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佐渡ヶ島から始まる戦国乱世  作者: たらい舟
第十四章「生命」

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第二百四十四話 ~椎名則秋 / 北条の姫~

<天文十七年(1548年)八月 越後国 魚沼郡(うおぬまぐん) 三国峠(みくにとうげ)



「まだまだ道は長いですなあ、師範(しはん)殿」

「左様ですな。越中守(えっちゅうのかみ)殿」


 禅庭花(ぜんていか)の鮮やかな山吹色の群生を横目に、生茂る高原の木々の中を佐渡国軍の軍勢が関東へと進んでいた。


 「越中守」と呼ばれたのは、佐渡国国主羽茂本間照詮の信頼篤く「佐渡四天王」の一人として名高い椎名(しいな)越中守(えっちゅうのかみ)則秋(のりあき)であった。


主殿(あるじどの)が我ら越中(えっちゅう)の兵を頼りにしてくれるのは嬉しい限りじゃ。我らの鍛えし腕を発揮する時ぞ! なあ! 宗勝(むねかつ)!」

「……御意」


 口数の少ない男は周囲の様子を鋭く見定めながら応えた。

 佐渡国きっての「狙撃手(そげきて)」として名を()せる水越宗勝(みずこしむねかつ)である。摂津国(せっつのくに)で敵将狙い打ちを成し遂げたことで、集団で弾を打つ戦法でしか使われてこなかった「鉄砲」に「狙撃」という概念を生み出したとされる人物である。


「お主の一族も大いに腕を上げておると聞く。腕の見せ所じゃな」

「……ははっ」


 細川晴元(ほそかわはるもと)軍との戦いの後、水越宗勝は故郷の越中国新川郡に戻り一族の狙撃の術を改めて指導し直していた。既に「水越流(みずこしりゅう)」という流派が生まれ始めており、日頃からの心構えと戦場における細かな所作まで決められていた。


「そして、主殿から『急ぎ作るよう』言われたこの頭巾…… ? はて、何に使うのでしょうな? 師範殿?」

「…… 殿のお考えは大空を飛ぶ鷹の如し。きっと大きな意味を持つはず。我らはそれに従うのみでしょうな」

「左様ですな。まさか斯様(かよう)に早う関東への道を切り拓かれるとは。一時は売り人だった我が身が信じられませぬ」


 そう言うと椎名則秋は六尺の体躯を大きく揺らして豪快に笑った。

 「日戸市(ひといち)」で一貫文で売られた男は、既に越中国二十四万石を差配する人物となっていた。側室の紫鹿(しろく)との間には五才になる六郎丸の他に更に娘が生まれている。氷見湊(ひみみなと)から得られる富と完全に統制された一向宗の動きにより安定した治政は、他国からも(うらや)まれる程であった。


「…… 師範殿。我らが向かう金山城には、師範殿の一番弟子、神後宗治(じんごむねはる)殿が猛威を振るっておられるとか。辛い御立場ですな……」

「……宗治は、年老いた父母の為に上野国に残った。あの時、無理にでも某と共に佐渡へ渡っていればと思うが…… これも戦国の世の習いにて」


 佐渡軍の『剣術総師範』を担う『剣聖』上泉信綱は口をきつく結んだ。

 

 越後、越中、上信濃など、関東に向かう軍勢の列は、「三国峠の始まりから終わりまで続くが如し」とされる程の大がかりなものだった。これには羽茂本間照詮の並並ならぬ意志と、関東での戦の苛烈さを物語っていた……


_____________________


<天文十七年(1548年)八月 武蔵国 多摩郡 滝山城(たきやまじょう) 館>



 (おし)城が陥落する直前に成田長泰の元を離れた多目元忠(ため もとただ)は、強固な城で知られる武蔵国滝山城の門を叩いていた。ここには宇都宮家の恩寵により許された元北条家の将北条綱成(ほうじょうつなしげ)が旧家臣と共に居を構えており、そこへ身を寄せようとしたのだった。



