貧民街での思いがけない遭遇
「お義兄さま、剣なんて持ってきていたのですか」
驚いてそう尋ねると、義兄はちらりと私の方を見て真顔のまま頷いた。
「当たり前だ、外に出歩く時は常に携帯している」
「全く気付きませんでした……」
懐にでも隠していたのだろうその剣を持ち、義兄は再び男の方を向いて静かに言葉を発した。
「お前たちは過去、俺の義妹に手を出したそうだな。その罪は万死に値する。その身をもって償ってもらおう」
ギロッと鋭く睨み、義兄が一歩一歩と男たちに近付いていく。これから殺されると確信した男たちは、皆真っ青だった。
リーダーと思われる男の前に立ち、義兄が剣を持ち直したとき。ふと、自分が義兄に殺される場面が頭に浮かんだ。そう、悪役令嬢ルナディールがバッドエンドを迎えるときだ。
あの時、ルナディールを殺した後、義兄はどうなった?初めて人を殺してしまった義兄は……人の命はなんて呆気ないものだと、ルナディールの死体を見下ろしながら微笑した。
微笑、だ。これが何を意味するのか?それを悟った私は、急いで義兄を止めに入った。
「お義兄さま、お待ち下さいっ!!」
「!?」
剣で男の首をはねようと、腕を振っていた義兄。あと数ミリで剣が首に触れ、男の頭と胴体が真っ二つになる直前、私は男を捕らえていた土の鎖を解いて男を引っ張るようイメージして魔法を使った。ロープのようにしなやかに変形した土は男の腕を掴み地面にたぐり寄せ、男はされるがまま地面に倒れ込んだ。
男は何が起こったのか分からないのか、ただ呆然と剣が振られた場所を見ていた。土魔法で男を動かさなければ、きっと彼は死んでいただろう。
「急にどうしたんだ」
義兄は驚いたように私を振り返り、そっと剣を下ろした。その姿にホッと胸を撫で下ろしつつ、急に止めてすみませんと謝った。
「お義兄さまに人殺しをさせてはいけないと思ったのです」
正直に打ち明けると、義兄は困ったような顔をしてふるふると首を振った。
「心配はいらない。こいつらを殺したところで何も支障は無いからな。それに、お前が人を殺したら今後ずっと心を痛めるだろう?そんな思いはさせたくない。だから俺が殺す」
そう言って再び男を冷たく見据えた義兄。地面に倒れている男は恐怖で動けないのか、ガタガタと震えていた。
「待って下さいお義兄さま!お義兄さまは人を殺してはいけません!」
私の言葉に動じず、今にも男を殺そうとする義兄の姿を見て、私は慌てて動き、男を庇うように義兄の前に立ちはだかった。そして真っ直ぐと義兄の目を見つめる。
「ルナ、退くんだ。今そいつは拘束されていない。お前が庇うように立ちはだかったら、お前を人質に取られてしまうかもしれないだろう」
「ならばもう一度拘束するまでです」
私はもう一度魔法で男を拘束し、義兄と向き合う。義兄は拘束された男をちらりと見た後、困ったように私を見つめた。
「俺が人を殺してはいけないとはどういうことだ?俺は今後、義父さんの仕事を継ぐことになる。そうなれば、いつか罪人を処罰する判断を下す日がくるだろう。だからお前が心配しなくても、俺は大丈夫だ」
そう言い切る義兄に、私は何て言ったものかと少し考えた。確かに義兄の言うとおりかもしれないが、それでも義兄は人を殺めてはダメなのだ。
だって、人を殺すのは簡単だと考えるようになったら……人を殺しても何も感じないようになったら……それは、もう……
私は義兄の手を取り、真っ直ぐと義兄の目を見上げた。私の姿を映し出している、まだ優しい瞳の義兄。この瞳が濁りませんようにと願いながら、私は言葉を発す。
「確かにお義兄さまの言うとおりかもしれません。今後、お義兄さまが罪人を処罰することもあるでしょう。ですが……心配なのです。お義兄さまが実際に人を殺し、人を殺すのが簡単だと思ってしまうことが。人を殺すことを躊躇わなくなることが。私は、出来るのならばお義兄さまに手を汚して欲しくありません。お義兄さまが私に思うのと同じように、私もお義兄さまが人殺しをすることで何かが変わってしまうのが嫌なのです」
きっぱりとそう口にすると、義兄は驚いたように目を見張った。私はそのまま言葉を続ける。
「もしかしたら、どうしようも出来ない時があるかもしれません。誰かを自らの手で殺めなければいけない時がくるかもしれません。でも、それは今じゃありません。今お義兄さまが手を汚す必要はないのです」
「……だが、それならこの男たちはどうするんだ?」
義兄はちらりと男たちの方を見てそう言った。私も同じように男たちに目を向け、私は小さくため息をついて義兄に向き直った。
