ルナディール・ロディアーナという令嬢
私は朝食を終えるとすぐに馬車に乗り、ロディアーナ家へと向かう。
いきなり押しかけるのは迷惑だとは分かっているが、昨日泣かせてしまったルナディールのことが頭から離れなくて、早く謝らなければと思わずにはいられなかった。
……ルナディールは、私と会ってくれるだろうか。謝罪を受け入れてくれるだろうか。
不安で胸がいっぱいになる。
今まで、私が誰かを泣かせたことは無かったので、どうやって謝るのが一番なのか分からない。
謝罪を受ける方なら慣れているのに、謝罪をすることは慣れていない。また何か間違いを犯して、ルナディールを傷付けてしまわないだろうか。
はっきりいうと、実はまだ、どうして彼女を泣かせてしまったのか原因が分からずにいた。
いくら考えても、全てが急なことで全く分からなかったのだ。私の受け答えがダメだったのか、態度がダメだったのか、全く分からない。
……今まで生きてきた中で、きっと一番悩んでいるし不安に思っているな。
私はため息をついて、キュッと気を引き締める。
もう一度失敗するわけにはいかない。完璧な私に、二度も失敗は許されないのだから……。
ロディアーナ家に着き、私は応接室へと通された。
私の顔を見た使用人たちは、真っ青な顔をしてドタバタと支度を始める。
どうやらルナディールは、今は剣術の稽古をしているらしい。それなら着替えもあるだろうし、少し時間がかかるかもしれない。
それよりも、令嬢が剣術を?令嬢が好んで剣術をやるとは思えないが、何か訳ありなのだろうか。
ソファに座りながら、謝罪文を頭の中で復唱していると、扉が開いてルナディールが入ってきた。
目が会い、私はスッと立ち上がる。
「ごきげんようフォスライナさま。このような場所までご足労いただき、誠にありがとうございます」
急に訪ねてきたにも関わらず、動揺を一切見せずに優雅に挨拶をするルナディール。その姿を見て、ひとまず安心した。どうやら話は聞いてくれそうだ。
そこで私は、いきなり本題に入ることに決めた。こういうのはダラダラと長引かせても悪いと思ったのだ。それに、彼女にも今日の予定がある。私の身勝手でそれを潰させるわけにはいかない。
「ロディアーナ嬢、急に訪ねてしまい申し訳ありません。ですが、昨日のことを早く謝罪しなければ、と思い予定も聞かず訪ねてきてしまいました」
そこで一呼吸し、覚悟を決める。
「ロディアーナ嬢、昨日はあなたを泣かせてしまい、本当に申し訳ありませんでした」
そう言って頭を下げる。
「ですが、情けないことに、あれから自分の行動を顧みてもどの行動があなたを泣かせる直接の原因になってしまったのか分からなかったのです。なので、今後ロディアーナ嬢に不快な思いをさせないためにも、どうして泣いていたのか教えていただいてもよろしいでしょうか」
そして、ルナディールの方を見ながらそう尋ねる。
私が悪いことをしてしまったのなら、今後また繰り返さないためにも、教えてもらえるなら嬉しい。
しかし、ルナディールは無言のままだ。きっと、私を泣かせておいてその理由も分からないなんて、と失望しているのだろう。怒りを押し殺しているに違いない。
きっと口を開けば私を非難する言葉が出てきてしまうのだろう。だから、それを抑えるために口を閉じている。
昨日のお茶会でも、シューベルトが失礼な態度を取った時、お菓子を食べて気を紛らわせていた。今回は気を紛らわせるものがないから、無言を取ったのだろう。
そこで私は、もう一つ謝らなければならないことがあったと思い出した。それは私がルナディールとシューベルトの二人の時間を割いてしまったことだ。
思えば、最初私が彼女を傷付けてしまったのは、私が無理矢理お茶会に参加すると言った時だ。それは謝らなければいけないことだろう。
「そうですよね、こんな謝罪では受け取ってもらえるはずありませんよね。本当に申し訳ありませんでした。あなたにとって、私は最初から邪魔者だったのでしょう。想い人との二人きりの時間を壊した挙句、あなたを泣かせてしまう始末。弟でさえあなたを泣かせなかったというのに……。いえ、でもそれは仕方ないですよね。あなたは弟のことが好きなようですし、好きな相手には泣き顔を見せたくないと思うのも当然ですから」
ついくどくどと長ったらしくなってしまった。弟でさえあなたを泣かせなかった、でもそれは仕方ない、好きな相手には泣き顔を見せたくないのだから……。
そこで私は、あることに気が付いた。この台詞は言い訳にしか聞こえない。まるで、私が泣かせてしまったのは仕方のないことで、ルナディールがシューベルトに色々言われても泣かなかったのは好きな人だったから。だから、好きな人でなければ泣かれて当然。私は悪くない。そう言っているみたいだ。
……そんなことを言うなんて、最低じゃないか?
