第百六十六話 ~龍の糞~
<天文十二年(1544年)6月 琉球国 那覇 首里城 殿中>
琉球の統治。これが中々簡単ではなさそうだ。
ここは基本的に海禁を敷いている明とのハブ港として栄えている。というかそれが主産業と言ってよさそうだ。暹羅や明から生糸や香料、象牙、陶磁器や銅銭、倭国からは坊津や博多の商人から扇子や屏風、日本刀といった特産物を集め運ぶ。浮島には数多くの明国人、さらには暹羅や呂宋の者が集まって町を築いている。これを利用しない手はない。
日秀は摂政的な存在で王を助けてきたようだ。今後も行政面で助けてもらおう。
三司官という行政トップは元琉球王国の王族からだから、全て尚清王の親族だ。これはばらけさせよう。一族経営というのは流れない水のようなものだ。いずれ濁る。
行政は大きく申口方と物奉行所という二つに分かれていた。
申口方は司法とか公安とか教育とかをするお役所仕事。
平等方(裁判と警察)、泊地頭(戸籍、公安、消防、宗教など)、双紙庫理(褒賞とか文書管理とか)、鎖之側(外交、教育など)に分かれているそうだ。
司法は平等方が担ってきたようだが、まあ、この辺はゆるゆると佐渡流に変えていこう。
物奉行所は管理屋。
用意方物奉行所(山とか川とかの国有財産の管理)、給地方物奉行所(役人の給料とかの管理)、所帯方物奉行所(米や鉄や税の管理)をそれぞれ担ってきたらしい。税金とか座とか管理してきたようだから大事にせねばならんな……
定満や不無達と意見を交わしながらそんな感じでバリバリ仕事をしている俺を、心配そうに見つめる男がいた。
「あ、あの左大弁様」
「ん? 何だ尚清?」
酷くおろおろした元国王の尚清だった。
俺達が本当に琉球王朝の財産とか人に危害を加えないのがそんなに心配か?
「働き過ぎではないでしょうか?」
「ああ、そういうことか。いや、全く?」
「三日三晩、ほぼ働きづくめではないですか。ご自愛くださりませ」
「ん-」
面白いから忘れていた。
そう言えば俺が矢継ぎ早に命令をドンドンと伝えるから、文官が二十名以上も出たり入ったりしていたな。見れば落書きのように書いてクシャクシャにした紙が屑入れに入りきらないくらいになっている。そういや昨日は……
「鎖之側(外交、文教などを司る機関)は解体する。教学奉行を設置し教育に力を入れるぞ。読み書きと牛豚の飼育を学ばせよ!」
「法は基本、佐渡の三大法はそのまま使う。『一つ、法によって治める』『二つ、人種、信条、性別、容姿、門地によって差別せず』『三つ、働き、能によって国を富ます』だ。小法も基本的に同じだが、琉球の地に合わせて修正するぞ。思案をそれぞれ提出せよ」
「後宮? 要らん! 解体して物置小屋に変えろ!」
「ん? 宜野湾に倭寇?! 蹴散らせ! 根城を見つけ出し根切りにしろ!」
うん。
やるべきことをやってるだけだ。
「全く問題ない。土台作りは何よりも大事だ。早ければ早いほど良い」
「…… 武や徳だけでなく、政すらも常人ではないとは。怖れ入りました。これなら琉球を安心してお任せできます」
深々と礼をした髭の副領主。
出会ったときは目の下が窪みまくって今にも死にそうだった。
降伏を考えていたときに阿呆長子が止めるのも聞かずに戦いを挑んで惨敗。「次は自分達の番だ」と、気が気でなかっただろう。
日秀の進言に従い、全面的に俺達に従いこの広い首里城を混乱なく譲渡したことは後世において「名君」と謳われるはずだ。
「どうということはない。お主も一族臣下の乱れる心をよく鎮めてくれた。ああ、お主にしかできぬことがある。浮島に住んでいる異国人と友誼を持ちたい。場を設定してくれ」
「はは。中々難しゅう所もありましょうが…… 畏まりました」
「あと琉球の各地へ出向き、これから始まる新しい治政について伝えてきてくれ。そうだな、最初は中城付近が…… ん?」
俺が完全なる内政モードに入っている中、一つの文に目が留まった。目が点になった。
「尚清! 名護とはどういう所だ?!」
「はあ。名護城があり、また我ら尚氏の菩提を祀る伊是名玉御殿があります。特段変わったことは……」
「この紙に、『名護の東江海岸に臭くて熱すると溶ける石が貯まり困っている』『まるで龍の糞のようだ』と書いてあるぞ! 見たことはあるか?!」
「いえ。特段気にかけては……」
「書状は七日前か! 使いを出して間に合うか……」
「?」
ヤバい。これはもしかしたらもしかするぞ!!
