第二百二十九話 ~『乱世』~
<天文十六年(1547年)三月 京 御所 小御所 >
『向日葵姫を、我が妻へ』
唯一つの俺の願い。京へ来た理由だ。
官位や褒美など必要はない。レンと共に佐渡へ帰る。それ以外を望むつもりは毛頭ない。
だが、どうやら俺の思っている以上にこの宮中というものは度し難いものだったようだ。
「ふっ、田舎大名が高望みをするわ」
「左大弁殿、それは……」
「残念ながら……」
扇子で口元を隠した密密話があちらこちらから聞こえてくる。
親王派の公家はおろか、中立派の者ですら下を向いて所在なさげにオロオロしている。俺への支持を明確にしていた最大派閥の長、右大臣三条公頼も押し黙ったままだ。親王が既に『自分の物』と広言したことが強大な影響を与えているようだ。
「しかし、『二度と宮中に参らぬ』とはいかなる所存であろうや?」
「口だけではないか?」
「来ていただかなくとも、出す物だけ出してもらえばよろしいのと違いますか?」
「それもそうですな」
フフフ
ハハハ
ホホホホ
嘲笑にも侮蔑にも捉えることができる声が響いた。
……
他の者がどう言おうと構わない。立場の違いってやつだ。
宮中の貴族達は「変わらぬ」ことが願いなのだから。農民を働かせ、税を納めさせ、自分達が肥え太る。そんな御代が再来することを祈って止まない。いつまでも自分達の都合の良い世を望んでいるのだから当然だ。
「だが、俺は……」
……俺は、この日ノ本が善くなると思って朝廷への寄進を続けてきた。歴史と秩序と伝統、千年の都、これらを守ることが日ノ本を善くする、それが一般的だ、常識だ、と思ってきた。
『だが、本当だろうか?』
「…… 某が日ノ本を離れていた二年もの間。この『朝廷』があることで、日ノ本は果たして善くなったでありましょうや……?」
「?」
俺の蚊の鳴くような声を正確に聞き取れた者は誰もいなかった。
既に朝廷の力は地に堕ちている。
報告によれば、公家は俺の権威を笠に着て己の懐を肥やす為に各地で寄進を迫っていたようだ。薩摩で西洞院時秀らがやってきたことが各地で起きている。そして、民の生活を豊かにする取り組みをほとんど行わなず、有名無実の官職を巡る権力闘争を続けてきたという。
朝廷がこの二年で為したことは、俺や佐渡軍が為したことの一厘ほどの意義も無かった。
「この世の乱れ、元を辿れば……」
後醍醐天皇が自分の息子を天皇にしたくて始めた大乱。
籤引き将軍の狂乱政治。
息子を将軍にしようとした銭ゲバ悪女が引き起こした動乱……
……どれもこれも都の権力者自身が勝手に引き起こした悪徳の結末ではないか。
果たしてこれらを引き起こした『朝廷』やら『室町幕府』という組織が、民にとってどれ程の役に立っているのだろうか。過去の栄光をただただ引き継いでいるだけの組織の一つなのではないか……?
俺の頭の中を、黒く泥泥と濁った思考が廻廻と円弧を描き……
…… そして、一つにまとまった。
「某が決めていることが一つだけあり申す」
「「……?」」
レンは俺をずっと支え続けてくれた恩人だ。
いや、恩人という言葉では足りな過ぎる。恐らく俺がこの世に再び生を受けた理由がレンにはある。生涯を共に歩む片翼とも言える存在。俺はレンと共に蝶となり空を駆ける。蝶は片翼では飛ぶことは出来ない。
そのレンと、俺とを引き裂く存在は消し去るのみだ。
「『我が行く手を阻むモノには、真正面から立ち向かうという』ことでございます」
「…… 左大弁殿?」
俺は迷わない。
「『安寧の時代を望む』、それは誰もが同じで御座います! だが、そんな時代はもう来ませぬ!
何故なら今が『乱世』だからだ!」
何が貴族だ。何が血筋だ!
『朝廷なぞ要らぬ!』
「ここに宣言する! この朝廷という組織は解た……」
「お待ちくだされ!!」
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俺の怒気を孕んだ声の上から声を被せてきた者がいた。
戦場でもそんな者はいなかった。何者だ? 一体誰だ!?
「…… 左大弁殿。誤解でござろう。麿は御上に『向日葵姫を典侍へ』という文を奉上致してはおりませぬ」
「ぬっ?!」
「叔父上……」
白い狩衣を着た男は、先ほど俺を制した重厚な声とは真逆の、優美高妙な声で俺に語り掛けてきた。
左大臣一条房通。名門一条家当主にして関白(天皇を補佐して政務を執行する官職。公家の最高位)。殿上人を極めた男。土佐一条房基の叔父だ。
生死を分ける戦場を幾つもくぐり抜けてきた俺の声を一瞬でも上回るとは。何という胆力だ。本当に公家か?!
