を出して、馬車はゆっくりと動き出した。
うわあ、速い速い。やっぱり馬車がないと外出は無理だ。今度は馬車を用意することも計画の内に入れないとな。無一文で外には出ないようにしよう。
しばらく外の風景を見ていたら、そういえばこの馬車の持ち主の答え合わせをしていなかったことに気が付いた。この人は商人なのか、貴族なのか。
私はチラッと男性を観察して見るが、見た目だけではよく分からなかった。というか、この人は私のことをどんな人だと思っているんだろう。貴族?それともちょっと裕福な平民?
疑問に思った私は、隅で気配を完璧に消している男性に話しかけた。
「ところであなたはどちら様?馬車の方向から考えると、お城からの帰りだと思われるのだけど?」
ここで、あなたは貴族?平民?とは聞かない。貴族と平民では大きな違いがあるのだ。貴族は平民と間違われると、気分を害して怒る人が多い。こんな狭い馬車の中で怒りを買ったら何されるか分からない。
男性は私の顔色を窺った後、ぎこちない笑みを浮かべる。
「私は下町の商人でございます。お城には、私の店の商品の納品を行って参りました」
なるほど、商人だったのか。私の推理は見事に当たっていたようだ。下町の商人なら、このまま一緒に乗っていれば下町まで行くことができる。
「ふふふ、運が良いわ。これだと予定通りに下町に行くことができる。乗せていってくれてありがとうございます、えーと……商人さん?」
そこでこの人の名前を知らないことに気付いたので、商人さんと呼んで相手の反応を見る。すると男性は、すかさず名を名乗る。
「トールと申します。ブライダン商店のトール・ブライダンです」
「トール・ブライダンね。今度お礼に、ブライダン商店で何か買わせてもらいますね」
私がそう言うと、トールはにっこりと微笑んで、
「ありがとうございます。失礼でなければ、あなたのお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
と返す。
名前……名前か〜。確かに相手が名乗ったのならこちらも名乗るのが礼儀だけれど……。なんとなく本名を言うべきか迷ったので、とりあえず質問に質問で返す。これはもう名乗りたくないと言っているようなものだけれど仕方がない。こちらにも事情があるのだ。
「トールはわたくしのことを誰だと思って?下町のそこそこ裕福な平民かしら?」
首を傾げて尋ねると、トールは顔を強張らせて、キッパリと答えた。
「いえ、身分の高いお貴族さまだと思っております。この辺りは国の最高峰の身分のお貴族さまが住んでいらっしゃる場所ですので。それに、仕草や言葉遣いから、とても平民などとは思えません」
……なるほど、確かにそうだ。こんな貴族の中でもトップクラスの人たちが住む場所に、一人でポツンと馬車もなく歩いていたら怪しまれるか。きっとお忍びだとバレているな。それに仕草や言葉遣い……。
前世の記憶が戻った初めの頃は、平民っぽい雰囲気が戻ってきていたけれど、お茶会や王族との関わり、お勉強の成果ですっかり令嬢らしさが備わったようだ。……いや、令嬢らしく戻った?
それにここ最近は、舞踏会に向けてのスパルタ準備で、令嬢らしさが強化されたに違いない。でもここで平民っぽい仕草や言葉遣いにしてしまうと、あの努力がスポーンと抜けてしまう気がして怖い。
……うーん、ここはタメ口でいくか。レティーナに話すみたいに、友人と接するみたいな感じで。あとはほんの少し言葉遣いに気を付ければ、誤魔化せる気がする。……多分。
「貴重な助言をありがとうございます。もっと平民らしくなるよう、言葉遣いに気を付けますわ」
そうにっこり笑って、私は切り替えるためにスウッと息を吸う。今からタメ口、トールはお友達。
「改めまして、私はルナディール。そこそこ良い身分の令嬢よ。これからお忍びで下町に行くのだけれど、それまでどうぞよろしくね」
笑顔でそう言うと、一気に雰囲気が変わった私に驚いたのか、それともルナディールが宰相の娘だと知っていたのか、トールは一瞬固まった。それから作り笑顔で「こちらこそよろしくお願いします」とお辞儀した。
これで私は、下町にトールという商人のお友達ができた。……勝手にそう思ってるだけだけどね。それにお友達というには少々歳が離れてすぎているけれど。
そこで今度はしっかりとトールを観察してみると、意外とカッコいいことに気が付いた。さすがこの世界、貴族だけじゃなく平民も顔面偏差値が高いのか。
王子様たちや義兄など、私の推しキャラには全然及ばないが、それでも結構カッコいい方だとは思う。今はキチッとした身なりだが、髪も服装もラフな感じにしたらもっとカッコよくなると思う。私はキッチリした堅苦しい男性より、ふわっとしたちょっとラフめな男性の方が好みなのだ。