「殺さないでおくしかありません。あの人たちの言葉に従うみたいで癪に障りますが……罰する方法は殺す以外にもたくさんあります。なので、彼らには死ぬよりも辛いと思うような罰を与えましょう。生き地獄ってやつです」
にこりと微笑むと、義兄は目を見開いて私を直視した後、くすりと小さく笑った。そして、
「やはりお前には敵わないな」
と言って優しく私の頭を撫でた。その優しい雰囲気にホッとしつつ、私もくすぐったく感じながら頭を撫でられていた。
「ルナ……様、結局ラルフたちはどうするんだ……ですか?」
義兄に撫でられていると、ふとコリーにそう尋ねられて私はコリーの方を見た。すると、コリーはサリーを大切そうに抱えながら私を見上げていた。その顔は緊張しているのか少し引き攣っていて、茶色の瞳は不安気に揺れていた。
「コリー?どうしたの、そんな顔をして。ラルフってもしかしてこの男のこと?」
軽く男を見やってからコリーに尋ねると、コリーはこくこくと頷いてぎこちなく話し出した。
「そいつらは貧民街の悪党で、切られそうになっていたのがラルフ、その後ろにいるのっぽがヤルカン、がたいが良いのがドルダン、小さいのがトルコロ、眼帯しているのがホーク……です」
五人全員の名前を教えてくれたコリー。しかし、私は右から左で名前を覚えることは出来なかった。それに、悪党の名前なんかよりもコリーがどこか怯えた様子で敬語を使っている方が気になった。
「コリー、どうして急に敬語になったの?別に今まで通り話してくれて良いのよ」
「あ、いや……その、ルナ……様って、もしかしなくても貴族様、なんだろ?……です。それに、強い。あんな魔法が使える人を見たのは初めてだ……です。サリーの怪我を治す光景は、まるで人じゃないみたいで……」
私と目を合わせたくないのか、目を逸らしながらそう答えるコリー。その様子に、私は少しショックを受けた。
「それって、私が化け物みたいってこと?」
悲しくなってそう聞けば、コリーは慌てたように顔を上げてブンブンと首を横に振った。
「いや、そうじゃなくて!女神とか、なんかそういう神々しいものに見えたっていうか……俺が気軽に話しかけて良い人じゃないんだって……ルナ……様を不快にしたら、その場で殺されそうだなと……」
そう言い訳するコリーに余計に悲しくなり、私は一つため息が溢れた。それにコリーはビクリと肩を震わし私を恐る恐る見つめ、それがいつかのムルクリタと重なって悲しくなった。
なんていうか、本当に自分は人を怖がらせるのが得意らしい。自分の怒りを制御出来ず、相手を威圧する。こんなの本当に悪役令嬢ではないか。バッドエンドがどんどん近付いてしまう。
さっきは義兄が間に入ってくれたお陰で、少し落ち着いて魔力は制御出来るようになったけれど、もしあのまま野放しにされていたら私は男たちを殺していたかもしれない。
冷静に考えれば、どんな理由があろうと人殺しなんてしてはいけないと分かるのに。人殺しをした途端、私は犯罪者だ。あの男たちより悪い立場になってしまう。だって、彼らは人殺しまではしていないのだから。……恐らくだけど。人をいたぶって楽しんでいただけ。無論、だからといって許されることではないけれど。
こんなに短気で自分を抑えられなくなるなんて。もしかしたら本当に悪役令嬢ルートに入りかけているのかもしれない。いつか手遅れにならないか心配だ。
「怯えさせてごめんね、コリー。どうやら怒りで我を忘れていたみたい。少なくともサリーやコリーに何かすることはないから安心して。それと、今はお忍び中だから。確かに私は貴族だけれど、だからといって無理に敬語を使う必要はないわ。今まで通り、普通に話してくれると嬉しい」
もう怯えさせないよう、出来るだけ優しく微笑んでそう告げると、コリーは何か考えるように黙ってサリーを見つめていた。それから私の方を見て、躊躇いがちにこくりと頷く。
「……分かった。それじゃあ、普通に接する」
「ありがとう」
その言葉が嬉しかった私は、そう笑ってコリーを見つめた。するとコリーは私から視線を逸らし、心配そうにサリーを見つめた。
「サリーは治ったのか?」
「いいえ、残念ながらまだ治っていないわ。私がしたのは応急処置。悪党どもにつけられた傷や、喉の炎症を癒やしただけ。私の力じゃ病原菌を消して体力を回復させることが出来なかったの……あまり役に立てなくてごめんなさい」
目を伏せ、自分の力不足に歯がゆくなりながらそう溢すとコリーはふるふると首を振った。
「謝らないでくれ。傷や喉の炎症を治してくれただけでもありがたいんだ。薬じゃここまで治せなかっただろうから……。本当にありがとう、貧民街出身なのに良くしてくれて。この恩はぜってぇに忘れない」
