第百三十四話 ~能登国攻め~
時代を進めていきます。
<天文十年(1541年)八月 佐渡国 羽茂郡 羽茂城>
竜王洞の地を巡った後、俺は数か月間を佐渡国内で緩やかに過ごした。
あれ以来、綾は落ち着きを取り戻した。謙信や中条藤資おじさん達の手厚い支援で「越後の姫」としての立場を確保した。佐渡は越後の隣だし、二つの国の仲の良さは今後の国づくりにおいて欠かすことができない。この関係性は大きい。
レンは俺のほわわんと腑抜けた様子から、綾との事を察したようだ。
綾の憔悴しきった様子を感じ取り、『ある程度の』俺とのことについては正室として容認した。だがやはり不満が大きかったようで、「何でウチにはしてないっちゃ!」と三時間正座させられた。
あまりにせがまれるので、今ではレンと仲良くする時間を作っている。最後までは出来ないのが悲しい、早く大人になりたい。
加えてレンは、京の都から戻ってきた環塵叔父から何やら吹き込まれたようだ。「一つ上の女になるっちゃ」とか何やら不審な言葉を発しているが、詳しくは聞いていない。環塵叔父の言葉だろうから、きっと大丈夫だろう。
現在の攻略目標は、越中国と能登国だ。だが、焦る必要はまるでない。
越中国の神保長職は俺への投降を渋っているが、時間の問題だ。奴とて一向宗に囲まれて身動きが取れん。向こうが折れない限り手を貸すこともあるまい。
越中国の二大湊と言うべき岩瀬湊、氷見湊は既に八割方俺の手中に落ちた。港さえ押さえてしまえば、制空権を制圧したようなものだ。あとはこっちが好き放題できる。どう料理してくれようか、と思うが、ここは真田達に任せることにしよう。部下に任せることも必要だ。
そして俺は今、国内がガタガタになっている能登国に攻め入ろうとしている。
国主畠山義続は七尾城に立て籠ったまま地蔵状態。他の城も一揆勢に囲まれてこれまた死を待つばかり。いがみ合う二勢力が戦い疲弊したところを両方喰う、という漁夫の利を得る狙いだ。
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<天文十年(1541年)八月 越中国 ~ 能登国 有磯海(能登湾) 洋上>
暑い。
洋上は風が抜けるとはいえ、照り付ける太陽と海水からの照り返しでうだる様に暑い。
船長室の中で涼んでもいいのだが、指揮官がずっと室内ってのもみっともない。海の男達を率いるのだ、指揮官が色白では海の男達から「なんでぃ、あの青大根」と呼ばれかねん。皆気合を入れて働いているのだ、俺も皆の顔を見ながら指揮を執らねば。
「親分、無理しねぇで船長室で休んでてもいいんですぜ?」
新人がニヤニヤしながら俺に声をかける。そんな安い挑発に乗る俺ではない。
「全然大丈夫だ。むしろ寒いぐらいだ」
「ははっ! やせ我慢は体に毒ですぜ?」
「ふっ、毒にかかろうとも能登の地には『藤瀬の霊水』という万病に効くという湧き水があると聞く。皆、それを目指して進むぞ!」
「へぇへぇ! お~いおめぇら、うめぇ水があるってよ!!」
「お~」
気の抜けた返事が返ってきた。
曹操の「梅の林」の故事を真似て言ってみたが、うまくいかんもんだ。まぁ、能登国の制圧は目前だ。
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<天文十年(1541年)八月 能登国 能登郡 七尾湊>
能登国畠山氏の膝元七尾湊で俺達を待っていたのは、先行して能登国入りしていた副将格の赤塚直宗だった。相変わらず小ざっぱりとした着物に大きな頭が目立つ。
「直宗、出迎えご苦労」
「殿! お待ちしておりました!!」
軍略方次席の直宗には、湊を取り仕切る湊奉行を任せていた。兵一千と佐渡銃百丁、佐渡砲三十門を用いてこの港町を数か月間守りぬいてきた。
本来湊を取り仕切る筈の畠山氏の役人たちは、一向宗や畠山氏に恨みのある者達に囲まれて七尾城に引きこもっていると聞く。畠山氏の居城七尾城は「天下五大山城」の一つだ。小谷城、春日山城並みに堅い城、糧秣は半年分は蓄えていると聞く。兵の数には劣っていても、そう易々とは攻め落とすことはできはしない。
「殿、七尾城にいる畠山義続の軍はもう八か月も籠城しております。食べる物をなくして木の皮を煮詰めて食べていると聞きます。既に兵達の士気は地に堕ち、あと数日持つか持たぬかと言われております!」
「七尾城を取り囲んでいる者達について、調べはついておるか?」
「ははッ!」
「照さん、調べはばっちりですろー」
そう言ってでてきたのは、青い着物に身を包んだ「空海屋」の番頭兼黒蜘蛛の弟子の青蜘蛛だった。直宗と共に作ったであろう数十枚にも及ぶ資料を持ってきた。直宗はその資料を熟知しており、事細かに知っていることを俺に説明した。若干くどいところもあったが、やはりこの男達はできる。任せておいてよかった。
「なるほど。先代畠山義総の兄弟で、能登国を追い出された畠山九郎と畠山駿河か」
「はっ! 加賀国に潜んでおりましたが、能登国の力が大きく落ち込んだことをよいことに攻め入ってございます」
「ふむ、だが畠山義続は『佐越の戦い』の際に俺に刀を向けた。助けてやる義理はないな」
「殿、僭越ながら、帝からの御言葉がおありかと」
「ああ」
「まあ、決めるのは照さんですろー」
年始の挨拶で帝から「能登を救ってくれ」と言われていた。それは皆も知っている。
……しばらく待っていれば、反畠山義続軍が七尾城に攻め入り、国主以下大勢の兵が死ぬだろう。その後、俺が九郎や駿河を平らげれば事は済む。能登国を救ったことにはなる。
しかし、砂糖で畠山氏の国力をゴッソリと削り取ったのは俺だ。戦国の世の業ではあるが、多少の罪悪感は感じている。窮地に立たされた名門畠山家を助けることで、俺によい風が吹くか……? だが、その後に残る面倒が……
「殿、畠山九郎と畠山駿河からは『我らに力を貸すように』との文が届いております」
「あと一歩で城を落とせるところに来た俺が煙たいか。煙たいだろうな」
「そりゃそうろー」
直宗、青蜘蛛はこっくりと首を縦に振る。
従軍している弥太郎、『剣聖』上泉信綱、鯨の新人、長谷川海之進は「お任せです」といった様子だ。
さて、義続を助けるか。それとも九郎と駿河に助勢するか。
それとも……