「使いでは間に合わんかもしれん! 直接行った方が早い! 行ってくるぞ! 弥太郎! 忠平! ついてこい!! 」
「ああ゛」
「承知いたしました!!」
居ても立ってもいられん。確かめねば!!
「真偽を確かめる者が必要だ! 第二艦隊『鯨』新人に名護東江海岸へ来るように伝えよ! それと定満!」
「ははっ」
「ここの指揮を執れ! これからお前が『琉球の領主』だ!」
「これまた急ですな」
ゆったりと焙烙頭巾が返事をした。声とは逆に心の準備はできているようだ。
極めて重要な土地となる。この地の治政は俺以外では焙烙頭巾にしか頼めん。
「出羽を見事に治めたお主ならできる! 分からんことは尚清とその部下に聞け! 頼んだぞ!」
「ははっ!」
後は定満に任せよう。
その『龍の糞』とやら、もしかすると黄金より価値があるかもしれんからな!!
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<天文十二年(1544年)6月 琉球国 名護 東江海岸 砂浜>
「じっさま。『糞』がこんなに溜まってるぞ」
「ん-、王様に処分を頼んだのはいいが、返事が来んのう」
「あれよ、じっさま。佐渡の水軍が来たっちゅー噂じゃ。大変なことになっておるのじゃろうて」
「かもしれんのう」
ばっさまと話していると、孫が『龍の糞』を投げて遊びだした。確かに遊び道具くらいにしかならんのう。
ここ名護にはこういう龍の糞がたまに流れてくるで。軽いが臭いが酷いで、困り果てておる。
「仕方ないのう。薪をくべて溶かすとするか。熱すれば無くなるものじゃからな」
「じゃのう」
そう言っている中、沖の方に船影が見えた。
明の船か? ここに来るのかのう。
ありゃ? こっちに近づいてくる。
…… あれは明の船ではない! 別の船じゃ! 『極悪』と言われる佐渡水軍かもしれん!!
「坊! ばっさま! 逃げろ! ここへ来るぞ!」
「…… じっさま。ダメじゃ。腰が抜けてもうた」
「ばっさま!」
ばっさまを置いてはおけん。ああ、だが見る見るうちに船が近寄ってくる!
「坊! 村の衆に知らせてくるのじゃ! 一大事じゃ!!」
「わわわ、分かった!」
ザザーン! ザザザーン!!
あわわ。きおった!! 菊の紋の者達! 佐渡水軍じゃあ!!
「…… 間に合ったか!?」
「のようですな」
何百という兵が下りてきおった! もうダメじゃ!
「ううう、ど、ど、どうか命だけはお助けを! 老い先短い爺と婆じゃあ!」
「ん? 命なぞいらん! 『龍の糞』はどこだ?」
「どうか! どうか!!」
怖い! 着物を着た若者が怒っておる! 蛙のような男までおる!
坊! どうか無事に村へ逃げていておくれ!!
「殿! こちらで御座る!」
「むむ! 今いくぞッ!!」
…… ?
佐渡水軍の者達、『龍の糞』に興味があるのか?
あんなもの、何になるんじゃ?
「うおおおおおおおおおおおおっ!!!」
叫び声が上がった! 何じゃ!? 何が起こった?!
「じっさま。どうしたんじゃ?」
「分からん。だが逃げるなら今かもしれん……」
佐渡の者達の気がそがれている今しかない。逃げるなら今じゃ……
ばっさまの手を取り……
「ご老人!」
「ヒィ!!!」
さっきの若者じゃ! 酷い剣幕じゃ! 殺される!!
「に、逃げようとして済まなんだ!」
「そんな事はどうでもいい! あれを譲ってくれ!!」
「儂らに財なんてないんじゃ! どうか許して…… へ?」
譲ってくれ?
「あんなもんいらん! 引き取ってもらえるなら……」
「そうはいかん!!」
「ヒィッ!」
眉間に皺を寄せて睨みつけてくる! 許しておくれ!
「欲しいものを言え! 言ってくれ!!」
「た、食べ物があれば! 米があれば!」
「分かった! 米だな!」
そう言うが早いか若者は下船してきた者達に何やら指示を出し始めた。するとあれよあれよという間に……
ドーン!!
……
砂浜を埋め尽くされんほどの米俵が敷き詰められた!
