第二百二十一話 ~舎利寺の戦い(二)雉鳴~
<天文十六年(1547年)三月 摂津国 舎利寺郊外 細川晴元軍 右翼前線>
ケーンケーン!
ケーンケーン!
何処からか酷く高い鳴き声が二度続けて響き渡った。
縄張りを守るが如く、何かを威嚇するかの如く……
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細川軍の右翼を務めるのは、細川晴元が右腕として頼りにしている三好政長だった。
政長はとある人物に勧められ、数年前より雉子を模した装束を身に纏い陣前に立つようになっていた。燃えるような赤紅色の兜と濃い緑色の陣羽織は遠くの将兵からもよく目立ち、人目が集まることを喜ぶ性格と相まってある意味政長の定番の出で立ちとなっていた。
その政長に命じられた娘婿で摂津国池田城城主の池田信正らの将兵達は強弓を備え、陣前に陥穽を掘り、横に長い陣を悠然と敷いていた。陣の内側には身軽な足軽兵らが犇めき合い、戦を今か今かと待ちわびていた。
政長は戦前の示威的な言葉を声高に唱えていた。それは佐渡軍への強烈な扱き下ろしだった。
「お主らぁ!? 畿内に『本間』などという氏族を聞いたことはあるかあ!?」
「「ありませぬ!!」」
「どこぞのにわかの田舎氏族が畿内を行くなど不届き千万じゃあ! そうは思わぬかあ?!」
「「思いまする!!」」
「農民上がりの小僧なぞ片腹痛いわあ!! 佐渡などという小島は、塩を撒いて人の住めぬ場所にしようではないかあ?!」
「「御意に御座いまする!!」」
政長は自分の言葉の全てに同調する兵達を見て満足そうに不敵な笑みを浮かべた。
「畿内の覇者は細川様じゃあ! そしてそれを支えるのは三好! そしてこの政長じゃあ!! 佐渡の雑魚共などこの強弓隊で射抜いてくれるわあ!!」
「「おおおおっ!!!」」
政長は「畿内は自分達の縄張りだ」と公言して憚らなかった。羽茂本間照詮を侮蔑視する為にけたたましく声を張り、三人張りの強弓を数百張用意して、鉄砲や大砲に対抗しようとしていた。
「ガハハッ! 戦は弓合わせが基本じゃ! 強弓で相手の届かぬ距離から射抜いてくれるわっ!!」
「ですな!」
「面妖な鉄筒なども、我らの弓には敵いますまい!!」
対峙する黒揃えの佐渡軍左翼はおよそ五、六町先。政長の軍に向けて距離を測るようにじりじりとにじりよってきていた。
「臆病風に吹かれた小物は『別の兵達がいるやもしれませぬ』なぞと言って飯盛城の備えに戻りおったわ。この勝ち戦の恩恵を得られぬとは鈍すぎる男だのう」
「あんな者が三好宗家を継いでおるのは間違いですな!」
「その通り! 三好は政長様が継ぐべきなのです!!」
「ふふふ! 当たり前じゃ! 戦の後に晴元様にお願いしてみるかのう!」
政長の腹積もりでは、これは既に勝ち戦だった。兵の多さ、大弓の数、そして圧倒的な地の利。心はもはや戦の後にあった。
そんな算段の政長に、身を屈めながら恐る恐る話しかけた者がいた。娘婿の池田信正だった。
「ま、政長様…… 此度は参陣をお許しいただきありがとうございまする…… 陣張りは仰せの通りに不休不眠で行いましてございまする…… ですから、あの…… どうか、お許しを……」
「ああん? 信正!? その程度で我らに弓を引いたことを 『無かったこと』と聞こえたがあ? 聞き間違えかのう??」
「め! 滅相もありませぬ!!」
池田信正は昨年の天文十五年に細川晴元と三好政長を見限り、氏綱の挙兵に帰参していた。だが三好長慶に攻められ敢え無く投降。それ故に舅である三好政長にいいように使われ続けていた。政長が池田信正の舅となったのは、鎌倉公方より以前からの北摂津の有力氏族である摂津国池田家を乗っ取ろうと画策していた為だった。
(信正を此度の戦で責を負わせ切腹させれば、池田家の実権は舅である儂の物となる…… ふふふ美味いのう!!)
