状況その2 ワーヒド後始末―11
「お前が治療するのか……他に医者はいないのか?」
オノダ少尉が療養所の一画にあるサイボーグ用の区画で脳が収められたカプセルだけでまどろんでいると、監視役の兵士が誰かと話しているのが聞こえた。
「人間のお医者様はいますが、彼らはあくまで衛生兵や軍医ですので……残念ですがサイボーグ専門のお医者様が今のルーリアトにはいらっしゃいません。それならば一通りの治療が可能な私の方が対応出来ますし、何より先日まで彼の治療を担当しておりましたので、適任かと……」
オノダ少尉は歓喜に脳髄を震わせた。
ボディの無い、脳髄が収められた生命維持装置だけの身では声一つ上げられないが、それでも震えるほどの感動が少尉を襲う。
彼にとって偉大なる至高の御方が来てくれたのだから当然の事だった。
「さあて……よっと」
『聞こえますかオノダ少尉?』
『おおおおおお! ニャル様!』
有線接続して声を掛けてきたのは治療のためやってきたニャル中佐だった。
だが、オノダ少尉の反応は異常だ。
本来ならば熱狂的ハストゥール信者としてアンドロイドを憎む彼が、なぜかニャル中佐に対して敬称を付け、まるで神の如く敬っていた。
『相変わらずですね……しかし……なぜこんなことを? 話を聞いて驚きましたよ。あなたは確かあのマクダネルとかいう人とは親しかったのではないですか?』
『滅相もありません! 確かに子供の頃から家族ぐるみで世話になりましたし、士官学校への推薦も頂きました。配属後も口利きをもらったり営巣入りの際は便宜も図ってもらいましたが……』
『めちゃくちゃ世話になってる……』
ニャル中佐が呆れた様に呟くが、オノダ少尉には聞こえない。
ただただ、ニャル中佐を称え続ける。
ニャル中佐の最近の悩みがこれだった。
一部の火星兵がニャル中佐に対し異常な崇拝じみた態度をとるのだ。
正直言って訳が分からず、ニャル中佐は困惑していた。
未知の症例かもしれないとデータを取っているものの、因果関係も分からず困惑するばかり。
七惑星連合の人間に報告しようかとも思ったが、アンドロイドを崇拝している事が知られて患者たちに不利益になったらと思うとそれも出来ない。
ニャル中佐に出来る事は、ただただ治療を行い、手を握り、優しく言葉をかけ、話を合わせる事だけだ。
『ニャルラトホテプ様! ああ、ああ! あの愚か者たちは事もあろうに偉大なる神々の一柱ニャルラトホテプ神の化身たる機械の神チクタクマンであられるあなた様を害するように私に命じたのです!!!』
『そうだったんですかー』
また始まった意味の分からない患者の言葉に対し、ニャル中佐は優しく微笑みかける。
治療対象の人間が傷つくような事が出来ようはずもない。
『ですから私は、あの背徳者どもに裁きの鉄槌を与えたのです!!』
『なるほど、ありがとうございました。ですが、そのせいであなたが犯罪者に……私の方から出来る限り精神面での異常があったという方向で擁護しておくので、ある程度話を合わせてくださいね?』
『おお、感謝いたします神よ!!!』
もっぱらこんな様子の患者が十人以上おり、その上患者以外にもじわじわ増えているのだ。
ニャル中佐は若干の恐怖を感じつつ、人間から感謝される快楽を感じざるを得ない。
彼女は分からない。
冷酷で残虐だと信じていたアンドロイドに優しくされ、死から救われたハストゥール信者がどのような思考を得たのか。
ニャルと言う名前からクトゥルフ神話におけるトリックスター。
旧支配者と呼ばれる神々の一柱、ニャルラトホテプを連想した彼らは、そこからニャル中佐の事をニャルラトホテプの化身の一つである機械の神チクタクマンだと妄想し始めたのだ。
三文小説でもないような与太話だが、負傷して心の弱った彼らにとって手を握り、抱き締め、歌を歌う邪悪なアンドロイドという存在に説明を付ける材料としては最上だった。
アンドロイドの捕虜という形を取って降臨したニャルラトホテプが化身チクタクマン、ニャル中佐。
そう認識した彼らは、ハストゥール信者のネットワークを通じて徐々にニャル中佐の事を火人連に降臨した神として広め始めていたのだ。
そうして起きた、今回の事件。
ワーヒド星系の後始末の過程で起きた小さな事件だが、ニャル中佐という思わぬ爆弾とシュシュリャリャヨイティの野心。
この二つが混じりあった事で、この後七惑星連合という組織に思わぬ変革をもたらすこととなった。
次回更新は6月8日予定です。




