俺は俺だということ
俺は遅めの朝食を終え、ロディアーナ家へ謝りに行く準備をしていた。
俺は常日頃から、兄と鉢合わせしないようにワンテンポ遅れた生活を送っていた。ご飯も授業も仕事も社交も、全て兄とあまり時間が被らないように調整している。
昨日のお茶会以降、兄とはまだ会っていない。あんなに怒って威圧してきたのに、部屋にも乗り込んでこないのが余計に怖かった。
だから、何か言われる前に早くルナディールに謝りに行こうと思ったのだ。万が一兄がルナディールの家に行って俺のことを尋ねた時、もう謝りに来ましたよと言ってくれた方が印象は少しは良くなるはずだ。
準備が終わり、俺は馬車に乗ってロディアーナ家へと向かう。兄は朝早くからどこかに出かけたらしい。仕事だろうか、と思いつつ、俺はルナディールのことを考える。
……さて、どう言って謝ろうか。
あんな散々なお茶会にしてしまったのだ、印象が悪くなってしまったのは嫌でも分かる。だが、勝手にイライラして怒って逃げ出した俺が悪いのは明白だ。
……でも、仕方がないではないか。あの場に兄がいたのだ。頭に血が昇らない方がおかしい。兄は、俺を不出来だと言い切っていた。心の中で嘲笑っているのだろう。なんでも完璧にこなす兄には、俺の気持ちなんて分かるはずがない。
俺は心の中が真っ黒くなっていくのを感じながら、馬車に揺られていた。
ロディアーナ家に着くと、使用人たちがバタバタと慌てて支度を始める。なんとなく疲れているように見えるのは気のせいだろうか。
俺は通されるまま応接室へ入ると、床に座り込んでいるルナディールとバッチリと目が合った。
こいつは何をやっているのだ?目の前に俺がいるのが見えないのだろうか。というかなんか疲れてないか?俺が来る前に、誰か来客でもあったのだろうか。
俺がそう考えていると、ルナディールはハッとしたように立ち上がり、にっこりと笑みを浮かべた。
「ごきげんよう、シューベルトさま。この度はこのような場所までわざわざご足労いただきありがとうございます」
先程までぼーっとしていたとは思えないくらいの優雅な挨拶に、面食らいつつ俺も返事を返す。
ソファに座るよう促され、俺はルナディールの正面に座る。しばらくお互い何も言わず、沈黙が訪れる。きっと、この前のお茶会で自分が何を言っても俺が不機嫌な態度を取っていたから、話しづらいのだろう。
そこで俺は、沈黙を破りルナディールに謝罪した。
「その……昨日はすまなかった。お前と二人のお茶会のつもりだったのに、兄上がいて取り乱した。酷いこともたくさん言った。……悪かった」
とりあえず謝って、それでも無言でいるルナディールに、言い訳の如く言葉を重ねる。
「でも、お前が兄上と仲が良かっただなんて思わなかったんだ!もし兄上がお前のことを好きだと知っていたらお茶会になんて誘わなかった。だから、その、もし兄上が何か言ってきたらそう答えてくれないか……?」
最後は己の保身のためにお願いする。ルナディールが俺を許しているのと許していないのとでは、兄の機嫌も違うと思ったのだ。これ以上兄を刺激しないように、そして俺が兄と関わることがないように、俺は自分のお願いを口にする。
しばらくしてから、ルナディールは大変言いにくそうに困った顔をして、
「えー、その、シューベルトさま。何か勘違いをなさっていますよ?フォスライナさまは、わたくしのことが好きだとは思えません。だって、昨日が初対面でしたから」
と衝撃の発言をした。俺は驚きすぎて、「は?」と言ってしまう。
「先程フォスライナさまがいらっしゃって、シューベルトさまと同じようなことを言っておられました。わたくしがシューベルトさまのことを好きだと。もちろん否定させていただきましたが、シューベルトさまもフォスライナさまも勘違いなさりすぎでは?お二人でお話されたりはしませんでしたの?」
兄が俺の前に来ていた?だからみんなどこか疲れた顔をしていたのだろうか。
でもそんなことよりも、最後に言われた一言にカッとしてつい声を荒げる。
「俺が兄上と話せるわけないだろう!」
バン!と机を叩いた。
「兄上は、俺と違って完璧なんだ!俺なんか眼中に無い。昨日だって、お茶会の間中俺を笑って威圧していたではないか!俺なんて必要ないと思ってるんだ!出来損ないの不出来な奴だって心の中で笑ってるに決まってる!」
兄への怒りが爆発し、俺はルナディールにぶつけてしまう。一度口に出たら止まらない。俺は、心の中が兄に対する嫌味と嫉妬、憎しみでいっぱいになっていくのが分かった。
しかし、俺がいくら兄への怒りをぶちまけても、ルナディールは何も反応せずにずっと下を向いている。
その姿にまたイラッとし、こいつは何も聞いていないのではないか、兄への怒りに火を付けたくせに聞く気が全くないではないかと、また怒りが募っていく。
ふとルナディールが顔を上げた瞬間を見逃さす、俺は思いっきり彼女を睨みながら怒鳴りつけた。
「お前、聞いてるのか!?さっきからぼーっとして……せっかく俺が謝りに来たというのに無視するのか!どうせお前も兄上と俺を比べて出来損ないだと思っているんだろう!」
そう言うと、ルナディールはコトリとティーカップを置いて、真っ直ぐ俺を見つめてきた。
「聞いていますわ。ただ、すごい被害妄想だなぁと感心してしまっていただけですもの」
しかし、その口から発せられた言葉にまたカチンときてしまう。
「被害妄想だと!?事実ではないか!」
こいつは兄のことを全く分かっていない。兄が俺に向ける冷たい視線を知らないからそんなことが言えるんだ!お前なんて眼中にないと、そう言っているような目をお前は向けられたことがあるのか!?
