第49話―2 追放皇女
「グーシュ姉、どこにいきます?」
艦橋を出て狭い重巡洋艦の廊下へと出たグーシュに、ノブナガは訊ねた。
幼い重巡洋艦である彼女に一人になりたいという気持ちは今一つ分からなかったが、それでも心地いい場所に行かせてあげたいという気持ちはあった。
応接室、娯楽室、寝室、端末の格納庫。
自分の中で心地いい場所をいくつか思い浮かべるノブナガに対し、グーシュの言葉は予想外のものだった。
「前……艦の一番前。できれば外部の映像が見える場所」
艦の一番前ならば艦首粒子ビーム砲の付け根にある整備用スペースだ。
外部映像に関しては、ノブナガの端末さえ一緒ならば空中投影した映像があるのでどこでも見る事が出来る。
「わかった。こっちだ!」
無重力の艦内をグーシュを抱える様にして、ノブナガの端末は軽やかに進んでいく。
なぜ艦首に行きたいのか。
その意味は分からなかった。
だが、ノブナガは少しほっとしていた。
(一人になりたいという割には、凄く楽しそう……よかった)
「どうした、ノブナガ?」
「なんでもない♪」
そんな言葉を交わすころには、艦の中央部から百数十メートル離れた艦首ビーム砲の根元にたどり着いていた。
人間が立ち入ることを想定していない場所であるため、酷く狭い上に配管や配線が一部むき出しになり、お世辞にも心地いい場所ではない。
おまけに、整備用のハッチを開けるとそこは配線と整備用端末に埋め尽くされたケーブルの海だった。
一応さらに先。
ソフト面でのアクセスポイントであるここより先、粒子ビーム砲の物理面での整備用スペースもあるにはあるが、これ以上先は整備用の小型端末以外は入れない場所であるため、この狭くしい場所が重巡洋艦オダ・ノブナガの先端となる。
「グーシュ姉、ここだけど……」
がっかりしたのではないかとおどおどした様子でノブナガが言うが、グーシュは待ちきれないと言った風に整備用スペースに身体を潜り込ませた。
「ノブナガ、早く外部映像を……艦の正面で構わない」
珍しく急かすような言葉に、ノブナガは慌てて自分もスペースにもぐりこんだ。
狭いケーブルの中、二人で身を寄せ合い、目の前に外部映像を映し出す。
しかし、大したものは映らない。
美しい星々も、巨大な建造物も、荘厳な大艦隊も映らない。
映るのは、空間湾曲ゲートの鏡面。
ボロボロの重巡洋艦オダ・ノブナガの姿が映った鏡面だけだ。
「…………これで、いい? グーシュ姉?」
みすぼらしい自分の船体が恥ずかしくて、オダ・ノブナガは小声で尋ねた。
だが、返答はない。
数秒程気まずい沈黙が流れ、オダ・ノブナガはグーシュの服の端をギュッと掴んだ。
「皆が……」
同時にグーシュが喋り出し、沈黙が消えた。
オダ・ノブナガは驚いたようにグーシュの顔をジッと見た。
彼女はジッとみすぼらしい重巡洋艦が映った鏡面……ではなく、その先を見ていた。
「皆がルーリアトの事を、散っていった仲間の事を、協力してくれたルーリアトの人々の事を考えている時……わらわは、わくわくしている」
グーシュの顔は歓喜に満ちていた。
それでいて、諾々と涙を流していた。
グーシュ姉が故障した、と思わずノブナガは思い、心配そうに涙を手で拭い、舌で嘗めとった。
だが、グーシュは唯々独白を続ける。
「故郷を救うとぶち上げて、自身の望みをかなえつつ近代化を成し遂げると言っておいて、叔父上たちやお付き騎士、それに臣下を置いて逃げ出したのに、嬉しいのだ」
グーシュは撫でまわすような手つきで投影された外部映像を撫でた。
殺大佐の尻を撫でるときみたいだと、ノブナガは思った。
「わらわを逃がすため、大勢の者が身を挺してくれた。アンドロイド達も、騎士や臣下たちも、ミルシャも……なのに、なのに……遠くに行けるこの身が、歓喜に震える」