深々と頭を下げるコリーに、私は慌てて顔を上げるように言う。
「待って、頭を上げてコリー。まだお礼を言うのは早いわ、サリーを治すって約束したんだもの。明日か明後日……少なくとも数日中には薬を持ってくるから、それまでサリーのことを見ていて。なるべく安静にしていられる場所で……」
そこで、サリーとコリーの家は悪党どもによって壊されたことを思い出し、私は顔を顰めて貼り付けになっている悪党どもを見た。
「ちょっと、サリーが安静に寝られる場所がないじゃない。どうしてくれるのよ」
ギロッと睨み付けると、男たちはヒイッと顔を強ばらせてすみませんっ!と謝った。その見事なハモりに少し苛立ちを覚えながら、どうしたものかと考える。
サリーは病人だ。休ませるなら静かで清潔なところが良い。でも、貧民街は療養には向かない。なんせ悪環境すぎるのだ。ゴミは散らばっているし汚臭がするし、心なしか空気も淀んでいる。こんなところにいたら治る病気も治らない。悪化するのみだ。
しかし、貧民街出身の人たちを迎え入れてくれる人なんてきっといない。コリーに向けられていた、あの汚い物を見るような目がその証拠だ。
家に連れて帰る訳にもいかないし、どうしよう……流石にトールの家に預けるのも申し訳なさすぎるし……
サリーとコリーを見つめながら途方に暮れていると、ふいに、
「ルナディール様」
と名前を呼ばれて私は驚きに顔を上げた。見ると、コリーの後ろからこちらに駆けてくるムルクリタとトヴェリアの姿が目に入り、私は驚きに目を大きく開きながら言葉を発す。
「え、ムルクリタにトヴェリア!?どうしてここに!?」
私の目の前までやってきた二人はピシッと背筋を伸ばして立ち、そしてムルクリタが意気揚々と話し出した。
「今日はルナディール様がいらっしゃらなかった為、俺たちは各自過ごすことにしたんです。それで、せっかくなら下町にいる病気の弟の見舞いに行こうかと思って、同じ下町出身のトヴェリアにも声をかけたんです。そして下町に着いたら平民服を来て歩いているルナディール様をお見かけしたので、何かあったらお守り出来るようにと影ながら護衛をしていました。ご挨拶が遅くなって申し訳ございません」
一通り説明し終わったムルクリタは、そこで深々と頭を下げた。トヴェリアはその説明に何か言いたげだったが、同じく頭を下げた。そんな二人の姿に、私は申し訳ないことをしてしまったなと思った。
「そうだったの……その、せっかくのお休みなのにごめんなさい」
「いえ、そんな!ルナディール様をお守りすることが仕事なので!」
ムルクリタはバッと勢いよく頭を上げそう言葉を発した。プライベートでも私の姿を見かけると、私の身を案じてくれた二人。あぁ、なんて素敵な騎士なんだろう。
そう一人で感動していたら、
「……笑わせるな」
そう義兄が溢したので私は驚いて義兄の方を向いた。見ると義兄はとても冷たい目で二人を見ており、心なしか凄まじい殺気を放っているようにも見えた。私はどうして義兄がそこまで怒っているのか分からず、困惑しながら義兄の続きの言葉を待った。
「護衛だと?ならば何故もっと早くに姿を現さなかった。ルナディールがこいつらに絡まれているのを見ていたのだろう?主人が危ない目に遭っているというのに、お前達は傍観していたというのか?それに今、ルナディールはお忍びで下町にいる。この姿を見て分からないのか?お前達は、ルナディール様と主人の名を高らかに叫んだ。それがどれほど危険な行為か分かっているのか?お前達のせいで、今ここにいる全員が彼女の本名を知ってしまった。ここでは下町に住む裕福なルナと、その友人のステラと名乗っていたのに、だ。この責任を一体どうやって取る。聞かせてみろ」
ギロッと睨む義兄に、ムルクリタの顔はどんどん青ざめていった。トヴェリアは静かに義兄の言葉を聞いていて、何か考えているようだった。
そしてその言葉に、同じくギクリと身体が強張る私。そう、私はルナで義兄はステラ、お互いに友人という設定だったのだ。それなのに私は、いつの間にか義兄の雰囲気に気圧され普段通りに接してしまっていた。一体何度『お義兄さま』と呼んでしまったことか。
……これは、もしかしなくても私も怒られるのではないだろうか。お前もだルナディール、設定を忘れお義兄さまなどど……とか責められる未来しか見えない。
義兄にこっぴどく叱られる未来を想像すると、私の身体はブルッと震えた。
ひえぇぇぇ、怖い、怖いよお義兄さま!!ただでさえ悪党のせいで気が立っているというのに……あぁ、なんて私はバカなんだ!!
