状況その5―5 冒険者と戦巫女
「追いかけて来る……走って追いかけて来るよ!」
思わず振り返った少年は見た。
疾走する馬に追いつくほどの俊敏さを見せるエルファンの騎士達を。
大好きだった女性も半分エルファンの血をひいていると聞いていたが、死んだ魚の様な漆黒の目を持つ騎士達は二手も似つかず、まるで死神のように見えた。
「振り返らないでくださいね……姿勢崩すと落ちますよ……あ、ちょっとこれ持ってください」
だが少年の悲鳴にも似た声にも、ヒアナは動じなかった。
一言注意すると、腰に回した少年の手をほどき、手綱を握らせる。
「だ、だめだ……僕馬には……」
少年が泣きそうな声で言うと、ヒアナは手綱と一緒に少年の手をギュッと握った。
細くしなやかに見えた手は思った以上に硬く力強く、少年は思わず安堵感を覚えた。
「大丈夫。この馬は賢いから、手綱を握っていれば速度を保って進んでくれます。ただ、力を入れて引っ張ってはダメですよ? あなたも首に巻かれた紐を強く惹かれたら苦しいし、びっくりするでしょう? 優しく、心を強く持って馬を信じてあげて……そして、私が跳んだら少し前に出て」
そう言うが否や、必死の思いで手綱を握りヒアナの腰から手を離した少年の隙を縫って、ヒアナは馬の鞍の上に立ち上がった。
ほっそりとした形のいい尻で視界が埋まった、と思ったその時にはヒアナは人間技とは思えない跳躍力で馬から飛び上がり、少年の視界から消えていた。
少年は思わず上を見上げそうになるが、慌ててヒアナの言う通り少しだけ腰を浮かせて蔵の前の方に移動する。
言いつけを守り手綱を握り、前の方を見る。
必死に、見る。
そして馬を信じる。
疑念や恐怖が湧いてこないでもないが、それでも信じる。
(ヒアナ……)
力強く握られたあの細い指。
甘い煙と汗の匂い。
視界いっぱいの尻。
優しく、励ますような声。
なぜか少年の意識はこのような時だというのにヒアナの事でいっぱいになる。
そのことを察した様に馬が小さくいななき、なぜだか足を加速させた。
※
「我が足よ風となれ」
少年に馬を託したと同時に立ち上がったヒアナは、馬と少年の負担にならないように素早く立ち上がると身体機能強化の魔法を唱えた。
これは移動速度を上げる魔法だ。
今疾走しているエルファンの騎士が使っているものと同じ魔法であり、走力に加えて身体全体の速度を上げる効果がある魔法だ。
それだけに、当然向こうも跳躍したヒアナが使ったのが何の魔法であるのかすでに知っている。
三人のエルファンの白目の無い、黒一色の不気味な目がしっかりとヒアナを捉えている。
次の瞬間には素早く手にした剣を盾の裏に収め、腰に下げている装填済みの石弓を取り出し始める。
エルファンはああ見えて魔法以外の武技にも長けている。
特に希少鉱物性の銀鎧を身に着けた聖騎士は剣、槍、斧、弓、鉄弓、投石、魔法、馬術、格闘術とあらゆる戦闘技能に長けた化け物だ。
だが、問題ない。
ヒアナはニコリとほほ笑むと、一番射撃体勢に入るのが遅い右側のエルファンをじっと見た。
「セキュラリアの戦巫女の力……見ていただきます……万里無の如く!」
ヒアナが魔法を唱えたと同時に、彼女は事前に捉えていたエルファンの騎士の眼前に転移していた。
魔法に長けた長命種エルファンでもそうそう扱える者のいない転移魔法である。
後は剣を振るまでも無い。
ヒアナは上を見たまま疾走するエルファンの喉元に短刀を置いておくだけでいいのだ。
喉を裂き、首の骨を砕く感触と衝撃がヒアナを襲う。
首を裂かれたエルファンの身体から力が抜け、半ば千切れかかった首をぶら下げたままヘイストの魔法による加速そのままにしばらく駆けた後、脱力して倒れた。
当然、背後と隣で起きた状況にエルファンの聖騎士が気がつない訳は無い。
彼女達はヒアナの攻撃に対応するべく、足を止めて石弓を投げ捨てて再び盾の後ろに収めていた剣を手に取った。
「万里無の如く!」