「文自体に怪しい部分はありませんでした。ですがその前に左大弁殿から届いたという文を内大臣(万里小路惟房)殿の元から取り寄せると、墨塗りの部分が多数見つかりました。これは疑わしいと、内覧(天皇に見せる文書を先に見る役職)の麿が取り次ぐのを控えておりました」
「なるほど。では、御上の宣旨は済んではおらぬ、ということですな?」
「如何にも」
朝廷の正式な決定である「宣旨」は出てはいなかった。あの親王め、『もう宣旨は済んだ』と適当なことをぬかしやがって。
「向日葵姫には麿が歌(和歌)を教えておったぞ。中々見込みがある女子であった。『青鳩』と名を変えておった為、向日葵姫は気づいてはいなかったであろうが」
「おおぉ」
レンとの文の中から『青鳩』という名が何度も出てきたからちょっと嫉妬していたが、それは帝だったのか。レンは何かと人を結びつける力があるようだな。
そんな俺の心の中を読んだように、帝が俺に話しかけてきた。
「左大弁殿。あの娘は人を惹きつける力が強いようだ。大事にしたまえ」
「…… 勿体なき御言葉。肝に銘じまして御座います。これからより一層、日ノ本の為に尽くして参る所存に御座います」
俺は先ほど「解体する」と宣言する筈だった組織の長へ恭しく頭を下げた。
……
一条房通の見事な機転だ。
俺はいずれ、朝廷という組織を解体する。俺には血筋で国を治めるつもりは更々ない。朝廷は「神道」という宗教法人の形になり、政治の下に置かれることとなる。「仏教」「寺」と似たような存在となってもらう。
『だが、今ではない』
一条房通の上品な面立ちは、そう告げているように見えた。大きな借りが出来たな、この男には。
片は付いた。
帝から直接、「レンを大事にしろ」と言われた。これは直接的にも間接的にも俺との仲を認めたことと相違ない。
あとは、後始末だ。
「ああ、そうだ。義父上に話を通しておく必要があります、な?」
「ヒッ!?」
俺は、知らぬ存ぜぬの顔をしていたレンの京での義父、従一位右大臣三条公頼の方をヌラリと見た。
「義父上? お約束通り、向日葵姫を我が正室に迎え入れとう御座います。よろしいです、な?」
「ももも、勿論だとも! さささ、最初からそ、そういうことであったでおじゃる!」
しどろもどろになりながら、公家の重鎮は俺の願いを聞き入れた。
元々、レンが京へと花嫁修業に向かったのは、三条公頼が俺とのパイプを太くする為に呼んだ側面が大きかった。それがいつの間にか御麿殿下に粉をかけられてややこしくなったのは公頼がきちんと断らなかった為だ。
細川晴元、武田信玄、本願寺顕如。力の大きい者に娘を輿入れさせて、朝廷での発言力を高める。そしていずれ一条房通が就いている関白のポストを狙っている。だが、それはだいぶ遠のいたな。
「それと、某の名を騙り、更に某を陥れようとした公家の者らがおります。西洞院時秀殿と、中御門右少弁宣綱殿で御座います。また、内大臣万里小路惟房殿とその周辺の御方は、某が京へ来ることを拒む為に、細川らの軍勢を嗾けた疑いが御座います。お話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「「ななな!?」」
青ざめる多くの白塗り顔。
「ぶ、武家が公家を処断致すなど、聞いたことがない!」
「官位を弁えるでおじゃる! たかが左大弁が!」
色めき騒めく有象無象共。厚く塗った白粉が汗で落ちてきているぞ?
「『お話を聞かせていただく』、と言ったまで。処断など一言も言ってはおりませぬが…… はてさて、処断されるような疚しきことでも心当たりがおありでしょうや?」
「ぐ、ぐぬっ?!」
浮足立つ者共。何人かは既に逃げようとしてる。逃がしはしないぞ。
「某は『より一層、日ノ本の為に尽くす』と御上にお約束申し上げました。その為には、『功ある者には禄を、徳ある者には地位を、そして、罪を犯した者には罰を』という確固としたが規範・基準が必要であると思うております。それは民であろうと武家であろうと、果てはまた公家の方々にも同じで御座います」
「! 我らは名家であるぞ!」
「『徳』の高い由緒正しき血筋の者を、農民出の卑しき者がッ!」
「『徳』とは『行い』や『品性』によって身に付けられる後天的な『後から努力して身につけるべきもの』に御座います。『徳』と『血筋』は別物。よって家柄に区別なく、お話は聞かせていただきます。日ノ本の為に御座いますれば、御上、宜しいでしょうや?」
「うむ、左大弁に任せる」
家柄? 家格? 血筋? そんなものに意味はない。故に、血筋のみで地位を決めるのは欠陥が過ぎる。
帝のお墨付きももらった。さあ、大掃除だ。
「きゅ、急に物忌みが。麿はこれで……」
「い、胃の腑が……」
往生際の悪い者達がじたばたしている。
「定満!」
「ははっ! さあ、皆様をお連れせよ!!」
「「御意!!」」