「信正ぁ! お主は後詰めじゃあ! 亀のように陣を守れえ! 分かったかあ?!」
「そ、某にも武功を…… いえ、何でもありませぬ。ははっ、承知致しました…… 御下知ありがとうございまする……」
(勝ち戦なのに兵を動かさなかった。無能の証じゃが…… まだ弱いかのう? 陣張りの不備を突くか、まあいくらでも後から擦り付けることはできるのう。ぐふふ……)
政長はまたしても怪しく笑うと、愛用の大弓を手に取り声を張った。
「おらあ! 掛かってこいやあ! 佐渡の田舎猿共があ!!!」
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<天文十六年(1547年)三月 摂津国 舎利寺郊外 佐渡軍 左翼>
「ふん、中々な陣構えだな」
横に長い陣を敷き、木柵を立てる。恐らく陣前には陥穽が掘ってあるだろう。しかも数が多い。陸上戦で力押しでは被害が大きくなるばかりだ。
だが、想定通りだ。
冷たい梅東風に吹かれるまま銅鑼の紐を強く握りしめている俺に、いつもの焙烙頭巾を被った宇佐美定満が筮竹を鳴らしながら俺に声をかけた。
「ですが、我らは陣内で息を潜める敵を引き摺り出すことができます」
「大砲で、な」
俺の横には発射を今かと待ちわびる重く長い鉄の筒が数十門並んでいる。荷馬に車輪を付けた荷台を引かせ運んだ兵器だ。
目的の場所に着いた大砲隊の精鋭達は、的確に戦の準備を始めた。砲架を十分に固定させる。冷却用の水桶を用意する。海綿のついた棒で砲腔を磨く。砲弾を受け取り、取り込め矢で砲腔の奥に押し込む。
どの行為も無駄なく進んだ。佐渡軍が精強である理由が為に磨き続けた所作だ。
「…… 殿、揃いまして御座います。距離も方角も万全で御座る」
「…… 『フレシェット弾』、用意」
「承知致しました。『ふれしぇっと弾』、装填致します」
「相手がまごつくなら二弾、三弾斉射だ。敵が前に出てきたら銃兵がマスケット銃一斉射の後に後退し弓に持ち替えて前線援護。後は樺山や謙信に任せる」
「ははっ!」
…… 俺は躊躇わない。
俺の道は血塗られた道だ。腐った世を変え、唯只管に進むだけだ。
立ち塞がる敵は泣き叫び、咽び泣き、血を流させる。俺に遭った不運を嘆くがいい!!
「殿、刻限で御座います」
「うむ」
微かな梅の香りが俺の鼻腔に入り込んだ気がした。だが、それもすぐに硝煙の冷酷な匂いでかき消されることだろう。
俺は、俺が憎む全てへ憎しみを込めて銅鑼を叩く!!
「死んでも俺の恐ろしさを忘れるな!!
フレシェット弾! 全門斉射!!」
ジャアアアアアアアアアアアアアン!!!
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<天文十六年(1547年)三月 摂津国 舎利寺郊外 細川晴元軍 右翼前線>
シューッ
バムッ!!
ズガガガガガガガッ!
ズガガガガッガガ! ガガガガッ!!!
