大聖女の祈りは届いた
婚約破棄ものはいくつか書いたけど、聖女ものは書いてなかったなあと思ったので書いてみた。
わたくしは、困ってしまいました。
「アダマンティレア・シャルーゼン。お前との婚約は、我と我らが神の名においてなかったものとする」
「まあ」
今宵のパーティはこのわたくし、聖女の一人であり公爵家の娘であるアダマンティレアとこの国の第一王子であらせられるフィリオ殿下との婚約を発表する場でありました。ですから、参加しておられるのは国内の主だった貴族や大商人、それに外国の大使などそうそうたる顔ぶれです。もちろん、わたくしの両親もおいでになっております。
そのはずですのに、殿下は逆にその婚約をなきものとする発表をなさいました。シャルーゼン公爵夫妻、つまりわたくしの両親はお顔を真っ青にしておいでですが、国王陛下、王妃殿下はまったく顔色を変えず、これが当然の結果であるというご様子。
まあ、理由はわたくしだけでなく、参加された皆様の目には明らかでありますが。
「お前と俺との婚約は、お前が聖女であることを前提にシャルーゼン家と我が王家との間で取り交わされたものだ。だが、キラミリア・ランチャが真の聖女……大聖女であると証明された。故に我が王家は、キラミリアを迎え入れることに決定した」
「そうですよお。残念でしたねえ、アディ様っ」
「はあ」
大地の色の髪と空の色の瞳を持つ殿下の腕には、花の色のふわふわした髪と月の色のくるくるした瞳を持つ少女がしがみついております。どうやら彼女がキラミリア・ランチャ、殿下がおっしゃるところの『真の聖女』のようですわね。たった今、先程就任されたばかりの神官長が、彼女こそ大聖女であると宣言なさったのですから。
ランチャ男爵家といえば、これまで後継者に恵まれなかったため先を危ぶまれていたお家でしたわね。外に作っていた娘を迎え入れたというお話でしたが、それがあのキラミリア様ということですか。なるほど。
大聖女と呼ばれたキラミリア様を、王位継承権第一位であるフィリオ殿下の婚約者として迎える。それを、各国代表の名代であるところの大使や国内の大勢力に対して宣伝するのは悪いことではありませんが……その前提が、おかしくはないでしょうか?
「アダマンティレア嬢、シャルーゼン公爵には悪いが、国内の多くのものに伝えねばならぬことなのでな。この場での発表とさせていただく」
「王様あ、アディ様に悪いなんて思わなくてもいいんですよ? 全ては、神様がお決めになったことなんですからー」
アディとはわたくし、アダマンティレアの愛称ですが、彼女にわたくしをそう呼ぶ許可を与えたことはありません。そもそも、彼女の姿をわたくしが目にしたのは今日、このときが初めてですもの。
それにしても、我がシャルーゼン公爵家も馬鹿にされたものですわね。フィリオ殿下との婚約は、王命により半ば無理やり結ばれたものですが……それなりにわたくし、殿下の妻としてふさわしくあろうと努力したのですけれど。
「お待ち下さい、殿下! 我が娘アダマンティレアも、聖女として名を連ねております!」
「黙れ、シャルーゼン公爵。キラミリアは、聖女の中の聖女……大聖女だと神託が下っている。ただの聖女であるお前より、格段に上の存在だ」
声を上げてくださった父に対し、フィリオ殿下は冷たいお言葉をお返しになりました。
聖女。
神に祈り、神の力を借り、国を守るべく生まれ落ちた女のことです。女であるのは、神が男だからという説が有力ですわね。
その中でも大聖女は、数多の聖女を統べ神と直接交流し、この国を守る要となる存在です。その大聖女が誰であるかは、神官長が受けた神託を王家の許しの元発表することで国内に知らしめられるのです。
先代の大聖女が身罷られたことで、どなたかが新しく選ばれることはこの国の者であれば皆知っていることですから。
『神官長の名に置いて、新たなる大聖女に選ばれしはキラミリア・ランチャである』
そうしてさきほど、神官長より神託として発表された大聖女はキラミリア様。よって王家はわたくしではなく、大聖女として選ばれたらしいキラミリア様を第一王子であるフィリオ殿下の妃とすることを選ばれたのでしょう。いずれ王妃となるのであれば、ただの聖女より大聖女の方が良い、と。
王家と聖女との結びつきは、この国が生まれた当初から長らく続いていると聞き及んでおります。そのほとんどは、大聖女を王妃として迎え入れたというものですわね。それにならったのでしょう、おそらく。
……わたくしのもとには、神御自らのお言葉としてわたくしを選ぶ、という神託が届いております。さて、着任されたばかりの神官長は神託をどなたからお受けになったのでしょうね?
