第九話 ~五千七百六十貫文~
「いっ、一昨日にご納品いただいた金塊、ご、ご、五千七百六十貫文にて引き取らせていただきます!」
越後屋の奥の一室で、顔から滝汗を掻きながら、直江津港の豪商・蔵田五郎佐は俺にそう叫んだ。
五千七百六十貫文?
急に言われても、想像がつかない。
俺が頭に?マークを浮かべていると、不満に思ったと勘違いしたのか蔵田五郎佐は、詳しく説明を始めた。
「いっ、一昨日にいただいた金塊、誠に見事な純度でございました。ほぼ混じり気のない巨大な金の塊など、この蔵田五郎佐ですら初めての経験でございました! 三つの塊を合わせますると千六百両となり申しました!」
一匁=3.75g、一両=十匁=37.5gだから~ 千六百両だと37.5g×1600=60000g=60kgってことか。大したもんだな。
「金は一両(37.5g)を四貫文(銅銭4000枚)で取引するのが通例。しめて六千四百貫文の所、口銭(手数料)として一割いただきますれば、五千七百六十貫文となりますよって!」
もう半ばヤケクソ気味に蔵田五郎佐が叫んだ。俺は借りた筆で和紙に数式を書きながら、「なるほどなるほど」と頷いた。百姓の子どもと僧侶相手にここまで誠実に計算してくれる商人はなかなかに信用がおける。
ブツブツ言いながら見知らぬ文字を書く童児を周囲の大人はビクっとしながら見ていた。ああ、いかんな。墨で数式を塗りつぶした。
妙に冷静な俺を見て、環塵叔父は「仕方ない」というように無精ひげを掻きながら俺に耳打ちをした。
「おい照詮。分かっちょらんようだが言っておくと、この金でちょっとした城が建つぞ」
「!?」
……
あー、やばい。これは、やりすぎたか?
蔵田のおっさん、目を白黒させてるわ。そらそうだわな。一気にそれを支払いするとか身代傾くわな。城が建つくらいの金額とは破壊力抜群だな、金は。
でも…… うん。いける、いけるな!
村を救うことが出来そうだ!
喜色満面な俺に反して、蔵田のおっさんは眉を八の字に下げて済まなそうに続けた。
「約束した通り、他言も出所の詮索もいたしまへん。ただ・・・少しばかり支払いは待ってもらったりできますやろか? というより、待ってもらいますよって!」
まあ、そうだよな。城を建てられるくらいの予備費は流石に豪商と言えど一気に支払うのはきつかろう。というより、俺自身もそんな額を持ち運ぶことはできないし、管理も難しい。
「人が要り様とおっしゃりましたが、近くの村人全員集めてもこの金、到底使い切れんよって! 他になんぞ欲しい物でもありまへんか!?」
蔵田のおっさんは本当に誠実な商人だな。村人相手に誤魔化しもせず、説明もして正確に取引してくれている。信用第一と言っていたが本当のようだ。金を力に変えるために、非常に重要な人物となりそうだ。ここは無理を押し通すより……
そうだな、あれが欲しい。
直江津で人を雇っても、佐渡へ運ぶ手段がない。小木の港に越後屋の船で大量の人を乗せて行けば、領主に胡乱がられるに決まっている。自前の運搬手段が必要だ。
それに加え、これから先、何度も佐渡と直江津を往復するだろう。物資を集めたり、佐渡の物を売りさばいたりする安全な拠点が必要だ。多すぎる金を狙ってくる輩は多い。電話をしたら目からビームを出すレスリング選手が助けに来てくれる会社などないのだ。
「あい分かった。では、今使っている屋敷と、自前で使える廻船を頂きたい。加えて、支払いは売買証文にて残し、後々に頂こう」
「! ほんなもんなら、よろしゅうおまっせ! 売買証文とはようご存じですな。すぐ用意いたしますよって!」