だがヒアナはそれに付き合うつもりは無かった。
再び転移魔法を使用すると、今度は先頭を走っていたエルファンの背後に転移する。
そして後頭部に素早く短刀で斬りつけた……が、それはまるで後頭部に目が付いていたかのようなエルファンの騎士によって防がれた。
頭を守るために掲げられた希少鉱物製のラウンドシールドの防御力は凄まじく、ヒアナの短刀はあっけなく折れ砕けた。
こうなると状況は不利だ。
完全装備のエルファン二人に対して、ヒアナは平服で唯一の武器の短刀も失った。
斬りつけられなかった方の聖騎士が未だ維持しているヘイストの魔法による敏捷性そのままに斬りかかってくる。
「……万里無の如く!」
だが、それに対してもヒアナは冷静に空間転移の魔法を用いて危険な白兵戦闘を回避しにかかった。
しかも今度はすぐに姿を現さず、ヒアナは姿を隠したままだ。
エルファンの騎士達は警戒態勢を維持し、素早く互いに駆け寄ると背中合わせになり剣を構え、さらに互いに防御力強化の魔法を掛け合った。
油断なく、周囲を警戒する聖騎士達は後続のマスケット装備部隊が到着するまでそうしていた。
マスケットを構えた歩兵達が展開するのを見て取ったエルファンの騎士達は、自分たちが一杯食わされたことに気が付く。
そして、黒い目を部下達に向けると無機質な声で命令を下す。
「……仮拠点の馬を取ってこい。それと魔力通信の準備だ」
息を切らせ汗だくのマスケッター達は、再び来た道を戻るべく駆け出した。
すでに少年の乗った馬は見えなくなっていた。
※
走る馬を制御しようと必死な少年の背中に突然ヒアナが覆いかぶさってきたのは、跳躍してから少年の体感で十秒も立っていない時だった。
「うわわっ、ヒアナ!?」
「いいから、手綱握ってて……ごめん、少し休ませて……」
慌てた少年が思わず手綱を持つ手に力を込めるのを諫めたヒアナは、先ほどとは逆に少年の腰にしがみ付いた。
ピッタリと身体をくっ付け、互いの頬が触れる。
その体は全身汗びっしょり。
甘い煙の香りはほぼ無く、汗くさい疲労の匂いとハーブの様な香りの荒い息が香ってきた。
「倒したの?」
少年が思わず問うと、ヒアナは少し息を整えた後答えた。
「一人は仕留めたけど、あとは足止めだね。悪いけど身どもの魔力では奇襲とはったりしか手が無かった……これ以上は持たない。何とか街道を進んで人の多い所に行くしかないよ」
不安が増すような内容だったが、その声色には少年を不安にさせまいという意思が感じられた。
そのため本来なら黙ってヒアナを休ませなければならないのに、少年はこの状況の不安から逃れる一助が欲しくて、続けざまに質問をぶつけてしまった。
「そもそも……どうして長命種が僕たちを襲うの? ヒアナは一体……何をしに来たの? だいたい聖騎士は遠くの聖地から出ないはずじゃ」
少年の矢継ぎ早の質問。
不安の表れのそれをしばらく聞いていたヒアナは、やがてそれを遮る様に長い深呼吸をした。
ハーブの様なヒアナの息が少年の鼻腔をくすぐる。
「……身どもの未熟さを嘆くばかりです。巫女たる者が幼子を不安にさせるとは……いいでしょう、顛末をお話しします」
ようやく求めた説明が始まる事に少年は安堵したが、ふと……一点気になった事がありそれだけを尋ねた。
「ねえごめん。ヒアナって……歳いくつ?」
「身どもは16になったばかりですが」
少年にとってそれは衝撃的な情報だった。
まさかこの大人びた少女が年下だとは思わなかったからだ。
一方この後少年の歳を聞いたヒアナにとっても衝撃だった。
まさかこのかわいらしい幼子が自分より一つ年上だとは思いもしなかったからだ。
互いに発育の良さと不良に驚きを感じつつ、ヒアナの説明は始まった。
今回で終わらんかった……この状況その5を最初4000文字程度で書こうとしていた自分の見通しの無さよ。
文章長くなりがちで申し訳ありません。
次回更新は9月24日の予定です。




