久しぶりの再会
「もう少しで下町に着きますよ、お義兄さま」
窓の外を見つめていた私が、流れる風景から義兄へ視線をずらして言葉を発せば、義兄は小さく頷いた。それから何か言いたそうな顔をして私を見つめ、小さくため息をついて窓の外に視線をやった。
私はそんな義兄の様子を見ながら、どう反応すれば良いのか分からず曖昧に笑って再び窓の外を見る。
何となく気まずい雰囲気が流れる中、どうしてこうなったのだろうと私は小さくため息をついた。
義兄がため口に拒絶反応を起こしてから、少し私と義兄の間で軽く言い合いをしてしまったのだ。
義兄は少し驚いただけだから別に大丈夫だと言ってため口を推奨したが、私は義兄に無理をさせたくなかったから敬語でいこうとしたのだ。
別に、普段通りの接し方で下町を歩いてもそこまで奇異な目では見られないだろう。これが私たちの間では普通なんですと言い切れば、大抵の人間はスルーしてくれるはずだ。
それなのに、義兄はそれを良しとしなかった。どうしてそこまでため口とステラ呼びにこだわるのか分からなかったが、義兄は、私と義兄が兄妹であることをあまり下町では知られたくないようだった。
結局推しに弱い私は最後の最後で折れてしまい、義兄に従うことにしたのだ。
下町では、私と義兄はお友達という関係になる。別に家族でも良いだろうに。
でも、流石に二人っきりの時は今まで通りに接したい。それで少しでも与えるストレスを減らすのだ。
しばらくすると、ガタンと馬車が止まって私は大きく伸びをした。ようやくブライダン商店に着いたらしい。
久しぶりにメルアに会えると思った私は、心が浮き立つのが抑えられずすぐさま馬車を飛び降りた。そのまま扉を開けて店内に入れば、懐かしい光景がそこには広がっていた。
「ルナ、いきなり飛び出すな」
義兄は店内に入るとすぐそう私に小言を言い、それからくるっと軽く辺りを見回した。
「すみません、早くメルアちゃんに会いたくて」
肩を竦め、そう言い訳をしてからお会計にいる店員さんに声をかけてトールを呼んでもらう。少しするとトールがやって来て、私と隣に立つ義兄を見ると少し顔を強張らせた。
「久しぶり、トール。元気だった?」
笑顔でそう挨拶をすると、トールはぎこちない笑みを浮かべてこくりと頷く。
「もちろんです。ええと、ルナ様もお変わりないご様子で……」
「もう、トール。前にも言ったけど私に様は要らないわ。今はお忍び中なのだから」
「ですが……」
ちら、と何度も義兄の様子を窺うトールに、この下りは前にもやったのにとついため息が出てしまう。
「大丈夫よ、誰も怒らないから。私がトールを危険な目に遭わせるわけないでしょう」
それから私は義兄の方を向き、トールのことを紹介する。
「ステラ、こちらはブライダン商店のオーナーのトール。こっちでお世話になっている人なの」
私の説明に、義兄は静かにトールを見つめる。何も言葉を発さずただじっと見られているトールは、生きている心地がしないのか真っ青な顔をしていた。
「トール、こちらはステラ。私のお友達よ。今日はステラの服を買いたくて来たの。そして出来れば、買った服に着替えたいのだけど……」
ダメ?と首を傾げる私に、トールは驚いたような顔をして私と義兄を交互に見た。それから、ハッとしたように動き出し、
「こちらへどうぞ」
と私たちを懐かしの応接室へと案内した。
「ここで少々お待ち下さい。今すぐ服をお持ち致します」
「ありがとう。ちゃんとお忍び用の平民服を持ってきてね、一張羅じゃなくて」
「かしこまりました」
トールが出て行き、私と義兄二人っきりになると、義兄は小さくため息をついて私の方を見た。
「あいつは本当に信用出来るのか?とても怯えていたように見えたが……」
「大丈夫ですよ、トールはとても信用出来る人です。それに、平民が貴族に怯えるのは当たり前じゃないですか。だって、あっちは何か不敬を働けば首が吹っ飛ぶと考えているのですよ」
大袈裟すぎですよね、と肩を竦めれば、義兄は少し黙ってから真顔で、
「……俺はあいつがお前に何かすれば、容赦なく首を吹っ飛ばすけどな」
と言ったので私はポカンと立ち尽くしてしまった。
見事に言い切ったので、本当に義兄はそうするのだろう。義兄だけの怒りは絶対に買ってはいけないと、本気で思った。
「首がふっとんじゃうの?」