「済まんな。船に乗っていたのはあれが全てだ。足りん分はまた運んでくる」
「い、いやいやいや! 十分すぎじゃ! あんな『龍の糞』に…… 」
「いや、ご老人。あれは『龍の糞』ではない。そうだな…… 言うなれば『龍の涎』、かな。それと、ここに奉行所を建てさせていただく。ご老人達の村の者に伝えて欲しい。『龍の涎』は大量の米と交換すると」
「わわわ、分かった!」
すると若者は大勢の兵達を連れて去っていった。
……
「じっさま…… 何があったんじゃ?」
「ばっさま…… 分からね」
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俺は興奮を隠しきれなかった。隠そうともしなかった。
もう一度、『龍の涎』に熱した鉄線を刺す。熱せられた箇所がベトベトした粘着性の黒いものへと変わり、抹香のような上質の匂いが醸し出された。ホットワイヤー法というやつだ。
匂いを嗅いで確信した百戦錬磨の海の荒くれ者、ジャック・スパ〇ウ似の鯨波新人が口をあんぐりと開けた。
「…… どうだ? 間違いないだろう?」
「親分。こりゃ、『どえれぇ』ことですぜ…… どうしてご存知なので?」
「ん、何かの書物で読んでな」
…… 前世のネットで知った知識だ。
ゲームで「香料商人」としてプレイしていた俺は、ジャスミンやら白檀やらをたくさん扱っていた。そんな中で香料について興味が沸き、乳香やらオレンジオイルなど香料について「どんな物だろう」と調べた。その時の経験がここで生きてくるとは。分からんものだ。
この『龍の糞』と呼ばれる軽い石のようなもの。
これの正体は『アンバーグリス』。またの名を『龍涎香』と呼ぶ。
マッコウクジラが食べたダイオウイカなどが胃や腸などにたまり、老廃物となって吐き出された物が波間に浮かぶ。それが天日を浴びることで成熟し極稀に海岸に漂着する。糞というよりは結石、脂だ。マッコウクジラが抹香鯨と呼ばれる所以だ。
その芳醇で上品な香りは人の心を落ち着かせ、上級階級の者にとっては「天にも昇る香り」とまで呼ばれるほどに珍重されている。クレオパトラや楊貴妃も愛用したという、香料中の至宝だ。値段は…… 天井なし。同じ量の金の数倍を優に超える。
「親分。『龍涎香』の塊、しかもこんな量…… 持っていく所を間違えなけりゃ、城が建つどころか、でっけえ島だって買えやすぜ!!」
「ああ、新人。だからこれを持って『明』へ行ってきてくれ」
「明へ!?」
「島を買ってきてくれ。明の高官に鼻薬をいくら嗅がせてもいい。澳門の東にある島が買えればなお都合がいい」
澳門の隣の島。あそこはまだ使われていないはずだ。
交易の拠点となり、西南艦隊の完全なる拠点を築くことができる。ポルトガルやイスパニアなどの動向を探ることも容易になる。
「…… 親分」
「何だ?」
「やっぱおいら、親分と一緒になれて最高に幸せだぜ!」
「俺もだよ。新人」
そう言うと、柏崎水軍の頭領だった男はヘヘッと照れ臭そうに鼻の下を擦った。この仕草はいつの時代も一緒なんだな。第二艦隊艦長は銭を象った着物を翻し、泉州の港へと旅立っていった。
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<天文十二年(1544年)6月 琉球国 那覇湊 >
いい気分になって那覇へと戻った俺。
だが、良い事は続かなかった。
那覇湊へ戻った俺を、留守を任せていた島津尚久が血相を変えて迎えた。
「照っち!」
「ん? 尚久、何だ?」
「久米島へ向かった西村織部丞時貫が!」
「おお、あのクソ女を捕えてきたか?」
尚久は大きく前髪を振って否定した後に叫んだ。
「久米島の島民に掴まった! 生死も分からん!」
龍涎香を見つける幸運を、ぜひ味わいたいものです(*´ω`)
『龍の糞』こと『龍涎香』は琉球に度々漂着し、17世紀前半には「見つけた者には報奨を与える制度」が設けられたそうです。龍涎香は匂いを嗅ぐだけでなく万病に効く薬、漢方薬的な扱いもされており、1704年に琉球で見つかった100kgほどの塊を見つけた者に四十石、現代換算でおよそ二億三千万円ほどを与えた、という記録も残っています。沖縄県名護市の東江海岸に1899年8月、龍糞打ち上がったという記載も残っています。
この頃はその価値に気づいていない、という物語展開をさせていただきました。
昔はマッコウクジラを捕鯨して、その胃腸の中にあったものを採取できたらしいです。ですが今は世界的に捕鯨が厳しく制限されており、龍涎香の入手は非常に難しくなっているようです。
2016年にイギリスで見つかった1.5kgほどの龍涎香には800万円の値が付いたそうです。昨年タイで見つかった100kgの塊は3億円を越えそうだとか(;゜Д゜)! 凄いですねぇ(*´Д`*)
さて、いよいよ……




