第二百二話 ~土佐須崎の合戦(二) 「虎穴」~
<天文十三年(1547年) 二月 土佐国 高岡郡 須崎 佐渡軍前線 上杉軍 >
眼前に広がる敵軍の様相を見た中条景資は、額に汗を滲ませていた。
「『龍』殿! 『盾』です!」
「むっ」
月毛色(淡い黄白色)の名馬に跨り、龍を象った飾り兜をかぶった佐渡上杉謙信は、副将の言葉に少しだけ表情を曇らせた。
「『搔盾』が二重三重にも巡らされておりまする!」
「鶴翼の陣(左右を敵方向にせりだした陣形。防御に向いている)に多数の搔盾。相手方は我らを迎え討つ気か」
「そのようで」
謙信は考えた。
戦国時代、手盾を持つ者はほぼいなくなったが、掻盾(大型の木製置盾)は急場の陣作り、隠れて弓矢を撃つ、繋げて敵の馬の突入を防ぐ等数々の戦場に用いられていた。
今回の問題はその数である。
明らかに多い。尋常ではない数である。馬で突入すればたちまち立往生してしまう程である。無数の盾が「いつでも来い」と言わんばかりに立ち塞がっているのだ。
「まるで、『虎穴』だな」
「ほほっ。迂闊に攻め入れば、喰われもすか?」
謙信は指折れの副将新納又八郎の茶化したような言葉に対し真剣に答えた。
「数はこちらが有利。だが、我らはこの地に明るくはない。あれほどまでに守りを固めるとは何か策があるであろう」
「如何為されますか?」
「殿からは『派手にやっていい』と言われているが。ここは……」
「おいどんの出番ですな!!」
そう答えたのは剛毅果断の勇将樺山善久だった。
「『虎穴に入らずんば虎子を得ず!』と言いもすッ! 盾に身を潜むう土佐の臆病者共なぞ物の数ではあいもはん! おいどんが一気に突っ込んで安芸国虎をふんじばってきもすっ! ではっ!!」
「むっ、待て!!」
謙信は止めた。
だが、それを聞くよりも早く、片耳の勇将は数百の手飼いの騎馬隊と共に敵陣目掛けて駆けだしていた!
……虎の牙が島津の勇将に襲い掛かるには、そう時間はかからなかった。
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<天文十三年(1547年) 二月 土佐国 高岡郡 須崎 土佐軍 安芸軍前線幔幕 >
安芸家家老、緋色の陣羽織を着た有沢重貞は頬を紅潮させながら意気揚々と主君の待つ幔幕に入った。
「殿! やっちゅうぞっ(やりましたぞ)!!」
「うむ、重貞ッ! 首尾はどうなが?!」
「敵将樺山善久、捕えちゅう(捕えました)!!」
「ははははっ! そうかそうかッ! よおやったぞ!」
「ははっ!!」
軍の先頭に立ち勢い勇んで正面から安芸国虎の陣へと進んだ樺山善久。だが虎穴陣の前にはいくつもの陥穽(落とし穴)があった。うまく穴を躱して敵陣に入った善久だったが今度は無数の掻盾に囲まれ身動きが取れなくなった。そこへ有沢重貞らが投げた捕獲網に絡み取られ一気に地面へと叩きつけられたのだった。
縄に縛らられ身動きが取れなくなった樺山善久は心の底から悔しがった。
「くそっ 一生の不覚ほいなら! 斬れっ!!」
「殿、どうやるが? 斬るがでか?」
「いやいや。こいつにゃ利用価値があるぜよ。斬るのはまだ先でいい」
鮮やかな黄蘗色の陣羽織を着た安芸氏の若き主君は、大きな丸顔から尖った歯を覗かせた。
「勇猛で知られる佐渡軍の副将を捕えた。相手方はこ奴を取り返そうと勢いを増して進きくるろう」
「そうなりゃしめたものやき(ですね)?」
「じゃのぉ!」
安芸備後守国虎は、事前に土佐軍盟主である本山豊前守茂宗と策を講じていた。
「我らが治める安芸郡は幾度となく戦火に見舞われてきた。安芸を護るが為に、我らは掻盾を使うた防御術に力を入れてきた。相手がなんぼ力押ししようとも、耐えることは得意中の得意ぜよ!」
「我らの防衛に業を煮やした相手が攻め入って、前線が伸びた所へ……」
「本山の爺らが相手の横腹を衝く。これで勝てるぜよ」
安芸軍が相手の進軍を食い止め、敵軍が停滞した所へ土佐軍本陣が動き横から衝く。その手筈通りだった。
国虎がニヤリと歯を出して笑った刹那!