「それは、おめでとうございます。キラミリア様のところにも、神託が下されたのですね」
「え?」
状況がよく分かりませんが、ひとまずキラミリア様にはお祝いの言葉を贈りましょう。わたくしが何を申し上げても、どうやらそれは通じないようですからね。さすがに、王家に恥をかかせるわけには参りませんし。
わたくしが頂いた神託が真のものかどうか確認したく、念のためお伺いしたのですが、キラミリア様は一瞬首を傾げられました。ですがすぐに、「そ、そうなの!」と気を取り直されたようですので、安心いたしました。
「昨夜、私のところに神様が来られてね! 私が大聖女だよって言ってくださったの!」
「……そうでございましたか」
あらあら。我らが仕えるべき神について、あまりにもぞんざいな言葉ですこと。それでは大聖女の任務も、王妃としての務めも務まりますことやら。
まあ、わたくしには関係のないことですが。フィリオ殿下との婚約がなされないということであれば、もうわたくしにこの場にいる理由はございません。
「そういうことであれば、わたくしには否やはございません。フィリオ殿下、キラミリア様。ご婚約おめでとうございます、末永く仲睦まじくあらんことをお祈りしておりますわ」
そうなりますと、わたくしはただの邪魔者でしかありませんわね。精一杯の言葉を贈り、礼をしてこの場を辞するつもりであったのですが。
「まあ待て、アダマンティレア」
「はい?」
フィリオ殿下に呼び止められたため、わたくしの足は止まってしまいました。殿下のお顔は大変不平そうで、わたくしがこのまま退場することに何やらご不満をお持ちのようです。
「確かに、お前が聖女の一角を担う存在であることに間違いはないだろう。故に、王城の一室を与えてやろうと考えているのだが」
『は?』
殿下のおかしなお言葉にわたくしと父と母、そしてキラミリア様が同時に同じ声を上げてしまいました。はて、殿下は何をおっしゃっておられるのやら。
「何をおっしゃっておいでですか? 殿下」
「あなたはまだ、アダマンティレアを縛り付けるおつもりか!」
「何で、あの女がお城にいなくちゃいけないのよ!」
わたくしや父は殿下のお考えが全く理解できませんが、それはキラミリア様も同じこと。そうして、わたくしの扱いに不満を唱えておりますね。ええ、わたくしも同じ考えですわ。
どうしてわたくしが、王城にとどまらねばならないのでしょうね?
「シャルーゼン公爵家の娘を、何もなしに外に放り出すわけにはいかんからな。これよりお前は王城の一室で、何も考えずにただひたすら聖女としての務めを果たせば良い」
「……なるほどお。お祈りのお務めを、全部アディ様にしてもらえばいいんですね! さすがですう、殿下!」
「大聖女であるのであれば、その方に祈っていただくのが当然ではありませんか!」
フィリオ殿下のおっしゃった言葉は、やはりわたくしには理解できませんでした。キラミリア様が大聖女なのでしょうから、彼女に祈っていただければよろしいはずですのにね。父の抗議は、まるでそよ風のように聞き流されましたし。
もしかして単純に、殿下はキラミリア様と愛し合いたいだけではないのでしょうか。聖女としての務めに多くの時間が割かれることは、この国の者なら皆百も承知。その時間を、わたくしに押し付けようというのですね。
さすがに聖女の身であるとは言え、そのような無責任な方々から務めを押し付けられることには我慢なりませんわ。
「お断り申し上げます」
「よく言ったアディ……へ?」
「えー?」
故にお断りしたのですが、フィリオ殿下はどうやらわたくしが断るなどとはお考えになれなかったようですね。
ご自身がそのような扱いをされたらどうだろう、というお考えには至れないのでしょう。王子という身分が、その思考に至るような経験を彼にはさせなかったでしょうから。
「ふむ。よくぞ申した、アダマンティレア」
ふっと、空からお声が降って参りました。この事態を予測し、わたくしに大聖女の称号をお授けくださり、そうしてこのような結果に至った場合には自らお出ましあそばされる、とお約束くださった、尊いお方。
「迎えに来たよ、我が愛し子」
「……ご足労いただき、痛み入ります」
この会場には、国の教えとして民全てが崇拝している神のお姿を描かれた絵画が飾られております。そのお姿と同じく尊く、絵画よりも麗しい光の髪と闇の瞳を併せ持つお方が、いつの間にかわたくしの前に顕現しておられました。即座に膝を折ったわたくしの髪に、その御手が触れてくださいます。