俺の右腕宇佐美定満に命じると、定満は心得たとばかりに幾人かと共に腹に一物を隠した公家の方々をお連れしていった。残念ながら俺が名指しした西洞院時秀殿、中御門宣綱、万里小路惟房はいなかった。どうやら一足先に京を逃げ出していたようだ。逃げるとしたらどこだ? ふふん、あの辺りかな。
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<天文十六年(1547年 四月 摂津国 住吉郡 平野郷付近 >
数日降り続いた畿内の冷たい雨は、いつの間にかからりと晴れ上がっていた。
帝は今回のことが痛快だったようだ。朝廷の中の腐敗した要らない人員を整理して小さく実務的な朝廷への一歩を進めることができ、『風通しが良くなった』と大いに喜んでいた。
更に、親王は北野天満宮別当の任に就いている第二皇子の曼珠院覚恕にすることを検討している、日ノ本のことを任せたい、そのうち佐渡に行きたい、などなどと色々言われた。
「左大弁殿。如何いたしましょうや?」
数か月前には骨と皮だけだったが、今では元のがっしりとした体つきになった一条房基が俺に尋ねてきた。
一条房基の叔父で、先ほどの御所で傑物であることを見定めた一条房通は、甥の一条房基に対しては滅茶苦茶甘かった。威風堂々とした小御所での姿とは一変、「房基の為なら何でもしちゃうよ! よく来てくれたね! 今日は麿の家に泊まるだろう? 一条の名を捨てるなんて飛んでもない! どうか考え直してくれ!! 今はゆっくりと旅の疲れを取ってくれよ!」みたいな感じだった。仕事とプライベートを凄く使い分けてるんだなあ、あの人。俺に対して気を遣ってくれたのも、俺が一条房基を助けたことも大きかったのかもしれない。
「房基殿、『征夷大将軍受任』についでですか?」
「ええ」
足利幕府は倒れた。元々体を為していなかったのだから、無くても何とも思わない。
第十三代将軍足利義藤は、上杉謙信と樺山善久が連れてきた。まだ十一歳と若い為、命は助けて京の興福寺へと幽閉した。そのうち何かあるかもしれないが、その時はその時だ。
俺はその足利幕府の後釜にと声を掛けられた。どうしようか。
俺は北日本と、九州、四国はほぼ掌中に収めてはいるが、影響の及ばない場所は多い。畿内や東海、関東は殆ど手付かずだ。それらを平定することがこれからの目標だ。
征夷大将軍となり幕府を開けば、大きな錦となる。だが道半ばの宣言は他からの強い反発が出かねない。今は余所を向いている地方大名の矛が、全て俺へと向かってきてはたまったものではない。
「しばらく猶予はいただきました。佐渡に戻って静養してから考えたいと思います」
「向日葵姫との祝言を挙げませんとな!」
「おお、よきかなよきかな」
上杉謙信の言葉に、ギョロ目の島津日新斎も賛同した。
レンはと言うと、二年前だったら「も~恥ずかしいっちゃ!」と照れ笑いするところだが、人が変わったように物静かで恥ずかし気にこくりと頷いただけだった。二年間の京での修行が余程大変だったのだろうか、俺の手をぎゅっと握って離さなかった。
「西南の海の土産を環塵叔父や、佐渡の皆に届けんとな」
京はあいつにしばらく任せる。堺の湊の再建は彼に任せよう。今回の余波で動き出す者達の対応、六角、大内、三好、細川、織田、今川、そして武田……
「おおぉい! 小鬼はーん!」
「左大弁様! お待ちしておりました!!」
「「お待ちしておりましたー!!」」
見ると、俺を出迎えに、おでこの出っ張った蔵田のおっちゃんや怜悧な身形の末吉勘兵衛利方、更に大勢の人が平野郷で手を振ってくれていた。
「帰る場所があるって、いいもんだな」
「えぇ」
俺は傍らのレンの手を優しく強く握った。
サチや綾やノンノ、妙恵おばちゃん、佐渡では更に多くの人が俺の帰りを待っていることだろう。俺の体は疲れきっていたが、佐渡に戻る船まではあと少しだ。俺は明るく出迎えの人々に空いている方の手を大きく振った。
終わらぬ「乱世」。
だが、俺は変えてみせる。
黒蜆蝶が杭全神社で羽を休めた花は、梅から桜へと変わっていた。
第十三章「蝶」 ~完~
煮詰まってしまって、三か月(´;ω;`)ウゥゥ
待っていてくださった皆様、ありがとうございます><
本文中、
『功ある者には禄を、徳ある者には地位を、そして、罪を犯した者には罰を』
これは幕末の維新の三傑として名高い西郷隆盛の言葉に似ていますが、原典である中国最古の歴史書「書経」から引用したものかもしれません。
『後醍醐天皇が自分の息子を天皇にしたくて始めた大乱』
これは、後醍醐天皇が自らの系統である大覚寺統だけが皇位を継ぐべきだと考えた為に討幕を考えた正中の変、元弘の変を指していると思われます。
『籤引き将軍の狂乱政治。 息子を将軍にしようとした銭ゲバ悪女が引き起こした動乱』
室町幕府の六代足利義教、日野富子と応仁の乱を指していると思われます。
不無や宇佐美定満、様々なな書籍などから主人公が歴史の知見を得たのだと推測します。
次章からは、久しぶりに佐渡から話を進めていきます(*´ω`)b