「ぐっ!? ぐわっ!!!」
「何だっ!? 鳥?! 礫?!!」
「ガアアアアアッ! 痛いっ!!!」
「ガッ! 何だっ!? 熱いっ! 何かが突き抜けたっ…… ガハッ!!」
「ウオエエェッ」
羽茂本間照詮が放った数十の砲弾。それらは全て対人殺戮に特化した「フレシェット弾」だった。数百本の鉄釘を内包した無慈悲なる砲弾は、無垢なる三好晴元軍の柔肉を易々と抉っていった。
「くっ!? 何だあ!? どっから来たあ?!!」
「政長様! 佐渡軍からです!」
「何だとお!? 五町(約500m)も先ではないかあ!?」
「二町まで近づかねば弓矢が届きませぬ! 政長さま…… ぐわっ!!!」
予想だにしていない攻撃手段に混乱した政長軍。第二斉射により被害は更に拡大。政長の面前へ報告しにきた兵も流れてきた鉄釘で腕を撃ち抜かれた。
「何だあ? 釘だとお? 佐渡の田舎者はこんなものをお?!」
「ま、政長様! 如何為さいまするか……?」
「ぐぬっ!!」
勝ち戦を確信していた政長にとって意外すぎる攻撃だった。だが、政長にはその鉄釘は短く見えた。これまでと同様に「前に進めば勝てる」と思ったのだ。
「こんな鉄釘大したことないわっ! 矢が届かぬのであればこちらから近づくまでよ!! 近づけば兵の多さで踏みにじれるわっ! 進軍じゃあ! 進軍せよお!」
「ま、政長様…… ここはいったん引くべきかと…… あの、その、き、傷ついた者を下がらせねば……」
おどおどと政長の娘婿池田信正は進言した。未知の敵に下がることは凡そ正しい。
「成程」
「確かに。ここは退くのが賢明か?」
他の将兵も退くことに気付き同調し出した。
だが政長には退く気は更々なかった。
「愚か者共があっ! 兵はこちらの方が多いのじゃ! 傷ついた者など放っておけ! 恩賞は思いのままぞお! 進めええ!!」
「「…… おうっ!!」」
若干間が開いたが将兵は頷いた。家格の違いから拒否することを頭から否定したのだ。「政長様の下知こそ己の使命」と思う者ばかりが佐渡軍へと前進を始めた。
バラバラと進軍を始めた政長軍。
陣前に掘った陥穽に陥らぬようにする為に一気呵成での全軍での進軍はできなかった。
後ろからは赤と緑の派手な装束の三好政長が声をがなり立てた。
「進めえっ! 進めええっ!! もうすぐ二町だあ! 弓が届くぞお!!」
ガガン! ガガガーン!!
だがその声は鋭い破裂音に掻き消された。
前線に破裂音。弓を持っている者が佐渡軍の鉄砲隊に狙い撃たれたのだった。
「鉄砲という武具かあ?! じゃがあれは一度撃てば時間がかかると聞いておるぞお! この隙に一気に敵陣へ突っ込めえっ!!!」
「ぐっ、は、はは!!」
傷を負いながらも前へと向かう足軽兵。勝ち戦と聞いて集められた兵達の心はまだ折れてはいなかった。
しかし足軽兵達を待ち受けていたのは通常よりも長い朱色の槍を持った剛強な兵達だった。
ガキンッ! ガキンッ!!
「うおおおおっ!!」
「わしらに敵うものか! おらあっ!!!!!」
長く強い朱色の槍。樺山善久率いる屈強な薩摩兵達は半農半兵の三好政長軍の前線を圧倒した。
細川の兵達は気圧され崩されないまでもじりじりと下がっていく。
「構えッ! ティッ!!」
「佐渡軍は鉄砲隊だけじゃないんだよ! 弓だって負けはしないよ!!」
ピュッ! ビュン!!
政長軍の後続兵達は佐渡軍弓兵筆頭の捧正義率いる四方竹弓隊の攻撃を受けた。ビクンと大きな耳を揺らした正義。正義の合図により一斉に撃たれる矢は速射力が敵軍の比ではなく更にまばらな矢よりも躱しにくく殺傷力に優れ次々と敵を射抜いていった。鉄砲隊も一斉射の後は槍兵の後に後ろに下がり弓に持ち替えて弓隊に加わって厚い雨となり敵軍を屠っていった。
後続が来ない政長軍の前線は浮足だった。それを見逃さなかったのは片耳の勇将樺山善久だった。
「そろそろ出番じゃな。行っど! 槍隊突撃や!!」
「へっ!!」
殺戮兵器が始動。目を血走らせた薩摩兵達が一気に前に出た!