私が義兄を黙って見つめていると、不意に可愛らしい声が聞こえてきて私の身体はビクリと跳ねた。驚いて声の聞こえた方を見ると、そこには可愛い可愛いメルアがいて私は目を丸くする。
「メルアちゃん!?いつからそこに……」
「ついさっき!」
私の質問に、そう笑顔で答えたメルアちゃんはトタトタと私の側に駆け寄ってきて、ギュッと抱きついた。
「ルナおねーちゃん、会いたかった!」
スリスリと甘えてくるメルアちゃんが可愛すぎて、私の顔は一気にゆるっゆるになる。
「うぅ、私も会いたかったよ~」
ぎゅーっと抱きしめると、メルアはきゃっきゃと笑って嬉しそうな声を出す。天使なメルアにしばらく癒されていると、
「メルアっ!?お前いつの間に!」
とトールの声が聞こえたので、私はハッと我に返った。恐る恐る義兄の方を見ると、義兄はじっとメルアを凝視していて私はサアッと青ざめた。
先ほどの、容赦なく首を吹っ飛ばすという言葉を思い出し、私は慌ててメルアを紹介した。
「お、お義兄さま!この子はメルアちゃんと言ってトールの娘なんです。とってもとっても可愛い天使みたいな子なので、決して悪さは致しません!ですのでお義兄さま、どうか安心して下さいませ!この子を警戒する必要など全くありませんから!!」
じっと私が義兄を見つめると、義兄は大きくため息をつきチラリとトールの方を見てから言葉を発した。
「ルナ、俺はステラだ。お義兄さまではないだろう」
「えっ?」
そこで、自分が設定を忘れていたことに気が付き、ハッと口を押さえる。
「あっ、す、すみません!その、必死でつい……え、ええと、ステラでしたね……」
冷や汗をかきながらトールを見ると、トールは今にも倒れそうなほど青ざめていて、あぁこれはきっとバレてしまったなぁと分かった。きっと、私よりも偉い立場の人が来てパニック状態に陥っているのだろう。
「……ねぇねぇ、ルナおねーちゃん、この人はだぁれ?首をふっとばす怖い人?」
どうしよう、と私が困っていると、気まずい空気をさらにかき乱すような一言を放ったメルア。私はその内容に、やっぱりさっきの義兄の言葉を聞いていたんだと私は小さく息を呑んだ。
「め、メルア、なんてことを……!!も、申し訳ありません!!」
トールは近くのテーブルの上に持ってきていた服を置き、もの凄い速さでメルアを捕まえてペコリとお辞儀をした。義兄に向けて九十度に下げられた頭は美しく、まるで電光石火のように動いたトールに、私は驚きを隠せなかった。
きっと、それほど義兄に怯えているのだろう。
義兄はどんな顔をしているのだろう、と少し怖くなりながら義兄を窺うと、義兄は無表情で一切感情が読み取れず、とても怖かった。これは私も弁解しなければ、と私もトールとメルアの味方をする。
「お、お義兄さま?ええと、メルアちゃんはまだ幼いので、気を悪くしないで下さいませ。悪気があった訳ではありませんから。メルアちゃんは本当に優しくて良い子ですから、お義兄さまも実際に関わってみたらすぐに分かるはずですわ」
必死にそう言葉を発して義兄を見れば、義兄は顔を少し顰めて私を見た。その表情に、やばいどんどん義兄が不機嫌になっていくと私は焦った。
下町ではため口とステラ呼びをするようにと言われているが、この空気の中そんな舐めた口がきけるほど私の心は強くない。頭では分かっていても、言葉が勝手に敬語とお義兄さま呼びになってしまうのだ。
「ルナおねーちゃん、怖い?怯えてるの?」
すると、成り行きを静かに見守っていたメルアちゃんがそう首を傾げ、
「ルナおねーちゃんをいじめちゃダメなの!」
と頬を膨らませて義兄を見上げた。そして、トールから逃れて私に抱きつき、
「ルナおねーちゃんをいじめるの、悪い人!」
と声を上げる。
「……」
私はもう、何も声が出なかった。メルアからしてみれば、義兄はとても大きくて無表情の怖い男の人だ。それなのに、声を上げて義兄を真っ直ぐと睨み付けられるその度胸に、私は心底感動した。これはなかなか出来ることじゃない。
「め、メルア!!」
しかし、感動している場合ではない。トールの今にも倒れそうな声を聞いて、私はメルアの肩に手を置いてメルアを落ち着かせようとした。
これ以上誤解させたままだと、もっととんでもない事を義兄に言いそうで少し怖かったのだ。
「メルアちゃん、聞いて。あのね、この人は怖い人でも悪い人でもないんだよ。この人は私のお義兄ちゃんで、とっても優しい人なの」
「……おにーちゃん?」