「では、直接フォスライナさまにお尋ねになられたのですか?」
「……っ!そ、それは……」
直接尋ねる?そんなことしようと今まで一度も思ったことなかった。
そんなことを言われるとは思ってもいなかったので、俺は言葉に詰まる。
「直接尋ねてもいないのに、勝手にそうだと決めつけるのはいかがなものかと思います。現に、わたくしも先程フォスライナさまと直接言葉を交わして、誤解を解きましたから」
ルナディールは、俺から決して目を逸らそうとはせず、真っ直ぐ見つめながら諭すように語りかける。その目から逃れられずに、俺は黙って聞く。
「それに、シューベルトさまを誰かと比べるのが間違っています。シューベルトさまはシューベルトさまです。他の誰でもない、たった一人の人間です。この世に二人と同じ人間は存在しないのですから、シューベルトさまがフォスライナさまと違うのは当たり前でしょう?それを理由にお話されることを拒むのでしたら、それは間違っています」
初めて言われた言葉に、俺は上手く頭が働かなくなっていた。
俺が兄と違うのは当たり前?だから兄を避けるのは間違っていること?
「そんな事言ったって、俺は……俺は……」
上手く言葉が出てこなくて、何かに縋るように呟く。すると、ルナディールはさっきよりも大きな声で俺に言った。
「もう、しつこいですわ!うじうじうじうじ、そんなシューベルトさまを見ているとイライラしてしまいます!いつもの俺様はどうしたのです?いつもの我儘はどうしたのです?あなたはなりふり構わず堂々としていれば良いのですわ!堂々と我儘を言って周りの人を困らせていれば良いのです!それにわたくしを巻き込まないでくださいまし!」
イライラしている感じのルナディールに、俺はおずおずと尋ねる。
「お前は……俺が、このままでも良いと言うのか?我儘を言って困らせても、兄上とは全く違っても、良いと言うのか?」
俺の周りにいる人は、みんな俺と兄を比べていた。そして、どうして俺は兄のように完璧ではないのか、こんなに我儘に育ってしまったのか、と嘆いていた。一時期は兄を見習って、努力していた時もあった。だけど、どう頑張っても兄には届かなくて、周りの人も落胆して、頑張るのは無駄だと悟った。
それから、俺は今までずっと否定され続けてきた。何をやってもダメな奴だと言われ、俺は王族の資格なんてないなんて言葉も陰で囁かれた。
こんなダメな俺は、だれも認めてくれないのだと、そう思っていた。それなのに、こいつは……。
「良いと言っているではないですか。それでもフォスライナさまのようになりたいだとか、こうなりたいだとか思うのならお好きなようになさいまし。わたくしには関係の無いことですから」
呆然とする俺に、ルナディールはにっこりと笑って、
「シューベルトさまのお好きなように生きれば良いのですわ。あなたの人生ですもの、やりたい事をすれば良いのです」
と優しく語りかけた。
俺はその言葉に驚いて固まってしまう。
俺は、俺?やりたいように生きても良いのか?兄なんかと比べずに、自由に生きても良いと?
誰かに優しく肯定されたのは初めてで、心臓がバクバクと強く鳴っている。嬉しくて嬉しくて堪らなかった。気を抜くと、涙が溢れ落ちそうになる。
ルナディールの笑顔が頭から離れない。
しばらく呆然としていると、ルナディールがパクパクと目の前にあるマドレーヌを食べていることに気が付いた。
きっと、何も反応の無い俺を気遣って、俺が再び動けるようになるまでそっとしておいてくれたのだろう。そう思ったら、心の中がポカポカと温かくなった。
そして、幸せそうにお菓子を頬張るルナディールに、気が付くと俺は、
「お前、お菓子好きなのか?」
と尋ねていた。すると彼女は、とてもとても幸せそうな顔で、
「はい、大好きです」
と声を弾ませて答えた。
その笑顔が眩しくて、輝いて見えて、俺はまた少し固まってしまう。
好きなものを好きと、胸を張って言えるようになりたい。心からそう思った。
俺は、自分の心を救ってくれた彼女に、お礼の気持ちも込めて、
「そうか」
と答える。自然と顔が笑顔になってしまった。
ルナディールは、俺のことを初めて一人の人として見てくれた人だ。俺は俺で、兄とは比べなくても良いと、初めて言ってくれた人だ。
兄とは恋仲じゃないと言っていたし、昨日が初対面だとも言っていた。だったら、これから俺がルナディールと仲良くしても、何も言われないだろう。
それに、もし仮に兄に何か言われたとしても、俺は彼女と仲良くなることを辞めたくない。
「それじゃあ俺は帰るぜ。また遊びに来るからよろしくな」
まだ何かを考えているらしいルナディールにそう告げて、俺は軽やかにロディアーナ家を後にする。
今日から、新しい人生が待っている。そう思った。
そして、ルナディールが言っていたみたいに、頑張って兄と話してみようかな、と少し思えた。
まだ兄のことは怖いし、なんて思われているかなんて分からない。嫌われているかもしれない。
それでも、ルナディールのあの笑顔を思い出したら、頑張ってみようかなと勇気が湧いてくる。
「……ルナディール・ロディアーナ」
名前を呟いてみると、俺の心がポカポカと温かくなった。この不思議な感じはなんだろう。
分からなかいけれど、俺は何か大切なものを手に入れた気がした。そして、これを絶対に手放したくないと強く思った。
シューベルト目線でした。肩書きだけ見られて、自分自身を見てくれないのって辛いですよね……。次はルナディールにちょっとした試練が訪れます。頑張れ、ルナディール!




