第十二話 ~忠義の宴~
俺は、屋敷に着くと飯と酒を、屋敷にあるだけ出すよう使用人に伝えた。戦国時代にスーパーやコンビニがあるはずもない。夕暮れが近づく時刻に、今から買いにいける場所もなかろう。
使用人には越後屋の方から「そのまま本間殿に仕えるように」との指示を聞かされていたようだ。すんなりと指示に従ってくれた。住んでる時に働き者の好印象をもっていた4人だったので、これはとても嬉しい。
雇い入れた15人の戦働き男、3人の技術職の男、さらに10名ほどの女子ども。合わせて30名ほどが屋敷に入ることとなった。蔵田五郎左の先代の屋敷は、それだけの人数が入るにしても十分なスペースがある。しばらく寝泊りさせる分には問題なかろう。
「恐れながら、主殿。ここは・・・?」
巨漢の椎名則秋が俺に尋ねる。
「今日から俺の屋敷になった所じゃ。しばらくはここで寝泊まりしてもらうぞ」
「はっ、ありがたき幸せ!」
他の者達にも聞こえるよう大きく伝える。
「昨日まで眠れぬ日が続いたであろう! 今日はこの屋敷でしっかり休んでほしい! 飯も酒も用意したぞ! 明日からの諸君らの働き、楽しみにしているぞ!」
「おおお!」
歓声があがる。
若干、甘い対応かもしれない。
最初は軒下に眠らせ飯も僅かにするなど、厳しく接し甘くないと見せる方法もある。だが、昨日、というより今日まで奴隷扱いだった者達だ。さぞ心細かったろう。食と住が安定していることを示し、大切に扱っていることをアピールすることにしよう。マズローの欲求五段階説の底の部分だ。
夕飯が済んだ後、女子どもは別室で休ませ、男衆を大き目の広間に呼んで酒を飲むことにした。
この時代は電気はなく、蝋燭すらない。夜の明かりは、植物性油を注いだ皿の中に芯を浸して灯す「灯し油」だ。明るさも相手の顔が辛うじて見えるかぐらい。その薄暗い中、上物とは言えない濁り酒、だが、心に残るような宴となればいいな。
俺が形だけ酒を入れた酒盃を掲げ、
「乾杯!」
と言ったが、皆キョトンとしている。乾杯はこの時期からじゃなかったのか。
だが、皆もそれに習って「かんぱい!」と言ってくれた。もしかして流行るかもしれないな。
6歳の体にはアルコールは悪すぎる。舐めるだけにしておく。ただ、毒見も兼ねて主人から飲むのも悪くはなかろう。というか、殺すつもりなら大金を払って雇い入れる必要もないよな。アルコール度数の低い甘酒のようなにごり酒だ。皆も気にせず楽しく飲んでくれた。
一人ひとりと顔を合わせ、手を握り挨拶を交わした。年は若いが主従の誓いの儀式でもある。顔や特徴、得意な事などを頭に入れて行かねば。本当に君達に期待する所は大きいのだ。瓢箪に入った酒を注ぎ入れる。
一番最初に落札した中肉中背で、身の動きが素早そうな男。捧正義とは最後に話した。細面で耳の大きな男だ。
「某は徒働きが得意でござる。また、弓矢の腕も確かでございまする。百姓仕事、荷運び、何でも致しまする。どうぞよろしくお願い申しあげます」
「うむ、期待しているぞ」
「主殿、これから先はどのようになさるおつもりで?」
どう答えたものか。
環塵叔父の方を見ると、「ほどほどに伝えたらええ」という顔だ。まあ、細かく言う必要はないよな。
「俺は佐渡で村主をやっておる。まずは皆で村をより好くして欲しいと思っておる」
「おお、佐渡の島ですか。なるほどでございます」
この頃の佐渡は、特に何と言うこともない島だ。金山も見つかってはおらず、順徳上皇とか世阿弥、日蓮上人とかが流された厳しい島というくらいだ。土地としてそれほど好い印象は抱くことは少ない。捧正義はやや残念そうな気持ちをぐぐっと堪えた表情をしたと思われる。暗がりであまりよくは見えないが。
「はは、隠さぬでもよい。佐渡は寂しい所と思うじゃろう。だが、大きな仕事になる予定じゃ。頼りにしておるぞ!」
「はは!」
大きな耳をピクンと動かして、捧正義は答えた。
いい機会だ。皆にも伝えておこう。それぞれの顔と名前、特徴も覚えた。
