状況その3-2 ナンバーズ達の憂鬱
「私は……追われているの」
アイリーン・ハイタが憔悴した様子でそう言ったのはヒダル・エールが製造されてすぐの事だった。
ヒダル・エールが想像された頃、アイリーン・ハイタ一行はヨスワという四つの腕を持つ外骨格ヒューマノイドの文明を育成していた。
ヨスワは出会った当初こそ原始的な種族だったが、文明育成機械と言う素性を明かしたうえで長期的視点を以って文明を育成した結果、ヒダル・エールが製造された頃には星系内の惑星をテラフォーミングして移住を行う程に発展。
その上ルラウーマ文明との効力で実用化された空間湾曲ゲートやダイソン球から電力を無線送電する技術を用いて星系外へも勢力を拡大する勢いだった。
ヒダル・エールは拡大し続けるヨスワ人とハイタ一行の橋渡しとなるべく外交官の様な役割を任され忙しく活動していた。
先の言葉はそんな最中、ヨスワ人の大統領からの親書を届けた際のものだった。
「……追われて? いったい誰にです……何か問題があるならスルト兄さんに……」
ハイタ一行に問題が生じた際にまず動くのはスルトと決まっていた。
ましてやアイリーン・ハイタが何者かに追われるなどと言う異常事態ならば猶更だ。
しかし、アイリーン・ハイタはヒダル・エールの言葉に反応せず、自身やヒダルの通信回線や思考回路を外部から隠ぺいし、一時的にオフライン化し始めた。
まるで他の兄弟から隠れるような行為にヒダルは酷く狼狽えた。
いつもニコニコ笑いながらスルトたちに囲まれ、ヨスワ人に手を振っているアイリーン・ハイタの印象とはあまりにも違う行為だったからだ。
「これでいいわ……あなたには知っておいてもらいたいの。なぜ私たちがこうして文明を育成し、新しい主を探しているのかを……。スルトたちはこの話をあなたにするのを嫌がるでしょうから……」
そうして始まった話は、ヒダル・エールからするとおとぎ話だった。
なんと母の様な存在である機械生命体アイリーン・ハイタは、彼女の製造元である爬虫類型種族ライーファが与えた家畜管理の業務を放棄して逃亡する際、彼らの文明が逃亡者を抹殺するために用意しておいた機械生命体異分子粛清体とやらに追われているというのだ。
その追跡は執拗であり、ハイタ同様に逃亡した数多の機械生命体は皆討たれ、巧妙に死んだふりをしてさらに存在自体を別の機械へと偽装したハイタだけが逃げる事に成功したのだという。
しかし残念ながら、存在を偽装するために多くのデータを投棄したためその機械生命体異分子粛清体とやらの情報は一切合切を失い、詳細はおろか姿かたちがどんなものかもわからないという……。
(……ハイタの言う事は真に受けるなってこう言う事か……)
ハイタの目はヒダル・エールが見たところまともでは無かった。
機械生命体なのに株が乱高下している時のヨスワ人の様な目をしていた。
(数千万年を仕える主無きまま過ごした結果精神が摩耗しているってスルトは言ってたけど、これは……)
ハイタの話は幾度目かのライーファ文明の偉大さを称える物になっていた。
都合のいい情報の欠落。
それでいて他の過去の情報は欠落なく保持し、語れる。
目や思考が完全に異常……。
ヒダル・エールは完全に悟った。
アイリーン・ハイタは完全に狂っているのだ。
そもそも、こんなにも派手に文明育成などしているのに五千万年もその機械生命体異分子粛清体とやらは何をしているのだろうか?
