第百八十二話 ~竹~
南越に渡った柿崎景家。
待ち受けるものとは……
<天文十二年(1545年)九月末 南越 黎朝 ホイアン 會安上城>
黒い老竹。
俺が阮淦を見て、即座に頭に浮かんだ印象だ。
短く刈り込んだ髪、浅黒い顔。腰はピンと伸びている。太い腕が印象的だ。
年の頃は五、六十ほどか? だが見た目よりも年かさやもしれぬ。
日ノ本とは違う、極彩色の壁に彩られた異国の城。
龍を象った門をいくつかくぐり、通された豪奢な広間。俺はここで南越国の大将軍と面談している。
「Tổng hợp Nguyenkim.Cảm ơn bạn!」
通詞の黎公榮が南越の言葉で、その古く凛として真直ぐに立つ者への言葉をかけた。何を言っているかは見当はつく。大方、「謝意」か「友誼」の言葉だろう。
老竹は満足そうに頷き、「xxxx xx」と抑揚のついた声で返した。
俺は黎に言われた通り目線は逸らした。
南越では目線を合わせるのは不敬だと言う。目上の者に対して、特に南越一の高位の将と聞く阮淦には尚更。
その辺りを心得ていることも、老竹将軍が満足している一因かもしれん。
日ノ本を追われ、遥か千里離れたここ南越で死地を探しに来た。
小僧との誼故、この老竹、いや阮将軍の元で武を発することが俺の最期の使命だ。
この俺とて竹だ。
曲がりはせぬ。
主家の命に従い、持てる力を持って敵を切り刻む。俺にはそれができる。否、俺にはそれしかできぬ。故にこの地で老将の元で槍を振るう覚悟はできている……
?!
老竹が動いた。
何事か声を出すと、真直ぐと俺の元へ。
「xxxx、xxx、xxxx!」
表情は変えぬまま、俺の目の前で何事か言った。
そして右手を差し出してきた。左手を右肘に添えて。歓待の所作、か。
「よろしく頼む。柿崎和泉守景家だ」
「Tướng mạo như cây trúc. Hãy cùng nhau chiến đấu!」
差し出された右手を、俺も同様の所作をして握った。
…… 流木の深い溝のように皺だらけの手だ。歴戦の重みを感じる。厚い。そして、温かい。
良い将だ。直観的にそう感じた。
「xxx、xxxxx、xxxxxx、xxxxx!」
「『戦に強い者は歓迎スル。莫朝トノ戦はハゲシイ。ぜひ働いてホシイ!』と言ってイマス」
黎が訳した。
「……なるほど」
どうやら戦の手が足りぬというのは本当のことのようだ。
阮将軍の隣の男も、首を縦に振り続けている。副将か? 若干眼つきが怪しい男だが。
「任せろ。この俺と島津の猛者五十名。斬って斬って斬り刻んでやるわ」
ここにいれば戦に飽きはしなそうだ、な。
「xxx、xxxx、xxxxx! xxxx」
「歓待ノ酒ト果実を用意シタ。其方らのモチ込んだ瓜もヨロコンでいル』とのことデス」
「フッ」
老竹は初めて表情を大きく崩した。破顔一笑というところだ。
南越人は感情を大げさに出さないと聞いていたが、瓜が余程の好物なのだろう。
瓜は小僧の入れ知恵だ。
奴はこういうことには特に鼻が利き、耳が大きく目端が利く。
だからこそ佐渡という小さな島から、日ノ本を飲み込む力を付けたのであろう。
「せっかくだ。頂くとしよう」
「Được chứ(はい)」
汁が滴り落ちそうだ。黄緑色した瑞々しい瓜だ。南国の瓜とはこういうものか。
まずは阮が一口かぶりついた。大きな口だ。歯も頑強のようだ。がぶりと美味そうに頬張った。
では、
シャリッ
……ふぅ、む……
!?
舌に痺れを感じた! 毒だッ!!
ベッ!!!
瓜を即座に吐き出した!!
「xx?」
「…… まさか、こんな異国の地で毒を盛られようとはな……」
汚いな。
小僧、済まぬ。約定を守れそうもない。
俺は腰の大太刀の柄にゆらりと手をかけた。
「喝っッ!! 油断させておいて毒を盛るとは!!! 南越人とはかくも汚い者共か?! 俺は毒では殺されんぞ!!」
「xxx! xxxx! X!」
老竹は顔面蒼白だ。さきほどの笑顔が嘘のようだ。何事か叫んでいるが……
「返答や如何に!!?」
「マ、マッテクダサイ!!!」
通詞の黎は俺を押しとどめた!
まさかこ奴も敵に通じているのか?!