「御注進御注進ッ!」
「どいた(どうした)?」
「佐渡上杉軍ッ! 広がり押し寄せて来ちゅう(来ました)!」
「来ちゅうか!!」
佐渡上杉軍は得意の一点突破の魚鱗の陣ではなく横一列になって注意深く進んできた。面には面で対応し盾の裏に待つ兵を丹念に潰していく作戦だった。
報せを聞いて幔幕を飛び出した安芸家当主は眼前に広がる一糸乱れぬ敵軍の圧倒的な統率力に恐怖した。矢を撃つも黒い鉄兜や鉄籠手で弾きつつじりじりと自陣へとにじり寄ってくるのだ。左右に飛び出た陣は既に敵軍と交戦し崩されていくのが見えた。
安芸国虎は生まれて初めて舌を巻いた。
「……こりゃあー死ぬかもしれんきね(しれんな)」
「はっ?!
「独り言じゃ」
額の汗を拭い、己を奮い立たせるように安芸国虎は大声で叫んだ!
「本山の爺に陣貝を鳴らしとおせ!! 上杉軍の脇腹を衝く絶好の機会ぜよ!!」
「応っ!!」
「相手が横からの奇襲で崩れたち、一気に押し返しとおせ! この戦い、これで勝てるぜよ!!」
「「応っっ!!」」
「重貞! 陣貝を吹けっ!!」
「承知しちゅう!」
ブオオーン! ブオオォォーーーン!!!
この陣貝の鳴った結果が、戦の命運を分けることとなった……
戦国時代に兵達が手盾を持たなくなったのには色々な理由があったようです。
一番の理由はやはり、「武器が両手武器だったから」ではないでしょうか。
弓⇒両手
槍⇒大型で両手武器
太刀⇒西洋の「叩く」という剣ではなく、「引き斬る」為に両手が必要。
近接の組み打ちになってようやく脇差で片手武器となりますが、もう片方の手は相手を押さえつける為、盾は持たない。
また、槍には「巻き返し」や「突き返し」、刀にも鍔がついて相手の攻撃を武器で防ぎきる技量が戦国時代の武士達にはあったことも大きかったようです。
さらに、「鎧が盾の役割を果たしていた」「手盾を使った兵を、両手武器を持った兵が圧倒した⇒盾いらなくね?」と変わっていったとされています。
他方、物語に出てきた搔盾(置き盾)は変わらず使われてきたようです。盾を専門に持ち歩いた兵もいるほどだとか。
縦五尺(約150cm)、幅一尺五寸(約45cm)、幅一寸(3cm)程の大型で、支えの足が付いていて自立できるものでした。鉄砲が実装されると、鉄砲隊がその身を隠すために用いられたようです。
BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)様の「現代に甦った「ガチ甲冑合戦」が本気すぎてマジ痺れる! 真田軍対伊達軍の道明寺合戦も再現」の記事がとっても参考になりました!
https://bushoojapan.com/bushoo/war/2015/10/15/61130
安芸氏家老、有沢重貞は実在の人物です。
1569年、安芸国虎が長宗我部元親に敗れ自刃する際にその介錯を務め、その後主君の後を追って殉死したた人物とされています。
調べていく中で、歌手のアンジェラ・アキさんが安芸国虎と繋がりがあるという記事を見つけました。そうか、アキさんのアキは「安芸氏の安藝なんだな」と感心している作者です。