昨晩、環塵叔父に聞いておいてよかった。売買証文というのは、金の貸し借りをしっかり書き残しておく証拠となる紙だ。それに、船はこれから何するんでも必要になるし、直江津の港に拠点ができるのもいい。
額が大きいし、手数料をもっと取っていいと言ったが、蔵田のおっさんは「結構ですよって!」と突っぱねたな。芯の通った商人だなあ。汗掻きすぎだし、声が大きすぎるけど。
越後屋の番頭らしき男が、スラスラと売買証文を書いていく。船と屋敷代で千六百貫文、人を雇うお金と当座の費用で百六十貫文をもらうとして、残りの四千貫文を越後屋に預けておくことにした。店側は蔵田のおっさんと番頭3人が見事な字で署名して、俺に証文を渡した。
俺が書く番か。
俺は筆で字を書くことには慣れていない。小学生の時、親に習字を習いに行かされたが、面白くもなかったし上手くもならなかった。全然だ。拙い手つきで「本間照詮」と名前を書いた。
それを見ていた環塵叔父は、どこかほっとした声でつぶやいた。
「ほんまに空海様のお産まれ変わりと思ったりもしよったが、それは無さそうやな」
弘法大師空海様は、書の達人として名高い。平安三筆の一人に数えられ、「弘法筆を選ばず」「弘法にも筆の誤り」と諺が残ってるくらいだ。要は俺の字が汚いってことか。
そういう環塵叔父は、スラスラッと書いたが実に見事な字だ。卒塔婆を書いたり写経したりするのは見ていたが、何でこんなに適当そうなのに字が超絶上手いんだ?
書き終わると、
「おおそうじゃ。孫娘を紹介いたしますよって! サチや、こっちにおいで!」
俺に断りもなく蔵田のおっさんは奥に声をかけると、俺と同じ年くらいの色の白い、品の良さそうな娘がやってきた。
「あいは、サチ。よろしくね」
「お、おう。俺は本間照詮。佐渡の村主じゃ」
「へぇ~、あいと同じくらいなのに村主なんて。すごいね~」
そう言って俺を覗き込む笑顔が可愛い。くそぉ、可愛いな。
「ほほ、年の頃も似たようなもの。もうしばらくしたら、お似合いかもしれまへんよって!」
越後屋…… 遣り手だな。金の入手方法は分からずとも、孫娘の婿となれば財産は半分手に入るやもしれんしな。
俺は本題を切り出した。
「金の件は片付いた。では、もう一方の件を頼む」
羽茂郡領主、本間高季を打ち破るための人材集めだ。金を元手にして、さらに百六十貫文はある。相当な数は雇い入れる、もしくは買うことができる。
目尻が垂れ下がっていた商人・蔵田五郎佐は、おもむろに厳しい商人の顔に戻った。
「承知ですよって。では日戸市へと向かいまひょ」
蔵田五郎佐と番頭に案内され、俺と叔父は市へ向かうのであった。
五千七百六十貫文は、一文100円として、およそ5億7千万円!
物価もかなり現代と違うのですが、相当な額ですね。
重さの単位や金の価値などは、図鑑や文献を参考にしました。
日本での金銀の価値の比率は、時代によって異なったようです。
奈良~平安時代は、金1:銀8。
鎌倉~室町時代は、金1:銀5~6。
世界的には金1:銀10~15くらいが基本だったので、金の価値がメチャ低い。マルコポーロが「黄金の国」と言ったと言われているのは、このせいかもしれない説もあるくらいです。中尊寺金色堂とかの説が有名ですけどね。
戦国時代に入り、銀の精錬方法として1533年に「灰吹き法」が伝わり、大森銀山(石見銀山)などから銀が大量に産出されるようになり、金1:銀12くらいまでになったとか。
主人公によって金が大量に出回るという物語設定なので、需要と供給の関係から金の価値が下がる可能性があります。金がわりかし産出されていた甲州などでは、どうなることでしょうね。
想定外の大反響に驚いております(;゜Д゜)! よりよい作品を書けるよう頑張りたいです。