「え、やっ、ああああああああああっ!?!!」
「うげええっ、やめ、わあああああああああああああああああああああっ!!!」
残忍な刃が次々と政長兵達を切り刻んだ。
腕が千切れ、目玉が落ち、首が飛んだ。
脳漿は頭蓋から漏れ、血は川のように流れ、臓物は辺りに死臭を撒き散らした。
その非日常を諸共せず陸の殺戮兵器は隊列を崩さず前進した。黒の装備を身にまとった歴戦の兵達は心を殺したように表情を崩さなかった。それらが一糸乱れずに進軍する姿は相手方にとって奇異に映った。
そこに上杉謙信率いる騎馬隊が前線へ躍り出た! 勢いの乗った突撃に敵軍はもう抗う術は既に無くなっていた。
政長軍右翼は大混乱に陥った!!
「駄目だあ!!」
「戻れッ! 陣へ戻るのじゃ!! 殺されてまうぞ!」
「ま、待てえ! 逃げるなあ!!!」
命を惜しむ政長軍の兵らは前線から我先にと逃げ出した。そして陥穽が掘ってあることを忘れ次々と落ち斜めに切った鋭い竹槍を受けて絶命していった。
逃げ出す兵を奮い立たせようと政長は馬上から大きな声を張り続けていた。
「戦ええっ! 怯むなあっ!! 佐渡の小僧の首を獲るのじゃあ!! 儂の! 儂の為に命を捨てるのじゃあああああああああっ」
ガンッ!
「ぐ? あ? 」
強い衝撃を受け、政長の視界がぐにゃりと曲がった。
「何じゃあ? わ、儂はあぁあ……?」
それが政長の最期の言葉だった。
…… ズ、ズズズ……
ドシンッ!!
政長の巨躯が馬からずり落ちた。水越宗勝らによる個別狙撃を受けた為だった。政長自慢の赤紅の兜がガラガラと音を立てて地を転がった。
「雉撃ち……」
硝煙が立ち上るマスケット銃。宗勝が放った長射程高威力の狙撃が勝負を決めた。声を張り上げ赤い兜を被った敵を撃つのは雉撃ちに似ていた。宗勝には何故「撃ってくれ」と言わんばかりのことをしているのか理解し難かった。
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黒の横縞の入った流線形の美しい羽が、森の中に散乱した。
赤ら顔をした一人の農夫が、鍬に御馳走をぶら下げていた。
雉は日本固有種の留鳥であり昔話などにも度々登場する「日本の国鳥」として知られています。
オスは繁殖期に入る三月頃から顔の周辺が赤く大きくなり、縄張り争いのために攻撃的となり「ケーンケーン」と二度鳴くことが知られています。実際の鳴き声を動画で聞くと、思ったより「ゲッ」とか「ゲェンギェエン!」と濁って聞こえました。どう表記するか悩みましたが、馴染み深い「ケーンケーン」かな、と思いました。
雉鳴については皆さんのご想像通りです。由来は騒がしい雉を猟師が鉄砲で撃つ、ということかなと思っていました。ですが調べると、古くは9世紀頃に大阪・淀川に長柄橋という橋を架ける際に「人柱が必要じゃ」と言った本人が人柱に選ばれた、という逸話が14世紀頃の書籍「神道集」に書いてあったとのことらしいです(当然諸説あります)。長野県の昔話にも同様のものがあるようです。英語で言えば「Silence keeps you safe. 」(沈黙はあなたを守ってくれる)だとか(*´ω`)
梅東風は春風の別名の一つ。桜東風や椿東風などと言うこともあるようです。
菅原道真公が大宰府に流刑される前に詠んだ「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花、主なしとて春を忘るな」の歌にあるように、「忘れないで」という意味もあるようです。主人公が放った呪詛のような言葉と掛けているのでしょうかね。
三好政長は本来は天文13年(1544年)5月に隠居して「半隠軒宗三」と名乗ったようですが、本物語では三好晴元の力が史実より強くどうやら隠居せずにそのまま腹心として辣腕を振るっていた為、隠居も改名もしなかったようです。決して面倒くさいと思ったり読み方が分からなかったりする訳では(';')