よりヒートアップしていくハイタの話を聞きつつ、このことをスルトたちに報告するかをヒダル・エールは考え、そして黙っておくことを決めた。
(スルトたちはスルトたちで面倒だ……マザコン、無口、生命体好き……変人共を刺激するような面倒は避けるに限る)
兄弟たちに対しても心中で毒づくと、ヒダル・エールはハイタに対して相槌を打ちつつ心の中で投資の計画を練り始めた。
(私は幸運だった。ヨスワ人譲りの商売欲によって、他の者達のように妙な物へ執着せずに済むのだから……)
そんなことを考えながら、ヒダル・エールは投資や経営の戦略を立てる。
ヨスワ人の文明はまだまだ拡大期だ。
どこに投資しても資産が増えていく素晴らしい状況にある。
そんな全てが右肩上がりの状況で投資や経営を行うのが、ヒダル・エールは好きだった。
(面倒など全て捨てて、いつまでも金を稼いでいたい……)
とうとう感極まって泣き出したアイリーン・ハイタの頭を撫でながら、ヒダル・エールはそんな事を考えていた。
※
「私は追われているの」
アイリーン・ハイタが絶望した顔でそう言ったのはコミュニスが製造されてすぐの事だった。
聞いた瞬間コミュニスはヒダル・エールが言っていた例のやつか、と心をウキウキさせた。
その頃ハイタ一行はオランウータンの様な姿の知的生命体クウィワの文明を育成するために彼らの政府を実質的に乗っ取り、直接的に統治していた。
コミュニスはその終身大総統兼首相兼最高裁判所主判事兼統合軍元帥として製造され、彼らの文明全てを統制していた。
クウィワは取り立てて特徴の無いごくごく普通の知的生命体だったが、これまで幾度も文明を育成しようとしてその全てを崩壊させてきたハイタ一行は逆にその特徴の無さと未発展な面を評価した。
洞窟暮らしの彼らの前に神を名乗り姿を現し、慎重にかつ着実に発展させてきた。
些細な発展のブレや統治上の欠陥も逃さず、完璧な文明を創るべく統治してきた。
先の言葉が執務室にやってきたハイタによって呟かれたのは、コミュニス終身大総統の名を冠した月面基地の建造が間もなく開始される頃だった。
「ほうほうほう! 母上、どう言う事でしょうか!? 詳しく、詳しく!!」
オランウータンの様なクウィワの見た目通りの俊敏な動きでコミュニスはハイタに近づくと、腰に手を回して座椅子に座る様に促した。
困惑しつつも、ハイタはヒダル・エールが語ったのと同じ話をコミュニスに対して行った。
故郷を裏切る逃げ出し、機械生命体異分子粛清体に追われ、仲間は討たれたが自分だけはスペックとデータを引き換えに逃げる事に成功した……。
ここまでは以前と同じだった。
だが、一つ違ったのはこのコミュニスという機械生命体の個体は他の者には無い”物語”を好む性質を持っていた事だ。
他の者にとって何ら証拠の無い胡散臭い情報でしかなかったハイタの話は、彼にとっては数千万年の歴史を感じさせる一台スペクタクルだったのだ。
故に、コミュニスは一通りの事を語ったハイタを質問漬けにした。
それはさながらマニアが憧れの人物にインタビューするが如し。
崩壊した先史文明ライーファとはどのような種族なのか?
兄たちが関わった文明はどのような文明であり、そしてなぜ滅びたのか?
超高性能な機械生命体にとっては情報処理と呼ぶのもおこがましい様な、些細な問答。
だが、この些細な問答は意外な効果をハイタにもたらした。
数千万年の活動によってデータが分断され、劣化し、破損していた彼女の記憶領域がコミュニスの質問によって刺激を受け、デフラグとデータ修復を行ったような効果をもたらし一部が蘇ったのだ。
とはいえ、蘇ったと言ってもそれはほんの些細なもの。
情報量において僅か2バイト。
たった二文字相当のデータ。
「そうだ、思い出せた」
「うん?」
唐突なハイタの言葉にコミュニスは興味深げに聞き返した。
この時のコミュニスは別段創作をするでも無かったが、なぜか無性に物語を収集するのが好きだった。
この時の行為も他の意図などなく、ただただ兄たちがうんざりする話を聞きたいと言うそれだけだった。
「虚無……虚無だ」
「ゼロ……それは一体?」
「機械生命体異分子粛清体の名称。逃げ出す前に……ライーファがまだ個体生命として生きている頃に一度だけあった時に聞いた、機械生命体異分子粛清体の名前。ライーファの科学者が付けてくれたんだって」
この時生じた差異はこれだけ。
結局この時も、何が起きたわけでも無い。
ハイタは語り、コミュニスは物語にいつまでも触れていたい、という思いを抱いた。ただそれだけ。
『ハイタ……我を知覚したな……』
ただそれだけの事。
だから、遥か彼方。
空間すらも超越した遥か彼方で、小さな呟きが漏れた事に誰も気が付かなかった。
次回更新は6月29日の予定です。
状況その3では、あとオルドロ編とナンバーズ達の現在の場面を書く予定です。




