第百七十四話 ~謎~
<天文十二年(1545年)七月 京 京都御所 渡り廊下>
「……いやはや、いやはや。麿の器の大きさたるや」
「もう、本当に~。殿下ったらぁ~」
「各地で覇を唱える大内、六角、武田、織田、宇都宮などから届いた貢物は数知れず。今世最も勢いのある佐渡の左大弁殿は帝や麿の義弟のようなもの。我が御代となれば世はより華やかになるであろうぞ」
「殿下の織りなす安寧の世を心待ちにしております~」
「素敵ですわぁ~」
「わはははっ! それほどでもないぞよ」
多くの女官に囲まれ優美に笑う、帝の嫡子にて次代の帝である方仁親王。
今日も興を買おうとする女達相手にご機嫌だった。
そこを通りかかった「向日葵姫」ことレンは、その夏の盛りに鬱陶しく喚きたてる蝉達を見て眉を潜めた。
だが白地に引き返すのも気が引けるので、何事もなく通り過ぎようとした。
だが、
「はははっ…… おぉ! あそこに見えるは向日葵姫ではないか!」
「…… うげっ」
レンは麿様に見つかってしまった。顔を伏せるレン。
「これこれ。ここで会ったのも仏のお導き。我らと共に貝合わせなぞ楽しもうぞよ」
「…… 次の琴の稽古が控えております故。失礼いたします」
そそくさとその場を去ろうとするレン。御付きの白貉と白狛もそれに続く。
そこへ殿下の取巻き女官達が厭味ったらしく声を掛けた。
「いや~ね。殿下の気を引く為に、わざと気の無い素振りをする女って」
「本当、本当~」
「あら、鄙びた臭いがするわ。どこの田舎者からかしら?」
「……」
レンに対する女官達の嫌がらせはこれが初めてではなかった。
歌合せではレンの詩を「風流でない」と殊更蔑み、最高級の着物を着ていれば華美と貶し、さりとて地味目の着物を着れば「粗野な着物」と論う。
『贈り物』と言って届けられた物の中には蛙や蚯蚓の干物が入っていたこともあった。
「ほらっ! アンタにはこれがお似合いだよッ! それッ!!」
太った女官の一人が、レンへの嫌がらせをしようと隠し持っていた箱から何かを出した!
ボタッ、
グニョグニョ
「きゃぁ~」
「百足よ~」
「気味が悪いわ~」
女官が隠し持っていたもの。それは半殺しにされた百足だった。
ウニョウニョとうねり、二十三対の足がおどろおどろしく動く様は気味悪く見える者がほとんどだ。
「こ…… これ! やりすぎであるぞよ!」
流石に麿様が女官達を窘めた。
女官達が世間知らずの娘の悲鳴を待ちわびている中、レンはその百足をひょいと優しく拾い上げた。
「百足……」
佐渡の山中で何度も見たこともあるレンは、百足など見飽きていた。
それにその痛めつけられていた百足は噛みつく力も残っていなかった。レンはそんな百足に憐憫の情が沸き、逃がしてやろうと思った。
「さぁ、お行きなさい」
レンはひらりと廊下の下に手を伸ばすと、その百足をひょいと放ってやった。
……
あっけに取られていた女官達。
だが、
「…… きゃぁ~ 気持ち悪いわ~」
「そ、そうね! 百足を手で触るだなんて!」
「あんな下賤な生き物を~ やだ~」
女達は「向日葵姫を貶す」ということを思い出し、再び喚き始めた。
ビキッ
「違うっちゃ!!」
そんな女達を見てレンは怒りで我を忘れ叫んだ!
ビクッ!
「百足は悪い虫を食べてくれる良い虫だっちゃ!! それに前にしか進まないっちゃ! 『後ろに退かない』として武家ではの旗指物や家紋に使われることもあるくらいだっちゃ!! うちは百足が好きだっちゃ!! ではこれで失礼するっちゃ!!」
「「……それでは」」
稲妻のような怒りを見せた向日葵姫と人形のように美しい侍女二人が去っていくのを、麿様と女官達は茫然と見送った。
「…… や、やだ~」
「こわ~い。殿下ぁ~」
抱き付いてくる女官達。だが、親王方仁の目には別のものが映っていた。謎に満ちたその凛と美しい後ろ姿が目に焼き付いていた。
「向日葵姫……」
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<天文十二年(1545年)七月 甲斐国 山梨郡 躑躅ヶ崎館 評定の間>
「御館様。今川殿は織田軍に劣勢のようですな」
「……うむ。援軍が間に合えばよいが」
甲斐国国主従五位下武田左京大夫晴信は、武田家家臣最高職である両職の一人、甘利虎泰の問いかけに気遣わしげに答えた。
「織田軍は『安城畷』の戦いにおいて松平家を屠り、今川殿の所領となっていた三河をほぼ攻略。遠江国にまで迫るほどの破竹の勢いですな」
「美濃の斎藤家とも結びつき、勢力を伸ばしております。ここらで押し留めませぬと」
両職の板垣信方、小畠山城守虎盛らも加わり、評定の間の論議は熱を帯びた。
「いや。あまり今川殿の手伝い戦ばかりしていると、我らの背後を突こうとする者がおりまするぞ」
「…… 宇都宮尚綱、か」
晴信は苦々し気に髭をなぞった。
代々、下野国を治めていた宇都宮氏。
上野国を治めていた山内上杉家が長尾家、さらにその後の佐渡の羽茂本間家の後塵を拝すと矢庭に力をつけ始め、その領地を横から攫っていった。
宇都宮の軍とは昨年に一度、領地争いの為に上野国で刃を交した。そして、二度と戦いたくない相手であった。
(何故か宇都宮の軍は異常なまでの強さを誇った。
総じて兵は怖れを為して退くものだ。だが、あ奴らは戦場において狂人の如く我らに立ち向かい、痛さや怖れを知らぬように突き進んできた。危うく飯富虎昌や弟の信繁らの将を失いかけたわ)
その後武田家が防衛を固めると、宇都宮家の矛先は新進気鋭の北条氏へと剥いた。
そして、あれよあれよという間に関東の地から北条の旗は消え失せていた。
「分からぬことは、宇都宮家の軍資金に御座る。なぜに兵の糧秣や武器を維持できるのか……」
「謎じゃ。特段農作物に違いはなく、商いで稼いでいるようでもないが」
「…… 銅が市場に出回っていることに関係があるやもしれませぬな」
「銅、か?」
銅は銅銭の材料として広く普及している希少鉱物である。金や銀には及ばないもののその価値は高い。
だが、誰も下野国付近で潤沢な銅が採れる山があるとは聞いたことがなかった。
「…… 宇都宮尚綱殿から『佐渡の羽茂本間家が背後を狙っている。共闘し立ち向かいましょうぞ』との書が届きましたが……」
「それはない。左大弁殿は儂の盟友じゃ。今は西南の海を往き、版図を拡大しておられる。南国の珍しい珊瑚やら、京の都で噂になっている龍涎香まで届けてくださっておる。無用な心配じゃ」
「ははっ!」
(信濃国の村上義清の首はまだ取れていない。
姉の婿である治部大輔殿(今川義元)への支援も欠かせぬ。
海に出ようにも宇都宮家が関東を抑えている……)
「何とかせねば……」
武田晴信は、七月の晴れ渡った空を苦々しく思った。




