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最後の煙草  作者: 井島一
2/2

最後の煙草2

男が席に戻ると女はいじっていた携帯をテーブルの上においた。

「答えは決まったかい?」

「今グーグルで調べていたのよ」女の返しに男は笑った。

「それで、答えはあったかい?」

「人間に関してはインターネットはあまりあてにならないわ。だから私の予想を言うわね。あなたは奥さんに禁煙を勧められたんじゃない?それで何度も承諾しては隠れて吸っているのがバレて遂に離婚危機に陥った。」

「それで最終的にこのバーに行き着いたと?」男は女の答えに付け足した。

「どう?当たっている?」

「そんなことで離婚危機になっていたら身が持たないよ」と男は笑った。身分も何も知らず、お互いの容姿のみしか知り得ない間柄との方が男はリラックスして会話ができた。相手が知的でユーモアのある女なら尚更だ。


「でも的外れな答えでもない。筋はあっている。」

次に彼女が頼むのを僕につけてくれ、と店員に伝えた。さっきので相殺だ。と店員は言う。この店は酒の値段が全て同じなのだとカップルの男がこちらに向けて言った。


「じゃあ、正しい答えはなんなの?」女は煙草を持つ側の肘をテーブルに立て、手の上に顔を乗せて男の方を見た。


「そうだな。」男はトントンとテーブルを指で叩きながら頭の中で話を組み立てた。


「まず第一に妻は僕の喫煙について何も言ったことはない。飲酒もそうだ。男は酒を飲み、煙草を吸う生き物だと思っている。」

「なるほどね。じゃあ煙草を辞めるのはあなた自信の意思によるものということ?」

「そう。辞めるというより手放す。と言った方が正しいのかも知れない。」

「手放す?」男の言葉を女は繰り返した。

「そう。断ち物というのを知っているかい?」

「えぇ、知っているわ。何か好きなものを一定期間断つ変わりに神様に願いを叶えて貰うやつでしょ?」

「そう。君は詳しいな。経験したことがあるの?」

「しないわよそんなこと。私は好きなものをこれ以上何も手放したくないし、神様なら断ち物なんてしなくても願いを叶えてくれると思うわ。釈迦だって「苦行では悟れない」って言ってるでしょう?」


それとこれとは話が別だ。と男は思ったが言いはしなかった。

代わりに「確かにそれも一理ある」と呟いた。


「それで、何をお願いしたの?こんなに美味しい煙草と引き換えに」

女は玩具で赤ん坊をあやすように男に向けて煙草の箱を振って見せた。残り5本の煙草が箱の中で音を奏でる。


「それは言えないよ。大体、願いとか夢ってものは人には公言しないものだろう?だから神様に頼むんじゃないかな?」


「確かにそうかも知れないけれど、そう言われると余計に気になってしまうわ。」


「うーん。」男はまたトントンとテーブルを叩いた。男の言葉を待つ間に、女は煙草を吸い終わり、グラスに口をつけた。

「一つ言えるのは」男の声に女は目を向けた。


「その願いが妻に関係するものであり、それが叶うためなら妻よりも古い付き合いの「好きなもの」を手放すことも厭わないような願いだってことだよ。」


男は女の前に置いてある煙草を指して言った。


「どのくらい吸っていたの?」

「15年くらいかな」

「15年。随分長い付き合いね。私が小学校に上がる歳の頃だわ。」

そこで初めて女の年齢が男の予想よりも遥かに低いことが分かった。

「君は大人びてるって言われるだろう?」

「よく言われるわ。でもそれは私の責任じゃない。」

「フィリップマーロウ」男は言った。「やっぱり君は大人びてる。」


女はニッコリ笑った。とても自然な笑顔だ。普段愛想笑いもしなそうな女の見せる自然な笑顔と言うのは言葉にできぬ恍惚さを感じさせる。


それは男の妻とは対極にあるように感じた。男の妻はいつも笑顔で、明るく着丈に振る舞っていた。そしてそれが夫婦の溝を作った。深い深い、地平線の果てまで行っても渡ることが出来ないような深い溝を。


時計は22時を過ぎていた。男は「明日も仕事があるのだ」と言い店員に勘定を頼んだ。


「一件寄りたい店があるから一緒に来てくれないか」と女は頼んだが、男は断った。


「紳士なのね。素敵な旦那さん。」

願いが叶ったら教えて欲しいと言われ男は女に連絡先を伝えた。

男がジャケットを羽織り、店員の釣り銭を待つ間に女はアルコールのお代わりを頼み、次の煙草に火をつけた。女は煙草の煙をさっきより雑に吐き、携帯を見た。


その時、男は妙な感覚を覚えた。


先程まで自分のものであった煙草が、他人の所有物に変わって行く。

まるで長年連れ添ったパートナーが目の前で他人と深い行為に及んでいくのを眺めているかのようだった。そしてそれはある意味では男の方でも望んでいた事なのかも知れなかった。


店員からお釣を貰い、女に別れを告げて店を出る。東京の夜の飲み屋街は男が来た時より活気を増して賑わっていた。


―15年。随分長い付き合いね。


駅へと続く道を歩きながら女の言葉を男は思い出した。


確かに15年と言うのは長い年月だ。だけどこれから先の人生はもっと遥かに長い。それは宇宙の果てを目指すような長い旅だ。そしてその長い年月を共にすると決めた相手がいる。15年などどうってことない。


男は、次に女に会ったときには全てを打ち明けようと思った。そして女の「手放してきたもの」についても聞こうと思った。


男が駅に着く頃、女から写真付きのメールが届いた。文面には「生涯最後の煙草」と言うメッセージが日付と共に書かれていた。


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