「皆、聞いてくれ!」
ガヤガヤとした雰囲気が静まり返り、俺の方へと視線が集まる。
「当面の目標、それは佐渡にある俺が村主をしている千手村の繁栄じゃ。お主らのような剛の者を雇い入れたことから、荒事になることも想定しておる。そのためにはそなた等の力が必要じゃ。頼むぞ!」
俺は頭を下げる。周囲がどよめく。叔父は無精ひげをなぞりながら、まあ仕方ないかという体だ。
聞いていた中の一人。巨漢の椎名則秋が俺を諫める。
「ご主君。ご主君は頭を下げるべきではござらん。我らに指示を与えるだけでよろしいのです。ご主君のお陰で、我ら第二の命を頂くことができ申した。この身果てるまで、お力添えいたしまするぞ!」
おお、あまり頭を下げるべきじゃないのか。ドンと構えていた方がいいか。
異形の筋肉男、小島弥太郎はたどたどしく言う。
「お゛れ、お゛まえ、たすける・・・。お゛れの体、わるく言わないやつ、はじめてだ。お゛まえ、いいやつだ。お゛っかぁともはなした。まがせろ」
重そうな瞼の奥から目を輝かせて鬼小島弥太郎は答えた。俺が弥太郎に聞いたのは、年とどんな技で敵を倒したかだ。15歳と聞いて驚いた。まだ少年と言っていい年齢だ。あの美人母の年齢もそれなら頷けるな。侍を十人倒したのは、短刀で撫でたら死んだとのこと。四尺ほどとずいぶんと小柄だが、筋肉ムキムキだから、身が素早く易々と人の体を切り裂けるのだな。
もちろん、蛙のような体のことは一切触れなかった。人の気にしていることをわざわざ指摘する奴は阿呆だ。反感しか生まれないに決まっている。
他の者達も佐渡と聞いて少し怯んだ様子も見えたが、
「ワシの子どもも救ってもらった。任せてくれ!」
「こんな厚遇してくれるご主君、日本広しと言えども他におらんて!」
と答え、ハハハと笑いがおきる。そうか、厚遇と思ってもらえたか。
「有難う、皆。明日からよろしく頼むぞ!」
俺は彼らのよき主君となりたいものだ。
だが、ここは戦国の世。何があるか分かりはしない。宴の後、椎名則秋の提案で、ひとまず3人交代で夜の番をすることにした。また、小島弥太郎は俺の傍の護衛をしてもらうことにした。俺と環塵叔父の寝る隣の寝所で寝泊まりしてもらう。
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長い一日を終え、寝所で眠りにつこうとするとき、俺が寝る部屋の前でゴトッと物音がした。
まさか刺客か!?
「弥太郎!」
俺は声を出した。
弥太郎は隣の部屋から飛び出すと、風のような速さで俺の傍に来てくれた。心強い護衛だ。
「誰か!?」
俺が声をかけると、
「本間様、お話したいことがございます。」
と、障子が開いた。
それは意外な訪問者だった。
乾杯は、1854年の「日英和親条約」後の晩餐会でイギリス人から言われて井上清直という人がやったのが最初だったようです。意外と歴史が浅いんですね。
戦国時代では、出陣の際に皆で酒を飲んで盃を地面に叩きつけて割るというのがあるので、どこかで入れれたらいいなと思います。
以前、作者の祖母の葬式のため佐渡で酒を飲む機会があったのですが、盃の底が尖っていて置けない盃でした。注いでもらったら飲み干すしかない盃です。まあ、飲みました(*´Д`*) ここで登場させてもよかったのですが、時代背景が不明でして、また生きるか死ぬかの時代、庶民が酒を日常的にごくごくと飲むものではないでしょうから見合わせました。九州などでも同様の盃があるとか。また、この時代の盃は陶器なのか木の器なのか。悩めば悩むほど下調べが足らない毎日です。
「灯し油」など、調べたら分かるものは取り入れておりますが、分からないものもあり( ;∀;)違和感が少なくなるように取り繕いながら書かせていただいております。ご理解いただけますと幸いです。
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