「そう、おにーちゃん。だから、私は大丈夫だよ。私にとって、この人はとってもとっても大切な人だから、メルアちゃんも仲良くしてくれると嬉しいな?」
「……分かった!」
私の言葉を静かに聞いていたメルアは、満面の笑みでそう頷いて私から離れた。それから義兄に向き合い、ぺこりと頭を下げ、
「悪い人って言ってごめんなさい」
と素直に謝った。その姿に、じーんと感動して涙が出そうになる。本当に良い子すぎる。
さて、このメルアからの言葉に義兄はどう返すのだろうと義兄を窺えば、義兄は相変わらず無表情のままじっとメルアを見つめていたが、
「……いや、勘違いされたのは俺にも非がある」
と小さくそう言った。その言葉に、義兄が怒っていないと分かった私は一気に安心して、良かった~と口から溢れ出た。
「?ルナおねーちゃん、メルア、このおにーちゃんに許してもらえたの?」
義兄の反応に、メルアは顔を上げて私にそう尋ねてきた。こてりと首を傾げるその様子に、メルアには少し難しかったかなと苦笑する。それから跪き、私はメルアと目線を合わせて語りかけた。
「そうだよ、おにーちゃんは優しいからね。でも、メルアちゃん。この前言ったけど、急に私に抱きついたり話しかけたりするのはダメだよ?危険な人かもって誤解されたら大変だからね。メルアちゃんに何かあったら、私とっても悲しいもの」
メルアにそう言い聞かせながら、今一緒にいるのが短気な人じゃなくて本当に良かったと心の底から思った。もし義兄が、メルアが私に抱きついた瞬間危険人物認定していたら、今頃本当にメルアの首が吹っ飛んでいたかもしれない。
そんな恐ろしい未来が訪れなくて良かったと本当に思う。きっと、事前にメルアちゃんについて話していたから、義兄ももしかしてと思ってくれたのかもしれない。
「……ごめんなさい。メルア、ルナおねーちゃんに会えたのがとっても嬉しくて、お約束のこと忘れちゃってたの。……お約束を破っちゃったから、もうメルアに会いに来てくれない?」
メルアは目に涙を溜め、私の服の袖をぎゅっと掴んだ。
「メルア悪い子だから、嫌いになった?」
うるうると見上げてそう尋ねるメルアに、私の心はぎゅっと締め付けられる。堪らず、私はメルアを抱きしめてふるふると首を振った。
「私がメルアちゃんのことを嫌いになるはずないよ。だって、メルアちゃんは私の大切な人だもの。ただ、今度からはお約束を守って欲しい。それが出来るなら、私はまたメルアちゃんに会いに来るよ」
「ほんと……?メルア、頑張る!今度こそ絶対に、お約束守る!だから、またルナおねーちゃんと会いたい!」
「うん、うん。私ももっともっとメルアちゃんとお話したい」
ぎゅっと抱き合って、そう言葉を交わし合っていると。
「……お前は本当にその子が大切なんだな」
ふと、そう溢す義兄の言葉が聞こえて私は義兄を見上げた。義兄と目が合うと、義兄は気まずそうな顔をして、
「不安にさせて悪かった。いつもより気を張っていたからか、また誤解させてしまったらしい」
と小さく言った。その言葉に、私もハッとしてメルアちゃんを抱きしめる手を緩めた。急に力が緩んだ私に、メルアちゃんは不思議そうな顔をして私の顔を見るが、私の視線は義兄に固定されたままだ。
よくよく考えてみれば、義兄が無表情なのはもともとだった。最近はいろんな表情を見ていたから忘れていたが、少し前まで無表情が通常運転だった。
だから、義兄が無表情だから怒っていると考えるのはダメなのだ。それは決めつけになってしまう。誤解が生じる原因だ。
それに、義兄はきっと今まで下町に足を運び平民と話したことはない。だから身構えるのは当たり前だ。
私にとって当たり前な出来事も、前世の記憶を持たない根っからの貴族には理解出来ないことが多いのかもしれない。それを失念していた。
義兄は優しくて優秀な、素敵な人だと分かっているはずなのに。バッドエンドでは義兄に殺されるというフィルターがかかっているせいで、どうもたまに義兄がたまらなく冷酷な恐ろしい人だと思ってしまうのだ。あのエンドは、全て悪事を働いたルナディールが悪いというのに。
殺される危険があるからとても恐ろしい人だとか、そういう考えは捨てないといけないのだ。だって、ソルユアと結ばれて幸せになるエンドがあるのだ、そんな酷い事をする人のわけがない。
攻略対象が誰かを傷付ける恐れがあるのは、それは全て悪事を働いたルナディールぐらいだ。他の善良な人が、彼らによって危険に晒されることはない。