グーシュの身体が震えていた。
寒いのかと思い、18℃に設定された室温を25℃に上げる。
さらに端末の体温も40℃に上げてよりくっつく。
それでもグーシュはぶるぶると震える。
「なにより、わらわは……わらわは誓ったはずなのに……ミルシャが死んだら、わらわも死ぬと。なのに、死にたくないのだ。あんなにも愛してたのに。いなくなったら耐えられないと思っていたのに、遠くに行ける歓喜がミルシャがいない辛さを打ち消して、喜びがこの身を包むのだ」
「死なないでくださいグーシュ姉」
グーシュの言っている事がオダ・ノブナガにはよくわからなかった。
だが”死ぬ”という言葉だけは聞き逃せず、率直な気持ちを口にした。
「そうだな……そうだな。今更死ぬわけにはいかないよな」
グーシュはそう言って涙を拭うと、いよいよ迫りくる鏡面の映像を食い入るように見つめた。
艦首の粒子ビーム砲に鏡面が触れると、とろみのあるスープに浸る様にずぶずぶと船体が沈んでいく。
同時に鏡面が発光を始め、外部映像が白一色に包まれた。
視界が白く染まる中。
体温の高いノブナガの端末とくっついているグーシュは昔、今と同じようにミルシャとくっつきながらした、他愛無い妄想を思い出していた。
古文書で見た大商人アズジの探索船。
それを再現した物に乗り、海向こうの陸地を目指し旅をする。
巨大生物を退け、飢えと渇きを乗り越え、やがて目的の場所へと……ルーリアトから最も遠い陸地へとたどり着く。
最初にそこに足を付けるのはもちろん自分。
そしてその次は、愛しい愛しいお付き騎士の……。
妄想で何度も思い浮かべていた光景。
そのクライマックスであるミルシャの手を取り、その顔を見据え、頬に手を触れる寸前。
鏡面の光が消え、モニターが黒一色に染まる。
海原と青い空はケーブルと空中投影型モニターの薄暗い明りに戻り、全ては終わった。
思わず辺りを見回すと、隣にいるのは大好きだったお付き騎士ではない。
自分を好いてくれる歯車騎士の少女ノブナガ。
いる場所は海の彼方では無く、星の海の彼方。
眼前に広がるのは空中投影式モニター越しの漆黒の宇宙。
数の目減りした異世界派遣軍の艦艇が数隻浮かんでいる。
空間湾曲ゲートの向こう側、ルーリアトのある宇宙とは別の宇宙へとやってきたのだ。
「わらわは……」
「グーシュ姉?」
ノブナガが心配そうに名を呼ぶ。
それに応え、わしゃわしゃと頭を撫でてやる。
「わらわは人でなしだ。ボスロ帝や兄上と同じ人でなしのろくでなしのクズだ。大好きな女よりも自分の望みが第一のゴミだ。ああ、あんなにも焦がれた地の果てよりも、目の前に広がる果て無き宇宙が愛おしいのだ」
一木司令を叱ったのに、同じような事を言うのだな、とオダ・ノブナガは思ったが言わなかった。
グーシュも分かっていたが、あえて自信を貶すように言葉を吐き続けた。
しばらく自傷すると、満足したのかグーシュは小さく息を吐いた。
「……ま、クズならクズなりにな……やってやろうじゃないか」
「何をです?」
ニヤリと笑みを浮かべると、グーシュはかつてミルシャにしたようにノブナガの端末へと口づけした。
「行けるところまで行ってやるのさ。そのためならどんなことでもやってやる」
もう、皇女の目から涙は流れなかった。
程なく重巡洋艦オダ・ノブナガは空間湾曲ゲートを抜け出し、それに後続艦と独立旅団の艦艇も続いた。
彼らはゲートから距離を取ると仕掛けておいた反物質爆弾を炸裂させ、空間湾曲ゲートの固定装置を破壊して、一目散にその場から立ち去った。
これにより、ワーヒド星域会戦は完全に終結し、地球連邦軍の敗北と七惑星連合軍の勝利が確定した。
これにて第五章 ワーヒド星域会戦 終了です。
次回より エピローグ 開始予定です。
次回更新は4月3日の予定です。