シューベルトは私よりも劣っているし、周りの人からの評判も悪い。しかしそんなシューベルトが、自由に生きている姿にどこか嫉妬していたのかもしれない。
だから、今回の件だって、心の中のどこかでシューベルトのせいにしてしまっていたのかもしれない。元はと言えばシューベルトがルナディールをお茶会に招いたのが悪い、礼儀を知らないシューベルトが悪い。
そんな風に思いながらでは、相手に謝罪の気持ちが伝わらないのも無理はない。
私は今しがた気付いた気持ちに愕然としていると、ルナディールは私の目を真っ直ぐに見つめて、
「フォスライナさま、何か誤解をされているようですので訂正させていただきますが、わたくし、シューベルトさまのことを好きではありません。とんでもない誤解です」
と、きっぱりと言い張った。
その言葉に頭が真っ白になる。シューベルトのことが好きではない?それなら、どうしてシューベルトの失礼な態度に何も思わず、私だけが泣かせてしまったのか。
「え?で、ですが、ロディアーナ嬢は……」
シューベルトのことが好きだったのなら、まだ言い訳ができたが、そうでないならば完全に私に非があることになる。シューベルトよりも怒らせてしまうことをしてしまったのだろうか、この私が?
不安と怖さでいっぱいになる中、ルナディールは驚く発言をした。
「フォスライナさまがどこでそういう勘違いをなさったのか分かりませんが、わたくしがシューベルトさまのことが好きだなんて、神に誓ってありえませんわ。それに、先程あなたはわたくしを泣かせたと謝罪しましたが、あれは別にあなたのせいではありません。むしろ、わたくしが謝罪をしようと思っていたところなのです」
意味が分からず、呆然とルナディールを見ていると、彼女は私に向かって深々と頭を下げ、
「昨日はフォスライナさまを傷付けるような発言をしてしまい、誠に申し訳ございませんでした。そして、フォスライナさまに無理をさせたと勝手に自己嫌悪に陥り、感情を抑えられず見苦しい姿をお見せした挙句、挨拶もそこそこに逃げ出してしまった無礼をお詫びいたします」
と謝罪した。いきなりの出来事に一瞬ついていけなくなったが、私は慌てて言葉を発す。
「そ、そんなロディアーナ嬢、顔を上げてください。それよりも、私を傷付けてしまったとは何のことでしょう?無理をしているつもりもなかったのですが……」
本当に分からなくて首を傾げて聞くと、ルナディールも「え?」と少し首を傾げながら、
「王族と関わらないようにしたいだとか、王族とこれ以上関わることになって嘆いているだとか、とても失礼なことを言ってしまいましたし、その後しばらく言葉を失っていたフォスライナさまが、無理矢理笑顔を作っているように見えたので、無理をさせてしまったのだと思ったのです」
と言った。
そこで、私はとんでもない勘違いをされていたのだと気が付いた。そしてゆっくりと首を振る。
「違うのです、ロディアーナ嬢。私は驚いただけで別に傷付いたりはしていません。それに、確かにあの時は笑顔を作りましたが、それは戸惑いを隠そうとしたのであって、無理をして笑ったわけではありません」
「そうだったのですか……。それでは、わたくし達はお互いに誤解をし合っていたということですわね」
私の言葉を聞いて呆然と呟くルナディールに、
「そう、ですね」
と私も答える。けれど、私が彼女を傷付けたわけではないみたいだ。そう分かると安心して、ふっと表情が和らぐ。
それにしても、まさかお互いに勘違いをして自分自身を責めていたとは。きっとルナディールも相当悩んだに違いない。
今回は私の表情の取り繕いが上手くいかなかったのが原因だ。もっと完璧に悟られないよう練習する必要がある。
そう思っていると、ルナディールが小さく、
「完璧もこうして仇となることがあるのですね」
と呟いたのが聞こえた。
「え?」
急に呟かれた言葉に、つい反応してしまう。
するとルナディールは、少し困ったような顔をして私を見つめ、しばらくしてから言った。
「いえ。フォスライナさまは表情を取り繕うのがお上手ですが、それが原因で今回のような誤解を生み出すきっかけとなってしまったので、常に完璧でいる必要もないのではないかな〜と思っただけですわ。もちろん、貴族には取り繕う術が必須なのは心得ておりますので、今の言葉はどうぞ聞き流してくださいまし」
にこっと笑ってそう言うルナディールが信じられなくて、私は呆然と、
「ロディアーナ嬢は私が完璧でなくても良いとおっしゃるのですか?」
と、聞き返す。
完璧でいなくても良いなんて、そんなこと言ってくれた人は今まで誰一人としていなかった。王子なのだから、完璧を求められるのは当たり前だ。それなのに、彼女は私に完璧を求めないのか?