私がじぃーっと見つめていると、トールが強張った顔で、
「何かお気に触るようなことがございましたでしょうか?」
と尋ねてきた。驚いた私はふるふると首を振る。そんな勘違いをさせていたなんて思わなかった。
「えっ!?あ、いやそんなことないわ。ただ、こんなキッチリとした感じじゃなくて、もっとラフな格好をしたらもっとカッコよくなるんじゃないかなって思っただけよ」
私がそう言うと、トールは苦笑した。
「この格好はお貴族さまと合うためですよ。いつもはもっと動きやすい服装です」
やっぱり対貴族用スタイルだったのか。
「じゃあ、そのいつもの服装も見てみたいわ。平民がいったいどんな服を日常的に着るのか、まだ基準が分からないのよ。今私が着ている服装も、きっと豪華なのでしょう?」
ワンピースを軽く摘んで尋ねると、トールはこくりと頷いて教えてくれる。
「そうですね、平民は基本動きやすさ重視の無地のワンピースなどが多いでしょうか。もちろんお金の有無によってはもう少し豪華な服を着る人もいますが、ルナディールさまが今来ていらっしゃるような服はとても目立つと思います。私が今着ている一張羅と同じ扱いになるでしょう」
ふむふむ、つまり私は対貴族用の服を着ているということか。そんな格好で下町をうろうろする人がいるわけないよね。
でも、これ以上シンプルなワンピースはもう無い気がする。これが汚れても良いように出された服だ。私が持っている中で一番安い服のはず。
このヒラヒラが悪いのだろうか。あと、ところどころに散りばめられた花の刺繍とか。軽く丈夫な素材っていうのも高そうな雰囲気出してそう。これはもう下町で無難な服を一着ぐらい買わないと、お忍びすら難しいかもしれない。
「それじゃあ、これからも気兼ねなく下町にお忍びで行けるよう服を買いたいと思うのだけど、何かオススメの服屋さんはある?下町に溶け込めそうな無難なのが欲しいのだけど……」
首を傾げて聞くと、トールは目を見開いて驚いた。
やはり、貴族が平民の服を着るのは驚くべきことなのだろうか。平民の服の中にもいいやつはありそうなのに。違うのかな。
「ルナディールさまが平民の服をお召しになるのですか……?その、お貴族さまにはあまり着心地が良いものはないと思うのですが……」
「平民に化けるのなら平民の服を着るのが一番でしょう?それにほんの少しの間しか着ないのだから、多少着心地が悪くても問題ないわ」
そう言って、はたと思い出した。そうだ、私今お金持ってなかった。そこで、恐る恐る聞いてみる。
「あの、それで言いにくいんだけど……私、今お金を持っていないのよね。だから、貸してくれない?もちろん出せる範囲のものでいいし、贅沢は言わないわ。後でお金もちゃんと返す。……ダメ、かしら?」
私がトールをじっと見つめてお願いしてみると、トールはまた驚いた顔をして、少しだけ固まる。それから顔を引き攣らせながらも、「……分かりました」と承諾してくれた。
初対面のくせに図々しいお貴族さまだなとか思ってそう。確かにそうだけど。馬車に乗せてもらってお金まで貸してもらうとか、何様だよって思うよね……。ごめんなさい。
私は心の中でトールに謝る。
それから下町に着くまでの間、私とトールは他愛もない話をしながら過ごす。
貴族じゃない平民とお話するのは、何も気を遣わなくていいから楽だった。これが王族だったら、こんなにリラックスできなかったし、相手を不快にさせないようとても気を遣ったと思う。貴族社会は面倒なのだ。特に身分とか。
でも、トールにとっては面倒この上ない時間だろうな。王族の相手が終わったと思ってリラックスしていたら、急に貴族の令嬢を相手にしなくてはいけなくなったのだ。常に緊張させてしまって申し訳ない。
私はそこまで気を遣わなくて良いって言ったんだけど、やはりそうもいかないのだろう。平民と貴族の身分差は大きい。
平民なんて、貴族を怒らせたら一発KOだ。首が一瞬で飛ぶ。私の場合その相手が王族オンリーのようなものだから、割と自由に振る舞えるのだ。前世の記憶持ちの身としては、とてもありがたい。ただ、身分が高いせいで色々面倒なこともあるけれど……。
「もうすぐ貴族街を抜けますよ」
そう言われて、私の気分はぐぐんと上昇した。やっと下町観光できる!いっぱい楽しみたい!
私はわくわくしながら外の景色をじっと見つめた。
ルナディールに下町での新しいお友達……知り合い?ができました。その人が優しい人で良かったね、ルナディール。次はトールのお店に行きます。