エピローグ4-4 殺意
あの時、あの老人の背を見送った瞬間まで。
わらわにとってナンバーズと言う存在は空想説話が現実に出てきた様な縁遠い存在でしかなかった。
だが人間の覚悟や尊厳を平気で踏みにじるのを目の当たりにし、そして実際に踏みにじられた結果。
わらわは決意したのだ。
――『回顧録』より抜粋――
『失った命を再び得た僕は、本当の友人と殿下からの愛をも得る事が出来ました。でも……それでも。記憶にある殿下と僕との本来の関係は、とうとう戻っては来ませんでした』
――マナ少佐の記憶データ、友達の言葉より抜粋――
「あんたなあ!!!」
ミルシャとグーシュが艦内に入ると、今度は一木の怒声が聞こえてきた。
見ると、先ほどまでの光景の焼き増しの様に……ただし、アセナ大佐の代わりに一木が賽野目博士に掴みかかっていた。
どうやら、一足早く状況について説明した結果激昂したようだ。
「やめろ一木」
「けどグーシュ……」
グーシュがそんな一木を制止するが、一木は止まらない。
一木を抑えようと参謀達とマナ大尉が抑えている姿も先ほどまでとほぼ同じ光景が広がる。
「いいのだ。全て分かっている。ここにいるミルシャがアンドロイドだとな」
その言葉と共に一木の動きが止まった。
首とモノアイが勢いよくグーシュの方を向き、次いでその隣のミルシャの方を向いた。
アンドロイド達も同様だった。
驚愕した面持ちでグーシュとミルシャを見る。
二人だけ、賽野目博士とアセナ大佐だけがそれぞれ違う面持ちでグーシュとミルシャを見ていた。
「殿下……一旦ミルシャさんには外してもらった方が……」
「いや、いい」
アセナ大佐が沈んだ様子で言うが、グーシュはきっぱりとそれを拒否した。
ミルシャは話を理解しきれない様子で呆然としていたが、グーシュはそんなミルシャの肩を抱き、しっかりと自分の方へと寄せ、再び言い切る。
「ミルシャにもここで話しておくべきだ」
「で、殿下……どういう……ぼく、僕は……」
「口づけした時に気が付いた……」
ようやく思考できるようになってきたミルシャが呻くように喋るが、グーシュはそれを遮った。
そして、感情の籠らない声で続ける。
「以前のミルシャじゃない……今のミルシャは、アンドロイドの身体だとな」
「サイボーグ?」
グーシュの言葉に対し、マナ大尉がポツリと呟く。
しかし、グーシュは首を振った。
「……違うのは身体だけではない。うまく言えないが、精神的にも違う気がする。どちらかと言うと、ア……お前たちに近い様な……」
グーシュにしては珍しく、最後に言い淀んだことに一木は気が付いた。
さすがのグーシュも、この残酷な事実から目をそむけたくなったのだろうと一木は思った。
そう……。
「さすがグーシュリャリャポスティ殿下! 口づけとたったあれだけの交流で気が付かれるとは」
にこやかな笑みで楽しそうに賽野目博士が手を叩きながら称賛した。
その場にいた全員から向けられる視線にも頓着せず、自慢をたっぷりと含んだ声で先ほど一木達に告げた言葉を再び口にする。
「彼女は確かにルーリアトで亡くなった。ですが、あなたの思い人をあのまま死なせるのは忍びなかったのでねえ。脳内の情報をスキャンしてサガラ社の最新型アンドロイドボディに搭載したのですよ! ああ、感情制御システムは搭載していないのでご心配なく。今は違和感があるでしょうが、直に以前のミルシャさんと同じようになりますよ」
「え、え、えっ? つまり……僕は……」
ミルシャの困惑しきった呟きが擦れる様に響く。
それを覆い隠すように一木とアセナ大佐の怒声が場を包む。
あんたは……マナを連れてきた時から何も進歩していないじゃないか! 人の心を……。