「xxx! 誤解ダとイッテマス!」
「ペッ! ペペッ!!!」
見れば阮は必死に瓜を吐き出しているッ!?
「オ、オエェェッ! グェッ!」
阮は指を喉に入れ、瓜を吐き出した。どうやら阮も毒を盛られたのか。
……
いや、奇怪しい。
これは、俺に盛られた毒ではない。
阮も、ではなく、阮が毒を盛られたのだ!
とすれば敵は近くにいる筈!
刹那!
「Nào! Khi nói đến điều này! !!」
阮|の隣に座っていた男が腰の刀を抜いた! 阮を斬るつもりだッ!! させんッ!!
「でぇぇぇえええええぇいッッ!!!!」
グバシャッ!!!
袈裟懸けにその男を一刀の元に斬り伏せたッ!
男は刀ごと真っ二つになった!!
「ウォォッ!」
「ワァーッッ!」
さらに部屋の彼方此方から武具を持った兵が幾人か現れた! 囲まれたか?!
望む所だ!!
「お主らが死出の道案内か?! ハハッ! この景家を屠るには荷重にも程があるわッ!! かかってこい!! 」
ズバッ!
ブシャッ!!
ズビオッッ!!
弱い。脆いっ!
難なく骸にできる。刀一閃で一人、二人と細竹を斬るが如くだ。
何だ? これ程に弱いのか?!
「おらおらッ! どうしたぁぁあああ゛ぁ?! それで終わりかあああああああ゛ぁ!?」
「ヒ、ヒッ!? ヒエエエエエエエエエッ!!」
びくんと縮み上がった兵達。臆した者から我先にと逃げ出した。
ふん、他愛もない。
「柿崎ドノ! ミゴトデス!!」
「…… 造作もない。それよりも阮の手当を」
阮は老齢。だが頑強な身体に加え、毒瓜を吐き出した為、それほど胃の腑の奥には届いてはおるまい。命に問題はなかろう。
「…… ハハッ」
「エ?」
笑みが漏れた。いかんな。血が滾って仕方がない!
腕もふるふると震えておる! 悦んでおる!!
「面白い! 愉快極まる地だ!! この世の極楽か?!」
「……」
黎公榮から答えはなかった。
そうする間に、ドタドタと城の奥から兵が沸き出てきた。
これらは老竹の兵らしい。どうやら殺さなくてよさそうだ。
「小僧! 感謝するぞッ!!」
ブンと刀を振り血糊を飛ばし、俺は思わず叫ばずにはいられなかった。
俺は生きている。生きているぞ!!!
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黎朝の「都将」(総司令官のこと)、阮淦の命を救った柿崎和泉守景家。
それから景家は阮から「命を救った恩義」として最上級の客将「上客将」としての身分を与えられた。「クロオニ」という二つ名もいつの間にか付いたそうだ。
阮淦の命を狙ったのは副官の楊執一だった。莫朝から多大なる財を受ける約定を受けて、毒入り瓜により殺害をしようとしたのだという。だが、景家により一刀両断。一族皆斬首の憂き目に遭った。
阮淦の配下、特に娘婿の鄭検はこの暗殺未遂事件を「傀儡皇帝である裕皇帝の仕業」と疑い、「廃嫡すべし」との声を荒げた。だが阮淦の息子である阮汪らによってそれは押しとどめられた。
そして、真の黒幕は……
羽茂本間照詮が日ノ本で大きく羽を広げる中、遠く南越の地は謀略と血で真っ赤に染まっていくのだった。
その中に、その中心に、猛勇たる黒衣の日ノ本の将、そして五十名の侍がいた。
…… 彼らが再び日ノ本の主君と出会うには、五年より多くの歳月が必要であった。
参考にした文献は、
「ベトナム後期黎朝の成立」(蓮田 隆志 氏 著)(東洋学報)
加えて「ベトナムのマナー」阮淦に関するwiki様等です。
阮淦が毒瓜により殺されたのは1545年5月とのことですが、主人公のバタフライエフェクトにより10月にずれこんだと思われます。(本物語「百六十話 ~待ち受ける運命~」参照)
「黒幕は、やはり莫朝だったのか」
「それとも、阮淦が帝位を取ることを恐れた傀儡皇帝だったのか」
「実は、阮淦の死後、軍部の実権を担った娘婿の鄭検だったのか」
史実を元に大胆な考察を加え、景家の活躍を盛り込み物語を構想しております。どこかでまた書くことができるやも。それか外伝的な……?
傀儡皇帝と聞くと、足利義昭と織田信長の関係を彷彿とさせるような内容だなと感じました。(諸説ありますが)
幕間を数話挟み、第十二章へと進んで参ります。