「そこな小娘。我は、そなたを聖女とすら認めてはおらんのだが、なぜに大聖女を騙る」
「へっ?」
まあ。
フィリオ殿下とキラミリア様、彼らを取り巻かれる数名の方々は膝を折っておられないようですね。王族、貴族、使用人、そのほとんどが頭を垂れ、気高きお方にひざまずいているというのに。
「聖女でなくとも祈りは届く故、態度によっては考えてやらぬでもなかったが……さすがに、これは目に余るのう」
「な、なによ、イケメンだからって」
「き、キラミリア……」
いけめん、とはどういった意味の言葉なのでしょうか、キラミリア様。しかも、我らが気高き神に対しその不遜。
さすがのフィリオ殿下も、彼女をお止めになりましたわね。ですが、もう遅うございます。
「神官の長には、アダマンティレアこそが我が大聖女だとはっきり伝えたはずだが……直後にその首をすげ替えるとはな。かの賢王の子孫も、五十を数える代替わりの中で腐ったか」
「な、なんと! フィリオ、お前!」
「お、俺は知りませんよ!」
まあ。
先代の神官長が突然亡くなられたのには、そういう理由がございましたか。
今の神官長は未だお若く、先代にお仕えしていた頃より若すぎて甚だ不安であると多くの神官たちが不満を述べておられました。
よもや、フィリオ殿下の手によって排除された、ということでしょうか。とても、とても、愚かなことに。
「敬虔なる信徒には祝福を、平凡の民には猶予を、愚か者には断罪を」
わたくしの髪を数本、そのお手の中で弄びながら尊きお方は、凛としたお声をこの空間に満たされました。
「王家と小娘、その同士共は今いる場を離れることを許さぬ。そうでなき者は急ぎこの場を離れ、我が意を国中に広めよ。我はこの王子と小娘の存在をよしとする王家を、見放したとな」
神自らが解き放たれた言葉を耳にして、会場にいるほとんど全員がわあっと悲鳴を上げながら出口へと駆け出していかれました。数名の方々がなにもないはずの空間にぶつかって倒れておられますが、あなたがたは許されなかった方々、なのでしょうね。
「父上、母上、お早く領地へ。わたくしは、大丈夫です!」
わたくしの身を案じたのか、とどまっておられる父と母にわたくしは声を張り上げました。はっとこちらをご覧になったお二人に、気高きお方がゆったりと頷いてくださいます。
「……我らが崇めるべきお方よ。どうか、我が娘をお守りくださいませ」
父と母は一度深く腰を折り、そうして外へと向かわれました。
神託が、国内全てに広められたその後。
当然のことですが、国内は混乱に陥りました。我らが尊き神がそのお姿を見せ、王家と神官長が選んだキラミリア様ではなくこのわたくしを大聖女と認め、王家を見放したのですから。
パーティ会場を離れることのできた家の者は即座に領地に帰り、神への帰依を改めて誓いました。それらの家々には、各地に派遣されている聖女たちが許しの神託を携えて訪れたと聞きます。
王家とキラミリア様、彼女に加担なさった方々は程なく、あのパーティ会場ごと粉々になりました。神の怒り、凄まじい雷霆が降り注いだのです。王城も同じく砕け散り、神に愛された王家は五十代をもって終焉を迎えました。
その代わり。
「今朝も、清々しい祈りの声を聞くことができた。感謝するぞ、我が大聖女よ」
「祈りをお聞き届けいただき、ありがとうございます」
「うむ。そなたのいる国を守るために、我は存分に力を振るおうぞ」
「天災よりお守りいただけるだけで、我ら民はありがたく思います。人同士の諍いは本来、人が解決せねばならぬ問題でしたから」
「我が大聖女を侮辱されては、溜まったものではなかったからなあ……まあ良い。そなたの父が待っておるぞ」
「ありがとうございます。本日は各国の大使の方々と、今後を決める会議だそうですので」
「なるほど。人同士の問題であるな」
「はい。では、失礼いたします」
「良き日を過ごせ」
神殿における朝の祈りを終え、尊きお方との会話を経てわたくしは、屋敷へと戻りました。
今、シャルーゼンの屋敷は王家の館としての機能を備えております。かつての王家が壊滅し、その代わりとして神は我がシャルーゼン公爵家に国を治める任を課しました。
神託を冒涜したかつての王家やキラミリア様に罰を与えはしましたが、神は我が国の民全てを見捨てることはなさいませんでした。たいへん慈悲深く、尊きお方です。
新たなる国王となった父を助け、周囲の国々との縁を結ぶのは父の娘としての、わたくしの役目ですわ。神に祈りを捧げる大聖女としての役目とは、また別の。
さあ、本日も頑張ることにいたしましょう。