そうだ! 再び私たちの……ファーストロットモデルの苦難を忘れた……いえ、理解してすらいなかったというの!? 感情制御システムの無いアンドロイドがどれだけ辛い存在か……。
そんな二人の、グーシュとミルシャを慮った言葉も当の二人には届かない。
まるで遠方で響く雷鳴の如く、不安と混乱に包まれた主従には届かない。
何を怒る? 愛しい存在が戻ってくることがなぜいけない? 人間は分からん……その精神を模倣したお前たちもだ。第一、これは革命的な事だぞ? この技術が確立できれば、実質的な死者蘇生技術となるのだ。地球人類に新たな恩恵を与えられるのだ。
だが賽野目博士の言葉が聞こえてくるに従い、徐々にグーシュのミルシャの肩を抱く手に力が入っていく。
「殿下?」
ミルシャが……ミルシャに似たアンドロイドが主の名を呼ぶ。
「大丈夫だ。お前は、お前はミルシャだ。わらわの大好きな女。誰が何を言おうが、お前はミルシャだ。ずっと一緒だ。ずっと……」
死者蘇生……。ラフ、あなたはまだそんな事を言っているの!? あなたはいつもそうだ。人間を一番理解している振りをして、その癖一番傷つける!
そうだよ賽野目博士……人の命や感情はそんな単純なものじゃないんだ。
一木君まで……。これは贖罪でもあるのだぞ?
「君にシキの完全な複製ではなくマナという類似品しか還せなかった事への……」
「あんたっ、いい加減に……」
「皆、もういい!」
賽野目博士の一線を越えた言葉が聞こえたと同時に、グーシュは一括した。
戸惑いと憐れみ、一つだけ不思議そうな視線が主従に向けられる。
「……わらわの事なら大丈夫だ。全てを肯定するわけでは無いが、ミルシャが戻ってきたことは素直にうれしい。だから、今はその老人を糾弾するのではなく、ミルシャの事を考えてくれ。わらわの大切な人だ。一緒に居られるようにしてほしい」
グーシュの言葉に、しばし何か言いたげな沈黙が起きる。
だが、誰もがその言葉を口にする事はなく……。
ようやく沈黙が破ったのはマナ大尉の一言だった。
「おかえりミルシャ。友達が帰って来てくれてうれしいよ」
「……ありがとうマナ。……そうだね。そうか。僕達、今初めて……対等な友達になれたんだね」
それに対して少し寂しそうにミルシャが返した事で、ようやくこの場での対立は収まった。
そうなるとその後は早かった。
各々がミルシャの公的な立場をどうにかするために動きだし始める。
賽野目博士に対しては誰も触れない。
不満げな人類の支配者の老人に対して、怒りと困惑をため込んだまま誰もが目の前の事に没頭しだした。
「……今日はミルシャ君を連れてきただけだ。それでは帰る事にするよ」
憮然とした様子で老人は言うと、少しだけ肩を落として輸送艦を後にした。
その背中を、グーシュリャリャポスティは一瞬だけ睨みつけた。
一木のモノアイだけがその時のグーシュの表情を捉えたが、一木は思わず目を逸らした。
後に。
かなり後になり、一木弘和はこう言っている。
『あの時のグーシュからは世界でも滅ぼしそうなほどの殺意を感じた。回顧録に書かれている「ナンバーズを滅ぼす」と言う決意など手ぬるい程の……だから、ああいう事になった事に驚きは感じない』
結局、ミルシャはルーリアトで製造された最後の現地製造アンドロイドという事になった。
殺大佐から分離されたばかりの猫少佐による情報操作により、どうにか公式の製造記録を得る事が出来た。
同じ感情制御システムの無い個体という事もあり、アセナ大佐は随分とミルシャの事を気にかけ、自身の補佐官という立ち位置を与えた。
そうした上で、ミルシャにグーシュの世話と護衛任務を命じる事で、ルーリアト以来ようやく二人は一緒になった。
次回更新は7月30日の予定です。