すると、ルナディールはこてんと首を傾げながら、
「常に完璧な人間なんていませんよ。そんなもの、どう頑張ってもなれるわけないじゃないですか。失敗するから人間なんですよ?なので、フォスライナさまもたまには息抜きした方が良いですよ。毎日毎日、完璧であろうと必死に生きていたら疲れません?」
そう尋ねてきた。その言葉で、心がふっと軽くなった気がした。
完璧な人間なんていない、頑張ってもなれない。そう、そうなのだ。
周りの人は当然のように『完璧』を求めるし、それに私も頑張って応えようと生きてきた。なのに、その私の努力を見てくれる人は誰もいなくて、『完璧』な王子だからできて当たり前という目で見られる。それが、とても辛かった。苦しかった。
どこまでいっても上がるハードル。そのうち、周りの人が求める『完璧』についていけなくなるのではないかと怖かった。だから内心、思っていた。
誰でも良いから、私をこの地獄から救って欲しい。『完璧』でなくても良いんだよと言って欲しい。
そう、長年思っていた。
そして、それを目の前にいる彼女が……ルナディール・ロディアーナが言ってくれた。初めて、『完璧』でなくても良いと言ってくれた。息抜きしても良いと言ってくれた。
心の中がぽかぽかと温かくなって、自然と笑みが溢れてくる。
「そうですね、疲れます」
そこで、思った。この人の前でなら、私は気張らずにいられるかもしれない。完璧であろうと無理をしなくても済むかもしれない。
そう思ったら、もっと彼女と一緒にいたくなった。彼女は王族と関わるのは嫌らしいが、それでも私は彼女と一緒にいたいと思うし、もっと私のことを知って欲しいと思った。
誰かにこんな想いを抱くなんて初めてで、少し新鮮だ。
私はぼーっとしている彼女の近くまで歩き、そっと静かに耳打ちした。
「あの、よろしければこれからも、息抜きをしに家に伺っても良いでしょうか?あなたの前でなら、私も休めると思うので」
そして、一歩退いて、
「それでは、今日はこの辺で失礼いたしますね」
と挨拶をする。すると、ルナディールも慌てて挨拶を返した。その様子がおかしくて、私はすれ違いざま、また彼女の耳元で、
「また、必ず会いに来ますから」
と囁く。そしてそのままロディアーナ家を後にして、馬車に乗り込んだ。
行きとは打って変わって、心は温かく弾んでいた。彼女の姿が頭から離れない。
彼女と仲良くなると、派閥の勢力が大きく傾いてしまうことは分かっていた。争いがちょくちょく増えるのも目に見えている。
しかし、そんなことはどうでも良い。私はそんなくだらないものよりも、彼女と一緒にいる時間をもっと取りたい。そう思った。
そのためには、たくさんある仕事を効率よく片付けていく必要があるな。
……ああ、王族とは面倒だ。でも、私が王族である限り、彼女は私が訪ねていったら対応しなければならないし、私の言葉を無下にはできない。そう思うと、王族で良かったとも思う。
ルナディールには悪いけれども、私はこれからどんどんルナディールに接触していくつもりだ。ルナディールの隣は、とても居心地が良さそうだ。
私は馬車に揺られながら、笑みを溢す。これからどうやってルナディールにアピールしていこうか。結婚しない宣言をしていたけれど、私は絶対に彼女のハートを射止めてみせる。
フォスライナ目線でした。これからフォスライナがぐいぐいルナディールにアピールしていっちゃうかも……?推しにぐいぐいこられたら、私の心臓は止まりそうです(。-∀-)次回はシューベルトと和解編です。