第百七話 ~蠣崎家の罠~
<天文九年(1540年)十月 蝦夷 道南 勝山館>
「遂に来たな」
格式ばった文を読んだ蠣崎氏当主蠣崎若狭守義広。眉間にはこれまで度重なるアイヌ人との戦や厳しい北の地の苦難を示すような深い皺があるが、その文はそれをさらに濃くした。厳しい顔をした道南の盟主。年は六十一。
「父上。文には何と?」
心配そうに嫡男の季広が声を振り絞った。眉目優れた蠣崎季広はこの時三十三才。近頃は父の代わりにアイヌとの戦いを主導することも多くなっている。まごう事無き次代の指導者である。
史実であれば季広の子松前慶広は、聚楽第にて豊臣秀吉から直臣を許され、後に松前藩初代藩主となる。
「佐渡ヶ島を本拠とする羽茂本間出羽守照詮からだ。『挨拶に行く、今後のことを相談したい』とある」
「!? それは、既に『臣従せよ』との意味では?」
道南十二館の一つ、茂別川が流れる茂別館を治める下国師季が声を荒げた。
蝦夷地の道南には江差~函館市の海岸沿いに計十二の館が立てられ、領地経営とアイヌ人との交易・戦いの拠点としていた。その中心的拠点の勝山館は上ノ国にある。十二館の一つ宇須岸館は現在の函館市に当たるが、1512年にアイヌとの戦いにより当時治めていた河野政通が殺され、この頃は衰退していた。
「うむ。遠からずであろう。主君安東家を滅ぼしてくれたおかげで我らは念願の独立を果たすことができた。だが、それを咎めてくるのであれば、深く考えなくてはならぬ」
「主君の顔色を窺う必要がなくなった今、昆布・真珠・牡蠣・鮭・鰊・鱈・木材などの利益を我らが独占。濡れ手に粟じゃ。この旨味、捨てるには惜し過ぎる」
「なれば、一戦構えますか!」
季広が高い声をあげた。
「まあ、待て」
それを主君義広は押しとどめた。老獪な道南の盟主は考えがあった。
「文によれば、羽茂本間照詮。安東家だけでなく南部、伊達といった大きな家をも潰し臣従させているようだ。大きな力を持っていることは明白じゃ」
「ですが、我らとて意地があります! 地の利は我らにあります! 易々とはやらせませぬぞ!!」
「この厳しい北の地へ、どこまでの兵を率いてこれるかは分からぬ。ここは『三本の矢』を撃つことにするぞ」
「三本の、矢・・・?」
集まった道南の領主達は不可思議な顔をした。
「まず第一の矢。羽茂本間が少数の兵しか引き連れてこなかった場合じゃ。その際は陸地に上がった所を潰すッ!」
「おお!」
「次に第二の矢。相手の軍が多ければ無理に戦いをせずに勝山館へ招き入れ、臣従を申し入れる。そして『道南の地は厳しい。我らにお任せを』と伝えるのじゃ」
「なるほど。その場では臣従を申し入れ、あとは我らが好き放題、ということですな」
「左様。この第二の矢が一番穏やかに済むであろう、な」
ふうっと息をつき、遠くを見つめた蠣崎義広。だが次の瞬間には目を妖しげに光らせた!
「最後の第三の矢。臣従を申し入れた我らに『国替え』を命じてきた時じゃ」
「なんと! 後からやってきて我らの生活を奪うなど! 盗人猛々しい!」
「そんな命令には従えませぬ!」
「うむ。皆の怒り尤もじゃ。故にその際は、『コシャマイン、タナサカシ、タリコナの如く』、じゃ。皆まで言わねど分かるな?」
「!! なるほどッ!」
「流石でございます!」
謀略によってこの地を治めた蠣崎氏らしい考えであった。義広は立ち上がった。老年と言っていい年齢だが、動きは年若のように素早い。
「先のコシャマインの戦いの際、十二館の内、十の館がアイヌに落とされた。我らは泥水を啜る思いをしながらも何とか現状まで取り返したのじゃ! それをおいそれと譲り渡すことはできん! やるぞ、皆の衆! 覚悟を決めよ!」
「応っ!!」
目を輝かせる道南の国人衆。その姿を見た蠣崎義広は皆の意志を確信し、蛇の如き不敵な笑みを浮かべた。
道南は地元なのですが、知らないことが多すぎます(*´Д`*)
たくさん読んで勉強中です。函館が百年間に渡って放置されていたらしきことすら知りませんでした。
『コシャマイン、タナサカシ、タリコナの如く』とは……
次話まで入れると情報が多いのでここで区切らせて頂きました。