うぅ、これはヤバい。自分たちが貴族だってバレた事、すっごく怒ってる。どうやってお義兄さまの怒りを静めよう、あぁ、考えるんだ私!お義兄さまに怒られないために!!
私が真っ青になりながらも頭を回転させていると、トヴェリアが静かに義兄の顔を見ながら言葉を発した。
「すぐに参上出来ず申し訳ございませんでした。それと、ムルクリタが不用心に名を発した事も謝罪申し上げます」
ぺこり、と静かに頭を下げるトヴェリア。そのあまりにも冷静な対応に、私はついトヴェリアをまじまじと見つめてしまった。
トヴェリアは顔を上げ、ちらりと私の方を見てから再び義兄の方を見た。そして、ですが、と否定の言葉を口にする。その言葉に、私はヒヤッとしてつい拳を握り締めた。
え、え、もしかしてトヴェリア、お義兄さまに口答えするの?反撃するの?
というか、あの冷たい目に睨まれているのにどうしてそう真っ直ぐ目を見つめ返せるの?怖くないの?恐怖心とかないの?その冷静さはどこからくるの?
私の頭の中はもうハテナでいっぱいだ。
「傍観していたのは貴方様も同じではございませんか?動かない貴方様を見て、私たちも下手に動かない方が良いと判断したのです。もしかしたら何かしらの計画の途中だったかもしれませんし、その場合、私たちが参入する事でかえって状況が悪化する危険がありましたから。どんな会話をなされているのか分からない状況なら尚更、慎重に動く必要があります。また、ムルクリタが不用心に名を叫んだ件ですが……これは私の監督不足です、申し訳ございません。しかし、ムルクリタが発した言葉だけではルナディール様がどのようなお立場にあるかこの者らには分からないでしょう。下町、しかも貧民街にいるような人たちが貴族社会に詳しいとは考えられません」
そう言って無表情に周囲を見回すトヴェリア。静まり返った中で発せられるトヴェリアの淡々とした声は、嫌なくらいに周囲に響いていた。
「……では、お前達の行動には問題がないと?」
「……不用心にルナディール様の名前を挙げた以外はないかと。少なくとも私はそう考えています」
そうきっぱりと義兄に告げたトヴェリア。その態度に、私はつい感心してしまう。
すごい、義兄に意見をはっきり述べられるなんて……しかも、貴方様も同じでしょって……私には絶対言えない。それに、トヴェリアが言っていた事もあながち間違いではない。
状況が分からないのなら下手に動かない方が良い。その通りだ。それに、私の名前がバレたからってここにいる人たちが私が宰相の娘だとは思わないだろう。貴族だと知られても、恐らく下級貴族だと思われる程度だ。だって、上級貴族がわざわざ遠い下町までお忍びに来るとは考えないだろうから。
「……下町出身でここまで貴族相手に強く出られる人は初めて見た。その自信はどこからくる?」
義兄もきっと驚いたのだろう。表情こそ変わっていなかったが、義兄はそう尋ねた。
「自分自身です。私は誰よりも自分を信じていますから」
迷いのない、真っ直ぐな声。その言葉から、本当にトヴェリアは自分自身を信じている事が伝わってきた。
自分の事を誰よりも信じているからこそ、こうもはっきり相手にものを言えるのだろうか。背筋を伸ばして義兄を見据えるその姿は、堂々として自信に満ちあふれているようだった。自分は間違った事を言っていない、と。その姿を見ていたら、おのずとトヴェリアは間違っていないと思えてきてしまう。
……でも、どうしてだろう。自信に満ちあふれているその姿は、どこか危うさを孕んでいた。
まさかの貧民街でムルクリタ&トヴェリアに遭遇です。次回も引き続き貧民街のお話です。