 館へと案内された元忠は汗で蒸れた黒い頭巾を正していた。

 するとそこへ、館の主である偉丈夫が綻んだ顔をして出迎えた。


「久しいな! 元忠(もとただ)殿! よう生きておったぞ!!」

綱成(つなしげ)殿。受け入れ感謝するじゃ」


 二人は年も近く、北条家を支える新進気鋭の若武者として注目されていた間柄であった。だが北条氏は河越合戦の大敗に加えて、当主北条氏康(ほうじょううじやす)の不審な死により四散。氏康の()()()()()()()()()()()()()

 

 氏康の父氏綱の娘を(めと)っていた綱成にもその刃が向かうところであったが、「天晴武者である」という謎な理由から生かされ、しかも堅牢として名高い滝山城まで与えられていた。これには四散した北条氏の家臣達や宇都宮家に類する国衆達からも「依怙贔屓(えこひいき)である」と大きな非難を浴びていた。


「…… お主も、俺のことを嘲笑(あざわ)っておったろう? 『宇都宮に尻尾を振った裏切り者』と。『地黄八幡(じおうはちまん)も地に堕ちた」と?」


 北条綱成は自嘲気味に元忠に語った。相次ぐ非難の声に、「関東一の武者」と言われた男にも流石に疲れの色が見えた。


「ん~、まあなぁ。だからこそ成田殿の元に身を寄せておったんじゃ。…… じゃが、よくよく考えてみたんじゃ」

「ほほう!」

「……名高き綱成殿のことじゃ。生き恥を晒してでも『()()()()』がある、と我は見ておるじゃ」


 その言葉を聞いた途端、凛々(りり)しくも(ほころ)んでいた北条綱成の顔は、見る見るうちに険しくなっていった。


「…… 元忠。その噂、()()()()()()?!」

「おうおう、怖い怖いじゃ。すぐ顔に出るのはお主の悪い癖じゃぞ」


 お道化(どけ)た様子で多目元忠は被ってきた黒い頭巾をゆっくりと脱いだ。

 一呼吸置いた元忠は遠くを見ながら誰に言うでもなく語り出した。


「強情なお主のことじゃ。氏康殿が亡くなられた時には追い腹をする勢いじゃった。もしくは宇都宮軍に単騎掛けして華々しく散るか、じゃ。じゃが、お主はいつの間にか生きる道を選びここに居る。辻褄(つじつま)が合わないんじゃ。そこで我は考えたんじゃ。そうすれば辻褄が合うんじゃ」


「…… 気付いて居る者は?」

「…… 多くは無かろう。じゃが、その内分かる筈じゃ……」



 バン!


「なれば、わたくしが隠れているのも終わりにしましょう!」


 奥の(ふすま)が音を立てて勢いよく開いた! 

 驚き振り向く男達。そこには一人のうら若き姫がいた!!


「ひ、姫様! 出られてはなりませぬ!」

「遅かれ早かれわたくしの身は白日のものとなりましょう! ならばすぐ動くのです!」


 焦る北条綱成。その様子を見た多目元忠(ため もとただ)は確信した。


「姫様は氏康殿の御息女の……?!」

「左様です! 元忠! 正当な北条の血は、氏康の子であるわたくしが継いでおります! 力を尽くすのです!」

「ハ? は! は、ははぁですじゃ……!」


 「相模の獅子」と呼ばれた北条氏康。その凛々しい眉と精悍な面立ちを引き継いだ姫は、久方ぶりに浴びる眩しい光に負けず星を宿す瞳を輝かせた。

作者体調不良により流れそうになりましたが、プロットから外れて本筋とは別筋の、本筋に繋がる話を書くことになりました(*´Д`*)


禅庭花(ぜんていか)は、日光黄菅ニッコウキスゲとも呼ばれますが、日光に限らず広く見られるユリのような形の高山地帯に生える黄色い花です。


神後宗治の所は疋田豊五郎にしたかったのですが、年代が合わず。

北条の姫は、綱成の~〇の〇の〇〇〇ですかね(*´ω`)?


次話に繋がりまする。

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