そこまで考えて、私は自分の愚かさについため息が出た。メルアから離れ、私は義兄に向き合って全力で頭を下げる。
「こちらこそ、申し訳ありませんでした!!よく考えれば、お義兄さまがそんなことをするわけがないと分かることなのに……もしかしたらメルアちゃんの首が吹っ飛ぶのでは、と心配になってしまいました。それに、うっかりお義兄さまと呼んでしまいましたし……」
「い、いや、頭を上げてくれルナディール。その、俺も悪かった。設定について強要するような感じになってしまい……だが、お前に無理をさせたい訳じゃなかったんだ。お前が嫌なら、無理して友達のように接しなくても良い」
「いえ、そんな無理だなんて!私はただ、お義兄さまが敬語無しで話しかけられることにストレスを感じるのなら、無理をさせるわけにはいかないと思って……」
話しながら、あぁなんてバカなんだろうと私はさらにうなだれた。
私は義兄にストレスを感じさせたくなくて敬語呼びでいきたいと主張していたのに、その肝心の理由を話していなかったせいで、私が義兄と友達のように接することが嫌なんだと思われていたなんて。
しかもそのせいで、義兄が強要させてしまったと申し訳なく感じていたとは……もう、本当に私は何をやっているのだ。こんなの逆効果じゃないか。
「……本当に、すみませんでした」
心の底から申し訳なくそう思って謝って顔を上げれば、義兄はとても驚いたように目を丸くしていた。その姿に、きっと私のバカさ加減に何も言えなくなっているんだろうとうなだれると、義兄は慌てて、
「待て、ストレスって何のことだ?俺は別に無理していないぞ」
と発したので、今度は私が驚きに目を丸くした。まさかいつものごとく、ストレスを感じているように見えたのはただの私の勘違いなのかと、最悪な考えが頭を過る。
「え、でも……私が話しかけたらお義兄さま、もの凄い速さで目を逸らしたではありませんか。その時、拳が震えていたし言葉も何も発さなかったので……てっきり、私にステラと呼ばれて友達のように接せられるのが嫌なのかと……」
「そ、それは違う!あれはただ、不意打ちすぎたというか……」
「不意打ち?」
「……っ!と、とにかく!俺は別に嫌じゃない。むしろ、お前と距離が近くなった感じがして嬉しかったんだ」
ふいっとそっぽを向き、少し頬を赤らめながらそう溢す義兄。その言葉に、そうだったの!?と私は唖然とした。つまり、やっぱり私の勘違いだったという訳だ。
「そう、だったんですね……その、また私が勝手に勘違いしたみたいで……すみません」
「いや、俺こそ……その、変な反応をして悪かった」
一気に流れる、気恥ずかしい気まずい雰囲気。
なんというか、本当に私は誤解の達人かもしれない。今までどんだけ誤解するんだよってぐらい誤解している気がする。特に義兄とは。
結構長く一緒に居るだろう義兄と、ちゃんと意思疎通出来ないだなんて私もまだまだだな。人の考えていることを推測するのは本当に難しい。
「……ねぇねぇ、おねーちゃんとおにーちゃん、もう仲直り?」
気まずい空気の中発せられたメルアの言葉に、少し助けられながら私は笑顔を浮かべた。
「うん、仲直り」
「よかったぁ!」
にかっと素敵な笑みを浮かべるメルアに、本当に天使みたいだなと心の底から思った。
メルアがいれば、気まずい雰囲気もすぐにどっかに飛んでいってしまう。一家に一人欲しいくらいだ。
そうなれば、きっと世界は笑顔で溢れる幸せな世界になるだろう。
「えぇっと、トール。今までほったらかしにしてしまってごめんなさい。ステラの服、持ってきてくれたんだよね?」
笑顔のまま、しばらく気配を消していたトールの方を向いて声をかければ、トールはハッとして持ってきた服をテーブルの上に広げた。
その動作がどこかぎこちなかったので、きっととても緊張しているんだろうなと苦笑した。
トールにとって、きっと私の急な訪問は地獄のような時間に違いないと少し申し訳なく思いながらも、緊張しているトールを見るのも少し面白いなと感じてしまう。
「とりあえず三つほどお持ち致しましたが、何かお気に召すものはありますでしょうか」
義兄にそう言葉を発しながら、ちら、と私の方を見るトール。その様子にくすりと笑いながら、私は義兄に声をかけて一緒に服を選ぶのだった。
久しぶりのトールとメルア登場です。メルアの天使振りにはルナディールもデレデレしちゃいます。次回も下町のお話です。